推薦国・画像 |
推薦名 |
登録基準 |
勧告 |
決議
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アルバニア
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ベラトとジロカストラの歴史地区群 - バルカン地方の保存状態の良いオスマン帝国期集落群の傑出した例証である南アルバニアの都市群*
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(3), (4)
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情報照会
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登録
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Historic Centres of Berat and Gjirokastra – Towns of southern Albania, exceptional testimonies of well-preserved Ottoman settlements in the Balkan region
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Les centres historiques de Berat et de Gjirokastra (villes du sud de l'Albanie, témoignages exceptionnels d'établissements bien préservés de l'époque Ottomane dans les Balkans)
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「ジロカストラの博物館都市」(2005年登録)の拡大登録である。ジロカストラ(ギロカストラ)は13世紀に起源を持つ要塞都市で、オスマン帝国領だった時代のモスクやバザールが残るほか、特徴的な屋根の伝統的家屋が並んでいる[39]。他方、拡大対象となったベラトの起源は紀元前4世紀だが、街並みはオスマン帝国時代のものが残されている[40]。正式登録に当たり、推薦時より簡略な「ベラトとジロカストラの歴史地区群」という名称になった。
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アルゼンチン
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ブエノスアイレスの文化的景観
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――
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不登録
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――
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Cultural Landscape of Buenos Aires
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Paysage culturel de Buenos Aires
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ブエノスアイレスは16世紀の植民都市に始まり、19世紀末から20世紀の多くの移民の流入などを経験したことから、地形と調和しつつ、多様な文化の交流を育んだ都市として推薦された[41]。しかし、数多くある類似の都市にくらべた顕著な価値を見出せないなどとして、文化遺産の諮問機関である国際記念物遺跡会議 (ICOMOS) は「不登録」を勧告した[42]。この物件は当該国が一度取り下げた後、審議総数の都合で再び議題に上りかけたが、当該国の要望で翌年の審議延期が決まった[43]。
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ブラジル
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サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場
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――
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登録延期
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情報照会
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São Francisco Square in the city of São Cristóvão
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Place São Francisco dans la ville de São Cristóvão
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ポルトガルとスペインの同君統治時代に建設されたサン・クリストヴァンには、両国の建築様式の融合が見られる[44]。その中でも政治・宗教の中心であった山の手にあるサン・フランシスコ広場は、街の歴史的建造物が集まっている場所である[45]。委員会審議では、その価値について好意的な評価も寄せられたが、管理面などの不備を理由として登録が見送られ[7]、翌年、ブラジルが議長国となる第34回世界遺産委員会で登録されることになる。
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カンボジア
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プレアヴィヒア寺院の聖地
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(1)
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登録
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登録
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The Sacred Site of the Temple of Preah Vihear
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Le site sacré du temple de Preah Vihear
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プレアヴィヒア寺院は11世紀に創建されたヒンドゥー教寺院である。周囲の自然環境とともに聖域を形成し、石造彫刻の質の高さも評価されている[16][46]。前年の第31回世界遺産委員会で登録が相当とされながら、タイとの国境問題に関わることから登録が棚上げになっていた。今回の登録では両国の合意に基づき、カンボジア領の寺院そのものだけを登録し、聖地全体の登録は先送りとする方法が採られたが、この合意へのタイの反対世論の盛り上がりが、タイとカンボジアの国境紛争につながってしまった[47]。登録名は「プレアヴィヒア寺院」、適用された登録基準は (1) である。
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中国
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福建土楼
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(3), (4), (5)
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登録
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登録
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Fujian Tulou
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Tulou de Fujian
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福建省に残る46棟の土楼が対象となっている。複数階を持ち、円形や方形に築かれたそれらの土楼は、客家が12世紀から20世紀に作り上げたものであり、防衛機能を持たせつつ、共同生活を営めるように設計されている[18][17]。山間部に築かれ、周囲に米や茶の農地が開かれており[17]、風水に基づくことで、そうした農業景観とも調和している[18]。
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クロアチア
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スタリー・グラード平原
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(2), (3), (5)
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情報照会
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登録
