1971年の大洋ホエールズでは、1971年の大洋ホエールズの動向をまとめる。
この年の大洋ホエールズは、別当薫監督の4年目のシーズンである。
概要
1969年以降、大洋は2年連続の3位とそれなりの成績を残し、この年こそ11年ぶりの優勝が期待されたが、4月は巨人が開幕ダッシュに成功したこともあり波に乗れず、5月は3位とAクラスに踏みとどまるも、6月には一気に最下位へ転落。夏場以降は、阪神やヤクルトとAクラス争いを演じ、9月にヤクルト・阪神が相次いで脱落すると中日・広島との2位争いを繰り広げた。最後は引き分けが多かったものの、最終的に貯金2を確保、広島を抜いて3位を守った。
投手陣はエース平松政次が17勝を挙げ、2年連続の最多勝となったほか、1月に暴力団との黒い交際の疑惑(黒い霧事件)で鈴木隆コーチと共にシーズン途中まで無期限謹慎処分を受けていた坂井勝二が、復帰後の好調で初タイトルとなる最高勝率(9勝4敗、勝率.692)を獲得した。救援投手の小谷正勝、鬼頭洋も防御率ベストテン入りし、平松、坂井、鬼頭に山下律夫を加えた4人の先発陣が安定したことから、チーム防御率はリーグ1位の2.31を叩き出す、長い球団史で極めて稀なシーズンとなった。
一方で、打撃陣は中塚政幸・江尻亮・松原誠などが奮闘するも、新外国人のジョニー・ワーハスが大不振で、長年チームを支えてきたベテランの近藤和彦はレギュラー陥落した。それ以外の打者も貧打にあえぎ、チーム打率.215、チーム本塁打も82本とリーグ最下位に終わった。このため、翌1972年はクリート・ボイヤー、ジョン・シピンの外国人打者を補強し、打線強化に取り組むことになる。
チーム成績
レギュラーシーズン
1971年セントラル・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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巨人 |
--
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巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
巨人 |
--
|
2位
|
大洋 |
4.5
|
広島 |
4.5
|
広島 |
8.0
|
ヤクルト |
10.0
|
大洋 |
10.0
|
中日 |
6.5
|
3位
|
阪神 |
6.0
|
大洋 |
7.5
|
ヤクルト |
9.0
|
中日 |
12.0
|
広島 |
10.5
|
大洋 |
8.0
|
4位
|
ヤクルト |
6.0
|
ヤクルト |
9.5
|
中日 |
10.0
|
広島 |
12.5
|
中日 |
10.5
|
広島 |
8.0
|
5位
|
中日 |
6.5
|
中日 |
10.0
|
阪神 |
11.5
|
大洋 |
14.0
|
阪神 |
11.0
|
阪神 |
12.5
|
6位
|
広島 |
7.0
|
阪神 |
10.5
|
大洋 |
12.5
|
阪神 |
14.5
|
ヤクルト |
12.0
|
ヤクルト |
19.0
|
[1]
オールスターゲーム
できごと
選手・スタッフ
表彰選手
ベストナイン
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選手名 |
ポジション |
回数
|
平松政次 |
投手 |
2年連続2度目
|
脚注
注釈
出典
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1953年開幕直前に松竹ロビンスと球団合併 |