山口宇部空港
山口宇部空港(やまぐちうべくうこう Yamaguchi-Ube Airport)は、山口県宇部市に所在する特定地方管理空港である。本州の空港としては最西端に位置する。 概要空港法では拠点空港に分類されるが、国ではなく地方自治体である山口県が管理する特定地方管理空港である。旧空港整備法の規定では第2種(B)空港に分類された。 山口宇部空港に近接する空港としては、直線距離が近い順に北九州空港(福岡県北九州市)、福岡空港(同県福岡市)、岩国飛行場(岩国錦帯橋空港:山口県岩国市)、石見空港(島根県益田市)がある。 かつて、空域が重なる北九州空港とは、同じ時間帯に出発機・到着機がある場合、両空港の発着便は同時に進入することができず、一方を待機させる必要があった。このため、双方の空港で遅延が発生していたが、2008年3月13日、両空港に航空自衛隊築城基地からのターミナルレーダー管制が導入されたことで、出発機・到着機を同時に取り扱うことが可能となり、この問題は解消している。
統計利用者数
元のウィキデータクエリを参照してください. 利用状況→「日本の空港 § 統計情報」も参照
2017年3月現在、定期便は東京(羽田)線のみ就航しており、その他は国内線(主に北海道・沖縄方面)と国際線(主に東アジア方面)のチャーター便が年数回設定されている。 当空港の利用客数は2003年度(平成15年度)の約96万人をピークに減少に転じ、2009年度(平成21年)には70万人台まで落ち込んだ[1][2]が、翌年度から再び増加傾向に転じ2018年度の利用者数は開港以来初めて100万人を超えた[6]。 山口県と東京を結ぶ交通機関のシェアは、当空港の利用者数がピークであった2003年度には航空機が約71%を占めていた[7]。しかし、2003年10月1日に山陽新幹線の新山口駅と徳山駅に当時の最速達列車であった「のぞみ」が停車を開始して以降は一貫して新幹線への流出が続き、2012年度には航空機シェアは約59%に低下した[7]。 定期便およびチャーター便を含む利用客数の推移は次のとおり[1][2][3][4][6]。 歴史戦前の「宇部飛行場」建設構想1928年(昭和3年)11月27日、後に山口宇部空港が建設されることになる宇部市草江地区の海岸に設立された「宇部航空輸送研究所」が、宇部市における民間航空路線誘致を志向した最初の施設である[8]。同研究所では、航空輸送および一般航空に関する研究、飛行機操縦士、機体製作技術者の養成、航空機修理等を事業内容としていた[8]。 こうした民間の動きにあわせ、1933年(昭和8年)には山口県が宇部岬沖に「宇部飛行場灯台」の設置を決定[9]。同年に起こった不時着場設置運動が1934年(昭和9年)1月5日に「宇部飛行場設置委員会」の結成へと発展し、軍部から敷地面積10万坪の要請を受けて、厚東川河口の埋立地(後の協和キリン宇部工場付近)を候補地とした宇部飛行場の建設構想を策定した[9]。 同年6月6日、朝鮮の大邱商工会議所副会頭を宇部市へ招致し、宇部 - 大邱間の内鮮定期航空路促進運動を展開することで合意[9]。この運動により飛行場建設の実現を期すも、防空場の理由や下関市・同商工会議所の飛行場誘致運動もあり、建設地は同市に隣接する小月地区(王喜村沿岸部)に決定[9][10]。宇部飛行場の建設構想は実現しなかった[9]。 さらに小月地区へ建設された下関飛行場も、開港直前に練習飛行場へと用途変更が行われ、完成直後に民間航空を管轄していた逓信省から帝国陸軍へと移管、名称も下関陸軍飛行場へ変更され、宇部・下関両地区で戦前における民間空港の誘致は叶わなかった[9][10]。 戦後の「県営宇部空港」建設までの経緯第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から日本国内における民間空路開設許可が降りると、山口県内では旧陸海軍の飛行場をもつ岩国市、防府市、下関市が空港誘致運動を開始した[11]。福岡や大阪などの大都市が許可を受けた第一次の開港指定は得られなかったものの、第二次指定において広島や北九州地区に近い岩国、下関(小月)に民間航空路線を開設できることになった[11]。 しかし再軍備の流れから岩国はアメリカ空軍、下関は自衛隊の基地として再利用されることが決まり、山口県内に民間航空会社が自由に利用できる空港がなくなった[11]。