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The Stari Grad Plain
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La plaine de Stari Grad
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フヴァル島のスタリー・グラード平原には、ブドウやオリーブなどが栽培されてきた農地が広がっている。その起源は、紀元前4世紀にパロス島からこの島へと入植したギリシャ人たちにあり、その伝統的な農業景観が良好に保存されていることが評価された[48][49]。クロアチアでは初の文化的景観の登録である。
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キューバ
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カマグエイ歴史地区
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(4), (5)
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登録
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登録
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Historic Centre of Camagüey
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Centre historique de Camagüey
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カマグエイは、キューバの植民都市の中では最古の部類に属する。このため、後にラテンアメリカで一般化する碁盤目状の街路を基本とする植民都市とは異なり、入り組んだ路地などで構成されている[19][50]。主要な交易路から外れた場所に発達した経済的中心都市という点にも特色があり[48][50]、新古典主義建築やアール・デコなど、時代ごとの様々な様式の建造物が見られる[48][19]。
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チェコ
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ルハチョヴィツェ(英語版)の温泉保養地とその歴史的温泉関連建造物群
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――
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登録延期
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登録延期
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Spa of Luhačovice – area with a collection of historic spa buildings and spa-related facilities
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Station thermale de Luhačovice et son ensemble de bâtiments et d’équipements historiques de thermalisme
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ルハチョヴィツェは温泉保養地として19世紀から20世紀半ばに建てられた様々な関連建造物群が残っている[51]。しかし、ICOMOSは顕著な普遍的価値が示されていないことなどの諸問題を指摘し、登録延期を勧告した[52]。この勧告は、委員会審議でも覆ることはなかった。
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北朝鮮
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開城の歴史的建造物群と遺跡群
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――
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登録延期
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登録延期
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Historic Monuments and Sites in Kaesong
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Monuments et sites historiques de Kaesong
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開城市は高麗時代の首都であり、当時を偲ぶ満月台(王宮)、城壁や南大門、天文観測施設だった瞻星台、儒教の教育機関、王陵である王建王陵などが残る[53]。この推薦物件は、2013年の第37回世界遺産委員会で正式登録されることになる。
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フランス
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ヴォーバンの作品
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(1), (2), (4)
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登録
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登録
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The work of Vauban
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L’oeuvre de Vauban
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この世界遺産は、ルイ14世の時代の築城の名手セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンが手がけた防衛施設群の中でも、特に優れた12件を対象としている[21][20]。選ばれた12件は、山間部、平原、都市など、多様な条件下で建設されたものが含まれている[21][20]。彼の要塞建築は、後の世界の要塞建築への影響も非常に大きかった[21][20]。正式登録に際して「ヴォーバンの防衛施設群」 (Fortifications of Vauban / Fortifications de Vauban) と改称された。
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ドイツ
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ベルリン近代様式の集合住宅群
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(2), (4)
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登録
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登録
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Housing Estates in the Berlin Modern Style
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Cités du style moderne de Berlin
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対象は1910年から1933年に建設された集合住宅6棟で、主にワイマール共和国時代の住宅政策の革新性と結びついている[54][55]。中心的に関わったのは、ヴァルター・グロピウス、ブルーノ・タウト、マルティン・ヴァグナーなどで[54]、低所得者向けの住宅環境改善を志向した設計が反映されている[55]。後の世界の集合住宅への影響は大きく、日本の同潤会アパートもそうした一例である[55]。登録に際し、名称が「ベルリンのモダニズム集合住宅群」 (Berlin Modernism Housing Estates / Cités du modernisme de Berlin) と若干変化した。
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ハンガリー/ スロバキア
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コマールノとコマーロムにおけるドナウ・ヴァーフ合流点の要塞システム
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――
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不登録
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――
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System of Fortification at the Confluence of the Rivers Danube and Váh in Komárno – Komárom
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Système de fortifications au confluent des fleuves Danube et Váh à Komárno – Komárom
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コマールノとコマーロムはドナウ川をはさんで向かい合った都市であり、その発展は相互に結びついていた[56]。推薦されたのは、16世紀から建設され始め、19世紀までに拡充されていった様々な要塞群である[57]。しかし、ICOMOSは古い要素の残存が限定的で、多くは19世紀の要素であることなどから、不登録を勧告した[58]。これを受けて、審議前に当該国が取り下げた[59]。
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インド
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カールカー=シムラー鉄道(インドの山岳鉄道群の拡大)*
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(2), (4)
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承認
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承認
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Kalka Shimla Railway (extension to Mountain Railways of India)
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Chemin de fer de Kalka à Shimla (Extension des chemins de fer de montagne en Inde)
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ダージリン・ヒマラヤ鉄道(1999年登録)、ニルギリ山岳鉄道(2005年拡大登録)から構成されるインドの山岳鉄道群に、カールカー=シムラー鉄道が加わった。19世紀に着工されたカールカー=シムラー鉄道は、その名の通りカールカー(英語版)(ハリヤーナー州、標高656m)・シムラー(ヒマーチャル・プラデーシュ州、標高2,075m)間の96.6kmをつなぐ路線で、山岳鉄道の先駆的な事例とされている[40]。世界遺産登録名自体は「インドの山岳鉄道群」で変化はない。
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インド
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アッサム地方ブラマプトラ川の中洲マジュリ(英語版)
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――
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登録延期
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登録延期
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River Island of Majuli in midstream of Brahmaputra River in Assam
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Île fluviale de Majuli sur le Brahmapoutre en Assam
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マジュリ島には、舞踊劇サトリヤ(英語版)に代表される独自の文化を持つ僧院サトラ(英語版)があり、16世紀のヒンドゥー教改革運動でも中心的な役割を担った[60]。当初は審議件数の上限との兼ね合いでこの年の審議は見送られる予定だったが、他の取り下げ案件の都合上、一転して審議されることになった[61]。第30回世界遺産委員会では「情報照会」決議であったが、非公開の投票に持ち込まれた今回は、逆に一段階下がって「登録延期」決議となった(諮問機関の勧告は前回も今回も「登録延期」)[62]。
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インドネシア
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バリ州の文化的景観
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――
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登録延期
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登録延期
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Cultural Landscape of Bali Province
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Paysage culturel de la province de Bali
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バリ州にはバリ・ヒンドゥーの思想とも結びついたスバックという水利管理組合が存在し、そのスバックを単位として維持されているのがバリの棚田群である[63]。しかし、ICOMOSは文化的景観と位置づけることの妥当性について、厳しく判断するようになっており、この委員会での登録は見送られた[60]。2012年の第36回世界遺産委員会で登録されることになる。
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イラン
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イラン領アゼルバイジャンのアルメニア人修道院建造物群
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(2), (3), (6)
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登録
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登録
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The Armenian Monastic Ensembles in Iranian Azarbayjan
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Les ensembles monastiques arméniens de l’Azerbaïdjan iranien
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この世界遺産は、聖タデウス修道院、聖ステファノス修道院、ゾルゾル修道院の聖マリア礼拝堂の3件で構成される[64]。アルメニア正教の信仰を伝えるとともに、その建築様式には他の地域との文化交流が投影されている[64][65]。登録に際して、「イランのアルメニア人修道院建造物群」 (Armenian Monastic Ensembles of Iran / Ensembles monastiques arméniens de l'Iran) と改称された。
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イスラエル
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ダンの三連アーチ門
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――
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登録
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情報照会
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Triple-arch Gate at Dan
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Porte aux trois arches de Dan
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テル・ダンはヘルモン山の麓に位置した古代のテル(遺丘)である。そこに残されたアーチ状構造物が並んだ門は、古代の優れた技術的遺産として委員会審議でも登録が妥当と認定されたが、法的・技術的状況などの確認のために「情報照会」決議となった[59]。なお、第33回、第34回、第35回の審議でも引き続き先送りされ、第36回以降では議題から外れた。
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イスラエル
