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元衆議院議員・元東京都議会議員の「山本譲司」とは別人です。 |
山本 譲二(やまもと じょうじ、1950年〈昭和25年〉2月1日 - )は、日本の演歌歌手。山口県下関市出身。血液型A型。身長は174cm。所属事務所はジョージ・プロモーション。レコード会社はテイチクエンタテインメントに所属している。琴五郎のペンネームで、楽曲の作詞・作曲も行っている。ラテン文字表記はGeorge Yamamotoを使用する。妻は女優の植木悦子。長女は歌手の山本琴乃[1][2]。
来歴
夏の甲子園大会に出場
早鞆高等学校在学中3年生時の1967年夏に、山口県(当時・西中国)代表として第49回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に出場。1回戦で松商学園(長野県代表)に0-3で敗退したが、自身は代打で出場して内野安打を放ち出塁した[3]。
不遇の下積み時代
演歌歌手に志して上京。多くの職を転々とする。クラブのボーイ時代に客の飲み残しのビールを飲み干したが、グラスの中にはタバコの吸い殻が大量に入っていたという。肝臓を壊してやむなく帰郷し、ひっそりと療養生活を送る。母親の叱咤で一念発起し、22歳で再び上京。再び職を変えながらスナックでギターを手に2年間弾き語りを続ける。たまたま店に来た浜圭介に誘われて芸能界入りした。
1974年、映画「ダーティハリー」にかけて、伊達 春樹(だて はるき)という芸名でビクターからシングル「夜霧のあなた」でデビューしたが、パッとせず、崖っぷちに立たされた。
北島三郎との出会い
最後の決意で北島三郎の仕事場に何度も足を運び頭を下げ、十数回繰り返したときに北島から突然鞄を渡された。即ち「鞄持ちになれ」という意味であり、以降2年間北島の付き人を務める(当時の北島はまだ30代と若く、筋骨隆々としていたため、容赦ない修行の毎日を過ごした)。この時25歳であった。
これを契機に1976年、読売テレビ制作の歌謡オーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場、「おもいで岬」や「中の島ブルース」などを歌って10週勝ち抜いた。本名の山本譲二名義でポニーキャニオンから再デビューしたが、鳴かず飛ばずが続く。
ヒット以降
1980年、30歳の時に『みちのくひとり旅』をリリース。北島からは「この曲で駄目なら、もう諦めろ」と言われていたという。この曲も発売当初は売れずヒットには更に10ヶ月を要した。1年近く経過後、1981年、フジテレビの「夜のヒットスタジオ」に注目曲として出演すると大きな反響を呼び大ヒットし、ようやくスター歌手への仲間入りを果たす。
『みちのくひとり旅』で1981年末の「第23回日本レコード大賞」ロング・セラー賞を受賞し、同曲で「第32回NHK紅白歌合戦」に初出場した。最終的なレコード売上は130万枚[4]を記録した。当時はテレビ番組の企画で無人の甲子園球場のマウンドでこの曲を独唱したり、さらにTBSテレビの「ザ・ベストテン」では、上半身裸で褌一丁の姿をさらけ出しながら歌唱したこともあった。
1982年、31歳『旅の終りはお前』をリリース。当曲は前作『みちのくひとり旅』のメロディーをほぼ踏襲しているが、大ヒット作品の次に同系統の曲調を出す手法は、レコードセールス戦略上時々採用されている。同曲もスマッシュ・ヒットを果たし、1982年末の「第33回NHK紅白歌合戦」へ2年連続で出場した。
こうした経緯から、北島ファミリーの旗頭的存在となった。また、北島がレギュラー出演していた時代劇ドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日)では、北島に代わり1997年から長次郎役を演じ、VIIIシリーズから800回スペシャルまでレギュラーとして出演した。
また、本作において、北島がめ組の頭時代に辰五郎に恨みを持つ役、北島のめ組の頭降板後は萩藩主毛利吉元 役で、ゲスト出演している。
レコード会社・事務所移籍
平成に入ると演歌が急速に衰退し、1999年には所属していたポニーキャニオンが、演歌・歌謡曲部門の廃止を決定したことから、テイチクエンタテインメントへ移籍した。
2000年には移籍第1弾シングル「花も嵐も」を発売した。
2007年1月1日付で北島音楽事務所から独立し、個人事務所のジョージ・プロモーションを立ち上げた。暖簾分けの形であり、今も北島音楽事務所とは業務提携という形で強いつながりを持っている。
病気告白
2009年7月、右耳内部に良性腫瘍ができていることが明らかになったものの、除去手術を行った場合顔面麻痺が残る可能性があることから、手術するかどうか迷う胸中をブログに綴った(後日に「歌手としてステージに立ち続けたい」という意向から、手術はしない決断をしたと述べている[5])。
7月23日、福岡放送『めんたいワイド』に出演。もともとキャンペーンの一環として出演が決まっていたものの、病気を受けて急きょ内容が変更され、山本が経緯と今後の決意を語った。番組では、左耳に聴覚補助イヤホンをつけてやっと普通に聞こえる状態であったが、「ファンの励ましのメッセージが力になった」旨発言している。
2017年6月30日、フジテレビの「訂正させてください」に出演した際に、右耳の聴力を失ってから8年が経過し、左耳もほとんど聞こえなくなり補聴器を使っていることを明かした[5]。
山本譲二 ヘヴィメタル化計画
