純白の夜
『純白の夜』(じゅんぱくのよる)は、三島由紀夫の3作目の長編小説。既婚者同士の恋と、そのかけひきの心理を高雅で怜悧なタッチで描いた恋愛小説。純粋なヒロインの悲劇的で不条理な結末までの愛と苦悩が繊細に綴られている。 1950年(昭和25年)、雑誌『婦人公論』1月号から10月号に連載された[1][2]。三島にとって初の長期連載物である[3]。単行本は同年12月20日に中央公論社より刊行された[4]。発表の翌年1951年(昭和26年)8月31日には、木暮実千代主演で映画も封切られた。映画には三島もエキストラで出演している[5]。文庫版は1956年(昭和31年)7月30日に角川文庫で刊行された[4]。翻訳版は、中国(中題:純白的夜)で行われている[6]。 あらすじ昭和23年の秋、ある茶会の帰り、22歳の郁子は、銀行員の35歳の夫・村松恒彦とその同僚・沢田と三人で、ドラクロアの良いデッサンが出ているという有楽町のS画廊に立ち寄った。S画廊は恒彦の父の代から村松家と関係のある画商であった。デッサンはすでに売約済みとなっており、買ったのは恒彦の学友であった楠であった。楠は仕事の取引で恒彦と再び連絡を取り合うようになっていた。 楠がドラクロアのデッサンを見せに、渋谷の村松家にやって来た。恒彦の帰宅時間が予定より遅くなり、折からの雨で女中は駅まで恒彦を迎えに出て行った。郁子と楠は応接間での2人だけの短い初対面の間に心の中で惹かれ合った。次の土曜日に草野井元男爵邸で行なわれるダンス教室の小舞踏会に楠も招待されていた。ダンスの日、楠は遅れてやって来た。パートナーを連れていない楠と郁子は踊った。楠は積極的にアプローチし、郁子のハンドバッグに恋文を入れた。帰宅後、郁子はそれを読み喜びでいっぱいになったが、夫にそれを見せ返事は書かなかった。1か月後の紅葉の季節、楠の河口湖の別荘の集まりに村松夫婦も招待された。楠は郁子にまたアプローチした。帰京し、約束の待ち合わせの店に郁子はわざと偶然を装い、夫を伴って来た。 父親が追放令に該当し東京の家を売却したため、生活に困窮していた独身の沢田が村松家に一時、間借りすることとなった。郁子は初めそれに反対だったが、しだいにデリカシーや皮肉のない沢田に逆に話しやすさ、心安さを感じた。正月の年始の挨拶がてらに恒彦と郁子夫婦は麻布にある楠の家を訪ねてみた。楠の妻・由良子は病身で寝たり起きたりの身であった。ある日、郁子は夫に訊かれ、楠に呼ばれて2、3度会ったことと、すぐ逃げて来たことを告げた。しかし郁子はしだいに楠の押しに屈し、接吻を交わすようになっていた。郁子は楠を愛していたが、最後の一線は許さなかった。 恒彦は銀行へ楠を呼んだ。恒彦は、楠の会社への融資を止めることを告げ、妻から楠への別れの手紙を渡し、公私ともに楠と絶交をすることを言い渡した。郁子は当初、朗らかさを装っていたものの楠と会えない空洞があった。そして夫の出張の時に、沢田と一夜を共にしてしまった。沢田から、そのことを聞いた楠は傷つき、郁子に手紙を出した。2人は再び、密会するようになった。郁子は楠の疑惑を解き、自分の真心を何とかして楠にわかってもらいたいと思った。2人は、郁子が鎌倉の親戚の通夜に行く前の短い間にも、駅で会った。郁子は通夜の後、実家に立ち寄った折に、妹・露子がいつも、おまじないのように持ち歩いている青酸カリを何気なく自分のバッグに入れてしまった。 梅雨明け間近の日、楠はついに強引に郁子を鎌倉の扇ガ谷の懐風苑という宿へ連れて行った。風呂の後、郁子は家に電話を入れると言うと、楠は、全責任とるから、自分と一緒にいることを恒彦に告げるように言った。しかし郁子は女中に、鎌倉の親戚の家に泊まると嘘をついて切った。それを聞き怒った楠は黙って郁子を残し、宿を出て行った。あくる朝、楠が宿に戻ると、警官や泣いている恒彦がいた。郁子は服毒自殺していた。郁子は死ぬ前の夜中の3時に夫へ電話をかけ、「あたくし楠さんを愛しておりますの。それなのに、楠さんはあたくしをお捨てになったの。……あたくし1人ぼっちなの。……とてもこわいの。どうしていいかわからないくらい。……だめなの。楠さんはもうあたくしをお嫌いなの。……迎えにいらしてね、きっと迎えにいらしてね」と子供のように泣きじゃくっていた。その声は不思議な鳥の啼き声のように響いていた。 登場人物
