『志賀寺上人の恋』(しがでらしょうにんのこい)は、三島由紀夫の短編小説。全5章から成る。『太平記』第37巻中で語られる高徳の老僧・志賀寺上人に関する説話を典拠に「恋愛と信仰の相剋」を描いた作品である[1][2][3][4]。
無漏の境地寸前にいたって京極御息所に恋してしまい、浄土へ赴くことの不可能の葛藤を抱えた上人がその恋ゆえに彼女のいる御所の庭にじっと佇む姿と、恋される蟻地獄の恐怖から次第に変化していく御息所の心理描写が印象的な作品になっている[3]。
発表経過
1954年(昭和29年)、文芸雑誌『文藝春秋』10月号(第32巻15号)・〈歴史小説特集号〉に掲載された[5][6][7]。
単行本としては、1956年(昭和31年)6月30日に角川書店より刊行の『詩を書く少年』に収録され[8][7]、その後は1978年(昭和53年)11月27日に新潮社より刊行の『岬にての物語』(新潮文庫)に収録された[9][7][3]。
雑誌への再掲載としては、1998年(平成10年)刊行の『新潮5月臨時増刊号』〈歴史小説の世紀 戦後傑作短篇55選〉に再録された[7]。
翻訳版は、アイヴァン・モリス訳の英語(英題:The Priest of Shiga Temple and His Love)、須賀敦子訳のイタリア語(伊題:L’amore dell’abate di Shiga)、ドイツ語(独題:Der Priester des Tempels in Shiga und seine Liebe)、フランス語(仏題:Le prêtre du temple de Shiga et son amour)などで行われている[10][11][12]。
あらすじ
永い修行を積んだ高徳の老僧である志賀寺上人の聖の目には、現世の物事はすべて塵芥のようにしか映らず、富貴の人の生活も無常の夢の中の快楽に見え、美貌の女に会っても、煩悩につながれ流転する迷い人を不憫に思う心境となっている。上人はもはや、現世を動かしている動機に少しも共感を抱かず、その目に映る現世はその静止の相だけであった。己の骨と皮だけのような老躯ももう他人の肉体かのように折り合い、その身は浄土の飲食に叶っているように上人は思っている。
ある春の午後、上人は杖を携えながら草庵を出て湖水のほとりで「水想観」を成し、独り佇んでいた。そのときすぐ近くの岸に高貴の人の車が止った。志賀の春の景色を眺めるために循環したその車から、湖の景色からの別れ際に車を止めさせた京極御息所が物見(車窓)をあげてその顔を見せた。その瞬間を見た上人は、京極御息所の美しさに搏たれた。両者の目は合い、しばらくじっと見つめ合っていた。御息所の目にその老人はいかにも澄んだ老僧だったため、他の者なら無礼な凝視だったその視線をゆるしていた。
言葉にならないほどの京極御息所の美しさに魅了されてしまった瞬間、上人の前で現世がものすごい力で一瞬のうちに彼に復讐したようだった。その反撃により、もう悟って大丈夫だと思っていたものがすべて瓦解してしまった。上人は庵に戻って本尊の前で懸命に名号を唱えたが、御息所の面影に邪魔される。あの女人の美しさも仮象であり無常の肉体の一時の現象だと思うように努める上人であったが、一瞬で彼の心を奪ったその力は何か久遠の力のようにも思われた。
その魅了は、上人の若い時代の女への肉欲の迷いとの戦いとはまた異なり、肉というには御息所の顔はあまりに光り輝いた渾然たる存在で、稀有な一瞬が現前したようなものだった。その日以来、上人は何を見ても御息所の顔ばかりが浮び、ため息ばかりをつくようになる。その変化は周囲の者にも察せられた。その一方、御息所は志賀の湖畔で見た老僧のことなどすっかり忘れていたが、御息所の車を見送っていた上人の姿を目撃していた里人がいて、上人がその晩から物狂いのようになったことを志賀に花見に来た殿上人に報告した。
