1991年ポルトガルグランプリ
1991年ポルトガルグランプリは、1991年F1世界選手権の第13戦として、1991年9月22日にエストリル・サーキットで開催された。 概要前戦イタリアGPを欠場し全日本F3000に出場したジョニー・ハーバートが復帰した。それ以外のエントラントに変更は無かった。 このレースを迎えた段階で、チャンピオンの可能性を持つのはナイジェル・マンセルとアイルトン・セナの2名に絞られていた。このレースを含めて4レースを残し、両者の得点差は18点だった。 予選予選では、ウィリアムズのリカルド・パトレーゼとマクラーレンのゲルハルト・ベルガーが、それぞれタイトルを争うチームメイトに先行した。パトレーゼは2日目の予選中にエンジンブローに見舞われ、古いスペックのパワーの少ないエンジンを搭載したスペアカーに乗り換えた[2]。しかし、パトレーゼはこのスペアカーでの一度だけのタイムアタックでポールポジションを獲得した。初日の予選でトップタイムを記録したベルガーは土曜日にタイムを更新することはできなかったが、それでも2番手を確保した。 決勝スタート直後、マンセルはセナとベルガーを立て続けに追い越し、すぐに2番手に浮上した。セナとベルガーはマンセルとの接触をさけるためにラインの変更を余儀なくされた。この際のマンセルの動きが危険であるとして、セナとベルガーはレース後に怒りを示した。 レースはウィリアムズの2台が後続を引き離し、18周目にマンセルがパトレーゼを抜き先頭に立った。 タイヤ交換のためにピットインしたマンセルだったが、ここで痛恨のアクシデントに見舞われる。マンセルのマシンの右後輪の交換が完了する前にスタートの合図が出されたのに従って発進したが、右後輪はすぐにピットロード上で脱輪してマンセルのマシンは立ち往生、ステアリングを叩いてやり場のない怒りを露わにした。ウィリアムズのメカニックはその場でタイヤを取り付けてマンセルをコースに戻したが、ピット作業が禁止されている走行レーン上だったため、マンセルには失格裁定が下り、黒旗を提示されたマンセルは今回はすぐさま指示通りピットに戻った。 思わぬ形でトップに戻ったパトレーゼはそのままチェッカーを受ける。セナは守りの走りに徹して2位に入った。 セナとマンセルのポイント差は24に広がり、この時点でマンセルの自力チャンピオンの可能性は消滅し、セナは残り3レースで7点獲得すれば無条件にチャンピオンが決まることになった。 結果予備予選結果
予選結果
決勝結果
脚注
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