アグネスタキオン(欧字名:Agnes Tachyon、1998年4月13日 - 2009年6月22日)は、日本の競走馬、種牡馬。
名の由来は冠名+「超光速の粒子」の意味を持つ「タキオン (Tachyon) 」。主な勝ち鞍は2001年の皐月賞。種牡馬としても成功し、内国産馬としてはアローエクスプレス以来27年ぶりとなる中央競馬リーディングサイアーを獲得している。
全兄は2000年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬のアグネスフライト。母・アグネスフローラは桜花賞優勝馬で優駿牝馬2着。祖母・アグネスレディーは優駿牝馬(オークス)優勝馬。母、祖母、兄は同じ河内洋騎乗でGIを制している。
怪我がなければ更なる活躍を期待された馬でもあり、「幻の三冠馬」と称された[1]。
※現役中に馬齢の表記が変更されたため、競走名以外は現表記を用いる。
経歴
誕生までの経緯
競走馬時代
2000年
デビューは比較的遅く、2000年12月の阪神芝2000m新馬戦となった。アグネスフライトの全弟ということで注目を浴びたものの、調教タイムが目立つ数字ではなかったため3番人気にとどまった。しかしレースでは、新馬にもかかわらず上がり3ハロン33秒台を記録し、2着リブロードキャスト[注釈 1]に3馬身半差で圧勝。3着にメイショウラムセス[注釈 2]、5着に1番人気のボーンキング[注釈 3]、9着にアドマイヤセレクト[注釈 4]と有力馬、良血馬の集まったレースだった。
続くラジオたんぱ杯3歳ステークスは相手がさらに強力であったが、2歳2000mのレコードタイムで圧勝。2馬身半差の2着はジャングルポケット、3着はクロフネとのちのGI優勝馬が1着、2着、3着を占めるハイレベルな一戦であった。スローペースを察し、3コーナーで早くもまくりはじめ、4コーナーでは先頭に並ぶといういわゆる早仕掛けと言われる戦法を取ったにもかかわらず、出走馬の中で最速となる上がり3ハロン34秒1を記録するという勝ち方であった。レース後に鞍上の河内は、「次元の違う馬だと確信した」と話し、「クロフネ・ジャングル2頭を相手にうちの馬がどんな競馬ができるか?」とレース前には期待と不安混じりだった管理調教師の長浜は「兄と比べ競馬内容がいい」とアグネスタキオンの走りを高く評価[2]。朝日杯3歳ステークス優勝馬が選出されることが通例の最優秀3歳牡馬の選考(記者投票)[注釈 5]では、朝日杯優勝馬・メジロベイリーの147票に対しアグネスタキオンは異例といえる119票の支持を集めている[注釈 6]。
2001年
僚馬であるアグネスゴールドとの兼ね合いから陣営は、翌2001年の年明け初戦に弥生賞を選択。「前から公言しているように三冠を取れる可能性のある馬」と長浜に評された[3]アグネスタキオンの出走を受け、他陣営は次々と回避を表明[3]、8頭立てという少頭数で行われたこのレースでも強さを発揮。不良馬場の中、手前[注釈 7]を変えることなく2着のボーンキングに5馬身差をつけ勝利、また4着には後の菊花賞馬であるマンハッタンカフェもいた。この日のレースを振り返り「良馬場ならもっと強い競馬をお見せできたと思う」「今日は少頭数だから参考にはならない」[3]と強気なコメントを残した河内に対し、ボーンキングに騎乗した武豊は「強すぎるね、クラシックもハンデ戦にしないとね」と冗談交じりにコメントしている[3]。
前走にて課題であった「前に付ける競馬」[注釈 8]をクリア、またアグネスタキオンと並び有力視されていたアグネスゴールドの故障離脱により皐月賞にて圧倒的1番人気を集めた同馬は歴代2位(当時)となる59.4%の単勝支持率を受け出走[注釈 9]。好位4、5番手から[注釈 10]難なく押し切るレースで優勝。この勝利に河内は「単勝1.3倍。お兄さん(アグネスフライト)とは立場が違っただけに(勝てて)ホッとした」と心境を述べている[4]。
