フラン・アレンの業績は、コンパイラの研究と実装に多大な影響を及ぼした。単独またはジョン・コックと共同で、様々な抽象化・アルゴリズム・実装を導入し、自動プログラム最適化技術(現代の用語にするとコンパイラ最適化のこと)の土台を築いた。1966年の論文 "Program Optimization" は、コンピュータプログラムの体系的分析と変換のための概念的基盤をもたらした。鍵となる先進点は、コンパイラ内部におけるプログラムの内部表現を、ソースコードそのままに文が直列したものとするのではなく、(節点とその接続関係からなるネットワーク的な)グラフ構造によるものとすることで、自動的かつ効率的に関係を引き出し、最適化可能な箇所を識別するものとしたことである。1970年の論文 "Control Flow Analysis" と "A Basis for Program Optimization" では、効率的で効果的なデータフロー分析と最適化における "intervals" の概念を確立。1971年のコックと共同の論文 "A Catalog of Optimizing Transformations" では、最適化変換について初の体系的記述を行っている。1973年と1974年の論文では、手続き間のデータフロー分析をプログラム全体の分析に拡張した。1976年のコックとの共同論文では、今日の最適化コンパイラでも使われている2つの分析戦略を記述している。
アレンは自身の手法を IBM STRETCH-HARVEST や実験的な Advanced Computing System(英語版) のコンパイラに実装した。この仕事により、現代的なマシンや言語から独立したオプティマイザの構造と実現可能性を確かなものとした。その後、FORTRANプログラムの自動並列実行のプロジェクト PTRAN を立ち上げ、指揮。PTRANチームは新たな並列性検出方式を開発し、プログラム依存グラフの概念を生み出し、それが後の多くの並列化コンパイラで使われている。
—Association For Computing Machinery (ACM)、Citation for the A.M. Turing Award 2006 [7]
2002年にIBMを退職。IBMコミュニティにおけるアレンの影響としては、1989年に彼女がIBMフェローに任命されたことが挙げられる。IBMフェローに女性が任命されたのは初めてのことであった。彼女はまた、IBMアカデミーの代表でもあった。2007年にはアレンの栄誉を記念してIBM博士号フェローシップ賞 (The IBM Ph.D. Fellowship Award) が設けられた[8][9]。