その噂は御息所本人の耳にも入った。俗世の男の恋着に飽いていた御息所にとって、高徳の僧の心をも惑わしたという事件は彼女の虚栄心を捉えるものがあった。宮廷内の好き者には心惹かれず、若い貴公子の美貌にも特に感動しない御息所の恋の関心はもっぱら、誰が最も強く、そして最も深く自分を愛してくれるのかということであり、すでにあらゆる地上の富を所持していた彼女が待っていたのは、「来世の富」を捧げてくれる男だった。
現世を捨てたはずの志賀寺上人の恋着の噂は宮廷内でも高まり、上人の心を奪った御息所の美がますます褒め称えられ、老人と美しい貴婦人という「望みのない恋」の不可能性の安心感から、帝までもが冗談半分に上人の恋着を話題にした。浄土を信じていた御息所は、湖での高徳の老僧の姿を思い浮かべ、一旦浮世を捨てたその男が来世をも捨てかねないことを考えながら、浄土の蓮華の想いを心に浮べた。
上人は、京極御息所に対する恋の不可能と、その恋着による浄土の夢の不可能のために深い闇に迷い込んでいた。若い頃の肉欲との戦いには、望めば交わりが可能であるのを好んで禁じているという矜持と、来世の獲得の希望があったが、老年のその絶望的な戦いには、不可能な恋ゆえに迷いも深く袋小路のような状態であった。そこで、上人はあえて逆らうことなく御息所の幻影に思いを凝らしてみた。そして不可能の幻の荘厳さに喜びを感じ、御息所はいつしか巨大な蓮の花の幻と一体となる。
上人の心は、もう一度御息所に会いたいと切に願いながらも、蓮の花と一体となった彼女の幻影がその時に崩れることをも怖れた。しかし恋の幻影が崩れれば、上人は救われ今度こそは得脱が確実になるはずだが、上人にはそれが怖かった。そんな種々の思いを巡らして上人は御息所に会いに行く理由を編み出し、ついに御息所のいる御所に出向く決心する。
志賀寺上人が御所の庭の片隅に黙然と立っていることに気づいた侍女が、御息所にそのことを告げた。御簾を透かして上人のその姿を見た御息所は顔色を変えて驚くが、どうしていいか分からず、そのまま放置するように侍女に言う。御息所は、志賀の湖畔で見た老僧の光彩さとは打って変わって、恋と老いにやつれ果てた地獄のような男の姿に不安を覚え、上人が来世を彼女のために捨てても、来世は彼女に無疵でわたることはないと考える。
鳩杖にすがってようやく都に辿り着き、疲労も忘れて無我夢中で御所の庭に忍び入っていた上人は、その御簾の中に自分の恋する女がいるのかと思うと、急にそれまでの偽りの夢から醒め、再び来世に魅入られて浄土を切実に思い描いた。だからあとはただ、今生の妄念を晴らすべく、御息所と面会し恋を打明ける手続きをするだけである。上人は、御息所が早く自分に気づいて招いてくれればと、今にも倒れそうな老躯を杖で支えていた。
夜が更けても上人はじっと立っていた。御息所はその夜一睡もできず、御簾の中から上人のその姿を何度も確認していた。上人の恋は凡庸な恋ではなかった。御息所は愛されることの蟻地獄を初めて感じ、高名な高僧をこれほどまでに惑わしたからには自分には浄土は来ず、地獄が迎えに来るのではないかと恐怖に襲われる。しかしそう感じながらも、上人が倒れてしまえば、自分の浄土とは関係なく、彼の身勝手な片思いのために自分の念ずる浄土が傷つくはずがないと考えるように努めた。
だが、もし上人が死んでしまっても平気でいられる自信がなくなってしまった御息所は、空が暁闇に白んでいる下でもまだ佇んでいる上人を見て敗北し、ついに侍女を呼んで上人を御簾の前に招き入れるよう申しつけた。肉体が疲れ果て忘我の境にいた上人は、近づいてくる侍女を見ても、自分が待っている者が御息所か来世か分からなかった。御息所の言葉を侍女から伝え聞いた上人は口の中で何か怖しい叫びをあげ、自分1人で確乎とした足取りで御簾の前まで進んでいく。