これで4戦全勝、しかもいずれも危なげのない内容での勝利であったことから三冠達成が期待されたが、5月2日に左前浅屈腱炎を発症し、日本ダービー出走を断念。「嬉しいが(骨折した)アグネスゴールドのようにならないかが気になる[4]」と皐月賞優勝の傍ら、今後を憂う長浜の不安は現実のものとなってしまった。
その後社台ファームに放牧され、関係者協議の上で引退が決定。8月29日に引退発表がなされた。9月30日には阪神競馬場で引退式が行われた。
種牡馬時代
引退後は社台スタリオンステーションで種牡馬となった。初年度産駒のデビューした2005年に中央競馬の夏のローカル開催で複数の産駒が次々と勝利を飾り、最終週には東の新潟2歳ステークスでショウナンタキオンが優勝、西の小倉2歳ステークスでもトーホウアモーレが3着という活躍を見せた。中央開催に移ってからも産駒は優秀な走りを見せ、初年度産駒は中央競馬の2歳戦で合計27勝を挙げた。最終的にJRAリーディングフレッシュサイアーに輝き、JRA2歳リーディングでも総合2位(地方競馬も含めたランキングでは3位)となった。このような活躍を背景に、2006年の種付け料は前年の500万円から1200万円になった[注釈 11]。2006年には二世代の産駒で中央競馬において91勝を挙げ、初年度産駒のロジックがNHKマイルカップを制し、これが産駒のGI初勝利となった。
ファーストクロップから順調に活躍馬を輩出し、サンデーサイレンス亡き後のエース格として扱われ、2008年にJRA総合リーディングサイアーを獲得。内国産種牡馬としては1957年のクモハタ以来51年ぶりとなる快挙を達成した(地方競馬も含む日本総合リーディングでは1980年と1981年にアローエクスプレスが1位になっている)。
翌2009年も順当に種付けをこなしていたが、シーズン終盤の6月22日、繋養先の社台スタリオンステーションで死亡した[5]。死因は急性心不全[5]だった。2010年度の産駒がラストクロップとなる。
2010年4月18日に中山競馬場第12競走として施行したJRAプレミアムレース「中山スプリングプレミアム」において、当馬が最多得票を獲得したため「アグネスタキオンメモリアル」の副名称を付与して施行された。
2021年1月16日、地方競馬を含めて最後の現役産駒であるアクションスターが登録抹消となり、すべての現役産駒がいなくなった。[6]
競走成績
同馬が下した同世代のジャングルポケット、クロフネ、マンハッタンカフェ、ダンツフレームらが後に活躍を見せたため各紙では最強世代との呼称で呼ばれ、その世代で突出していた同馬の評価は引退後も高まっていき「幻の三冠馬」と呼ばれることもある。完勝に見えた皐月賞に関しても、鞍上の河内は「この馬本来の走りではない」とコメントしている[4]
以下の内容は、netkeiba.comの情報[7]に基づく。
競走日
|
競馬場
|
競走名
|
格
|
頭 数
|
枠 番
|
馬 番
|
オッズ (人気)
|
着順
|
騎手
|
斤量 [kg]
|
距離(馬場)
|
タイム (上り3F)
|
タイム 差
|
馬体重 [kg]
|
1着馬/(2着馬)
|
2000.
|
12.02
|
阪神
|
3歳新馬
|
|
10
|
4
|
4
|
5.8(3人)
|
1着
|
0河内洋
|
54
|
芝2000m(良)
|
02:04.3(33.8)
|
-0.6
|
500
|
(リブロードキャスト)
|
|
12.23
|
阪神
|
ラジオたんぱ杯3歳S
|
GIII
|
12
|
2
|
2
|
4.5(2人)
|
1着
|
0河内洋
|
54
|
芝2000m(良)
|
R2:00.8(34.1)
|
-0.4
|
500
|
(ジャングルポケット)
|
2001.