2023年頃によりX(旧Twitter)のスタッフアカウントにより『山本譲二ヘヴィメタル化計画』が発表される。第1弾は山本の名をローマ字でアイアンメイデン風のフォントで書かれ、メロイックサインをした山本がゾンビ風に描かれたTシャツが発売されるなど[6]、本人の知らぬところでスタッフの独断で進められており、当初はTシャツのデザインに「腹がたった」と憤慨していたが、Tシャツの売れ行きが好調である事からその後は気に入ったしまったという[7]。翌2024年に第2弾として4月にはギター雑誌『YOUNG GUITAR』編集部の協力のもと、「みちのく忘れ雪」のイントロをメタル調に引き倒す「ギター弾いてみたコンテスト」を開催[8]。手本として島紀史(Concerto Moon)、SAKI(元NEMOPHILA)、Kirz Hammett(メタリカのトリビュートバンド「ハッタリカ」のギタリスト)による手本がヤングギター編集部のYouTubeアカウントよりショート動画としての公開[9]、本誌では山本と演歌好きで知られるマーティ・フリードマンとの対談が実現している[10][11]。第3弾は同年7月24日にデビュー50周年記念シングルの第1弾『妻よ・・・ありがとう』の3曲目に収録されている「言論の自由」で、作詞作曲は吉幾三、編曲とレコーディングメンバーは上記のハッタリカのメンバーに加え「ギター弾いてみたコンテスト」優勝者でANLIMITのギタリストである長谷川太一が参加している事が公式で発表された[12][13]。
人物・エピソード
酒に酔って前川清の家でウォシュレットを使い、便所を水浸しにしたというエピソードがある。その前川や吉幾三は親友である。
鳥羽一郎と二人で10分で1升の日本酒をあけたと云う話もある。これはウチくる!?[14]出演時の発言であるが、このときは1軒目からビール、焼酎などを飲み続け、番組の途中から完全に酔っ払っていた。
紅白歌合戦
1981年に「みちのくひとり旅」で紅白初出場の知らせを受けたのは、『新春オールスター大運動会』の収録現場で山本たちが騎馬戦をしている時だった。山本の紅白初出場を伝える新聞記事には、騎馬の上に乗ってガッツポーズをする写真が使われたという[15]。紅白当日の出番直前、同じく出場した北島三郎から舞台袖で「紅白初出場の喜びを噛みしめるよりも、去年まで出られなかった悔しい気持ちを忘れるな」と声をかけられたという[15]。
1985年まで連続出場した後、1986年に初めて紅白落選がマネージャーから電話で告げられた時は、「紅白に戻れるよう来年頑張るから!」と返した。日本にいるとどうしても紅白を意識するため、その年は妻を連れて年末年始をハワイで過ごした[注釈 1]。1987年に紅白に復帰したが翌年から再び落選が続き、「絶対に紅白に復帰するんだ」との思いで頑張り、1994年に復帰した[注釈 2]。
1996年には、木梨憲武とのユニット「憲三郎&ジョージ山本」として紅白に出演。本番では、同じく出演した北島から「今年の紅白はお前たちの紅白だ!」と言われ、山本は後年「この年の紅白が一番楽しかった」と評している[15]。後年これまでを振り返り、「紅白に6回落とされて、5回復帰できた[注釈 3]のは山本譲二だけじゃないかと誇りに思っています」と述べている[15]。
2022年には、紅白歌合戦の裏番組である『ももいろ歌合戦』(BS日テレ・ニッポン放送・ABEMAなどが生中継)へ初出場となった。
野球への情熱
2005年、故郷・山口県に社会人野球のクラブチームを設立する計画を表明した。チーム名は「山口きららマウントG」で、総監督に就任した。同球団は、黒い霧事件による永久追放を解除され、復権したばかりの池永正明を監督として招聘するなど、話題性もあり高い注目を集めた。
2012年春の第84回選抜高等学校野球大会に母校の早鞆高等学校の出場が決まった際には自らのブログで「俺の時以来だもんな、ぶちうれしいけ!」と喜びのコメントを発し[16]、母校を援助するべく寄付金を募り、自ら応援団長を買って出る意気込みを見せている[17]。
2022年夏の第104回全国高等学校野球選手権大会の決勝戦は、大ヒット曲「みちのくひとり旅」の舞台を歌唱した宮城県代表の仙台育英高校と、自らの出身地・山口県代表の下関国際高校との試合を、山本は自宅リビングでテレビ観戦していた。結果8-1のスコアで、仙台育英が東北勢悲願の全国制覇を果たし、ようやく優勝旗が「白河の関越え」を達成の報道に関し、同年8月22日に自身のブログを更新[18]。「仙台育英高校の皆さん、夏の甲子園優勝おめでとう御座います。皆が100年の扉を開けて、深紅の大優勝旗が白河を渡るんですね。本当に素晴らしい戦い振りでした。この高校野球で培った物を大切に、旅立って頂きたいと思います」と仙台育英の快挙を祝福。さらに、惜しくも準優勝の下関国際へも「我が故郷を代表して精一杯戦い、心から感謝します。最後の試合でナイン達が悔し涙を流す姿に、僕は貰い泣きしました。それでも本当にがんばって、頑張り抜きました。どうぞ胸を張って誇りを持って、堂々と下関へ帰って欲しいです」と労いの言葉を送っていた[19][20]。
地デジPR隊
2010年、“関門ジョージ”の名で「関門地デジすすめ隊」隊長に任命された。
地元下関では長らく北九州市の皿倉山から発射される電波をアンテナで直接拾う世帯がほとんどであったが、完全デジタル化により、その視聴エリアが狭まる。NHK山口放送局などではこれを地元に視聴者を奪い返すチャンスととらえており、アンテナの方向転換などの呼びかけを行っている。同局大使・牛田茉友が出演した同年7月24日放送のPR番組はそのことを周知徹底するために、北九州局の総合アナログ波(6chで送信)まで使って放送され[注釈 4]、その番組に於いて山本が“関門ジョージ”として登場し、県西部地域における地デジ化に貢献する旨の挨拶を行った[注釈 5]。
ディスコグラフィ
シングル
# |
発売日 |
曲順 |
タイトル |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
