1986年の横浜大洋ホエールズ(1986ねんのよこはまたいようホエールズ)では、1986年の横浜大洋ホエールズにおける動向をまとめる。
1986年の横浜大洋ホエールズは、近藤貞雄監督の2年目のシーズンである。
概要
打撃陣の立て直しを図るべく、ヤクルトへ移籍したレオン・リーの後釜としてカルロス・ポンセとダグ・ローマンを獲得。チームは前年優勝の阪神を地元・横浜に迎えて開幕3連勝を果たすなど5月までは好調で、3位につけていた。しかし、6月に入ると前年4位躍進の原動力となった加藤博一とベテラン田代富雄が負傷して途中で戦列離脱。ポンセ・ローマンの外国人コンビが健闘するものの、6月中旬から31年ぶりの13連敗、7月下旬の7連敗などで徐々に成績が低下。チームは8月以降、前年に続いて中日との4位争いを強いられたが辛うじて4位に滑り込んだ(一方中日は引き分けが多かったものの、勝率が.446だった)。対戦成績では開幕3タテの効果もあって前年カモにされた阪神に16勝9敗1分と大きく勝ち越したがその阪神には6.5ゲーム差もつけられ、4位争いの中日には11勝13敗2分と負け越し、上位陣にも大きく負け越すなど苦戦した。最終的に3年連続Bクラスの責任を取り、近藤監督は勇退し後任に1985年まで広島の監督を務めた古葉竹識を招聘し、立て直しを図ることになった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1986年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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9月終了時
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最終成績
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1位
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広島 |
--
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広島 |
--
|
広島 |
--
|
広島 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
広島 |
--
|
2位
|
巨人 |
3.0
|
巨人 |
5.0
|
巨人 |
1.5
|
巨人 |
0.0
|
広島 |
2.5
|
広島 |
1.5
|
巨人 |
0.0
|
3位
|
大洋 |
3.5
|
大洋
|
阪神 |
6.0
|
阪神 |
3.5
|
阪神 |
7.5
|
阪神 |
10.5
|
阪神 |
13.5
|
4位
|
阪神 |
4.5
|
阪神 |
6.0
|
大洋 |
9.5
|
中日 |
10.5
|
中日 |
13.5
|
中日 |
16.5
|
大洋 |
20.0
|
5位
|
中日 |
5.5
|
中日 |
6.5
|
中日 |
10.5
|
大洋 |
12.0
|
大洋 |
15.5
|
大洋 |
18.0
|
中日 |
20.0
|
6位
|
ヤクルト |
7.5
|
ヤクルト |
13.5
|
ヤクルト |
17.5
|
ヤクルト |
13.0
|
ヤクルト |
18.0
|
ヤクルト |
25.5
|
ヤクルト |
27.5
|
[2][3][4][5][6]
[1]
オールスターゲーム1986
- 高木豊
- 遠藤一彦
- 加藤博一
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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一軍コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[7]
表彰選手
ドラフト
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |