ルパン三世 PARTIII
『ルパン三世 PARTIII』(ルパンさんせい パートスリー)は、モンキー・パンチの漫画を原作とするアニメ『ルパン三世』の作品群のうち、1984年3月3日から1985年11月6日まで放送された日本のテレビアニメ。東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)と読売テレビが制作し、日本テレビ系列局で放送された。 本作は『PARTIII』と表記されているため、それまでの『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』(以下、『TV第1シリーズ』)や『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』(以下、『TV第2シリーズ』)と異なり、番組名で区別できる作品となっている。 登場人物→ゲストについては「ルパン三世 PARTIIIの登場人物」を参照
メインキャストに関して、次元大介役の小林清志以外は本作が最後のテレビシリーズ出演作となった。 作風本作はメインコンセプトに「原点回帰」がある。ただし、モンキー・パンチの原作や『TV第1シリーズ』『TV第2シリーズ』など「原点」と呼べるものが数多く存在したため、どこに回帰するか試行錯誤の結果「もう一度原作へ立ち返って洗い直し、『TV第2シリーズ』のコンセプトをベースにハードな部分を取り入れる」という結論に落ち着き、完成作品のような作風となった[1]。 作中内での前シリーズとの明確なつながりは描写されておらず、第1話でルパンが銭形に対して「よぉ〜とっつぁん久しぶり。お達者くらぶで何より何より。」と発言し、両者がしばらくの間は顔を会わせていなかったことを示している程度である。 本シリーズでのルパンはピンクのジャケットを着用。これは作画監修を務めた青木悠三の案であり「ルパンのノスタルジックなアクションやドラマにパート3らしいナウさや軽い感じをプラスすると、絶対ピンクだと思った」と述べている[2]。また、次元が明るい青のスーツにオレンジのシャツ、銭形が薄い緑のコートにピンクのシャツになるなど、全体的に衣装のカラーリングが明るく派手目に変更されている。 サブタイトル表記は、従来および第4シリーズ以降のテレビシリーズで使用されている「タイプライターによるタイトル打ち」ではなく、本編の止め画に赤文字でタイトルを入れる独自のものを使用している。 テレビシリーズで全国ネットかつゴールデンタイムでの放送は本作が最後となっており、『LUPIN the Third -峰不二子という女-』以降のテレビシリーズは、深夜帯および一部地域での放送となっている[注釈 1]。 地上波での再放送は前2作とは異なり非常に少なく、一部の地方局以外ほとんど行われなかった[注釈 2]。なお、他のシリーズ同様2000年代後半以降の再放送では制作クレジットが変更されており、読売テレビのロゴも現行の「ytv」を使用したものに変更された。 製作企画1982年頃に企画された『ルパン8世』の製作が頓挫したことで企画された。ファンからは『TV第2シリーズ』放送終了直後から続編製作の要望が多くあり、お蔵入りとなった『ルパン8世』のスタッフの希望も受け実現したとされる[2]。 製作制作局は、『TV第2シリーズ』の日本テレビから『TV第1シリーズ』の読売テレビに戻った。 読売テレビは「自分たちがアニメ『ルパン三世』を始めた」というプライドを持っていたため、『第2シリーズ』とは異なる作風にすることを意図しての製作を強く希望した[3]。そのため、アニメーション制作の東京ムービー(現:トムス・エンタテインメント)側には「『第2シリーズ』と同じように製作しないで欲しい」とオーダーを出しており、東京ムービーが「ルパンのジャケットは(『TV第1シリーズ』と同様の)緑に戻すのか?」と読売テレビに尋ねたところ「緑にする必要は無い。だが、赤はやめてくれ」と答えたというエピソードが残っている[3]。 上記のように作風変更をコンセプトとする一方で、視聴率は取れる番組にしたいとの意向から、メインキャストと音響スタッフは『TV第2シリーズ』から続投となった[1]。 キャラクターデザインは、前2シリーズなどほぼ全作に参加していた青木悠三が担当。