「阪神タイガースの歌 」(はんしんタイガースのうた)、通称 「六甲おろし 」「六甲颪 」[ 注 1] (ろっこうおろし)は、日本野球機構 (NPB)のセントラル・リーグ に所属する阪神タイガース の球団歌である[ 2] 。作詞・佐藤惣之助 、作曲・古関裕而 。
1936年 (昭和 11年)に「大阪タイガースの歌 」(おおさかタイガースのうた)の表題で発表された後、1961年 (昭和36年)に球団名を「阪神 タイガース」へ変更したことに伴い改題と歌詞の一部改訂が行われ、現在に至る[ 3] 。NPBの現存12球団における現行の楽曲としては最古、かつ戦前 から歌い継がれている唯一の球団歌である[ 3] 。
変イ長調 またはト長調 [ 注 2] 。
概要
1936年(昭和11年)の日本職業野球連盟 結成時から現在まで、タイガースの球団歌として歌い継がれている。「史上最古」もしくは「プロ野球 初」のように紹介される場合も少なくないが、実際に日本のプロ野球チームで最古の球団歌は1920年 (大正 9年)から1924年 (大正13年)まで活動した日本運動協会 が1922年 (大正11年)に作成した「日本運動協会野球歌 」であり[ 4] 、日本職業野球連盟の結成時から現存する4球団(巨人 、阪神、中日 、オリックス )中では「大阪タイガースの歌」発表から6日前の1936年3月19日 に中日の前身である名古屋軍の公式応援団発会式で初演奏が行われた「名古屋軍応援歌 」が最初とされる[ 5] 。よって「プロ野球チームの球団歌」としては3番目となり、NPBの現存球団が制定したものでも「最初」とは言えないが、前2曲は現行でないのに加え楽譜 が散逸しているため「現存する最古の球団歌」が「阪神タイガースの歌」であることに変わりはない[ 6] 。
NPBの現行12チームの球団歌としては群を抜く知名度で、野球協約 上の保護地域 である兵庫県 はもとより近畿地方 全域で幅広く愛唱されて来たが1985年 (昭和60年)の優勝・日本シリーズ制覇 以降は全国的に知れ渡るようになり[ 7] 、古関裕而が作曲したスポーツ音楽としては「紺碧の空 」や「栄冠は君に輝く 」「オリンピック・マーチ 」などと並ぶ代表作の1曲に挙げられている[ 8] [ 9] 。2020年 (令和 2年)に福島民報社 が企画したベスト・アルバム 『あなたが選んだ古関メロディーベスト30』(COCP-41121〜41122)の人気投票では6位にランクインし、巨人の現行(3代目)球団歌「闘魂こめて 」(21位、1963年 )や中日の旧「ドラゴンズの歌 」(14位、1950年 )を抑えプロ野球の球団歌としては最高位となった[ 10] 。巨人OBで2003年 (平成 15年)の日本シリーズ においてはダイエー(現:ソフトバンク )の監督 として阪神と対戦した王貞治 は「『六甲おろし』はリズム感があって良い歌なんだ。相手の応援歌なんだけど、実はこっちも励まされていた」「古関さんの応援歌はスポーツをしている人を元気づけようという思いがあふれているからね」と評している[ 9] 。
古関は上記の3曲以外に「大阪タイガースの歌」の発表から3年後となる1939年 (昭和14年)に制定された巨人の初代球団歌「野球の王者 」[ 3] [ 11] 、また2リーグ分裂 初年となる1950年(昭和25年)には旧「ドラゴンズの歌」の他にパシフィック・リーグ 初代連盟歌「おおわがパシフィック」[ 12] [ 注 3] 、東急→東映フライヤーズ 球団歌「フライヤーズの歌 」[ 注 4] 、さらに時期は不詳(1949年 - 1956年 の間)ながら大映スターズ の球団歌(作詞者不明)を作曲している[ 13] 。
歌詞
歌詞は1992年 (平成4年)12月31日 に著作権の保護期間 を満了し、パブリックドメイン となっている。旋律は日本コロムビアの管理楽曲 となっており、演奏に際しては専属開放申請が必要である。
一、
六甲颪 ( ろっこうおろし ) に 颯爽 ( さっそう ) と
蒼天翔 ( そうてんか ) ける 日輪 ( にちりん ) の
青春 ( せいしゅん ) の覇気 ( はき ) 美 ( うるわ ) しく
輝 ( かがや ) く我 ( わ ) が名 ( な ) ぞ 阪神 ( はんしん ) タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神 ( はんしん ) タイガース
フレ フレフレフレ
二、
闘志溌剌 ( とうしはつらつ ) 起 ( た ) つや今 ( いま )
熱血既 ( ねっけつすで ) に 敵 ( てき ) を衝 ( つ ) く
獣王 ( じゅうおう ) の意気 ( いき ) 高 ( たか ) らかに
無敵 ( むてき ) の我等 ( われら ) ぞ 阪神 ( はんしん ) タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神 ( はんしん ) タイガース
フレ フレフレフレ
三、
鉄腕強打 ( てつわんきょうだ ) 幾千度 ( いくちた ) び
鍛 ( きた ) えてここに 甲子園 ( こうしえん )
勝利 ( しょうり ) に燃 ( も ) ゆる 栄冠 ( えいかん ) は
輝 ( かがや ) く我等 ( われら ) ぞ 阪神 ( はんしん ) タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神 ( はんしん ) タイガース
フレ フレフレフレ
作詞:佐藤惣之助(左) / 作曲:古関裕而(右)
現行の歌詞に至るまでの作詞には紆余曲折があり、そのうちの初稿版は藍川由美 が『「栄冠は君に輝く」〜古関裕而 作品集』(CMCD-28023)のトラック7で歌っている[ 14] 。
1961年 (昭和36年)、タイガースの親会社である阪神電気鉄道 は甲子園球場 が所在する西宮市 を含む兵庫県南東部の阪神間 (大阪市 と神戸市 の間)における地域密着志向を打ち出し[ 注 5] 、球団名を「大阪タイガース」から「阪神タイガース」に変更した[ 15] [ 注 6] 。合わせて球団歌も「阪神タイガースの歌」へと改題され、この時に原詞の「オウ オウ オウオウ 大阪タイガース」の部分も「阪神タイガース」へ改訂されたが[ 11] 、作曲者の古関は後年に「オウから大阪へ移っていく箇所の言葉の響き、語感の盛り上がりからいえば、以前のものの方により以上の懐かしさを感じる」と原詞を惜しむ旨の発言を残しており[ 11] 、サンケイスポーツ の取材に対しても「最後のリフレインで、『オウ オウ オウ オウ オーサカ・タイガース』と歌うのが韻を踏んでいて良かった」と述べている[ 16] 。
正式な歌詞ではないが、甲子園球場では前奏が流れるのに合わせて「強い 強い 阪神タイガース 」と歌うファンが多い。
沿革
川崎信用金庫 本店前の歌詞ボード(神奈川県川崎市 )
作成経緯
大阪タイガースの歌 (1955年刊『輸送奉仕の五十年』阪神電鉄 臨時社史編纂室編)
1935年(昭和10年)末の球団発足後にオーナー企業の阪神電気鉄道社内で球団名の案を募集し、「タイガース」に決定したことが翌1936年(昭和11年)1月10日 に発表された[ 17] 。球団名決定と合わせ、昭和初期に社会人野球 の強豪として名を馳せたコロムビア野球部 に所属していた若林忠志 の入団発表も行われたが、若林の母校であるハワイ のマッキンレー・ハイスクール (英語版 ) が虎 を意匠に取り入れていたことから同校の先輩で法政大学 のアメリカンフットボール 部創設に尽力した保科進 に依頼し、母校のものをベースにした虎が吼える図案の提供を受けた[ 17] 。この図案は同年3月25日 に甲子園ホテル で関西在住の各界名士らを招いて行われた球団の激励会でプログラムに印刷され、阪神電鉄社員でデザイナーの早川源一 による補正を経て変わらず使用され続けている[ 17] 。この時のプログラムに虎の意匠や監督・選手の布陣と合わせて印刷されたのが、後々まで「六甲おろし 」の通称で親しまれ続ける「大阪タイガースの歌 」全3番の歌詞であった。
若林忠志。コロムビア社員時代の人脈を生かし、佐藤と古関に球団歌作成を依頼したとみられる。
若林は日本コロムビア (株式会社日本蓄音機商会)の野球部で活動する傍ら、社員として営業部に属していた人脈を生かし「赤城の子守唄 」でヒットメーカーの仲間入りを果たしていた詩人 の佐藤惣之助に作詞を、またコロムビア専属で早稲田大学 の応援歌「紺碧の空」や読売新聞社 の主催事業として1934年 (昭和9年)に行われた日米野球 のテーマ曲「日米野球行進曲 」などスポーツ音楽の分野で定評を確立しつつあった古関裕而に作曲をそれぞれ依頼したとみられている[ 18] 。2020年 (令和2年)6月22日にNHK で放送された『エール 』(古関がモデルの「古山裕一」を主人公に設定した連続テレビ小説 )第61話では、「大阪タイガースからの依頼で球団歌を作曲した」という古関の実話がストーリーに盛り込まれた関係で、阪神OBの掛布雅之 がタイガースの幹部役で「大阪タイガースの歌」を熱唱するシーンが流れた[ 19] 。
佐藤は神奈川県 、古関は福島県 出身で両名ともタイガースが本拠とする関西と地縁のある人物ではなく、井上章一 はプロ野球のシーズンが開催される夏に吹くのは殆どが浜風であることを踏まえ「佐藤は、阪神地方の気候について詳しくなかったのだろう」と指摘しているが[ 20] 、1930年代 の職業野球草創期には大学野球 に近い年2シーズン制 が採り入れられており、優勝チーム同士で行われる年間優勝決定戦が12月初め頃に開催されたため、シーズンを戦い抜いたチームを讃える歌詞としては適当であったと言える[ 注 7] 。なお佐藤は「大阪タイガースの歌」を作詞する10年余り前の秋、すなわち六甲山地 から南東に向かって六甲颪 が吹き降ろす時期に阪神間を訪れ、甲子園球場から北東へ10km弱とほど近い兵庫県川辺郡 伊丹町 (現在の伊丹市 )の墨染寺 にある江戸時代 の俳人 ・上島鬼貫 の墓に花を手向けたことを1924年(大正13年)刊行の詩集『水を歩みて』で記している[ 21] 。
激励会の参加者には、記念品として奥山貞吉 の編曲でA面 に中野忠晴 とコロムビア合唱団が歌う「大阪タイガースの歌」、B面にコロムビア管弦楽団演奏で一部にA面曲と共通の旋律を用いたインストゥルメンタル 「大阪タイガース行進曲」を収録したSP盤 (A-305)が贈呈された[ 22] 。このレコードはコロムビアに製造を委託したプライベート盤のため一般流通はしておらず、製造枚数は200〜300枚と推定される[ 1] [ 22] [ 23] 。コロムビアはもとより阪神球団の事務所やNHK大阪放送局 、在阪ラジオ各局も所蔵していなかったため、長らく“幻の1枚”として扱われて来たが、1999年 (平成 11年)にレコード・コレクターの個人所蔵盤が地元紙の神戸新聞 で紹介された[ 22] 。2003年(平成15年)にはコレクターからの提供を受けてアルバム 『阪神タイガース 選手別応援歌 2003』(COCP-32157)への収録で復刻・CD 音源化が実現し[ 1] 、2000年代 後半からは『野球ソングス 大定番と貴重盤』(COCP-36066)など各種のコンピレーション・アルバム や『国民的作曲家 古関裕而全集 』(COZP-375〜381)のディスク5を始めとする古関裕而作品のベスト・アルバム でも採録されるようになっている。
歌唱史
前述の通り1936年(昭和11年)の中野忠晴による創唱を吹き込んだSP盤は一般流通しなかったため[ 注 8] 、1リーグ時代から2リーグ分裂後の1960年代 までは阪神ファン の間でもそれほど広く愛唱されていた訳ではなかった。
1リーグ時代
球団草創期は中学野球 や大学野球 、その中でも特に六大学野球 の方が人気が高く職業野球は一段低く見られていたため、鉄道会社や新聞社 を母体とするプロ球団の応援を担ったのは社会人野球 の延長線上でオーナー企業の社員により組織された応援団 であった。阪神電鉄では9月12日に甲子園庭球会館 で「大阪タイガース後援会」を組織しており、100~200名の会員が現在で言うファンミーティングを行ったり選手と机を並べてカレーライス を食べるなどの親睦行事を開催した後に「大阪タイガースの歌」を斉唱していたという[ 24] [ 25] 。また、地元で競合関係にあった阪急軍とリーグ戦外で甲子園と宝塚球場 を会場とする「阪急軍・タイガース定期野球戦」を開催したが[ 26] 、1936年9月14日 付の関西中央新聞では宝塚球場においてタイガース応援団が「大阪タイガースの歌」、阪急野球団後援会が「阪急職業野球団応援歌 」を互いにスタンドから熱唱する応援合戦のヒートアップぶりを報じている[ 27] 。
「阪神」への改題と普及
