走幅跳(はしりはばとび、英: long jump)は、陸上競技の跳躍競技に属する種目で、助走をつけて遠くへ跳ぶ能力を競う競技。
概要
競技の着地点は普通、安全性と記録の行いやすさから砂場となっている。その砂場にできた競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
走幅跳は、おおよそ4つの局面からなる。助走局面と踏み切り局面、空中局面及び着地局面である。その跳躍記録は、助走のスピードと高い関係があることが分かっている。
踏み切り板は、白く塗装された木で出来ており、踏み切った足がこれより前に出た場合、無効試技(ファウル)となる。なお、ウレタン舗装された全天候型の助走路の場合、選手のレベルに応じて踏み切り板の位置を変更出来る構造となっている。
1935年にジェシー・オーエンスが史上初めて8mを越えた (8m13cm)。この記録は1960年にラルフ・ボストンが8m21cmで破る[1]まで25年にわたって世界記録として残った。このボストンの更新以降の7年間は毎年のように世界記録が更新され(うち4回はボストンが更新)、1967年時点で8m35cmが世界記録であった[1]。しかし、1968年にボブ・ビーモンが、高地ながらそれまでの世界記録を55cm上回る8m90cmの跳躍をし[2]、その後23年にわたって世界記録として残った。ビーモンの記録は、1991年にマイク・パウエルが8m95cmで更新し、パウエルの記録も2023年現在まで32年破られていない。つまり、ここ55年間で1度しか世界記録が更新されていない。
義足を使う障害者スポーツでの世界記録はマルクス・レーム(ドイツ語版)の8m72であり、彼もまた9mを超えるジャンプをめざしている[3]。
古代オリンピックにおいては「ハルテーレス」という1.5から4.5kg程度のおもりを両手に持って跳躍を行っていた。
助走の距離は設けられていないが、走幅跳を行う大会は他の競技も実施するためあまり長い距離は他競技者の妨げになり失格となる[4]。1970年にアメリカの運動力学者が考案した前方宙返りを加えて跳躍するスタイルが存在したが、危険性が高いと判断され公式大会で行われるようになってから半年後の1974年8月に禁止された[5]。
日本においては1998年(平成10年)までは教育の一環として小学校、中学校での運動能力テストの種目であったが、現在のスポーツテストでは行われていない。
陸上競技における正しい表記は走幅跳であるが、学校教育や新聞記事など陸上競技関係者以外が多く関わる場面では走り幅跳びと表記されることもある。
女子は1926年夏から日本記録として公認されている。[6]
主なルール
- 試技開始の合図があってから1分以内に試技を開始しなければならない。ただし同一競技者が連続して試技を行なう場合は2分以内とする。
- 助走は助走路内であれば距離は自由。背走しても構わない。
- 助走路の外に、2個まで目印となるマーカーを置くことが出来る。
- 踏み切ってから着地するまでの間は前方宙返り以外はどんな動きをしても構わない。
- 各選手に3回の試技が与えられ、上位8番目の記録の選手にはさらに3回の試技が与えられ、合計6回の試技の中での最高記録により順位を決める。
- 4回目以降は、3回目までの記録が低い選手から先に試技を行うように試技順が変更される。
- 予選競技および混成競技においては全ての選手が3回の試技となる。「予選通過記録」が設定されている場合、それを突破した者は以降の試技を行えない。
- 予選通過記録の突破者が決勝進出の上限人数(基本は12人)に満たない場合は、突破者を含めた全体の記録の上位者が進出となる。
- 以上の項目は三段跳および投てき競技でも同様である。
- 次の場合は無効試技となる。
- 踏み切り線の前の地面に身体の一部が触れる。
- 踏み切り板 (120cm) の外側で踏み切る。
- 着地の時、競技者の身体の跡より踏み切り線に近い砂場の外側に触れる。
- 記録は、競技者の身体(普通は足)の跡のうち、踏み切り地点より最も近い地点を着地点とし、踏み切り地点からの距離を記録とする。手や尻を後ろに突いてしまった場合はその地点までの距離が記録となる。
- 1974年頃、踏み切った後、体操競技のように空中回転して跳ぶ方法が考案されたが危険であるとされたため間もなく禁止された(第185条「助走あるいは跳躍動作中に宙返りのようなフォームを使ったときには無効試技とする」)。
世界歴代10傑
エリア記録
U20世界歴代10傑
U18世界最高記録
日本歴代10傑
U20日本歴代10傑
高校歴代10傑
高校学年別歴代記録
中学歴代10傑
中学学年別歴代記録
五輪・世界選手権における日本人入賞者
- 1932年ロサンゼルスオリンピックで南部忠平が3位となり、この種目で初のメダリストとなった。1932年ロサンゼルスオリンピックで南部忠平と1936年ベルリンオリンピックで田島直人がそれぞれ3位で、オリンピック・世界陸上を通じて日本人男子選手の最高位の成績である。
脚注
- ^ a b https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=false&firstDay=1960-01-01&lastDay=1968-12-31
- ^ https://worldathletics.org/records/all-time-toplists/jumps/long-jump/outdoor/men/senior?regionType=world&windReading=regular&page=1&bestResultsOnly=true&firstDay=1900-01-01&lastDay=1968-12-31
- ^ Journal of the Society of Mechanical Engineers 95 (888): 1033. (1992). doi:10.1299/jsmemag.95.888_1033. ISSN 2424-2675. http://dx.doi.org/10.1299/jsmemag.95.888_1033.
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 10』講談社、2004年。
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 11』講談社、2005年。
- ^ 陸上競技マガジン1999年記録集計号329p
関連項目
外部リンク
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