規格品番
|
1
|
1976年 7月25日 |
A面 |
そばにおいでよ
|
山口洋子
|
鈴木淳
|
竜崎孝路
|
SV-6029
|
B面 |
旅に出ようか
|
2
|
1978年 9月21日 |
A面 |
北ものがたり
|
中山大三郎
|
若草恵
|
C-116
|
B面 |
風に追われて
|
3
|
1979年 7月21日 |
A面 |
男の影法師
|
高田ひろお
|
遠藤実
|
斉藤恒夫
|
C-146
|
B面 |
眉子
|
4
|
1980年 8月5日 |
A面 |
みちのくひとり旅 |
市場馨 |
三島大輔
|
C-187
|
B面 |
チェランサスの夢
|
中山大三郎 |
若草恵
|
5
|
1982年 1月1日 |
A面 |
旅の終りはお前
|
市場馨
|
三島大輔
|
斉藤恒夫
|
7A-0142
|
B面 |
指(おやすみ)
|
6
|
1982年 6月21日 |
A面 |
からたちのふるさと |
杉本真人
|
7A-0184
|
B面 |
おもかげ |
三島大輔
|
7
|
1982年 10月21日 |
A面 |
ごめんよ |
山田孝雄 |
浜圭介 |
竜崎孝路
|
7A-0224
|
B面 |
お前だけだった |
一色弘子 |
三島大輔 |
斉藤恒夫
|
8
|
1983年 5月21日 |
A面 |
湘南哀歌 |
阿久悠 |
宇崎竜童
|
馬飼野俊一
|
7A-0282
|
B面 |
一人で旅する女のように |
山田孝雄 |
村井一夫
|
9
|
1983年 9月5日 |
A面 |
海鳴り |
吉田旺 |
三島大輔
|
斉藤恒夫
|
7A-0307
|
B面 |
冬ごよみ |
伊藤アキラ |
村井一夫
|
10
|
1983年 12月5日 |
A面 |
ローリング・ストーン |
秋元康
|
後藤次利
|
7A-0340
|
B面 |
馬鹿な男の物語
|
原譲二 |
甲斐正人
|
11
|
1984年 3月21日 |
A面 |
夢おんな
|
広田文男
|
叶弦大
|
竜崎孝路
|
7A-0360
|
B面 |
上海空港
|
12
|
1984年 6月5日 |
A面 |
小樽発・利尻行き |
木村まさゆき |
工藤よしひで |
高見弘
|
7A-0385
|
B面 |
北の旅人 |
山田孝雄
|
三島大輔
|
斉藤恒夫
|
13
|
1984年 8月5日 |
A面 |
奥州路 |
石原信一
|
7A-0406
|
B面 |
黙って俺について来い |
吉田旺
|
14
|
1985年 4月21日 |
A面 |
北情歌 |
山田孝雄
|
幸耕平
|
竜崎孝路
|
7A-0485
|
B面 |
おふくろ |
きさらぎ圭介
|
15
|
1985年 10月21日 |
A面 |
男詩
|
阿久悠 |
円広志
|
馬飼野俊一
|
7A-0531
|
B面 |
前略ともだち |
三島大輔
|
16
|
1986年 5月21日 |
A面 |
長州の男
|
星野哲郎
|
原譲二
|
斉藤恒夫
|
7A-0583
|
B面 |
粋人生
|
17
|
1986年 9月21日 |
A面 |
望郷しぐれ |
水木れいじ |
円広志 |
山崎稔
|
7A-0638
|
B面 |
夢という名のお前 |
荒木とよひさ |
平尾昌晃
|
馬飼野俊一
|
18
|
1987年 5月21日 |
A面 |
夜叉のように |
阿久悠 |
幸耕平
|
7A-0732
|
B面 |
男が背広を捨てるとき
|
荒木とよひさ |
いちのせ謙
|
19
|
1988年 2月21日 |
A面 |
夕陽 |
平尾昌晃
|
7A-0823
|
B面 |
雪桟橋 |
市場馨 |
三島大輔
|
斉藤恒夫
|
20
|
1989年 3月21日 |
A面 |
えくぼ |
星野哲郎 |
原譲二
|
7A-0964
|
B面 |
愛の迷い道 |
森茂 |
弦哲也
|
21
|
1989年 11月21日 |
01 |
ひとりで泣くなよ |
さいとう大三
|
馬飼野俊一
|
PCDA-00021
|
02 |
さよならは夜霧のなかで |
中山大三郎 |
加藤将貫
|
桜庭伸幸
|
22
|
1990年 4月21日 |
01 |
時は流れても |
吉岡治
|
岡千秋
|
PCDA-00070
|
02 |
ふたり |
北川文化
|
23
|
1990年 10月21日 |
01 |
ワッショイまつりっこ |
高田ひろお |
佐瀬寿一 |
小林信吾 |
PCDG-00011
|
24
|
1991年 6月21日 |
01 |
奥入瀬 |
北川文化
|
桜庭伸幸
|
PCDA-00201
|
02 |
えとらんぜ |
吉岡治 |
岡千秋 |
池多孝春
|
25
|
1992年 5月21日 |
01 |
揚子江
|
吉幾三
|
京建輔
|
PCDA-00309
|
02 |
竹とんぼ
|
横山聖仁郎
|
26
|
1993年 6月2日 |
01 |
夢・想・人 |
北川文化 |
武野良
|
桜庭伸幸
|
PCDA-00455
|
02 |
漁火のふるさと |
松本礼児 |
加藤将貫
|
27
|
1993年 9月17日 |
01 |
七夕月(萩の花咲く頃)
|
星野哲郎
|
三島大輔
|
前田俊明
|
PCDA-00482
|
02 |
蒼い国境
|
28
|
1994年 2月18日 |
01 |
花 染められて |
麻こよみ
|
美樹克彦 |
川村栄二
|
PCDA-00536
|
02 |
ラストレター |
森井ゆたか |
槌田靖識
|
29
|
1994年 7月21日 |
01 |
関門海峡
|
琴五郎 |
桜庭伸幸
|
PCDA-00599
|
02 |
きらめく風の中で |
松本礼児 |
山本譲二 |
槌田靖識
|
30
|
1994年 10月21日 |
01 |
棒の哀しみ |