|
03.04
|
中山
|
弥生賞
|
GII
|
8
|
1
|
1
|
1.2(1人)
|
1着
|
0河内洋
|
55
|
芝2000m(不)
|
02:05.7(38.2)
|
-0.8
|
492
|
(ボーンキング)
|
|
04.15
|
中山
|
皐月賞
|
GI
|
18
|
4
|
7
|
1.3(1人)
|
1着
|
0河内洋
|
57
|
芝2000m(良)
|
02:00.3(35.5)
|
-0.2
|
492
|
(ダンツフレーム)
|
※タイム欄のRはレコード勝ちを示す。
種牡馬成績
年 |
出走 |
勝利 |
順位 |
AEI |
収得賞金
|
頭数 |
回数 |
頭数 |
回数
|
2005年 |
68 |
168 |
29 |
31 |
64 |
1.34 |
3億4401万6000円
|
2006年 |
189 |
841 |
81 |
117 |
12 |
1.73 |
12億9345万5000円
|
2007年 |
268 |
1366 |
135 |
210 |
2 |
2.60 |
27億9755万7000円
|
2008年 |
321 |
1642 |
140 |
252 |
1 |
2.68 |
34億7338万8500円
|
2009年 |
329 |
1709 |
128 |
232 |
2 |
1.84 |
24億4417万5000円
|
2010年 |
302 |
1590 |
130 |
221 |
6 |
1.85 |
22億3784万2000円
|
2011年 |
346 |
1702 |
124 |
199 |
10 |
1.59 |
21億4519万6500円
|
2012年 |
353 |
1776 |
134 |
198 |
8 |
1.32 |
17億1949万6000円
|
2013年 |
268 |
1715 |
112 |
174 |
12 |
1.57 |
16億3779万8500円
|
2014年 |
144 |
1108 |
65 |
108 |
15 |
2.07 |
11億8437万8500円
|
2015年 |
97 |
633 |
29 |
46 |
36 |
1.47 |
6億 566万9000円
|
2016年 |
44 |
291 |
8 |
10 |
125 |
0.47 |
8947万7000円
|
2017年 |
16 |
108 |
3 |
4 |
272 |
0.21 |
1273万0000円
|
2018年 |
5 |
25 |
1 |
1 |
445 |
0.04 |
37万0000円
|
2019年 |
1 |
4 |
0 |
0 |
553 |
0.00 |
0円
|
種牡馬としての記録
- JRA総合リーディングサイアー(2008年)
- JRA2歳リーディングサイアー(2006年、2007年)
- JRAリーディングフレッシュサイアー(2005年)
- JRA産駒年間勝利数134勝(2007年最多勝、内国産種牡馬新記録)
- JRA2歳勝ち馬数25頭(2005年、父の20頭を上回る新種牡馬記録[注釈 12])
GI級競走優勝馬
太字はGI級競走
- 2003年産
- 2004年産
- 2005年産
- 2008年産
グレード制重賞優勝馬
- 2003年産
- 2004年産
- 2005年産
- 2006年産
- 2007年産
- 2008年産
- 2009年産
- 2010年産
地方重賞優勝馬
母の父としての主な産駒
- 2009年産
- 2011年産
- 2012年産
- 2013年産
- 2014年産
- 2015年産
- 2016年産
- 2017年産
- 2018年産
- 2019年産
- 2020年産
- 2021年産
血統表
脚注
注釈
- ^ ブライアンズタイムと地方の名牝ロジータの仔。中央では勝ち星を挙げられなかった。
- ^ 後に富士ステークス優勝。
- ^ フサイチコンコルドの半弟で、京成杯優勝馬。
- ^ 第1回セレクトセール最高価格の1億9000万円で落札された。中央では2勝しかあげられず、地方に転出した。
- ^ 1990年までは阪神3歳ステークスの優勝馬と票を分け合う形になっていたが、1991年より同競走が牝馬限定の阪神3歳牝馬ステークスに再編されて以降、牡馬が出走可能な中央競馬の3歳GI競走は2017年まで朝日杯3歳ステークス(2001年より朝日杯フューチュリティステークス)のみという状況が続き、1988年から2018年まで31年連続で同競走の優勝馬が選出され続けた。
- ^ ラジオたんぱ杯3歳ステークスの優勝馬が最優秀3歳牡馬に選出された例は2019年にホープフルステークス(ラジオたんぱ杯3歳ステークスが前身、2017年にG1昇格した競走)を優勝したコントレイルが最優秀2歳牡馬(馬齢変更のため2001年より名称変更)に選出された例があるが、アグネスタキオンの時代はGIII格の競走であり、GI未勝利にもかかわらず票が割れたのは異例といえる。なお、1984年のグレード制導入以降、GI競走未勝利で最優秀3歳(2歳)牡馬の受賞馬はいない(※2020年現在)。
- ^ ギャロップで走っている馬は旋回を容易にするため、また片方の足のみに疲労が蓄積するのを避けるために手前を自発的、または騎手の合図により変える。
- ^ 小回りコースの中山では後方一気は難しいと陣営が判断していた
- ^ 1位は1951年トキノミノル(支持率73.3% 単勝110円)
- ^ 「2000mの小回りだから安全策を取ってしまった」と河内はレース後述べている
- ^ この額は2006年の日本競馬最高の種付け料である。
- ^ この記録は2010年、ディープインパクトに破られた。
出典
関連項目
外部リンク
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1920年代 | |
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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