ただし、本作は他の作品に見られる「総作画監督」という役職を置かず、モンキー・パンチの原作画(漫画『新ルパン三世』時)に近い絵柄の基本デザインを青木が描き起こし、それを基に各スタジオでキャラクターが描かれる大胆な制作方式となったため[4]、青木は「作画監修」としてクレジットされている。放送初期はこのキャラクターデザインを反映した作画テイストになっているが、放送回数を重ねるうち次第に下請けスタジオや作画監督および原画マンの差異から生じるデザインの違いが出てきたものの、特に綿密な作画修正はされず[注釈 3]、シリーズ終盤では基本デザイン自体が大幅に変更、ポップでギャグタッチの強い画に一新された。 文芸サイドでは柏原寛司、新井光、宮下隼一、大川俊道など実写アクション・刑事ドラマ出身のシナリオライターが多数参加した。このうち柏原と大川は、その後のテレビスペシャルやOVAにも携わっている。 音楽音楽は、『TV第2シリーズ』と同じ大野雄二が起用された。ただし、日本テレビおよびその関連会社である日本テレビ音楽に権利がある「ルパン三世のテーマ」をはじめ『TV第2シリーズ』の楽曲は使用できなかったことから、本作のためオリジナル曲が作曲され使用された。 大野は依頼を受けた際、上述の事情を知らなかったこともあり「ルパン三世のテーマはもはや定番なのに、どうして使えないのか?」と戸惑いを隠せなかったという[5]。 エンディングテーマには、大野がかつてプロデュースしたボサノヴァ歌手、ソニア・ローザを起用している。主題歌制作の経緯に関して、大野雄二は後年のインタビューで「EDの『フェアリー・ナイト』はシンプルな曲で上手くできたなと今でも気に入っているよ。むしろ当時はOPの『セクシー・アドベンチャー』が大変だったな。ルパンでありながら、これまでのルパンと違う曲を作らないといけなかったから」と苦労を語っている[6]。 その他放送開始は1984年4月の予定だったが、諸事情から急遽3月に変更され「ルパン"3"世だから」と3月3日放送開始となった。この影響によって、製作現場は過密スケジュールとなるなど混乱があったという[2]。 当初は全26話の予定で作られたが、好評のため48話(+2話)まで延長された。だが、放送枠がプロ野球・巨人戦中継と同じ時間帯に設定された影響で休止が相次ぎ「雨が降り試合が中止にならないと見れない」という状況となってしまい[注釈 4]、約半年間分の放送が潰れた結果、1985年9月28日の49話にて一応の最終回を迎えている[7]。 最終話である第50話「原潜イワノフの抹殺指令」は、雨傘番組としてあらかじめ制作・ストックしていた2回分(1回は、49話として使用)のうち、残った1回分である。キー局の読売テレビでは49話本放送から約2か月後の1985年11月6日に放送され、関東圏の日本テレビではそれからさらに1か月後の12月25日に17:30からの30分枠で放送された。この性質上、内容的には最終回ふさわしいものでなく、通常放送と変わらないものとなっている。脚本は元々押井守が「押井版ルパン三世」の監督を降板した後、改めて仕切り直して制作を準備していたルパン劇場作品第3弾のオーディションに提出された4本のオリジナルプロットのうちの1つを転用したとされる[8](実際に制作・公開された劇場アニメ第3弾については『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』を参照)。 スタッフ
主題歌
各話リスト
使用された原作
補足事項
放送局
評価上述の通り、好評ではあったものの度重なる放送休止に加え、本作が放送中にも関わらず全国では『TV第2シリーズ』の再放送が継続され「ルパン=『TV第2シリーズ』」のイメージが視聴者に定着したことも重なり、近年では正当な評価を受けなかった不遇な作品として扱われている[2]。 井上和孝は「絵柄の好みはあるだろうが、決して駄作ではない」と評しており、前2シリーズと肩を並べ評価されるべき作品としている[2]。 映像ソフト1980年代にビデオソフト、1990年代にLD-BOX、2000年代にはDVD-BOX、2017年にはBD-BOXがそれぞれ発売された。 脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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