藤波研介 |
大野弘也 |
桜庭伸幸
|
PCDA-00646
|
02 |
黄昏にふたり[注釈 6]
|
松本礼児 |
近江孝彦 |
川村栄二
|
31
|
1995年 3月1日 |
01 |
きらめく風の中で |
山本譲二 |
槌田靖識
|
PCDA-00706
|
02 |
愛は海を越えて |
榊みちこ |
杉本真人
|
桜庭伸幸
|
32
|
1995年 7月5日 |
01 |
夢街道
|
琴五郎
|
PCDA-00740
|
02 |
風の港町
|
原譲二 |
鈴木操
|
33
|
1995年 7月21日 |
01 |
星空の鎮魂歌 |
丹古晴己
|
山本譲二
|
槌田靖識
|
PCDA-00757
|
02 |
輝く瞳 |
松本礼児
|
34
|
1996年 10月18日 |
01 |
美しい大地よ |
一倉宏
|
ジェイムス下地
|
PCDA-00898
|
02 |
愛は旅人 |
山田孝雄 |
三島大輔 |
前田俊明
|
35
|
1997年 4月18日 |
01 |
あなたしかいらない |
大津あきら |
浜圭介 |
今泉敏郎
|
PCDA-00964
|
02 |
語り草 (ニューリミックス) |
森田記 |
岡本朗 |
平野孝幸
|
36
|
1997年 9月19日 |
01 |
君の歌になろう |
やしろよう |
浜圭介 |
川村栄二
|
PCDA-00996
|
02 |
一本締め |
麻こよみ |
円広志 |
平野孝幸
|
37
|
1998年 4月1日 |
01 |
外は雨が… |
大津あきら |
浜圭介 |
今泉敏郎
|
PCDA-01043
|
02 |
回想賦 |
松本礼児 |
桧原さとし |
川村栄二
|
38
|
1998年 5月20日 |
01 |
俺がいるじゃないか |
建石一 |
徳久広司 |
南郷達也
|
PCDA-01068
|
02 |
秋吉・青海 |
北川文化 |
山本譲二 |
槌田靖識
|
39
|
1998年 6月17日 |
01 |
放浪う…ままに |
田久保真見 |
浜圭介 |
今泉敏郎
|
PCDA-01069
|
02 |
夫婦
|
山本譲二 |
京建輔
|
40
|
1999年 3月17日 |
01 |
いつまでも…沖縄
|
吉幾三 |
若草恵
|
PCDA-01147
|
02 |
酔いざめの水がほしい |
丹古晴己 |
浜圭介 |
丸山雅仁
|
41
|
2000年 2月1日 |
01 |
花も嵐も
|
たかたかし |
弦哲也 |
前田俊明
|
TEDA-10464
|
02 |
酒がたり
|
弦哲也
|
42
|
2001年 2月1日 |
01 |
おまえにありがとう |
弦哲也 |
前田俊明
|
TEDA-10495
|
02 |
風帰行
|
弦哲也
|
43
|
2001年 8月1日 |
01 |
しあわせの青い鳥 |
弦哲也 |
前田俊明
|
TEDA-10512
|
02 |
ほどほど酒 |
北島マヤ |
水森英夫 |
桜庭伸幸
|
44
|
2002年 2月1日 |
01 |
都会の子守歌 |
たかたかし |
弦哲也 |
前田俊明
|
TEDA-10528
|
02 |
男の挽歌
|
琴五郎 |
南郷達也
|
45
|
2002年 8月1日 |
01 |
おまえと生きる
|
悠木圭子
|
鈴木淳
|
前田俊明
|
TEDA-10552
|
02 |
男のこころ
|
46
|
2003年 2月1日 |
01 |
生きる |
星野哲郎 |
原譲二 |
丸山雅仁
|
TEDA-10567
|
02 |
親父船
|
琴五郎 |
槌田靖識
|
47
|
2003年 7月9日 |
01 |
放浪〜さすらい〜
|
たかたかし
|
弦哲也
|
前田俊明
|
TECA-11596
|
02 |
島風
|
48
|
2004年 2月1日 |
01 |
ふるさとのはなしをしよう |
伊野上のぼる |
キダ・タロー
|
TECA-11619
|
02 |
星よ降れ |
菅麻貴子 |
琴五郎
|
49
|
2004年 7月22日 |
01 |
倖せあげたい |
仁井谷俊也 |
弦哲也
|
TECA-11639
|
02 |
ふたり華 |
菅麻貴子 |
琴五郎
|
50
|
2005年 2月1日 |
01 |
名もない花に乾杯を
|
城岡れい |
弦哲也
|
TECA-11662
|
02 |
めぐり雨
|
弦哲也
|
51
|
2006年 2月1日 |
01 |
風鈴
|
津島一郎 |
逸見良造 末吉時雄
|
TECA-12036
|
02 |
男のときめき |
末吉時雄
|
52
|
2006年 8月2日 |
01 |
新宿の月
|
城岡れい
|
弦哲也 |
前田俊明
|
TECA-12060
|
02 |
春江ワルツ |
南郷達也
|
53
|
2006年 12月20日 |
01 |
ねっこ君 |
里乃塚玲央
|
小杉保夫 |
TECA-8078
|
54
|
2007年 1月24日 |
01 |
高杉晋作
|
津島一郎
|
末吉時雄
|
TECA-12082
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02 |
残侠しぐれ
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55
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2007年 7月25日 |
01 |
惚れたおまえと |
たかたかし
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弦哲也 |
前田俊明
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TECA-12101
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02 |
友情 |
志賀大介
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南郷達也
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56
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2008年 3月26日 |
01 |
泣いたらいいさ |
城岡れい
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TECA-12132
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02 |
願い |
田久保真見 |
山本譲二
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伊戸のりお
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57
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2009年 2月1日 |
01 |
俺たちの春
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山本譲二
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TECA-12166
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02 |
枯葉のバラード
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田久保真見
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山本譲二
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03 |
枯葉のバラード (デュエットVer.)[注釈 7]
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58
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2009年 10月21日 |
01 |
千里の道も |
仁井谷俊也
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弦哲也
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前田俊明
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TECA-12199
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02 |
天狼星 |
下地亜記子
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59
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2010年 7月14日 |
01 |
哀愁運河 |
かず翼
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TECA-12240
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02 |
今更のブルース |
志賀大介 |
大谷明裕
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伊戸のりお
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60
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2011年 3月30日 |
01 |
旅路の果ての… |
市場馨 |
三島大輔
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TECA-12277
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02 |
東京流れ雨 |
志賀大介 |
徳久広司 |
南郷達也
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61
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2012年 2月1日 |
01 |
こころの絆 〜明日を信じて〜 |
たかたかし
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弦哲也
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前田俊明
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TECA-12323
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02 |
長門峡 |
坂口照幸
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62
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2012年 11月21日 |
01 |
蓬莱橋
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さわだすずこ
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TECA-12396
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02 |
親友よ
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63
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2014年 2月5日 |
01 |
放浪酒
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田久保真見
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南郷達也
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TECA-12499
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02 |
城崎の雨
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64
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2014年 10月22日 |
01 |
北の孤愁
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たかたかし
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前田俊明
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TECA-12553
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02 |
君でよかった
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65
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2015年 8月19日 |
01 |
夜桜哀歌 |
田久保真見
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浜圭介
|
矢野立美
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TECA-13620
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02 |
俺の花 |
渡辺なつみ
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66
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2016年 8月24日 |
01 |
ふたりで一つの人生を
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たかたかし
|
弦哲也
|
前田俊明
|
TECA-13700
|
02 |
俺のこの胸で
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67
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2017年 11月15日 |
01 |
ふたりでよかった
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TECA-13809
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02 |
ほたる草
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68
|
2018年 9月19日 |
01 |
残花
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朝比奈京仔
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小田純平
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矢田部正
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TECA-13875
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02 |
霧雨五番町
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69
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2019年 7月25日 |
01 |
人は旅人
|
吉幾三
|
矢野立美
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TECA-13947
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02 |
MABU達
|
70
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2020年 4月15日 |
01 |
夜明け前 |
ちあき哲也
|
浜圭介
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伊戸のりお
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TECA-20025
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02 |
ザンゲの酒がしょっぱくて |
数丘夕彦
|
71
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2021年 12月15日 |
01 |
比翼の鳥
|
日野浦かなで
|
徳久広司
|
猪股義周
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TECA-21060
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02 |
黄昏だより
|
72
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2022年 9月28日 |
01 |
睡蓮 |
結木瞳 |
村田誠一
|
南郷達也
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TECA-22053
|
02 |
人生ごよみ |
ごとう順 |
西尾澄気
|
73
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2023年 9月20日 |
01 |
みちのく忘れ雪
|
田久保真見
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弦哲也
|
猪股義周
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TECA-23058
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02 |
浮草ふたり
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74
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2024年 7月24日 |
01 |
妻よ…ありがとう
|
吉幾三
|
伊戸のりお
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TECA-24036
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02 |
恋しき孫よ
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03 |
言論の自由[注釈 8]
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IKZO |
KIRZ
|
デュエット・シングル
アルバム
発売日 |
タイトル |
規格品番
|
1979年10月 |
いかす男のいかす唄 |
C25A-0056
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1981年11月 |
譲二の旅路 |
C28A-0189
|
1982年9月 |
こころの旅路 |
C28A-0229
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1983年7月 |
譲二の青春 |
C28A-0280
|
1983年12月 |
演歌特選<釜山港へ帰れ> |
C28A-0304
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1984年11月 |
演歌特選<奥州路> |
C28A-0376
|
1985年11月 |
男詩・譲二熱唱ベスト12 |
C28A-0455
|
発売日 |
タイトル |
規格品番
|
1985年11月21日 |
山本譲二 A面コレクション |
D32A-0138
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1986年3月5日 |
譲二の男詩・愛しき友よ恋人よ |
D32A-0162
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1987年2月5日 |
いいのか…俺で |
D32A-0266
|
1987年9月21日 |
'87演歌特選 |
D32A-0316
|
1988年3月21日 |
そして…また一歩 夕陽 |
D32A-0358
|
1989年12月15日 |
粋な別れ-もう一人の譲二- |
PCCA-00032
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1991年8月21日 |
指定席-奥入瀬- |
PCCA-00293
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1994年11月18日 |
関門海峡ひとり旅 |
PCCA-00694
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1994年12月16日 |
デビュー20周年記念 山本譲二BEST20 |
PCCA-00704
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1997年7月2日 |
指定席II〜あなたしかいらない〜 |
PCCA-01115
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1997年12月3日 |
山本譲二 デュエットコレクション '80〜'96 |
PCCA-01165
|
1998年11月18日 |
歌手生活25周年記念 山本譲二BEST25 |
PCCA-01252
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1999年3月17日 |
山本譲二 愛唱歌集 |
PCCA-01305
|
2001年8月22日 |
おまえにありがとう 山本譲二 男のやさしさを唄う |
TECE-30236
|
- 全曲集…2000年〜2023年発売。
- 大全集…2003年、2005年、2007年、2009年、2011年、2013年、2015年、2017年、2021年発売。
映像作品
発売日 |
タイトル |
規格 |
規格品番
|
2009年5月20日 |
山本譲二 ヒットシングル・ビデオ集
|
DVD |
TEBE-38056
|
2014年7月23日 |
山本譲二 シングル映像集(2000〜2014) |
TEBE-43163
|
タイアップ曲
NHK紅白歌合戦出場歴
- 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある()はトリ等を務めた回数を表す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
出演
テレビドラマ
テレビバラエティー
ラジオ番組
映画
Vシネマ
- 九州激動の1520日 新・誠への道(2009年) - 二代目雄仁会理事長 二代目松葉組組長 大高義久
- 仁義もクソもありゃしねえ!(2021年) - 大道会幹部 神矢新介
CM
脚注
注釈
- ^ ただし、ハワイでも紅白を見ることはできたため、妻に「テレビはつけなくていい」と言って酒を飲んで気を紛らわした[15]。
- ^ 本人は後年「この年はデビュー20周年でもあったから、NHKさんが配慮して下さったんじゃないかな」と解釈している[15]。
- ^ 連続出場、連続落選、及び2005年以降の落選をそれぞれ1回と換算しての発言。(詳しくは下記・NHK紅白歌合戦出場歴を参照。)
- ^ ちなみに、北九州局の総合デジタル波では福岡局制作『地デジ侍 再び「画面の忍者 ビル影参上!」』を放送した。
- ^ 当日はこれとは別に下関市や宇部市で牛田ら山口県内の地デジ大使がパレードを行い、この問題について注意喚起を行っている。
- ^ デュエット:叶和貴子。
- ^ デュエット:KOTONO。
- ^ J&J feat. HATTALLICA with 長谷川太一名義。
- ^ 憲三郎&ジョージ山本名義。
- ^ 譲二さんと所さん名義。
- ^ GEORGE&YOSHI名義。
出典
関連項目
外部リンク
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第11回 - 第20回 (1969年 - 1978年) | |
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第21回 - 第30回 (1979年 - 1988年) | |
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第31回 - 第40回 (1989年 - 1998年) | |
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第41回 - 第50回 (1999年 - 2008年) | |
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第51回 - 第60回 (2009年 - 2018年) | |
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第61回 - (2019年 - ) | |
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注釈
第1回から第10回までは制定なし。第12回 は発表なし。第32回から第34回までは演歌・歌謡曲、ポップス・ロックの2部門に分けて発表 (ただし第32回に限り演歌・歌謡曲、ポップス、ロックの3部門に分けて発表した)。
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NHK | |
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民放局 |
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地域単位 |
山口県西部エリア 関門ジョージこと山本譲二(地デジ化応援隊“関門地デジすすめ隊”隊長)
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NPB | |
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全国・過去 | |
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NPB担当大使は所属球団の本拠球場内で流されるビデオに出演 |