竹下幸之介
竹下 幸之介(たけした こうのすけ、1995年5月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。AEW、DDTプロレスリング、新日本プロレス所属 日本体育大学卒業。大阪府大阪市西成区[1]出身。身長187cm、体重114kg。 経歴デビュー前焼鳥屋の竹下の父親はアントニオ猪木のファンで、竹下が2歳のころから父とプロレスのビデオを見ていた[2]。当時はFMWのハヤブサのファンで、初めて生で見たのは幼稚園の時の大阪プロレスだった[2]。レンタルビデオを何本も借りてくるので、竹下の両親はサムライTVに加入し家に引きこもってプロレスを見続ける[2]。2004年2月6日、竹下が小学2年生の時、WWE大阪城ホール大会のメインイベント、クリス・ベノワvsトリプルHの世界ヘビー級選手権試合を見て、いつかベノワと戦いたいとプロレスラーになることを決意する[2]。 大阪プロレスでプロレス教室をしていることを知り、子どもの部だけではなく大人の部にも参加した[2]。大人の部でも勝つことがあるほど強かったことから、当時先生だったタイガースマスクに日本一のアマチュアレスリングクラブである吹田市民レスリング教室を紹介され、そちらにも参加した[2]。 小学生の時、プロレスラーになりたいと各団体に履歴書を送る。唯一DDTの高木三四郎大社長のみがモバゲーで返事をし、中学卒業後の再応募を促した[2]。 公立の中高一貫校に合格し、レスリング部がなかったことから陸上部に入ってのめり込む[2]。この頃はプロレスを全然見なかったが、中3の時の全国予選大会で四種競技にエントリーした竹下は初日終了後、久しぶりにテレビで見たBEST OF THE SUPER Jr.の決勝戦(2010年6月13日)、プリンス・デヴィットvs飯伏幸太を見て衝撃を受ける[2]。6月19日、2日目の大会で全国大会出場を決めた足で大阪府立体育会館のDOMINIONを観戦してプロレスへの情熱が再燃[2]。かつて唯一返事が来たDDTへ翌日履歴書を送付し、8月15日、名古屋大会(今池ガスホール)でテストを受け合格[2]。竹下も中学卒業後、すぐに東京へ行くつもりだったが高木は両親と相談し、高校への進学を勧めた[2]。竹下は陸上全国大会の四種競技の優勝候補だったが、最終種目で反則を犯して3位に終わったことを後悔し高校進学を決意する[2]。 大阪市立咲くやこの花高等学校(現・大阪府立)に入ってからは、DDTの大阪大会や夏休みに練習に参加。高校の同級生に後にDDTの同僚となる上野勇希がいる。2012年4月1日、DDT後楽園ホール大会のリング上で8月18日の日本武道館大会でデビューすることが発表された[2]。7月8日、DDT淀川区民センター大会で石井慧介と公開スパーリング。その直後、対戦相手がエル・ジェネリコである事を鶴見亜門GMより告げられた。 8月4日、DDT新木場1stRING大会で福田洋と公開スパーリング。当時アイアンマンヘビーメタル級王者であった福田にウォール・オブ・タケシタで勝利し、デビュー前にして第952代アイアンマンヘビーメタル級王座を奪取したが、すぐに奪回された。 デビュー後2012年8月18日、竹下はDDT日本武道館大会にてエル・ジェネリコを相手にデビューを果たし、現役高校生プロレスラーとして活動を始めていった。11月25日、DDT後楽園大会にてポイズン澤田JULIEの引退試合の相手を務め、澤田からプロ初勝利を挙げた。 2013年7月29日、「闘うビアガーデン2013」ダークマッチにて福田洋との60分アイアンマンマッチを行う。2-2のドローに終わるが、竹下もフルタイムで完走した。 2014年4月、日本体育大学への入学[4][5]を機に上京。 7月13日、DDT大阪市立東成区民センター大会でアントーニオ本多、遠藤哲哉と組み、KUDO&坂口征夫&マサ高梨を破ってKO-D6人タッグ王座を奪取。1週間後の7月20日、DDT後楽園ホール大会で奪回された。 8月17日、DDT両国国技館大会で棚橋弘至とシングルマッチを戦い、15分9秒、ハイフライフローからの片エビ固めで竹下が敗れた[6]。 9月28日、竹下はDDT後楽園ホール大会で遠藤とコンビを組んでゴールデン☆ラヴァーズ(飯伏幸太& ケニー・オメガ)を破り、CMLL認定KO-Dタッグ王座を獲得した[7]。 2015年11月27日、マッスル坂井との一騎討ちを行い、ジャーマンスープレックスを決めて勝利。試合後、2030年復活予定のマッスル11東京ドーム大会のメインに出場できるキャリーケースが譲渡された。 2016年5月22日、「十二年越しの夢。スペシャルシングルマッチ」としてZEROと対戦し勝利。試合後には、ZEROから新調されたZEROのマスクをもらった。 5月29日、佐々木大輔の持つKO-D無差別級王座に挑戦し勝利。同王座を21歳の若さで奪取し、最年少戴冠記録を樹立する。入場時にはZEROのマスクを携え登場していった。 2017年3月20日、DDTさいたまスーパーアリーナ メインアリーナ大会にてHARASHIMAの持つKO-D無差別級王座に挑戦し、勝利。 4月29日、DDT後楽園ホール大会において遠藤とKO-D無差別級王座防衛戦を行い、60分フルタイムドロー[8]。 8月20日、DDT両国国技館大会において遠藤と再度KO-D無差別級王座防衛戦を行い、クロスアーム式ジャーマン・スープレックス・ホールドで竹下が勝利した。