進士氏(しんじし、しんしし、にいがたし[5])は、日本の氏族のひとつ。
進士氏の由来
進士を号した主な人物
- 景光とその弟子ないし親族と思われる景政との合作になる太刀。長文の銘文によると、秩父国(埼玉県)出身の播磨国(兵庫県)の地頭であった大河原時基が嘉暦4年(1329年)長船から景光と景政を播磨国宍粟郡三方西(兵庫県宍粟市)に呼んで作刀させ、広峯神社(兵庫県姫路市)に奉納したものであることが知られる。刃文は景光が得意とした直刃小丁子乱れである。
武家進士氏
系譜
※ 凡例 : 太字は当主、太線は実子、細線は養子。
進士氏 祖美作守 一色左京大夫子孫 義時子 左馬助為督養改作左衛門 其二三男 也
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作左衛門 彦兵衛
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権兵衛 女
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源兵衛
┣━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 源兵衛尊登 権丞武董 女
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権兵衛 武兵衛武明 兵左衛門 女
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源兵衛直内 源三朗 逸右衛門 数馬 源蔵武保
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斉宮 源左衛門武成 弥門
- 「明智氏一族宮城家相伝系図書」(東大史料編纂所蔵)
- 「細川家家臣三宅系図」(熊本県安国寺[要曖昧さ回避]蔵)
- 「進士春日部系図 伊勢平氏」
進士氏の主な分布集落
- 遠江国
- 進士氏の逸話として「常山紀談」の「山内治大夫進士清三郎項を譲る事」に収録され次の様に載る「諏訪の原の城を甲州より攻来りて合戦あり。松平康重(康親の子)の士山内治大夫、進士清三郎、山崎惣左衛門三人殿しけるに、山内は精兵の手ききにて、射払て引退く時矢だね尽たり。山縣源四郎追かくる時、進士清三郎矢一筋を山内ふみ止りて射けるに、志村金右衛門が胸板を射通し、後の松の木に射つけたり。夫より物わかれす。山縣此の矢を康重に送り返し て、強弓精兵無双なり、とぞはめたりける。康重其矢に進士が姓名の彫付たりしを見て賞する処に、是は山内が射申たるにて候、と申す。複山内を呼出して、しか/\なりやと聞るるに、清三郎が射たるにて候、とゆづりけり。康重両人に感状をあたへたり。世の人両人を今の孟子反といひあへり。」とある。進士清三郎は清須町奉行を務めている。高天神城攻略の補給基地として 機能した諏訪原城は、旧・金谷町にあり城のすぐ南を東海道が通り、東の金谷坂を下ると大井川をまたいで駿河国に入り、西の菊川坂を下ると小夜の中山を経由して掛川を中心とした盆地部に出でて、更に南に下れば掛川市大渕に辿り着く。西には高天神城攻略の拠点横須賀城、東には武田氏側の拠点高天神城という位置関係であることから現・島田市、現・菊川市、現・掛川市の進士氏は同族と考えられる。
菰野町の進士氏は伊勢平氏と伝える。鎌倉時代の武将で平基度(通称:進士三郎)を祖としている。伊勢春日部氏参照。 員弁郡東員町の猪名部神社の由緒には猪名部氏系春澄善縄の子孫進士行綱の名が記載あり。元・天台宗で現代は浄土真宗本願寺派の員弁山浄源寺(東員町)の由緒に元来は員弁寺と称していたが、創建者である春澄善縄の子孫の進士行綱の子である行径が浄源坊と称し寺に住だ縁で寺号が浄源寺になったと伝える。伊勢平氏系と猪名部氏系の2系統が混在している。三重県津市久居寺町に臨済宗妙心寺派である天徳山瑞鳳寺(てんとくさん ずいほうじ)の現・住職に進士登成がいる。
- 越前国
- 山城国及び丹波国
- 遠江国小笠郡富田の進士氏の祖先は京から来た者と伝える。繋がりがあるのだろうか。
進士氏の家紋
-
進士氏(旧・
藤塚村)の
定紋「
まる に さがりふじ丸に下り藤」
注)正式は丸があり
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進士氏(旧・
藤塚村)の替紋「
まる に ひのまるおうぎ丸に日の丸扇」
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進士氏(旧・藤塚村)の替紋「まる に とききょう
丸に土岐桔梗」 注)正式は丸があり
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進士氏(旧・河城村)の定紋「まる に たちおもだか
丸に立ち沢瀉」
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進士氏(越前町)の定紋「くよう
九曜」
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進士氏(下田市吉佐美)の定紋「まる に ささりんどう
丸に笹竜胆」
進士氏の著名人
政治家
学者
軍人
俳優
スポーツ選手
その他
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク