泥江町(ひじえちょう)は、かつて愛知県名古屋市中村区に存在した地名である。
地理
中村区名駅四丁目北東角に「泥江町」という交差点がある。東西方向の愛知県道68号名古屋津島線(通称:桜通)と南北方向の名古屋市道江川線(通称:江川線)が交差する地点であるが、ここから南西方向へと斜めに名古屋市道泥江町線(通称:泥江町通)が伸びている[4]。この道路を中心に設定されていた町が泥江町であり、東は泥江町交差点から、西は名駅通との交差点付近までがその町域であった。西側から順に1丁目・2丁目・3丁目が設置されていた。
西は笹島町、北は堀内町・米屋町、南は西柳町、東は花車町・小鳥町に接する。
歴史
町名の由来
「泥江」(ひじえ)は広井村の古称という。沖積低地を意味する「泥地」(ひじち)が語源とされ、後に「広江」「広井」へ転訛したと言われている。平安末期成立の『尾張国内神名帳』(甚目本)には「従三位 泥江縣天神」の名が見え、地名は古くから存在したらしい[8]。
行政区画の変遷
当地は元々愛知郡広井村に属する地域であったが、名古屋駅(1886年(明治19年)設置)へ通ずる駅前道路が1885年(明治18年)ごろに完成すると町ができた。1889年(明治22年)7月1日、広井村の一部をもって「泥江町」が設置され、同時に設置された周辺の笹島町・北禰宜町とともに当時の名古屋区に属し、さらに同年10月1日の市制施行で名古屋市泥江町となった。ただし泥江町の起立時期を1898年(明治31年)とする資料もある。1908年(明治41年)4月1日の区制実施(4区制)では西区に属し、1944年(昭和19年)2月11日には中村区へと編入された。
泥江町は名古屋駅の東、柳橋中央市場のある西柳町の北に立地することから通運会社・倉庫会社・トラック会社などが集まった。1937年(昭和12年)に名古屋駅が北へ移転すると泥江町の道路は裏通りとなるが、戦後になると中経ビル(中部経済新聞社ビル=1962年(昭和37年)完成)をはじめオフィスビル建設が進んだ。
1977年(昭和52年)10月23日、中村区名駅一丁目・三丁目・四丁目にそれぞれ編入され泥江町の町名は消滅した。
交通
現在の交通機関
名古屋市営地下鉄桜通線 国際センター駅周辺が該当する。
市電
名古屋市電に町名が付された「泥江町」という停留場があった。柳橋方面から明道町・浄心町方面へ至る路線の途中にあり、市道江川線上、泥江町交差点を挟んで南側に北行線の、北側に南行線の停留場がそれぞれ立地した[12]。泥江町停留場は1901年(明治34年)2月19日の押切線開通に伴い設置。路線廃止に伴い1971年(昭和46年)4月1日付で廃止された。
脚注
参考文献
関連項目
|
---|
あ行 | |
---|
か行 | |
---|
さ行 | |
---|
た行 | |
---|
な行 | |
---|
は行 | |
---|
ま行 | |
---|
や行 | |
---|
註 |
☆ - 住居表示実施地区 / ★ - 道路・河川・鉄道等用地のみ / ■ - ウィキメディア・コモンズカテゴリ有
|
---|
旧町名 | |
---|
カテゴリ |