小林 宏(こばやし ひろし、1962年12月18日 - )は、将棋棋士。真部一男九段門下。棋士番号は167。三重県度会郡玉城町生まれ。
父は編集者、文学研究者の小林察。
戦績
1989年度(第2期)竜王戦5組ランキング戦の準々決勝で佐藤康光、決勝で森内俊之と後に永世称号を獲得する2名に勝利し、島朗竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。本戦も1回戦で6組優勝の長沼洋に勝利を挙げた。(2回戦で羽生善治に敗退[1])
竜王戦では2年後の第4期でも4組ランキング戦で優勝し、谷川浩司竜王(当時)への挑戦権を争う本戦トーナメントに進出。日浦市郎(3組2位)、島朗(1組優勝)、塚田泰明(1組3位)を破って、挑戦者決定三番勝負に進出するが、森下卓(3組優勝)に2連敗で敗れる。なお、竜王戦は挑戦者になるだけで、他棋戦の優勝賞金レベルの稼ぎになる。翌期に自己最高位の3組に昇進し、以降8期連続で在位した。
1992年度、第11回早指し新鋭戦で棋戦初優勝。決勝で佐藤康光の3連覇を阻止した。
順位戦では初出場から6期目、1990年度(第49期)C級2組で初戦から9連勝し、最終局を待たずしてC級1組への昇級を決める。(最終局で神崎健二に敗れ、3位昇級となった。)以降13期連続でC級1組に在位、その間第55期(1996年度)と第58期(1999年度)で8勝2敗の好成績を修めたが、B級2組への昇級には至らなかった[2]。
2010年度(第69期)を最後にフリークラスへの転出を宣言。順位戦以外の公式戦は2026年度まで参加が可能であったが、2021年度末に連盟に引退届を提出[3]。
2022年4月19日の第35期竜王戦6組昇級者決定戦・上野裕和戦の対局を最後に現役を引退した[4]。通算対局数は999局(435勝564敗)だった。
棋風
居飛車戦法(矢倉など)、振り飛車戦法、相振り飛車のいずれも指しこなすオールラウンドプレーヤーである[要出典]。
激しい攻め合いを好む棋風である[要出典]。
人物
棋士番号が前後する伊藤博文と小林宏は奨励会三段当時、1984年8月の第一例会の第1局でいずれも四段昇段を決めた。
東西で異なる例会日程のため四段昇段決定日は数日異なるが(伊藤は同年8月1日・関西、小林は同年8月3日・東京)[5]、
いずれも同時期の例会(8月第一例会)の第1局で昇段しており、「同じ時点での四段昇段」の事例は当時前例がなかった。
そのため、二人のどちらを昇段順(棋士番号)で先として取り扱うかが問題となった。
成績内容による判断なども検討された中、関東関西の異なる例会日を基にするのではなく、
同時四段昇段の二人を「登録順位決定戦」(非公式戦)で戦わせることになった[5]。この「登録順位決定戦」は1984年8月17日に東京・将棋会館で小林宏の先手(振り駒・持ち時間各90分)で行われ、120手で伊藤が勝利した[5]。
この結果、昇段順は伊藤が先、小林が後となり、棋士番号は伊藤が166番、小林が167番となった。また、両者初参加となる第44期順位戦のC級2組の順位についても、伊藤(43位)、小林(44位)の順となった。
- 父の小林察(こばやしさとる)は元光文社の編集者であるほか[6]、詩人竹内浩三の研究者でもあり、玉川大学・大阪学院大学教授を歴任している。
- 師匠の真部一男とは年が近く(真部は1952年、小林は1962年生まれ)、また真部門下唯一の棋士[7]なので、師弟のつながりはかなり強いものがあった。真部が2007年に死去したときは、週刊将棋と将棋世界に追悼文を寄稿。真部が病院で絶局(2007年10月30日、順位戦C級2組、対豊島将之戦)について語ったことを綴り、2008年の升田幸三賞特別賞を受賞した手である『幻の△4二角』の生き証人となった。
- 1993年から1997年まで、関東奨励会の幹事を務めた。
- 本格的な登山愛好家。奨励会在籍期間の約4割を占めた二段時代に、ザイルやハンマーなどを少しずつ揃えていったという[8]。平成10年度版「将棋年鑑」のプロフィール(アンケート)で、「棋士以外でやってみたい職業は?」との問いに「冬の小屋番」と回答している。二段時代の1984年、谷川岳で猛吹雪で山小屋に閉じ込められ、奨励会の対局が不戦敗となる[9]。五段時代の1993年、富士山で滑落事故で足を骨折して一時行方不明となり、ニュースで報道までされたが、無事、救出された[10]。
昇段履歴
- 1978年00月00日 : 6級 =奨励会入会
- 1981年00月00日 : 初段
- 1984年08月03日 : 四段 =プロ入り
- 1989年05月19日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝)
- 1995年11月29日 : 六段(勝数規定 /五段昇段後公式戦120勝)
- 2009年11月25日 : 七段(勝数規定 /六段昇段後公式戦150勝)
- 2022年04月19日 : 引退(通算999局、435勝564敗)[4][11]
主な成績
棋戦優勝
- 優勝合計 1回
在籍クラス
年度別成績
| この節の 加筆が望まれています。 (2024年9月) |
脚注
関連項目
外部リンク
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早指し 将棋選手権 優勝者 |
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早指し 新鋭戦 優勝者 |
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関連項目 | |
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2002年(第36回)で終了。 |