コロムビアでは1961年(昭和36年)の球団名変更に合わせて若山彰 とコロムビア合唱団による新録のカバー (PRE-1133)を製作し、このカバー盤が甲子園球場での阪神戦開催時に演奏されるようになったが、朝日放送 (ABC)アナウンサー の中村鋭一 が球場へ通い詰めて歌を覚え1971年 (昭和46年)以降のプロ野球シーズンで阪神が公式戦で勝利した翌朝にABCラジオ の生ワイド番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です 』で歌唱するようになった[ 28] 。同番組が近畿広域圏で高い聴取率 を獲得したこと相まって1970年代 半ばには多くのファンから歌の存在が認知されるようになり[ 22] 、この伝統は後継番組(『おはようパーソナリティ道上洋三です 』→『おはようパーソナリティ小縣裕介です 』『おはようパーソナリティ古川昌希です 』)へ引き継がれている。広く知られる通称の「六甲おろし 」も、中村が歌い出しの部分から考案したとされる[ 28] [ 注 9] 。1972年 (昭和47年)にはテイチクレコード が中村の歌唱によるカバー盤(初回盤A-89、再発盤RS-96)を発売し、1974年 (昭和49年)に10万枚以上のヒットを記録[ 22] 、1991年 (平成3年)にはCDシングル (TEDA-15278)でも再発されている。その一方で、『おはようパーソナリティ』の歴代パーソナリティのうち、道上と小縣は原曲の歌詞に存在しない(自身やリスナーの創作による)「4番」や「5番」まで生放送中に歌い上げることがある。
立川清登のカバー
1980年 (昭和55年)にはビクター音楽産業(のちJVCケンウッド・ビクターエンタテインメント )が立川清登 の歌唱で“球団公認盤”と銘打って変イ長調、小沢直与志 の編曲によるシングル盤 (17VP-2071)を発売し、このバージョンが球場で流されるようになった。21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本シリーズ制覇を達成した1985年(昭和60年)には関西のみならず全国的なフィーバーで古関の代表曲としても知れ渡るようになり[ 29] 、1992年 (平成4年)には「六甲おろし 阪神タイガースの歌 」の表題でシングルCD(VIDG-10007)として再発されてファンの間で“正調”の扱いを受けてきたが[ 注 10] 、1999年 (平成11年)に廃盤となった。その後、ファンの待望の声に応えて2005年 (平成17年)にビクターから期間限定で発売されたコンピレーション・アルバム『大阪ソウルバラード2005』(VICL-61769)に収録され、2015年 (平成27年)には立川のベスト盤『愛唱歌をどうぞ』(VICL-70153)のボーナス・トラック となっている。
2023年 (令和5年)には5月から阪神が首位を独走 し、18年ぶりの優勝への期待が高まっていた中で立川版が配信限定シングルとしてリリースされた[ 30] 。
1990年代以降
球場で立川の歌が使われなくなってからは、1992年(平成4年)にコロムビアが発売したCDアルバム『'92阪神タイガース選手別応援歌ヒッティング・マーチ集』(COCA-10157)に収録された唐渡吉則 歌唱のバージョンが代用された[ 注 11] 。このバージョンでは、"正調"のメロディーに歌謡曲風(ト長調)のアレンジを施すことによって、行進曲風の調子が和らげられていた。もっとも、阪神球団から主催試合におけるテレビ・ラジオの中継権を与えられていた放送局のうちの1局(当時はテレビとラジオの兼営局 だった毎日放送 )が制作に関わっていたため、球場内では伴奏だけを収録したカラオケ音源を流している[ 注 12] 。なお、阪神甲子園球場では、球団のマスコットであるトラッキーのアニメーション とともに、歌詞がスコアボードに映される。ソフトバンク、楽天、ロッテ、および阪神を除くセ・リーグ5球団のビジターゲームにおいて7回攻撃前に流れる「六甲おろし」は、これまで通り前述の唐渡の歌唱バージョンが流れている[ 注 13] 。
「六甲おろし」の歌唱音源は、朝日放送テレビが製作に関与している阪神球団の公式ドキュメンタリー映画でも使用。上映する映画館の一部では、上映中に流れる「六甲おろし」に合わせた観客の歌唱を、「応援上映」と称する上映回に限って特別に認めている。ちなみに、2020年(令和2年)2月14日から2週間限定で公開された球団創設85周年記念映画『阪神タイガース THE MOVIE 〜猛虎神話集〜』(製作:『TIGERS THE MOVIE』製作委員会、配給:KADOKAWA )では、2017年 (平成29年)に87歳で永眠した中村が生前に歌唱したバージョンの音源を使用。その一方で、阪神タイガースの18年振りセントラル・リーグ 優勝を受けて2023年 (令和5年)12月15日から日本各地の映画館で公開されている『阪神タイガース THE MOVIE2023 〜栄光のARE〜』(制作:ベスティ /G・G 、配給:ティ・ジョイ )では、唐渡による歌唱音源を流している。