御息所の姿は見えないが、上人はその前でひざまづき顔を両手で覆って泣いた。その慟哭は長く続いた。やがて御簾の中から御息所の雪のように白く美しい手がさし出され、上人は両手でその恋する女の手を押しいただいて自分の額に、頬にと当てた。御息所の手は、最初は上人の冷たい異様な手を感じ、そのうちに上人の熱い涙に濡れて気味の悪いものに感じたが、空から朝日が御簾に差し込んだ瞬間、日頃の信仰心から尊い霊感に突然搏たれた。
自分に触れている上人の手を「仏の御手」と確信した御息所は、上人の恋を受け入れ身を任せてもよいと思った。あとは、御簾をあけてくれと上人が頼むだけである。御息所はその言葉を待った。しかし上人は無言のままで何も願わなかった。やがて、しっかり握っていた御息所の手を放すと、上人はそこから立ち去った。そして御息所は再び冷たい心になった。
数日経って、御息所は志賀寺上人が草庵で入寂したという一報を耳にした。御息所は数々の美しい経巻を納経した。その経文は「無量寿経」「法華経」「華厳経」などであった。
登場人物
- 志賀寺上人
- 高徳の僧。眉も白く鳩杖をついてやっと歩く老僧。永らく浮世を捨てて草庵で暮らしていて、現世はもはやただの紙上の絵か他国の一枚の地図にすぎないものに感じていた。衰えた肉体は浮き出た骨が薄い皮膚に覆われている。浄土を夢みている。
- 京極の御息所
- 藤原褒子。宮廷の優雅の化身のような美貌の女性。彼女自身も自分の美しさを十分知っていた。自分の高位や美しさを無価値なものとして扱ってくれる力に惹かれる傾向があり、男は誰でも自分に惚れるため俗世の男の恋着に飽き果てている。信心深く、栄華の倦怠で退屈していたので浄土を信じている。
作品背景
※三島自身の言葉の引用部は〈 〉にしています(他の作家や評者の論文からの引用部との区別のため)。
『志賀寺上人の恋』は、南北朝時代の軍記物語『太平記』第37巻の「身子声聞、一角仙人、志賀寺上人事」の段を典拠にしている[2][13][4][14]。その段は、尾張左衛門佐(斯波氏頼)の出家遁世と道心を語る比較対象として、身子声聞、一角仙人、志賀寺上人の3人の挿話をそれぞれまとめた段である[14][注釈 1]。三島は典拠とした志賀寺上人の挿話の〈独特な恋の情緒〉よりも、〈その単純な心理的事実に興味があつた〉としている[1][2][4]。
そこでは恋愛と信仰の相剋が扱はれてゐる。西洋には沢山その例があるが、日本ではめづらしい話柄である。恋愛の因子にはつきり来世の問題が入つてゐる。上人ばかりでなく、恋された女の中にも、来世と今世がその席を争ひ合つて、大げさに言へば、かれらは自分の考へてゐる世界構造が崩れるか崩れないか、といふきはどいところで、この恋物語を成立させたのである。実際、平安中期以降のさかんな浄土信仰は、厳密にいへば、信仰といふよりもむしろ一つの巨大な
観念世界の発見であつた。
— 三島由紀夫「志賀寺上人の恋」[1]
『太平記』の中の志賀寺上人の挿話においては、恋の煩悩に負けた上人のみすぼらしさが強調されている傾向が見られるが、三島の作品においては最終的には上人が御息所よりも優位に立っているような様相に脚色されている[14]。
『志賀寺上人の恋』は、同じく古典を典拠に老人の恋を描いた戯曲『綾の鼓』(能の『綾鼓』を典拠)や、片思いを扱った短編小説『恋重荷』(能の『恋重荷』をヒントに執筆)同様に、望みのない身分違いの恋や不可能な恋を主題にしている点がそれらと共通している[16][14]。
「志賀寺上人の恋」と「恋重荷」は、同じ主題を扱つたものであるが、私は古典のかういふ扱ひ方があまり巧みでない。さういふ扱ひ方で私が些少の成功を収めたのは戯曲の分野であつて、「
近代能楽集」を読んでいただけば十分である。
— 三島由紀夫「おくがき」(『詩を書く少年』)[16]
なお、『恋重荷』(1949年)の中にも大学のゼミで『太平記』の志賀寺上人の説話を扱ったことが出てきて〈中世の恋物語の中でもたぐひまれな美しいもの〉と叙述されているが、長編小説『禁色』(1951年-1953年)にも志賀寺上人の物語に触れている叙述部分があり[2][13]、『禁色』では、主人公の老作家・檜俊輔の執筆作品について〈彼は鬼気と巒気を帯びた断片的な作品を二三書いた。それらは太平記の時代の再現であり、梟首や炎上する伽藍や般若院の童の神託や大徳志賀寺上人の京極御息所に対する愛恋などのアラベスクをなした物語である〉と叙述されている[13]。
『志賀寺上人の恋』が発表された時期は三島が29歳の時であるが、その29歳から32歳にいたる時期について三島は後年に振り返りながら、〈短篇の技法がだいぶん熟してきて、しかも短篇を書くことの情熱はまだ多分にあつた時期〉だったとし[17][3]、『新聞紙』(1955年)、『橋づくし』(1956年)、『志賀寺上人の恋』(1954年)の3篇は、〈短篇小説といふものに描いてきた芸術上の理想をなるたけ忠実になぞるやうに書いた作品で、冷淡で、オチがあつて、そして細部に凝つてゐて、決して感動しないことを身上にしてゐる〉と記している[17][3]。
作中で描かれている浄土の描写に関しては、平安中期の仏教書『往生要集』を参考資料としている[1][3]。なお、志賀寺上人と京極御息所の説話は『太平記』以前の歌学書『俊頼口伝集』の中で詳細が伝えられている[3]。
作品評価・研究
※三島自身の言葉の引用部は〈 〉にしています(他の作家や評者の論文からの引用部との区別のため)。
同時代評価
伊藤整は、「心理の計算に明確な線が出ていて」前半は特に面白いとしながらも、ある時から「文章を追っているうちに、こちらの足が地から離れるような気がする所」に来ると「もう信頼できない」とし[18]、こうした「計算主義の作品」においての「足が地から離れる」場所では「作者が誤算しているか、読者がその論理から落っこちたか」のどちらかであるが、「オカメ八目」(第三者的目線)で後半は「作者の誤算としたい」と評している[18]。
後年の評価・研究
同時代評は伊藤整以外に特に取り上げているものはないが[2]、三島の死後の評価としては、優れた短編小説を多く執筆していた中の一編として挙げられる傾向にあり[19]、恋愛物や歴史小説の名品としてアンソロジーでも取り上げられてもいる[20][21]。研究としては本格的なものは少ないものの2010年代においては、三島文学の主題の一つである〈認識〉と関わる論も出てきている[14]。
渡辺広士は、「不可能」な愛や「現世的なものへの皮肉」、「意識と行為の絶対的な溝」を主題にした三島の戦後の短編群の中でも『志賀寺上人の恋』は「醜と隣り合せて成り立つ美」の最も見事な例だとして[19]、三島の作品に必要不可欠な「現実(実在)と非現実(不在)の相剋」が「典雅な文体を通して、高い美を構築している」と高評しつつ、この作品が三島の20代の最後の年に書かれたことも象徴的だとしている[19]。
勝又浩は、日本の歴史小説の可能性を語る座談会において、『志賀寺上人の恋』を三島でなければできない「独壇場という感じの作品」と評し、「突き放してみると論理のアクロバット」ではあるが、きちんと筋が通ってしまうところは「見事」で「花田清輝に繋がるところがあるかもしれない」としている[21]。秋山駿もその意見に同意し、「扱っている時代を自分に直結させようとするところは川端康成の流れなんだけど、ちょっと違って、あなたが言われた花田清輝の線はあるかもしれない」と評している[21]。
そして勝又は、作中で語られる〈御息所は自分の美しさを十分知つてゐたが、かういふ人のつねで、自分の高位と美しさを無価値なものに扱つてくれる力に惹かれる傾きがあつた〉の箇所を、「これは言われちゃうとなるほどなんだけれども(笑)」とアクロバット的論理の具体例として挙げ[21]、それについて曾根博義は、「女は女で愛されることしか関心がないわけです。これもやっぱり三島的」としつつも、「非常に論理的に整理されすぎちゃってる物足りなさ」もあると評している[21]。
