1978年の日本ハムファイターズ(1978ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1978年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の3年目のシーズンである。
概要
就任3年目に向けて「今年こそAクラス入りする」と意気込む大沢監督は南海から柏原純一を、大洋から間柴茂有と杉山知隆をそれぞれ交換トレードで獲得するなど戦力再編に着手した。投手陣では、それまでのダブル高橋(高橋直樹・高橋一三)に加え、野村収との交換で獲得した間柴や前年広島から移籍の佐伯和司など先発陣が充実。打撃陣でもルーキーの古屋英夫が三塁のレギュラーを獲得し、また1年目から一軍に出場していた島田誠は富田勝とともに1・2番コンビを形成していった。移籍1年目の柏原純一が開幕から4番を打って24本塁打を放ち、日本ハム球団初のAクラスに貢献するなど1981年の優勝メンバーが投打の中心となった。チームは前期・後期を負け越しながらも、ロッテの15連敗に助けられて3位で終了した(この年は前期が3位、後期が4位)。東映時代の1967年以来11年ぶり、そして日本ハムとなって5年目でのAクラス入りとなった。先発投手陣のうち佐伯が13勝、杉山が2桁こそ逃したものの9勝、間柴が7勝ながら防御率3点台後半と健闘し、抑えの村上雅則も活躍したが、前年17勝の高橋直が9勝、高橋一がわずか2勝と誤算が続出。打線ではボビー・ミッチェルが36本塁打を打って初の本塁打王に輝いたが、大砲として期待された新外国人ジーン・ロックレアも不調にあえいだ。
チーム成績
レギュラーシーズン
1978年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
ロッテ |
2.0
|
近鉄 |
5.0
|
近鉄 |
9.0
|
3位
|
近鉄 |
3.5
|
ロッテ
|
日本ハム |
13.0
|
4位
|
南海 |
8.0
|
日本ハム |
9.0
|
クラウン |
13.5
|
5位
|
日本ハム |
9.0
|
クラウン |
15.0
|
ロッテ |
16.0
|
6位
|
クラウン |
10.5
|
南海 |
17.0
|
南海 |
20.5
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
近鉄 |
1.0
|
近鉄 |
3.0
|
近鉄 |
0.0
|
3位
|
ロッテ |
5.5
|
クラウン |
8.5
|
ロッテ |
10.0
|
4位
|
クラウン |
6.5
|
日本ハム |
10.0
|
日本ハム |
12.5
|
5位
|
南海 |
7.5
|
ロッテ |
11.5
|
クラウン |
16.0
|
6位
|
日本ハム |
9.5
|
南海 |
15.0
|
南海 |
18.5
|
|
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝[1]
オールスターゲーム1978
できごと
選手・スタッフ
|
---|
監督 | |
---|
一軍コーチ | |
---|
二軍監督・コーチ | |
---|
投手 | |
---|
捕手 | |
---|
内野手 | |
---|
外野手 | |
---|
[2]
表彰選手
ドラフト
出典
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |