ダイナコスモス
ダイナコスモス(Dyna Cosmos、1983年3月25日 - 2006年1月30日)[1]は、日本の競走馬、種牡馬。主な勝ち鞍に1986年の皐月賞、ラジオたんぱ賞。 戦績1985年9月、福島競馬場でデビュー。初戦は3着だったが、折り返しの新馬戦、400万下条件と連勝した。朝日杯3歳ステークスでは追い込んで ダイシンフブキの2着に食い込み、5戦2勝で3歳シーズンを終える。 明けて4歳となっての初戦は京成杯。単勝1番人気に推されるもダイナフェアリーの3着に敗れる。続く弥生賞では岡部幸雄に乗り替わりダイシンフブキに僅差の2着となったが、勝負付けが済んだと判断されたのか、本番の皐月賞では5番人気に過ぎなかった。しかしレースでは、中団を進み直線で早めに先頭に立ち、追い込むフレッシュボイスをクビ差退けて優勝した。 東京優駿(日本ダービー)では距離の壁が厚く5着に入るのが精一杯だったが、続くラジオたんぱ賞では58kgの負担重量を背負いながらニッポーテイオーを1馬身半抑える競馬で勝利し、実況していた長岡一也(当時・ラジオたんぱアナウンサー)は「皐月賞(馬)の貫禄!」とゴール後に言い放った。秋はマイルチャンピオンシップを最大の目標として調整が進められたが、脚部不安を発症。父であるハンターコムがフランスに再輸出されていたことも影響して、早々に引退、種牡馬入りすることが決まった。 競走成績以下の内容は、netkeiba.com及び[2]、それに付属する各競走詳細ページの情報に基づく[3][4][5][6][7]。
引退後引退後はアロースタッドで種牡馬入りした。地味な血統背景にもかかわらず、初年度から50頭前後の種付け頭数を集めるなど馬産地での人気はなかなか高いものだった。2年目の産駒からトロットサンダーを送り出すなど、種牡馬としてもそれなりの成功を収めている。 2003年には種牡馬から引退。門別牧場で余生を送っていたが、2006年に老衰のため死亡した。 代表産駒血統表
近親
脚注注釈
出典
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