秋山駿:この人(三島)は生きる上での
逆説性を非常に尊重していて、それが精神の運動のバネになっているからね。
曾根博義:最初に、上人と御息所との恋では情緒に関心はない、心理に関心があるんだと予防線を張ってますね。観念と心理にしか関心がないと。
秋山駿:そう言い続けてるんだよ、あの人は。
勝又浩:普通の人が現実というのが彼には観念で、普通の人の観念が彼には現実で、僕に言わせるとそれは一つの
ラディカリズムだと思うんです。それが戦後文学が持ってるエネルギーにぴったり一致している。
— 秋山駿・勝又浩・曾根博義・縄田一男の座談「歴史小説から日本人が見える」[21]
真銅正宏は、三島が『豊饒の海』などの作品において〈見る〉〈見られる〉行為(三島文学の〈認識〉にも関わる要素)について意識的であったことと、人間の五官のうち外界と特に強く結びついている「視覚」に関連し「触覚」の世界認知の重要性を「視触[22]」という概念で表わした矢萩喜從郎の著書『視触――多中心・多視点の思考』の論を紹介しつつ[14]、『太平記』で上人が御息所の手を「取付テ」ひたすら感動している典拠の場面よりも、上人と御息所の「身体的接触」自体に重きをおいて、御息所が上人の手を〈仏の御手〉と見ることを加えて描かれている『志賀寺上人の恋』の「手と手の触れあい」(身体的接触)の重要性を指摘し、その「精神性や思想に還元される前の、身体的接触の意味合い」について論考している[14]。
接触とは、物理的な事実を超え、想像力をも含み込んだ、別の距離感を意識させるものとしても機能する。三島が書こうとしたものも、上人と御息所の距離感に関わっている。そしてそれは、決して精神的なものだけに還元されるものではなく、身体性と融合した距離感なのである。
ふと目が合ったことから始まった二人の物語は、手の触れあいによって、成就もし、終焉も迎えたのである。この視覚から触覚への変遷は、視覚重視の発想とはやや違う可能性を見せてくれる。すなわち、視覚の世界ではいかにも不分明であったものが、触覚によって、それぞれの文脈の中で理解され、確認されているのである。特に上人においては、視覚によって始まった迷いが、触覚によって払拭された物語とも考えられるのである。これは、認識における身体性の勝利とも言えるかもしれない。
— 真銅正宏「見ることと触ること――『月澹荘綺譚』と『志賀寺上人の恋』」[14]
さらに真鍋は、「視覚要素の強調表現」が看取されると同時に〈見る〉ことの残酷さが主題となっている『月澹荘綺譚』においても、〈見る〉ことが「実際の肉体的接触をも超えるという否定的契機を以て描かれている」点と、その視姦者・照茂(殿様)の〈見る〉行為が接触行為の代替行為であり、矢萩のいうところの「非接触[22]」「疑似接触感[22]」であることから、「三島の描く視覚には、拭い去りがたい身体的感覚との類比が含み込まれている」として、三島にとっての〈認識〉〈見る〉という視覚観には「触覚的営為」による認知も関与していると考察している[14]。
おもな収録刊行本
単行本
- 『詩を書く少年』(角川小説新書、1956年6月30日)
- カバー絵:パウル・クレー「シンドバッド」。表紙絵意匠:高橋忠弥。紙装。
- カバー袖(裏)に高橋忠弥によるカバー絵の解説あり。カバー袖に吉田健一「小説の魅力」
- 付録:「おくがき」
- 収録作品:「詩を書く少年」「復讐」「江口初女覚書」「家庭裁判」「牡丹」「山の魂」「商ひ人」「志賀寺上人の恋」「あやめ」「恋重荷」「鴛鴦」
- ※ 初刷でカバーの異なるものあり。
- 文庫版『岬にての物語』(新潮文庫、1978年11月27日)
- 『日本幻想文学集成2――ミランダ 三島由紀夫』(国書刊行会、1991年3月25日)
- 装画・装幀:梅木英治
- 編集:橋本治。解説:橋本治「幸福な鴉」
- 収録作品:「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」「志賀寺上人の恋」「大障碍」「手長姫」「女方」「憂国」「鴉」「ミランダ」「百万円煎餅」
- 英訳版『真夏の死 その他』 “Death in Midsummer and other stories”(訳:エドワード・G・サイデンステッカー、ドナルド・キーン、アイヴァン・モリス、ほか)(New Directions、1966年。Penguin Books Ltd、1986年)
- 収録作品:真夏の死(Death in Midsummer)、百万円煎餅(Three Million Yen)、魔法瓶(Thermos Flasks)、志賀寺上人の恋(The Priest of Shiga Temple and His Love)、橋づくし(The Seven Bridges)、憂国(Patriotism)、道成寺(Dōjōji)、女方(Onnagata)、真珠(The Pearl)、新聞紙(Swaddling Clothes)
- ※ 1967年(昭和42年)度のフォルメントール国際文学賞(英語版)第2位受賞。
全集
- 『三島由紀夫短篇全集』(新潮社、1964年2月10日)
- 『三島由紀夫短篇全集5 鍵のかかる部屋』(講談社 ロマン・ブックス、1965年7月5日)
- 装幀:荻太郎。小四六判。2段組。紙装。
- カバー裏に著者肖像写真。カバー袖に著者略歴。
- 付録:「あとがき」
- 収録作品:「ラディゲの死」「鍵のかかる部屋」「復讐」「詩を書く少年」「志賀寺上人の恋」「水音」「海と夕焼」「新聞紙」「山の魂」「牡丹」「施餓鬼舟」「橋づくし」「女方」「貴顕」
- 『三島由紀夫全集9巻(小説IX)』(新潮社、1973年6月25日)
- 装幀:杉山寧。四六判。背革紙継ぎ装。貼函。
- 月報:北杜夫「初期作品の思い出など」。《評伝・三島由紀夫 2》佐伯彰一「ハワイにおける三島由紀夫」。《同時代評から 2》虫明亜呂無「『潮騒』『沈める滝』をめぐって」
- 収録作品:「潮騒」「博覧会」「鍵のかかる部屋」「復讐」「詩を書く少年」「志賀寺上人の恋」「水音」「沈める滝」「海と夕焼」「新聞紙」「商ひ人」「山の魂」「牡丹」
- ※ 同一内容で豪華限定版(装幀:杉山寧。総革装。天金。緑革貼函。段ボール夫婦外函。A5変型版。本文2色刷)が1,000部あり。
- 『三島由紀夫短篇全集』〈下巻〉(新潮社、1987年11月20日)
- 布装。セット機械函。四六判。2段組。
- 収録作品:「家庭裁判」から「蘭陵王」までの73篇。
- 『決定版 三島由紀夫全集19巻・短編5』(新潮社、2002年6月10日)
- 装幀:新潮社装幀室。装画:柄澤齊。四六判。貼函。布クロス装。丸背。箔押し2色。
- 月報:吉田知子「同時代の喜び」。葛井欣士郎「花ざかりの追憶」。[小説の創り方19]田中美代子「0氏の自画像」
- 収録作品:「急停車」「卵」「不満な女たち」「花火」「ラディゲの死」「陽気な恋人」「博覧会」「芸術狐」「鍵のかかる部屋」「復讐」「詩を書く少年」「志賀寺上人の恋」「水音」「S・O・S」「海と夕焼」「新聞紙」「商ひ人」「山の魂」「屋根を歩む」「牡丹」「青いどてら」「十九歳」「足の星座」「施餓鬼舟」「橋づくし」「女方」「色好みの宮」「貴顕」「影」「百万円煎餅」「スタア」「『山の魂』創作ノート」
アンソロジー
- 『日本文学――世界短篇文学全集17』(集英社、1962年12月20日)
- 『恋はきまぐれ』〈新・ちくま文学の森 1〉(筑摩書房、1994年10月17日)
- 『歴史小説の世紀 地の巻』(新潮文庫、2000年9月1日)
- 『中学生までに読んでおきたい日本文学7 こころの話』(あすなろ書房、2011年2月)
- 『須賀敦子が選んだ日本の名作――60年代ミラノにて』(河出文庫、2020年12月20日)
脚注
注釈