アーティスト
肩書・所属はいずれも最初の収録時点。
「大阪タイガースの歌」として
「阪神タイガースの歌」改題後
みんなで六甲おろし
甲子園球場や京セラドーム大阪 の阪神主催試合で、2016年からスコアボードに流される「六甲おろし」の映像は、「みんなで六甲おろし」と銘打って、阪神ファンの各界著名人がリレー方式で歌っているように編集されている。
2016年には、西川貴教 (歌手)がメインボーカルを務めた映像を、レギュラーシーズンの開幕戦(3月25日に京セラドーム大阪で催された対中日ドラゴンズ 戦)から第1弾として使用[ 34] 。6月28日の対横浜DeNAベイスターズ 戦(甲子園)からは、Char (ギタリスト)がリードギターを演奏したバージョンと水樹奈々 (声優・歌手)がメインボーカルを務めたバージョンを追加するとともに、前述の第1弾と合わせて3つのバージョンをシーズン終了までランダムで使用した[ 35] 。
2019年には、阪神ファンの著名人に加えて、在阪民放テレビ局 およびサンテレビジョン のアナウンサーや情報番組への出演者(いずれも当時)も参加。2018年版までと違ってメインボーカルを置かず、出演者全員が歌唱する映像を放送局単位のリレー方式で組み合わせていた。また、女性陣のみで構成される「TORACOバージョン」も製作。「TORACO DAY」と銘打った5月11日の対中日戦(甲子園)限定で流された。
阪神球団の創立85周年に当たる2020年(令和2年)には、「阪神ファンのミュージシャンが『タイガースバンド』を結成した」という設定で、5人のミュージシャンが85周年記念仕様のレプリカユニフォームを身にまといながら「85th Special Edition六甲おろし」を演奏した映像を制作。以上の設定によって復活したリードボーカルに、水樹と岡崎体育 (シンガーソングライター)が起用された。この年は、新型コロナウイルス感染拡大 の影響でNPB レギュラーシーズンの開幕が当初の予定から約3ヶ月遅れたことを背景に、甲子園球場でのホーム開幕戦に当たる7月7日の対巨人戦から放映を開始。ただし、阪神球団では上記の影響を踏まえて、放映の如何にかかわらず場内で観客が声を張り上げて「六甲おろし」を合唱する行為を2022年まで禁止していた[ 36] 。なお、2021年放映のバージョンでは、岡崎と丘みどり (兵庫県姫路市 出身の演歌歌手)がツインボーカルを担当。2022年には3 - 7月期に出演者が毎月変わる歌唱映像を上映しているが、球団のtwitter 公式アカウント上で実施する出演者予想のシルエットクイズ(応募したうえで予想を的中させたtwitterユーザーに球団公認の応援グッズを進呈する企画)と連動していることから、出演者の氏名・芸名はシーズン中の毎月末にクイズの正解を発表するまで伏せられていた。この企画は、場内における「六甲おろし」の合唱が条件付きで解禁される2023年も、レギュラーシーズンの開幕当初(3 - 4月期)から実施する。
2016年版
リードボーカル・リードギター
VTR出演
2017年版
リードボーカル
VTR出演
2018年版
リードボーカル
VTR出演
2019年版
VTR出演
アナウンサー
2020年版(タイガースバンド)
リードボーカル
その他のメンバー
2021年版
リードボーカル
VTR出演
2022年版
VTR出演
2023年版
VTR出演
3 - 4月期:丘みどり、はっとり(マカロニえんぴつ)
5月期:TAKUMA(10-FEET)、川上千尋・坂下真心・平山真衣 (NMB48)
6月期:岡崎体育、渡部優衣
7月期:水樹奈々、新羅慎二 [ 注 15]
8月以降は、上記の人物が一堂に会した「オールスターバージョン」の映像を放映。
パロディ
広く世間で知られている本曲は数多くのパロディが存在する。
ゲーム
スーパーファミコン ソフト『初代熱血硬派くにおくん 』では、「おおさか でんてつ こうしえん えき 」のマップで六甲おろしをアレンジした楽曲が流れる。
スーパーファミコンソフト『制服伝説 プリティ・ファイター 』および、その移植版であるセガサターン ソフト『制服伝説 プリティ・ファイターX』においては、本作の登場キャラクターである緑川みなみが阪神ファン という設定であり、「大阪・道頓堀 ステージ」において六甲おろしをアレンジした楽曲が流れる。
アニメ
テレビアニメ『ポケットモンスター 』第118話「ルーキーのチコリータ!」(1999年10月21日放送)において、阪神タイガースのパロディ球団であるコガネエレブーズ[ 注 16] の応援歌として、六甲おろしのパロディであると思われる『エレブーズの歌[ 注 17] 』が作中キャラのナナコによって歌唱されている。
脚注
注釈
^ 本楽曲の通称の表記としては「六甲おろし」、「六甲颪」ともに用いられており、公刊された書籍・雑誌でも両方の表記がみられる。「六甲颪」という表記の例としては、岡田久雄『阪神電車』JTBパブリッシング、2013年、73頁。ISBN 978-4-533-09233-6 がある。JASRAC 公式サイトの「作品データベース検索サービス」においては、「阪神タイガースの歌」が正題、「六甲おろしに」「六甲おろし」「六甲颪に」「六甲颪」「一万人の六甲おろし」「ROCK黄WIND」「大阪タイガースの歌」が副題として登録されている(作品コード:067-6107-1)。
^ 現在ホームゲーム勝利時に流れるものは変ト長調 、応援団の演奏は変イ長調。
^ 1978年 (昭和53年)に現行の「白いボールのファンタジー 」制定を受けて廃止。
^ 1967年 (昭和42年)に旋律を改訂。
^ 1952年 (昭和27年)に野球協約で地域保護権の明文化を実施した際に、球団の保護地域が甲子園の所在する兵庫県に設定されたため「大阪タイガース」の名称が実情にそぐわなくなったことも背景にある。なお2005年 (平成17年)から2007年 (平成19年)の3年間は、オリックスと近鉄 の合併による暫定措置として大阪府 が保護地域に含まれていた。
^ ただし戦前から大阪近郊を拠点とする阪急や南海との区別もあり「大阪」でなく「阪神」が通称とされることが多かった。また、二軍 は一軍に先立って1954年 (昭和29年)の新日本リーグ 発足時に「阪神ジャガーズ」へ改称し、1957年 (昭和32年)より「阪神タイガース」を正式名称としている。
^ 秋の到来を「覇者が決まる季節」とする趣旨は1939年(昭和14年)制定のライオン軍 「制覇に進む若き獅子 」など他の球団歌でも見られる。
^ 1940年(昭和15年)の時点で日本職業野球連盟に属していた9球団は全て球団歌を制定していたが、レコードが作成されたのは阪神の他に巨人の「野球の王者」と東京セネタース の球団歌 の3枚に留まり、一般流通に乗せられたのは「野球の王者」(二葉あき子 「若人の丘」のB面曲扱い)のみであった。
^ 井上(2001), p320で中村は「一番のうたいだしから、私が勝手に命名しました」と証言している。
^ 日本テレビ 『ズームイン!!朝! 』のプロ野球いれコミ情報 コーナーでも、阪神情報を伝える際のBGM に、同音源のインストゥメンタル が使用された。
^ 翌1993年 (平成5年)に「六甲おろし」の表題でシングルカット(COSA-316)。
^ ただし、倉敷マスカットスタジアム など、オーロラビジョンのない地方球場主催の場合は、歌詞つきとなる。また、ビジター球場で流される場合は、多くの場合唐渡版・歌詞つきである
^ 2017年までの巨人主催東京ドーム での試合のラッキー7は応援団が演奏していた。それ以外はインストゥメンタル。一方オリックスの主催の試合では甲子園などでの阪神主催試合のジェット風船 時のBGMが流れる。
^ 以来、2003年 (平成15年)発売の『阪神タイガース選手別応援歌2003』まで、日本コロムビアから発売のCDアルバム『阪神タイガース選手別応援歌』シリーズにおいて、必ず収録された('97年版までは、初出の音源。'98年版以降は、甲子園バージョンというアレンジバージョンを収録)。
^ 若旦那(湘南乃風)の本名で、2018年からソロ活動で使用。
^ 本アニメではエレブーズの他にも、横浜ベイスターズ (当時)のパロディであるスターミーズや広島東洋カープ のパロディであるコイキングスの存在が明言されている。
^ 『エレブーズの歌』の歌い出しは「スリバチやまの 風に乗り」であり、山風に関する歌い出しであることから六甲おろしのパロディだと考えられる。
出典
^ a b c d 阪神タイガース 選手別応援歌 2003 、日本コロムビア - 2021年4月4日閲覧。
^ “「六甲おろし」の作曲者 故古関裕而さんも特別表彰で野球殿堂入り 阪神球団「共に歩む」” . デイリースポーツ online (株式会社デイリースポーツ). (2023年1月13日). https://www.daily.co.jp/tigers/2023/01/13/0015962258.shtml 2023年1月13日 閲覧。
^ a b c 上杉純也. “中日の“お前”騒動で話題の応援歌。各球団ヒット応援歌の意外なトリビア” . 日刊SPA! (扶桑社 ). https://nikkan-spa.jp/1588254 2022年2月27日 閲覧。
^ 佐藤(1986), p84
^ “【プロ野球】応援歌の元祖は中日だった?” . mimi-yori (アンサンヒーロー). (2020年4月2日). https://mimi-yori.com/entry/baseball/trivia_oenka 2022年2月27日 閲覧。
^ “巨人・闘魂こめて! 阪神・六甲おろし! 共に古関裕而の『名曲』” . 福島民友 . (2020年6月22日). https://www.minyu-net.com/serial/koseki/FM20200622-509537.php 2022年2月27日 閲覧。
^ “古関裕而氏とプロ野球応援歌 ”. 福島市古関裕而記念館 . 2022年2月27日 閲覧。
^ 梅津有希子 (2020年6月23日). “『栄冠は君に輝く』『六甲おろし』も。スポーツ音楽王・古関裕而、傑作十選。” . Number Web (文藝春秋 ). https://number.bunshun.jp/articles/-/843978 2022年6月27日 閲覧。
^ a b “【古関裕而生誕110年】王貞治氏、中畑清氏に聞く 元気もらった応援歌” . 福島民友 . (2019年8月12日). https://www.minyu-net.com/serial/koseki/FM20190812-406463.php 2022年2月27日 閲覧。
^ あなたが選んだ古関メロディーベスト30
^ a b c “巨人と阪神の応援歌、実は同じ人が作曲 5千曲作った古関裕而とは” . withnews (朝日新聞社 ). (2014年10月15日). https://withnews.jp/article/f0141015001qq000000000000000W00f0501qq000010961A 2022年2月27日 閲覧。
^ 尾崎(2021), p225
^ 尾崎(2021), p247
^ 「栄冠は君に輝く」〜古関裕而 作品集/藍川由美 (カメラータ・トウキョウ)
^ 菊池(2021), p314
^ a b 斎藤秀隆 (2009年2月23日). “(10)阪神タイガースの歌 愛され今日も歌い継がれる” . 福島民友 . https://www.minyu-net.com/serial/koseki/0323/koseki10.html 2021年1月17日 閲覧。
^ a b c 内田雅也 (2019年1月19日). “時を超え、西勇輝に伝わった猛虎魂――ハワイのトラで交わった若林忠志との縁” . スポーツニッポン . https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/01/19/kiji/20190119s00001173183000c.html 2022年2月27日 閲覧。
^ 菊池(2021), pp28-30
^ “<エール>掛布雅之氏、“大阪タイガース”球団幹部役で出演! 六甲おろし熱唱で「掛布さん」トレンド入り” . WEBザテレビジョン (KADOKAWA). (2020年6月22日). https://thetv.jp/news/detail/236451/ 2022年2月28日 閲覧。
^ 愛媛新聞 、2014年5月19日付19面「こころの森」。
^ “伊丹にきていた「六甲おろし」の作詞者 佐藤惣之助さん 伊丹シティホテル南側の児童遊園地に歌碑 ”. 『いたみティ』Vol.57(2003年10月), p11 . 伊丹経済交遊会. 2022年2月27日 閲覧。
^ a b c d e f g 神戸新聞、1999年2月21日付17面「関西発レコード120年 第8部・総集編(7)六甲おろし」。
^ 神戸新聞、2003年9月15日付6面「あ・ん 元祖『六甲おろし』」。
^ 阪神電気鉄道株式会社臨時社史編纂室 編『輸送奉仕の五十年』阪神電気鉄道株式会社、1955年、128頁。国立国会図書館書誌ID :R100000002-I000000937833 。「《タイガース後援会を結成》タイガースびいきの人達の応援もスタンドのみではもの足りなくなったので、昭和十五年九月十二日タイガース後援会をつくり、甲子園庭球会館で発会式を挙げた。この会合にはいろいろの人が毎回百人から二百人ほど集まって来られ、甲子園のクラブハウスでライスカレー程度であったが選手達と一緒に食事をして、お互いに希望をいったり、話をしたり、皆が打解けてタイガースの歌を歌ったりしたものである。」
^ 30年史(1964), p102
^ 内田雅也 (2020年12月13日). “【内田雅也が行く 猛虎の地】「伝統の一戦」阪神-阪急の舞台 「西の早慶戦」を目指したライバル” . スポーツニッポン . https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2020/12/13/kiji/20201212s00001173506000c.html 2022年11月15日 閲覧。
^ 阪急電鉄(1987), p357
^ a b “選手とファンの合言葉 「六甲颪」” . 産経ニュース (産経新聞社 ). (2015年9月22日). https://www.sankei.com/article/20150922-YOQFNMDF7VKWJJUL3QYZNA4CPY/ 2022年2月7日 閲覧。
^ “「六甲おろし」は「阪神タイガースの歌」じゃなかった!? 本人にとっても「思い出の曲」の古関メロディー” . デイリースポーツ . (2020年6月12日). https://www.daily.co.jp/society/life/2020/06/12/0013419269.shtml 2022年2月27日 閲覧。
^ “六甲おろし 〜阪神タイガースの歌〜 ”. JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント. 2023年12月31日 閲覧。
^ 阪神の前身・大阪タイガースの歌 レコード発見(神戸新聞、2010年4月15日付夕刊8面) - ウェイバックマシン (2010年4月18日アーカイブ分)
^ 伝説のオマリー「六甲おろし」が20年ぶり復刻発売! (『BASEBALL KING』2014年 8月24日 付記事)
^ 好調阪神、“究極の応援歌”が登場や~! 、ZAKZAK、2003年6月13日。
^ 【阪神】「六甲おろし」も超変革! 著名人が映像でエール 報知新聞 2016年3月22日
^ 『みんなで六甲おろし』にCharさん、水樹奈々さんが登場!〜新たに2バージョンが完成〜 ,阪神タイガース公式サイト 2016年6月27日
^ 『みんなで六甲おろし 2020』〜今年はバンドバージョン!〜 阪神タイガース公式サイト 2020年7月3日
^ 『みんなで六甲おろし 2017』〜今年も豪華有名人が続々登場!〜 ,阪神タイガース公式サイト,2017年3月16日
^ 『みんなで六甲おろし2017』に〜NMB48山本彩さんが新登場!〜 ,阪神タイガース公式サイト,2017年5月26日
参考文献
pp208-250, 尾崎正峰『第7章 「オリンピック・マーチ」が鳴り響いた空』
関連項目
外部リンク
球団 本拠地 文化 マスコット 球団歌・応援歌 永久欠番 日本一(2回) クライマックスシリーズ優勝(2回) リーグ優勝(10回) できごと
現在出演中の番組
過去に出演した番組
主な出演映画 関連項目 関連人物
カテゴリ
ディスコグラフィー
シングル 配信限定
1. yonder
2. イチリンソウ (La Felix Remix)
3. Don't hold me back
4. Homeward (Bit Funk Remix)
5. 君とフィルムカメラ (Jazztronik Remix)
6. Larimar (Daul Remix)
7. ゼロ ユニバース (edbl Remix)
8. あいまって。
アルバム
ソロ楽曲 センター曲 参加楽曲 楽曲提供 映像作品 出演(○は出演中)
関連項目 関連人物