マルクス・ヴィンケルホック(Markus Winkelhock、1980年6月13日 - )は、ドイツ出身のレーシング・ドライバーである。「マーカス・ヴィンケルホック」、「マルカス・ビンケルホック」などとも表記されることもある。
経歴
F1以前
フォーミュラ・ケーニッヒなどの下級フォーミュラを経て、1998年から2000年にかけて、フォーミュラ・ルノー・ユーロカップに参戦し、その後の2001年から2003年にかけてドイツF3選手権に参戦し、数回の優勝を収め注目された。
2004年からはドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦し、メルセデス・ベンツ・CLKをドライブし、続く2005年には、この年から始まったフォーミュラ・ルノー3.5に参戦し3勝を挙げた。
F1
2006年
2006年にはMF1レーシングの第3ドライバー兼テストドライバーとなり、数レースにおいて金曜の練習走行をドライブしたものの、この年には決勝レース出場は叶わなかった。
2007年
2007年は再度ドイツツーリングカー選手権を戦っていたが、クリスチャン・アルバースに代わりヨーロッパグランプリにスパイカーF1チームから1戦のみ参戦した。
ラップリーダー
上記のヨーロッパグランプリでは予選で最下位になり、ひとつ順位が上のチームメイトであるエイドリアン・スーティルにも予選のタイムで1秒以上離されるなど低迷した。しかし、決勝レースでは悪天候を予想してフォーメーション・ラップ終了後にピットインをしてレインタイヤに交換を行い、ピットからスタート。その後急変した天気に他車がスピンやピットインを行う中、ポールポジションからドライタイヤでスタートしていたキミ・ライコネンを追い抜き、デビュー戦でトップを走行した。
なお最後方グリッドスタートでのラップリーダーはF1史上2人目の快挙であった。その後もセーフティカーが入ったこともあり、レースが赤旗中断されるまでの6周に渡りトップの座を守り続けた。
再スタート後には遥かに性能に優れるマクラーレンやスクーデリア・フェラーリに抜かれたものの、15周目にマシントラブルでリタイヤするまでの間、中段グループで健闘を続けた。しかし1レースのみの契約であったこともあり、次レースからは山本左近に正ドライバーの座を譲ることになった。
2008年以降
2010年シーズンまで、アウディ・A4を駆ってドイツツーリングカー選手権(DTM)に参戦。
2011年からはFIA GT1世界選手権に参戦し、2012年に世界チャンピオンとなった。2014年には、スパ24時間レースで優勝を果たした。また2012・2014・2017年にニュル24時間も総合優勝するなど、GTドライバーとしては一流の実績を誇っている。
レース戦績
フォーミュラ
ドイツ・フォーミュラ3選手権
フォーミュラ3・ユーロシリーズ
フォーミュラ・ルノー3.5
F1
(key)
スポーツカー
FIA GT1世界選手権
FIA GTシリーズ/GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・スプリントカップ
GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ・耐久カップ
インターコンチネンタルGTチャレンジ
スパ・フランコルシャン24時間レース
ニュルブルクリンク24時間レース
バサースト12時間レース
ドイツツーリングカー選手権
縁戚
ATSやブラバムなどからF1に出走した経歴のあるレーサー、マンフレッド・ヴィンケルホックを父に持つほか、叔父のヨアヒム・ヴィンケルホックもAGSからF1に出走した経歴を持つ。
関連項目
外部リンク
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FIA GT選手権 |
GT1クラス →GTクラス →GT1クラス | |
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GT2クラス →N-GTクラス →GT2クラス | |
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FIA GT1選手権 | |
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FIA GTシリーズ →ブランパンスプリントシリーズ →ブランパンGTシリーズスプリントカップ →ブランパンGTワールドチャレンジヨーロッパ →GTワールドチャレンジ・ ヨーロッパ・スプリントカップ |
Proカップ →総合 | |
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シルバーカップ →ゴールドカップ | |
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Pro-Am トロフィー →Pro-Amカップ →シルバーカップ | |
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ジェントルマン トロフィー →Amカップ →ブロンズカップ | |
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ドライバー |
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F1マシン | |
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主なF1ドライバー | |
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