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ハイファと西ガリラヤのバハイ教聖地群
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(3), (6)
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登録
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登録
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Bahá’i Holy Places in Haifa and Western Galilee
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Lieux saints bahá’is à Haïfa et en Galilée occidentale
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19世紀に成立したバハイ教の聖地となっているハイファとアッコ周辺は、信徒たちが巡礼に訪れる地である[23]。この遺産はバーブ廟、バハーウッラー廟、新古典主義建築の研究センターなど、11か所26資産で構成されている[23][66]。
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イタリア
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マントヴァとサッビオネータ
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(2), (3)
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登録
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登録
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Mantua and Sabbioneta
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Mantoue et Sabbioneta
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この世界遺産は、ゴンザーガ家が支配し、ルネサンス理想都市(英語版)の理念を投影した2つの都市で構成される[64]。マントヴァは古くからある都市をルネサンス様式で拡充した例として、サッビオネータは16世紀に新たに建設された計画都市としての特色を備えている[64][67]。委員会審議では、既登録物件も含めて他にも多くある「ルネサンス都市」という理由でこの2都市のみを登録することへの疑問を表明する委員もいたが[68]、勧告通りに登録が認められた。
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日本
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平泉 - 浄土思想を基調とする文化的景観
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――
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登録延期
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登録延期
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Hiraizumi - Cultural Landscape Associated with Pure Land Buddhist Cosmology
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Hiraizumi – Paysage culturel associé à la cosmologie bouddhiste de la Terre Pure
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奥州藤原氏が築いた平泉の文化遺産群9件を文化的景観として推薦したものだったが、ICOMOSからは構成資産の再考と絞込みを勧告され、逆転での登録には至らなかった[69]。平泉は構成資産やアプローチを再構成した上で、2011年の第35回世界遺産委員会で登録されることになる。
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ケニア
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ミジケンダのカヤの聖なる森林群
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(3), (5), (6)
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情報照会
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登録
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Sacred Mijikenda Kaya Forests
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Les forêts sacrées de Kaya des Mijikenda
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ケニアのインド洋沿いの地域に広がる11の「カヤ」を対象としている。カヤに含まれるのは、16世紀以降ミジケンダが伝統的な文化や信仰と結びつけて培ってきた森林と集落であり、1940年代に放棄された後も、長老たちによって守られている[48][70]。前年の第31回世界遺産委員会で「情報照会」決議が出されており、今回の再審議でも勧告は「情報照会」だったが、逆転での正式登録となった。
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キルギス
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聖なる山スライマン=トー
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――
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情報照会
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情報照会
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Sulamain-Too[sic] Sacred Mountain
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Montagne sacrée de Sulaimain-Too[sic]
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スライマン=トーはキルギスのオシ近郊にある古来神聖な場所として崇拝されてきた山で、イスラームの流入によってモスクなども建てられたが、この山では伝統的な信仰も残り続けている[71]。中央アジアにしばしば見られる伝統宗教とイスラームが混在する聖なる山の優れた例証として前年の第31回世界遺産委員会で推薦されたときには「情報照会」決議となっており、今回も同様の決議にとどまった。正式な登録は翌年の第33回世界遺産委員会でのことである。
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マレーシア
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マラッカ海峡の歴史都市群 : ムラカとジョージタウン
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(2), (3), (4)
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情報照会
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登録
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Historic Cities of the Straits of Malacca: Melaka and George Town
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Villes historiques du détroit de Malacca : Melaka et George Town
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ムラカとジョージタウンは、ともにマラッカ海峡に面しており、交易上の重要拠点としての位置から、洋の東西を問わず、様々な文化的影響を受けてきた[21][72]。ムラカには、マラッカ王国がポルトガルやオランダの支配を受けたことを伝える建造物群が残り、ジョージタウンには、特に18世紀末以降にイギリスの支配を受けたことを伝える建造物群が残る[21][72]。なお、登録名称は「ムラカとジョージタウン、マラッカ海峡の歴史都市群」(Melaka and George Town, Historic Cities of the Straits of Malacca / Melaka et George Town, villes historiques du détroit de Malacca) と語順などが微調整された。