作品背景三島由紀夫は『純白の夜』の映画化の際に、自作について〈筋よりも心理が主になつてゐる小説〉だと述べている[7]。
『純白の夜』のヒロインの名前は「郁子」であるが、これは三島の初恋の三谷邦子(三谷信の妹)の「邦子」の字と感じが似ていることから付けられたのではないかとされている[8]。「郁子」という名前が、短編『罪びと』(1948年)や、のちの戯曲『熱帯樹』(1960年)のヒロインにも付けられていることに気づいた村松剛が、このことについて三島に訊ねた際、「そんなことに気が付くのは君ぐらいのもんだよ」と言い、その後ぼつんと、「昔つきあっていた女でよく似た名前のがいた」と答え、それ以上は何も言わなかったという[8][9]。 作品評価・研究『純白の夜』は、単なる女性雑誌向けの娯楽小説ではなく、主人公の男女の「心理の分析と彫琢」によって「古典的心理小説」とも言えると小坂部元秀は評し、「とくに最後の破局へのヤマ場のつくり方と結末のシニシズムに注目したい」と解説している[10]。 蘆原英了は、『クレーヴの奥方』から『ドルジェル伯の舞踏会』に至るフランス心理小説の流れを『純白の夜』は明確にくんでいるとし、チボオデのいう「心理のロマネスク」を扱った作品であると解説している[11]。また題名は、フランス語の「ラ・ニュイ・ブランシュ」から思いついたのではないかとしながら、「白夜」の意味は「眠れぬ夜」だと説明し、「これはこの小説の最後の部分の、郁子のそれを現しているのであろうと忖度する」と述べている[11]。 小池真理子は、「いかに天賦の才に恵まれていた作家とはいえ、わずか二十五歳の若さで、かくも緻密で完璧な恋愛心理小説を書くことができるものだろうか」と驚嘆し[3]、不倫などの男女の愛憎といった「卑俗」な題材が、一旦三島という作家の手にかかると、その「華麗な文章」で「美しい悲劇」に仕立てられ、「軽蔑すべき卑俗の中に隠されていた気高い真実を見せつけられる」とし、三島はバルザック以上に、「卑俗なものを悲劇に高め続けた」作家だと考察している[3]。 そして、その心理描写の「緻密で完璧」な表現力を、「怪物的才能」と小池は評しながら[3]、夫を裏切っていないと言い訳しながらも楠に惹かれていく郁子と、郁子ほどの美しい女を諦めるのは「神に対する冒涜」だと考える楠の心理を描く三島の表現方法を以下のように解説している[3]。 村松剛は、ヒロイン「郁子」の名前にまつわるものとして、三島が短編『罪びと』では、リヤカーで荷物運搬中に飲んだ水が原因でチフスで亡くなるミッション・スクールの女学生「郁子」(IKUKO)を妹・美津子(MITSUKO)をモデルにし、その「郁子」が、主人公の青年の許婚という設定となっていることと、「郁子」に水を飲むことを勧めた同級生が、主人公と夏休みに避暑地であやまちを犯したという設定で、三島と軽井沢で接吻をした三谷邦子(KUNIKO)(『仮面の告白』の園子)がモデルとなっていることを考察しつつ[8][9]、戯曲『熱帯樹』では、兄と心中する妹が「郁子」という名前で、『純白の夜』では人妻の「郁子」で登場することから、「妹の死」と「失恋」という2つの主題が、これらの作品群では混ぜ合わされていると解説している[9]。 映画化
『純白の夜』(松竹) 1951年(昭和26年)8月31日封切。モノクロ 1時間46分。 当時、高校生だった石原慎太郎は、映画の予告編で、エキストラ出演の三島がダンスパーティーのシーンに出ているのを見て、「ああこれが鬼才の顔か」と思ったと述懐し[12]、野坂昭如は、ずっと映画を見ていたが三島を見つけることができなかったと述懐している[12]。 スタッフキャスト
テレビドラマ化おもな刊行本
全集収録
脚注
参考文献
関連項目外部リンク |