ライトカラー(欧字名:Light Color、1986年3月27日 - 1993年2月22日)は、日本の競走馬、繁殖牝馬[1]。
1989年の優駿牝馬(オークス)(GI)を優勝した。
生涯
デビューまで
ユウライコーは、北海道新冠町の日高シンボリ牧場で生産された牝馬である[5]。主に障害競走で活躍し、1982年の阪神障害ステークスで3着、1983年の京都大障害で4着となるなど、平地と併せて57戦4勝という成績を残して引退した[5]。引退後は、北海道浦河町の大北牧場で繁殖牝馬となった[6]。
初年度となる1984年、イエローゴッドと交配。そして1985年に初仔となる牝馬を生産していた[5]。2年目は、ヤマニンスキーと交配していた[5]。ヤマニンスキーは、優れた競走成績こそ残せなかったが、1976年から1977年にかけて8戦8勝のマルゼンスキーと同じ「父ニジンスキー、母父:バックパサー」であることが買われて、種牡馬となっていた[7]。受胎し翌1986年4月11日、北海道浦河町の大北牧場にて、2番仔となる鹿毛の牝馬(後のライトカラー)が誕生する[5]。
2番仔は、生後1か月半経過した頃、右前肢のつけ根のリンパ腺が腫れる病気に見舞われた[8]。40度近い高熱も伴い、注射治療をしても治らず、手術を敢行したが、術後は芳しくなかった[8]。洗面器ほどの膿が身体から放出され、膿が空になった部分が元に戻らなかった[8]。凹んだ状態、背骨が曲がっているようになっていた[9]。おまけに牧場では、目立たない存在だった[9]。
競走馬デビューが危ぶまれたが[8]、ユウライコーを所有した伊藤照三の所有馬となる[5][6]。「ライトカラー」という競走馬名が与えられ、栗東トレーニングセンターの清田十一厩舎に入厩した[5]。
競走馬時代
1988年8月6日、函館競馬場の新馬戦(芝1000メートル)にてデビューを果たす。柴田光陽が騎乗し7番人気という支持だったが、エレクトロアートに4馬身差をつけて勝利、デビュー戦勝利を果たした。その後も函館で連戦し、8月28日のクローバー賞(OP)では、ハイペースで逃げるサザンビーナスを直線で捕らえて連勝を果たした[10]。続いて9月25日、函館3歳ステークス(GIII)で重賞初挑戦。サザンビーナスとの再戦となったが、節度のあるペースで逃げたサザンビーナスをアタマ差捕らえることができず2着、返り討ちにされた[10][11]。この後は、身体の成長を促すために放牧に出された[8]。ところが帰厩しても、清田の理想とはかけ離れていた[8]。3歳は、9月の函館3歳ステークスを最後に出走しなかった[8]。
年をまたいで4歳、1989年1月のシンザン記念(GIII)で始動する。2番人気で出走したが、ファンドリポポなどに敵わず4着だった[12]。それから2月のエルフィンステークス(OP)では、単枠指定の重賞2着馬シャダイカグラと対していた[13]。2番手を追走するシャダイカグラを追いかけたが、直線で突き放された[13]。シャダイカグラに5馬身後れを取る2着だった[13]。続いて田島良保に乗り替わり5月21日、牝馬クラシック第一弾の桜花賞(GI)に臨む。しかし直前に熱発に見舞われており[8]、「惨敗を覚悟[8]」(清田)する状態での出走だった。不利とされる大外枠から出遅れたシャダイカグラに敵わなかった。直線、右に右にもたれながら、8着に敗退する[14][15]。
目標を牝馬クラシック第二弾の優駿牝馬(オークス)に据え、4月30日、そのトライアル競走であるサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(GII)に臨む。大本命の目されていたメジロマリアの骨折離脱、桜花賞上位馬が挙って出走しない手薄なメンバーだった[16]。そんな中、メジロモントレーに次ぐ2番人気に支持された[16]。1枠2番からスタートして先行し、内側の好位を追走していた。直線では内から進出を試みたが、右に右にもたれる癖を再び見せていた[17]。追い上げたものの、ファンドリポポやアイドルマリーに敵わなかった。それでも5着を確保、ぎりぎりで優駿牝馬の優先出走権を獲得した[18]。
5月21日、優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。桜花賞で不利を覆したシャダイカグラと、20歳の武豊というコンビが人気を集めていた[8]。桜花賞と異なり、好枠を得たシャダイカグラの人気は加速。単勝支持率は、1986年の三冠牝馬メジロラモーヌに並び、過去30年で最高となる43パーセントだった[8]。対して前哨戦敗退のライトカラーと、41歳のベテラン田島のコンビは、地味に映り、人気がなかった。単勝オッズ34.8倍の10番人気だった[8]。
2枠4番からスタート、先行するシャダイカグラの背後を確保し、マークする形で追走[19]。第3コーナーから位置を上げたシャダイカグラに追従した[19]。シャダイカグラは、直線にて馬場の中央に持ち出し、前を行くヤンゲストシチーなどに外から接近する。対してライトカラーは、そのさらに外、大外に持ち出してから後れて追い上げた[20]。シャダイカグラがヤンゲストシチーに並びかけた頃、ライトカラーは、シャダイカグラの外にまで並びかけていた[21]。末脚を発揮して、シャダイカグラとヤンゲストシチーを差し切っていた。シャダイカグラには抵抗されて、横一線並んだ状態でゴール板に到達する[20]。ライトカラーが、クビ差だけ決勝線に到達していた[21][22]。
優駿牝馬戴冠を果たした。単勝3480円は、1985年ノアノハコブネの6270円に次いで優駿牝馬史上2番目に高い配当だった[8]。直線で外に持ち出してから追い上げたのは、右にもたれる悪癖を披露して、他の馬に迷惑をかけないようにするためだった[23]。しかし追い上げると、どういうわけかまっすぐ走り、シャダイカグラの差し切りに至っている[23]。