1957年(昭和32年)には防府飛行場を山口県と防府市が5カ年計画で拡張整備し、民間空港として運用する案を日本政府に陳情したが、政府側が却下した[11]。 このため山口県では既存の飛行場ではなく新たな空港を建設するため、候補地の検討を開始した。1961年(昭和36年)、当時炭鉱の閉山が相次ぎ新産業の誘致を課題としていた宇部市が、石炭合理化事業団が買い上げた沖宇部炭鉱の跡地および周辺海域の埋め立てによる空港開設を提案[11]。この案が県の要望にも適していたため、正式に宇部市を建設候補地に決定した[11]。 同年、県営宇部空港設置要望書を山口県から日本政府へ提出し、運輸省から調査員の派遣を受けて同地への建設が可能であることを確認[11]。1962年(昭和37年)に第二次要望書の提出、住民向け公聴会、設置申請書の提出を経て、10月に宇部空港設置の許可を得た[11]。事業着手後も住宅地区上空が航空路となることを避けるため当初案から変更を重ね、1966年(昭和41年)に民間空港として開港した[11]。 こうした空港建設までの計画変更やジェット化による空港拡張にあたっては、宇部市の煤塵問題の解決等に用いられた「宇部方式」と呼ばれる科学的なデータを用いて自治体・学識経験者・住民らが相互に話し合いをする手法を用いて、成田空港問題のような事態を起こすことなく地元との円滑な合意形成が図られた[12][13]。 開港後の沿革
施設
空港施設としては、国内線旅客ターミナルビル(3代目ターミナルビル)の他に、国際線旅客ターミナルビル(2代目ターミナルビルを転用)等があり、いずれも山口宇部空港ビル株式会社が管理・運営を行っている。 国内線旅客ターミナルビル2000年(平成12年)3月に、3代目の旅客ターミナルビルとして供用が開始された。国際線旅客ターミナルビルとは2階および3階の連絡通路で接続しており、3階の一部は送迎デッキとなっている。ビルの2階には、やまぐち特産品プラザ、ANA FESTA、ココス、あす花亭等が入居しており、商業施設としての機能も併せ持つ。 →入居する店舗の詳細については、公式サイトのショップ一覧を参照
国際線旅客ターミナルビル1980年(昭和55年)7月に、2代目旅客ターミナルビル(延床面積3,636m2)として供用が開始され、その後3代目旅客ターミナルビルの供用開始に伴い、「国際線旅客ターミナルビル」に転用された。国際線のチャーター便に利用されていたが、2016年11月28日から2017年3月25日まで定期便が就航した[18][19]。 ビルの1階には、山口県の観光案内施設「おいでませ山口観光情報プラザ」や宇部警察署山口宇部空港警備派出所が入居している。2階の出国待合室(スカイホール)および出発ロビー(スカイギャラリー)は、国際チャーター便の運航時以外は地域活動や市民活動等でイベントや集会・展示等を行うイベントホール「山口宇部空港会館」として活用されている。国内線旅客ターミナルビルとは2階および3階の連絡通路で接続しており、3階の一部は送迎デッキとなっている。 空港内に施設をもつ行政機関・企業
その他
就航路線航空会社名が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する共同運航便。 かつての定期就航路線
アクセス→「山口宇部空港公式サイト「交通アクセス」」も参照
山口宇部空港利用促進振興会が2018年9月下旬の東京便利用者を対象に実施した利用状況調査に依れば、空港へのアクセス手段として自家用車が50.0%(山口県民に限れば83.1%)、レンタカーが14.6%、バス(リムジンバス・路線バス)が14.3%、タクシー(乗合タクシーを含む)が9.5%、鉄道(JR)が3.8%となっており、自家用車でのアクセスの割合が高い[28]。 鉄道バスその他、宇部市交通局の路線バス(東部市内循環線「めぐりーな」)が空港ターミナル前に停車する(航空便には接続していない)。 乗合タクシー
かつては周南市内(旧徳山市南部・旧新南陽市南部)へも運行されていた(周南近鉄タクシーが運行)が、2012年(平成24年)12月の岩国空港の民間航空路線復活以後は利用客が減少したため、2019年(平成31年)2月28日をもって廃止された[30]。 脚注注釈出典
関連項目外部リンクInformation related to 山口宇部空港 |