試合後、竹下は「実力は拮抗していた。肉体面、フィジカル面もそうだし、精神面に対してもお互い負けられない部分もあったと思う。僕の中ではエッサッサが大きかった」と直後に対戦を回顧している[9]。 10月22日、DDT後楽園ホール大会において、2018年DDTドラマティック総選挙1位を獲得した男色ディーノとKO-D無差別級王座防衛戦を行い勝利、入江茂弘の持つ連続防衛記録を更新する9度目の防衛に成功。 2018年3月25日、DDT両国国技館大会にて、石川修司とのKO-D無差別級王座防衛戦に勝利し11度目の防衛に成功。 4月29日、DDT後楽園ホール大会にて入江に敗れ、1年間保持していたKO-D無差別級王座から陥落。 12月30日、D王 GRAND PRIX2019を制覇。 2019年5月19日、KING OF DDTトーナメント2019を制覇。 2021年4月10日(日本時間)、AEWに初参戦。ケニー・オメガ、ヤング・バックス、中澤マイケルと組み10人タッグ戦に出場した[10]。 7月4日、KING OF DDTトーナメント2021を制覇、KO-D無差別級王座挑戦権を獲得。 8月21日、富士通スタジアム川崎大会にて秋山準に勝利し、5度目のKO-D無差別級王座戴冠。[11] 12月5日、D王 GRAND PRIX2021ⅡでAブロック一位の上野勇希を下し優勝。[12]リーグ戦内唯一の引き分けとなった岡林裕二を次期挑戦者に指名し、同26日、国立代々木競技場第二体育館大会にて岡林に勝利する。[13] 12月13日、プロレス大賞敢闘賞を獲得。[14] 2022年3月20日、遠藤に敗れKO-D無差別級王座から陥落。 3月27日、4月10日の後楽園大会を最後に渡米し、AEWに参戦することを表明した。 8月20日、一時帰国し大田区総合体育館大会に参戦。9月10日には地元である大阪・西成区民センターにてデビュー10周年記念興行「西成ベイブルース」を開催した。9月25日、王者である樋口和貞の指名を受けKO-D無差別王座に挑むも敗北。 11月再渡米。AEWとの所属契約を交わしDDTとAEWの二重所属となった。 2023年4月19日、AEW Dynamiteにてザ・ブラックプール・コンバット・クラブ(BCC)と抗争中のケニー・オメガの救援に現れELITEと結託。そのまま加入するものと思われたが、5月28日のAEW Double or Nothingにて試合終了間際のケニー・オメガを襲撃。BCCとの共闘を行うとともにキャリア初のヒールへと転向することとなった。 以降、ドン・キャリス率いるユニット「ドン・キャリス・ファミリー」の中心人物として活動。日本で活動を行う際にはローマ字の「KONOSUKE TAKESHITA」を用いている。 7月23日のDDT両国国技館大会ではヒール転向の真意を確かめたい上野とシングルマッチを行い、上野を圧倒する形で勝利。大会後には佐々木大輔と握手を交わし共闘を示唆した。 9月3日のAEW・ウェンブリー・スタジアム大会「ALL OUT」ではケニーとの一騎打ちを行いワガママを決め勝利。 9月9日のDDT大田区総合体育館大会で佐々木と組み上野・MAO組と対戦。上野にパイプ椅子を渡しMAOへの攻撃を差し向けるなど引き込もうとするも上野が拒否し佐々木からフォールを奪う。バックステージのMAOからの要求に応じる形で9月25日後楽園ホール大会でシングル戦を行い、MAOの奇襲にも動せず膝蹴りの応酬で下した。 11月12日のDDT両国国技館大会ではAEWにて抗争中のクリス・ジェリコと対戦。場外を含めた激戦の末ウォールズ・オブ・ジェリコに沈む。2024年2月7日のAEW Dynamiteにおいてジェリコと再戦、キャリスらの助けを得ながらウォールズ・オブ・タケシタを決めリベンジを果たしている。 2024年5月、新日本プロレスのIWGP世界ヘビー級王座がジョン・モクスリーに流出した際にベルトへの挑戦をアピール。26日のラスベガス大会「Double or Nothing」にてモクスリーとのエリミネーター戦(勝利した場合正式に王座への挑戦権を得られる)で挑み反則技も厭わない形で挑むも敗れる。 7月、新日本のリーグ戦「G1 CLIMAX 34」にエントリー。初戦でNEW JAPAN CUP優勝者の辻陽太を下すなど混戦のBブロックを5勝4敗で2位通過。決勝トーナメントでは3位の辻と再戦も敗れ敗退する。 10月12日、AEW・ワシントン州大会「WrestleDream」にてウィル・オスプレイの保持するAEWインターナショナル王座にリコシェとの3WAY戦として挑戦。キャリスや同ユニットのカイル・フレッチャーの介入による混乱に乗じる形でオスプレイをワガママで沈め王座を奪取する[15]。 2025年1月4日に東京ドームで行われた新日本・WRESTLE KINGDOM 19では鷹木信悟の所持するNEVER無差別級王座に挑戦。AEWインターナショナル王座の防衛を続けていたためダブル王座戦となったがこの試合を制して二冠に[16]。翌日のWRESTLE DYNASTYにて石井智宏を下し防衛を果たした後のコメントにてDDT・AEWに加え新日本プロレスを加えた3団体所属を発表した[17]。 タイトル歴
得意技フィニッシュ・ホールド
その他得意技
入場曲
人物・エピソード
出演ウェブテレビ
脚注
外部リンク
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