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モーリシャス
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ル・モーンの文化的景観
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(3), (6)
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登録
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登録
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Le Morne Cultural Landscape
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Paysage culturel du Morne
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モーリシャスは18世紀から19世紀にかけて奴隷貿易の中継地となっていた。ル・モーンはその時期に逃亡奴隷(マルーン)たちが隠れ住むのに使った岩山である[29][19]。岩山にはマルーンたちが共同生活を営んだ跡が残り、自由を求めた戦いや、そこで命を落とした人々の歴史を伝えている[29][37]。モーリシャスの世界遺産としては、アープラヴァシ・ガート(2006年登録)に続く2件目の世界遺産である。
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メキシコ
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サン・ミゲルの要塞都市とヘスス・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地
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(2), (4)
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登録
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登録
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Protective town of San Miguel and the Sanctuary of Jesús de Nazareno de Atotonilco
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Ville protégée de San Miguel et sanctuaire de Jésus de Nazareth de Atotonilco
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サン・ミゲル・デ・アジェンデの歴史地区は、16世紀に建設された要塞都市に起源を持ち、王の道防衛を目的としていた[29][73]。世界遺産登録にあたっては、最盛期である18世紀に建設されたバロック様式から新古典主義様式に移行する建造物群を含み、メキシカン・バロック様式の優れた例であることが評価された[29][73]。ヘスス・ナサレノ・デ・アトトニルコの聖地は、そこから14km離れた場所で18世紀に形成され、ヨーロッパ文化とラテンアメリカ文化の交流を示す優れた聖堂や礼拝堂が残されている[29][74]。
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ニカラグア
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レオン大聖堂
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――
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情報照会
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情報照会
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León Cathedral
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Cathédrale de León
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18世紀半ばから19世紀初頭に建築されたバロック様式と新古典主義様式の折衷による建物で、自然光を活用した内装にも特色がある[75]。この委員会での登録は見送られたが、2011年の第35回世界遺産委員会で正式登録されることになる。
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パプアニューギニア
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クックの初期農業遺跡
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(3), (4)
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登録
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登録
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Kuk Early Agricultural Site
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L’ancien site agricole de Kuk
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クックはニューギニア島最古の農業遺跡で、7,000年から10,000年ほど前に農耕が始まっていたこと[54][76]や、6,500年前にバナナが栽培されていたこと[77]などが判明している。クックは海抜1,500mの湿地帯にあり、土壌改良や干拓の痕跡も残っている[54][76]。独自の農業の発祥から、数千年にわたる農法の変遷を伝える重要な遺跡であることが評価され[54][76]、パプアニューギニア初の世界遺産となった。
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サンマリノ
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サンマリノの歴史地区とティターノ山
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(3)
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情報照会
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登録
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San Marino Historic Centre and Mount Titano
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Centre historique de Saint-Marin et mont Titano
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ティターノ山の頂上付近に築かれたサンマリノ市には、現存する共和国の中で世界最古といわれる13世紀以来の都市国家の街並みや防衛施設が残されている[35][78]。歴史地区には中世・近世の修道院や近代の劇場、市庁舎、聖堂などが残るが、山上に築かれたという事情から、産業革命以降の都市化の影響からは距離を置く形で存続している[35][78]。「情報照会」決議からの逆転で、サンマリノ初の世界遺産として登録を果たした。
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サウジアラビア
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アル=ヒジュルの考古遺跡(マダイン・サーレハ)
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(2), (3)
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情報照会
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登録
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Al-Hijr Archaeological Site (Madâin Sâlih)
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Site archéologique de Al-Hijr (Madain Salih)
