太平黒沢(たいへいくろさわ)は秋田県秋田市にある大字。郵便番号は010-1105。住居表示未実施地区。
地理
秋田市の東部、太平地区の中では中央南から北東にかけて位置する。平成の大合併で河辺郡河辺町を編入するまで、越家森(おっけさ、標高827m)南方の稜線部が秋田市の最東端であった(現在の最東端は河辺岩見の丹波森東[3])。
南部を太平川が東西に横断し、南西部の太平寺庭との境で小黒沢川(こぐろさわがわ)が合流する。太平川流域が平野部で、並行して秋田県道28号秋田岩見船岡線及びその旧道(太平街道)が走り、県道・街道の周辺に集落が集中している。集落周辺と太平川支流の谷底に農地がある他は山林地帯である。字払川に勝手神社が鎮座する。
北は仁別、東は河辺三内、南東は太平山谷、南は太平中関、西は太平寺庭、北西は太平八田に隣接する。
小字
20の小字が現存する[4]。
- 字稲荷(いなり)
- 字牛舞沢(うしまいざわ)
- 字大蛇沢(おおへびざわ)
- 字大屋木(おおやぎ)
- 字岡畑(おかばた)
- 字葛原(くぞはら)
- 字子田(こだ)
- 字砂子沢(さこざわ)
- 字館越(たてこし)
- 字野崎(のざき)
- 字払川(はらいかわ)
- 字東又(ひがしまた)
- 字蛭田(ひるた)
- 字二タ又(ふたまた)
- 字舟津田(ふなつだ)
- 字平沢(へいざわ)
- 字平速沢(へいそくざわ)
- 字堀田(ほった)
- 字真木(まぎ)
- 字矢櫃(やびつ)
河川
歴史
中世には大江氏(永井氏)の支配下にあり、館腰(館越、たてのこし)は家臣の嵯峨氏が居館を構えていた土地であるという(秋田風土記)[5]。文禄元年8月22日(1592年9月27日)の「秋田家分限帳写」に館岡半兵衛代官所の中で「黒沢村 583石余」とあるのが初見資料である(秋田図書館所蔵文書)[5]。
江戸時代を通じて久保田藩領で、「正保国絵図」では寺庭村と合わせて石高を表記されている[5]。「享保郡邑記」では37軒あって、うち枝郷の台菅野(だいすがの)村・稲荷村の2ヶ村分が9軒となっている[5]。台菅野村は元は小田と呼ばれ、若宮八幡社のための寄進田があった[5]。「寛政村附帳」では親郷目長崎村の寄郷とされ、当高225石余(うち蔵分211、給分14)[5]。「天保郷帳」では296石余で、「羽陰温故誌」によるこの頃の人口は186、馬30であった[5]。
沿革
字域の変遷
地区内で町名整理・住居表示実施その他に伴う区画変更は行われていない。
世帯数と人口
2016年(平成28年)10月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
交通
鉄道
地区内に鉄道路線・駅は無い。最寄り駅はJR東日本奥羽本線・羽越本線・秋田新幹線の秋田駅。
バス
- 秋田中央交通
- 《太平線》 - 稲荷 - 稲荷上丁 - 館越 - 黒沢下丁 - 黒沢上丁 - 勝手神社前 - 寿橋 -
道路
施設
字稲荷
字葛原
字砂子沢
字払川
参考文献
- 「角川日本地名大辞典 5 秋田県」1980年
- 「秋田市史 第四巻 近現代I 通史編」秋田市編、2004年
- 秋田市 地名小辞典
脚注
外部リンク
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※地域区分(秋田市の人口・世帯で使用されているもの)ごとに分割し、更にその中で冠称を同じくする町・字をまとめた。 平成の大合併で編入された旧2町は昭和の大合併における旧々町村の単位でまとめた。 |
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