夏は、湖東牧場で放牧された後、栗東に帰厩[24]。秋の目標を牝馬三冠の最終戦であるエリザベス女王杯としていた[24]。10月1日、サファイヤステークス(GIII)で始動。大幅に距離を短縮してマイル挑戦、休み明けが評価されず3番人気に支持される[25]。後方を追走し、追い上げた。直線では悪癖見せず、まっすぐ走ったが、リリーズブーケなどには敵わず5着だった[25]。続く10月22日、トライアル競走のローズステークス(GII)では、シャダイカグラとの再戦となったが8着[26]。本番のエリザベス女王杯(GI)は、サンドピアリスに敗れて、再び8着だった[27]。この年のJRA賞では、最優秀父内国産馬部門にて全172票中1票を得るに留まり、受賞には至らなかった[28]。
その後は1年間戦線を離脱、1990年10月のスワンステークス(GII)で復帰を果たすが、二桁着順に終わり、このレースを最後に競走馬を引退した[29]。
繁殖牝馬時代
引退後は、1991年から大北牧場で繁殖牝馬となる。初年度は、サクラユタカオーと交配し、1992年に初仔となる牡馬を産んでいる[29]。2年目は、ミスターシービーと交配していた。ところが出産を間近に控えた2月22日に、右大腿部を骨折。予後不良で安楽死となる[2][29]。遺された唯一の産駒、初仔のライトレターは、中央競馬でデビューしたが、2着が精一杯で勝ち上がることができなかった。通算成績14戦未勝利[30]。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[31]およびJBISサーチ[32]に基づく。
競走日
|
競馬場
|
競走名
|
格
|
距離 (馬場)
|
頭 数
|
枠 番
|
馬 番
|
オッズ (人気)
|
着順
|
タイム (上り3F/4F)
|
着差
|
騎手
|
斤量 [kg]
|
1着馬 (2着馬)
|
馬体重 [kg]
|
1988.08.06
|
函館
|
3歳新馬
|
|
芝1000m(良)
|
7
|
1
|
1
|
36.00(7人)
|
01着
|
0:58.4 (34.7)
|
-0.7
|
柴田光陽
|
53
|
(エレクトロアート)
|
444
|
0000.08.28
|
函館
|
クローバー賞
|
OP
|
芝1200m(稍)
|
11
|
2
|
2
|
02.70(2人)
|
01着
|
1:11.3 (37.3)
|
-0.2
|
柴田光陽
|
53
|
(ハイタワー)
|
436
|
0000.09.25
|
函館
|
函館3歳S
|
GIII
|
芝1200m(良)
|
11
|
2
|
2
|
04.50(2人)
|
02着
|
1:11.2 (36.9)
|
-0.0
|
柴田光陽
|
53
|
サザンビーナス
|
434
|
1989.01.15
|
京都
|
シンザン記念
|
GIII
|
芝1600m(良)
|
16
|
3
|
6
|
04.50(2人)
|
04着
|
1:37.6 (48.5)
|
-0.2
|
柴田光陽
|
53
|
ファンドリポポ
|
440
|
0000.02.05
|
京都
|
エルフィンS
|
OP
|
芝1600m(良)
|
9
|
8
|
8
|
03.60(2人)
|
02着
|
1:37.0 (49.0)
|
-0.8
|
柴田光陽
|
54
|
シャダイカグラ
|
432
|
0000.04.09
|
阪神
|
桜花賞
|
GI
|
芝1600m(稍)
|
18
|
4
|
8
|
11.00(7人)
|
08着
|
1:39.1 (51.4)
|
-1.6
|
田島良保
|
55
|
シャダイカグラ
|
432
|
0000.04.30
|
東京
|
サンスポ賞4歳牝馬特別
|
GII
|
芝2000m(良)
|
16
|
1
|
2
|
06.70(2人)
|
05着
|
2:03.0 (49.9)
|
-0.5
|
田島良保
|
54
|
ファンドリポポ
|
434
|
0000.05.21
|
東京
|
優駿牝馬
|
GI
|
芝2400m(稍)
|
24
|
2
|
4
|
34.8(10人)
|
01着
|
2:29.0 (49.4)
|
-0.0
|
田島良保
|
54
|
(シャダイカグラ)
|
432
|
0000.10.01
|
阪神
|
サファイヤS
|
GIII
|
芝1600m(良)
|
8
|
2
|
2
|
06.00(4人)
|
05着
|
1:36.1 (48.4)
|
-1.6
|
田島良保
|
56
|
リリーズブーケ
|
438
|
0000.10.22
|
京都
|
ローズS
|
GII
|
芝2000m(良)
|
10
|
3
|
3
|
07.80(4人)
|
08着
|
2:02.9 (47.9)
|
-1.4
|
田島良保
|
55
|
シャダイカグラ
|
440
|
0000.11.12
|
京都
|
エリザベス女王杯
|
GI
|
芝2400m(良)
|
20
|
3
|
7
|
23.20(7人)
|
08着
|
2:29.9 (50.0)
|
-1.1
|
田島良保
|
55
|
サンドピアリス
|
438
|
1990.10.28
|
京都
|
スワンS
|
GII
|
芝1400m(良)
|
16
|
8
|
16
|
89.8(14人)
|
12着
|
1:22.5 (46.5)
|
-1.1
|
田島良保
|
55
|
ナルシスノワール
|
456
|
繁殖成績
誕生年
|
|
馬名
|
性
|
毛色
|
父
|
厩舎
|
馬主
|
戦績
|
勝ち鞍
|
供用
|
出典
|
1992年
|
初仔
|
ライトレター
|
牡
|
鹿毛
|
サクラユタカオー
|
栗東・柴田光陽
|
伊藤照三
|
14戦0勝
|
|
抹消
|
[30]
|
血統表
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “ライトカラー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
