1991年のF1世界選手権(1991ねんのエフワンせかいせんしゅけん)は、FIAフォーミュラ1世界選手権の第42回大会である。1991年3月10日にアメリカ合衆国で開幕し、11月3日にオーストラリアで開催される最終戦まで、全16戦で争われた。
ドライバーズチャンピオン争いは、マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセルとの間で繰り広げられ、最終的にはセナが鈴鹿で3度目の、そして生涯最後のチャンピオンを獲得した。
また、コンストラクターズ争いもマクラーレンとウィリアムズの戦いとなったが、最終戦にてマクラーレンがタイトルを獲得。4年連続のダブルタイトルとなった。
マクラーレンはセナが開幕から4戦連続でポールポジションから優勝する。一方ウィリアムズはこの間マシンの信頼性不足でリタイアが続き、ポイントでマクラーレンに大量リードを許してしまう。中盤戦以降は信頼性を克服したウィリアムズが純粋な速さでマクラーレンを凌駕し、チャンピオン争いで猛追したが、ウィリアムズは肝心な場面でミスが出て、結局マクラーレンが逃げ切る形となった。
フェラーリは開幕前テストの好調ぶりとは裏腹にシーズンでは低迷した。コンストラクターズでは3位だったがチャンピオン争いには全く絡めず、また5シーズンぶりに未勝利に終わった。エースのアラン・プロストにとって、シーズン未勝利はデビューイヤーの1980年以来であり、チーム批判の末に最終戦オーストラリアGPを前に解雇される。この年以降、フェラーリは長きに渡って冬の時代を過ごすこととなる。ベネトン・フォードは1勝を挙げてコンストラクターズ4位となったが、チームの内紛で前年からの勢いを繋ぐには至らなかった。上位4チームは、その中で変動はあれど安定した戦いを見せた。
4強に次ぐチームとしては、この年からF1に参戦したジョーダン・フォードが躍進。第5戦カナダGPから5戦連続入賞し、ベルギーGPではアンドレア・デ・チェザリスが一時2位を走行するなど速さを見せ、コンスタラクターズで5位となった。前年5位だったティレルは、序盤戦に速さを見せたが中盤戦以降失速し、ジョーダンと1点差の6位に終わった。
3度のチャンピオンであるネルソン・ピケ、日本人初のレギュラードライバー中嶋悟などが、この年をもってF1引退。プロストも1年間休養することとなった。一方、マーク・ブランデル、エリック・コマス、カール・ヴェンドリンガー、後にチャンピオンとなるミカ・ハッキネン、ミハエル・シューマッハが、この年の開幕戦アメリカGP(ハッキネン、ブランデル)、第2戦ブラジルGP、第11戦ベルギーGP、第15戦日本GPでそれぞれデビューしている。
ピレリタイヤが第5戦カナダGPで5年ぶりの勝利を挙げたが、この年をもってF1から撤退した(再参入は2011年)。