太平山谷(たいへいやまや)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1106。住居表示未実施地区。
地理
秋田市の東部、太平地区の中では南東部に位置する。太平川は北東部の源流から南流し、西に流れを変えて地区中央を横断する。西流する区間では並行して秋田県道28号秋田岩見船岡線及びその旧道(太平街道)が走り、緩い峠を越えて河辺へと続いている。太平川流域に農地が広がり、県道・街道沿いに最奥部の野田から十三岱・山谷・地主・上皿見内・下皿見内と集落が並ぶ。野田と上皿見内は太平山の登山道入口がある他、野田の奥の大沢には野田牧場もある。また山谷から南へ逸れると貝ノ沢集落がある。他は山林地帯である。大江氏の遺構と伝えられる古城址が多い[3]。
西・北は太平黒沢、東・南は河辺三内、南西は河辺北野田高野・太平中関に隣接する。
小字
31の小字が現存する[4]。
- 字一ノ関(いちのせき)
- 字大沢(おおさわ)
- 字貝田(かいた)
- 字貝ノ沢(かいのさわ)
- 字上皿見内(かみさらみない)
- 字首戸(くびと)
- 字鵁ノ巣(こうのす)
- 字鵁ノ鳥(こうのとり)
- 字三郎屋敷(さぶろうやしき)
- 字皿見内沢(さらみないざわ)
- 字篠戸(しのと)
- 字地主(じぬし)
- 字下皿見内(しもさらみない)
- 字下野(しもの)
- 字新川(しんかわ)
- 字諏訪(すわ)
- 字土沢(つちさわ)
- 字十三岱(とさんたい)
- 字樋ケ沢(とよがさわ)
- 字長坂(ながさか)
- 字中山谷(なかやまや)
- 字夏虫(なつむし)
- 字鍋沢(なべさわ)
- 字野田(のだ)
- 字細越(ほそごし)
- 字水沢(みずさわ)
- 字女滝(めたき)
- 字谷山(ややま)
- 字湯ノ沢(ゆのさわ)
- 字横道(よこみち)
- 字皿見内(さらみない)
河川
歴史
「慶長6年秋田家分限帳」に、鎌田旦右衛門代官所のうちとして「太平郷之内山屋村 176石余」とあるのが初見資料である(秋田家文書)[3]。
江戸時代を通じて久保田藩領で、「正保国絵図」では本田当高264石とされている[3]。「享保黒印高帳」では村高345石余・当高389石余(うち本田251・本田並50・新田88)[3]。「享保郡邑記」では80軒あって、うち枝郷の皿見内・土佐ノ台・野田・貝野沢・屋山の5ヶ村分が63軒となっている[3]。枝郷のうち最奥の野田は、正保年間に2軒で開村したという[3]。近世を通じて太平山の表参道登山口とされ、久保田城から野田まで5里、野田から山頂まで3里であった[3]。
「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高417石余(うち蔵分264、給分153)[3]。「秋田風土記」では373石・69戸があり、枝郷として5ヶ村の他に、もと中村という1ヶ村があったという[3]。大江氏(永井氏)家臣の末流である鎌田氏が居住していた[3]。「天保郷帳」では389石余とあり、「羽陰温故誌」によるこの頃の人口は345人、馬50[3]。
沿革
字域の変遷
地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。
世帯数と人口
2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
交通
鉄道
地区内に鉄道路線・駅は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
- 秋田中央交通
- 《太平線》 - 皿見内下丁 - 皿見内上丁 - 下野 - 地主 - 小学校前 - 山谷 - 貝の沢口 - 青葉台 - 細越 - 十三岱 - 野田 - 登山口 - 牧場入口 - 開拓前 -
道路
施設
字大沢
字貝ノ沢
字上皿見内
字地主
字十三岱
字長坂
字中山谷
字野田
字横道
参考文献
- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
- 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
- 秋田市 地名小辞典
脚注
外部リンク
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※地域区分(秋田市の人口・世帯で使用されているもの)ごとに分割し、更にその中で冠称を同じくする町・字をまとめた。 平成の大合併で編入された旧2町は昭和の大合併における旧々町村の単位でまとめた。 |
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