- ^ a b #関西競馬四季報 27頁
- ^ “ライトカラー(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
- ^ “10R エリザベス女王杯|1989年11月12日(日)5回京都4日”. www.jbis.or.jp. 2022年11月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『優駿』1989年7月号 139頁
- ^ a b “ユウライコー(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
- ^ 『優駿』1988年6月号 111頁
- ^ a b c d e f g h i j k l m 『優駿』1989年7月号 136頁
- ^ a b 『優駿』1989年8月号 13頁
- ^ a b 『優駿』1988年11月号 146頁
- ^ 『優駿』1988年11月号 147頁
- ^ 『優駿』1989年3月号 143頁
- ^ a b c 『優駿』1993年7月号 66頁
- ^ 『優駿』1989年6月号 130頁
- ^ 『優駿』1989年6月号 132頁
- ^ a b 『優駿』1989年6月号 150頁
- ^ 『優駿』1989年7月号 82頁
- ^ 『優駿』1989年6月号 151頁
- ^ a b 『優駿』1989年7月号 137頁
- ^ a b 『優駿』1989年7月号 13頁
- ^ a b 『優駿』1993年7月号 67頁
- ^ 『優駿』1989年7月号 138頁
- ^ a b 『優駿』1989年7月号 83頁
- ^ a b 『優駿』1989年9月号 99頁
- ^ a b 『優駿』1989年12月号 130頁
- ^ 『優駿』1989年12月号 140頁
- ^ 『優駿』1990年1月号 132頁
- ^ 『優駿』1990年2月号 55頁
- ^ a b c 『優駿』1993年4月号 58頁
- ^ a b “ライトレター”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “ライトカラーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。
- ^ “ライトカラー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
- ^ a b “ライトカラー 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
- ^ a b “ライトカラーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。
参考文献
- 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。
- 『優駿』(日本中央競馬会)
- 1988年6月号
- 1988年11月号
- 島野昭(報知新聞)「【今月の記録室】第20回函館3歳ステークス(GIII)サザンビーナス」
- 1989年3月号
- 原宜巳(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第23回日刊スポーツ賞 シンザン記念(GIII)」
- 1989年6月号
- 用貝成子(関西新聞)「【今月の記録室】第49回桜花賞(GI)シャダイカグラ」
- 西島大和(サンケイスポーツ)「【今月の記録室】第24回サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別〈オークス・トライアル〉(GII)ファンドリポポ」
- 1989年7月号
- 「【第50回オークス】ユタカ&カグラ、ギャルの悲鳴を打ち砕き ライトカラー」
- 「【杉本清の競馬談義(52)】田島良保騎手」
- 天野保彦(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第50回オークス(GI)ライトカラー」
- 1989年8月号
- 吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち」
- 1989年9月号
- 「【秋をめざす有力馬たち】4歳牝馬有力馬の近況 シャダイカグラ、ライトカラーともに順調」
- 1989年12月号
- 大野良郎(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第7回サファイヤステークス(GIII)リリーズブーケ」
- 山本浩之(関西テレビ)「【今月の記録室】第7回関西テレビ放送賞 ローズステークス(GII)〈エリザベス女王杯トライアル〉シャダイカグラ」
- 1990年1月号
- 永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第14回エリザベス女王杯(GI)サンドピアリス」
- 1990年2月号
- 「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
- 1993年4月号
- 「【今月のトピックス】シービーの仔とともに、非運の死… 第50代オークス馬、ライトカラー死亡」
- 1993年7月号
- 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(86)】桜下に舞う シャダイカグラ」
外部リンク
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1930年代 | |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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