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アル=ヒジュルは「岩だらけの場所」を意味する考古遺跡で、サウジアラビア北西部に残っている[79]。クルアーンの「アル・ヒジュル」、「夜」などにも神罰を受けた町として登場する。別名マダイン・サーレハは「預言者サーリフ(英語版)の町」という意味である[79][35]。主たる考古遺跡は紀元前1世紀から1世紀のナバテア王国のもので、北のペトラとともに同王国の遺跡としては、最大級の規模を持つ[79][35]。その建造物群は技術の高さを示しており、ことに水利技術が高度な水準にあったことを伝えている[79][35]。なお、ほかにナバテア以前の岩絵なども残されている[79][35]。
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スロバキア
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カルパティア山脈地域のスロバキア側の木造教会群
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(3), (4)
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登録
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登録
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Wooden Churches of the Slovak part of Carpathian Mountain Area
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Églises en bois de la partie slovaque de la zone des Carpates
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カルパティア山脈地域のスロバキア領内には約50棟の木造聖堂が残っているが[18]、プレショウ県、ジリナ県、バンスカー・ビストリツァ県、コシツェ県の4件に点在する8棟が対象になっている[80]。内訳はローマ・カトリック2件、プロテスタント3件、東方教会3件で、中央ヨーロッパにおいてラテン文化、ビザンティン文化の融合と地域的受容の様子を伝えるものとなっている[18][80]。
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スペイン
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スペイン北部の旧石器時代洞窟壁画(「アルタミラ洞窟」の拡大)*
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(1), (3)
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承認
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承認
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Palaeolithic Cave Art of Northern Spain (extension to Altamira Cave)
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Art rupestre paléolithique du nord de l’Espagne (Extension de la grotte d’Altamira)
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19世紀に発見され、「旧石器時代のシスティーナ」の異名をとる「アルタミラ洞窟」[81](1985年登録)に、洞窟壁画の描かれた17か所の洞窟群を拡大登録するものである[40][82]。これらの洞窟壁画は、その絶頂期にあたる35,000年前から11,000年前の優れた芸術性を伝えている[40][82]。拡大後の正式登録名は「アルタミラ洞窟とスペイン北部の旧石器時代洞窟壁画」(Cave of Altamira and Paleolithic Cave Art of Northern Spain / La grotte d'Altamira et art rupestre paléolithique du nord de l'Espagne ) となった。
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スイス/ イタリア
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レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観
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(2), (4)
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登録
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登録
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Rhaetian Railway in the Albula / Bernina Cultural Landscape
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Chemin de fer rhétique dans le paysage culturel de l’Albula et de la Bernina
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レーティッシュ鉄道のうち、20世紀初頭に開通したアルブラ線とベルニナ線が主な対象である[64]。いずれも、山間の生活状況を改善することに大きく寄与した鉄道であり、当時の技術水準が周辺の景観と調和しつつ保存されている例となっている[64][83]。世界遺産登録範囲外の景観は、緩衝地域に含まれるが、それを3段階に分類している点が特徴的である[84]。
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イギリス
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アントニヌスの長城(「ローマ帝国の国境線」の拡大)*
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(2), (3), (4)
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承認
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承認
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The Antonine Wall (extension to the Frontiers of the Roman Empire)
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Le mur d’Antonin (Extension des Frontières de l’Empire romain)
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ハドリアヌスの長城(イギリス、1987年登録)、リーメス(ドイツ、2005年拡大登録)で構成されるローマ帝国の国境線に、スコットランドのアントニヌスの長城を拡大登録したものである。アントニヌスの長城は2世紀に建造された全長60km、高さ3 - 4mの城壁だが、現在までに城壁は緑に覆われている[40]。この拡大登録には、イギリスをはじめとする5つの国が、「ローマ帝国の国境線」の拡大登録推進のために結成したグループ「ブラチスラバグループ」の活動が寄与している[85]。世界遺産としての正式登録名は「ローマ帝国の国境線」で変化はない。
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バヌアツ
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ロイ・マタ首長の領地
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(3), (5), (6)
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登録延期
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登録
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Chief Roi Mata’s Domain
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Domaine du chef Roi Mata
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1600年ごろにエファテ島に紛争の終結と社会改革をもたらした首長ロイ・マタにゆかりのある同島およびレレパ島(フランス語版)、レトカ島(フランス語版)の3島の史跡が対象である[54][31]。 エファテには今なお神聖視されるロイ・マタの住居があり[31]、レレパには彼が最期を迎えたとされるフェルス洞窟がある[54]。レトカ島は殉死者たちとともに彼が埋葬された島である[86]。これらは口承との結びつきも顕著であり、今も社会規範として受け継がれているロイ・マタの言行と関わっている[54][86]。バヌアツ初の世界遺産である。
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