- ^ 「身子声聞」は天竺の声聞(仏弟子)である身子が六波羅蜜のうち布施修行の檀波羅蜜を修めるために隣国から来た婆羅門の求めに従い、苦渋にも自分の両眼を抜いて与えるが、婆羅門は肉眼は抜いた後は汚いものだと言ってそれを地面に捨てて蹂躙し、ついに身子が怒り破壊の声聞になるという挿話である[14]。「一角仙人」は天竺にいたという仙人で、角が一つ生えていたとされる[15]。その仙人は雨の山道で滑ったことに立腹し、通力で雨を降らせる竜王を封じ込めるが、干ばつに悩まされた国王が仙人のところに美女を派遣し、仙人をその色香で迷わせ通力が解けたという説話である[15]。
出典
- ^ a b c d 「志賀寺上人の恋」(文藝春秋 1954年10月号・歴史小説特集号)pp.296-305。岬・文庫 1978, pp. 221–238、19巻 2002, pp. 301–320に所収
- ^ a b c d e 鈴木靖子「志賀寺上人の恋」(旧事典 1976, pp. 179–180)
- ^ a b c d e f g 志村有弘「志賀寺上人の恋」(事典 2000, pp. 155–156)
- ^ a b c 松本鶴雄「三島由紀夫全作品解題――志賀寺上人の恋」(必携 1989, pp. 98–99)
- ^ 「作品年譜――昭和29年10月」(旧事典 1976, p. 496)
- ^ 井上隆史「作品目録――昭和29年」(42巻 2005, pp. 403–406)
- ^ a b c d 田中美代子「解題――志賀寺上人の恋」(19巻 2002, pp. 790–791)
- ^ 山中剛史「著書目録――単独の著書 昭昭和31年『詩を書く少年』」(42巻 2005, p. 577)
- ^ 山中剛史「著書目録――単独の著書 昭和53年『岬にての物語』」(42巻 2005, p. 623)
- ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目――志賀寺上人の恋」(事典 2000, p. 720)
- ^ 「Narratori giapponesi moderni(『日本現代文学選』)収録作品」(須賀 2020, pp. 470–471)
- ^ 大竹昭子「読んで欲しい人がすぐそばにいる」(須賀 2020, pp. 472–478)
- ^ a b c 鈴木靖子「太平記」(旧事典 1976, p. 238)
- ^ a b c d e f g h i j 真銅正宏「見ることと触ること――『月澹荘綺譚』と『志賀寺上人の恋』」(研究16 2016, pp. 16–22)
- ^ a b 「志賀寺上人の恋――註解(1)」(鶴見 1994, p. 327)
- ^ a b 「おくがき」(『詩を書く少年』角川小説新書、1956年6月)。29巻 2003, pp. 221–222に所収
- ^ a b 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集5』講談社、1965年7月)。33巻 2003, pp. 411–414に所収
- ^ a b 伊藤整「文芸時評」(朝日新聞 1954年10月7日号)。伊藤17 1973, p. 465に所収。旧事典 1976, p. 180に抜粋掲載
- ^ a b c 渡辺広士「解説」(岬・文庫 1978, pp. 325–330)
- ^ 「志賀寺上人の恋」(鶴見 1994, pp. 325–346)
- ^ a b c d e f 秋山駿・勝又浩・曾根博義・縄田一男の座談「歴史小説から日本人が見える」(地の巻 2000, pp. 776–806)
- ^ a b c 矢萩喜從郎『視触――多中心・多視点の思考』(左右社、2014年2月)
参考文献
関連項目
外部リンク
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