日本グランプリ (ロードレース)
日本グランプリ(にっぽんグランプリ、にほんグランプリ、Grand Prix of Japan )は、日本で開催されるオートバイレースの名称である。 概要1963年に第1回の世界選手権日本グランプリが鈴鹿サーキットで開催された。その後富士スピードウェイでの開催も含め1967年までに5回開催された。 1987年に世界選手権が再び開催されるまでは、全日本ロードレース選手権の鈴鹿サーキットで開催されるラウンドの年間1戦のみに「日本グランプリ」の名称が使われ、1970年代はシーズン中盤、80年代に入りシリーズ最終戦として開催された。通常ラウンドと違い、「日本グランプリ」は獲得した選手権ポイントに3ポイントが加算される特別なラウンドとされていた(1986年まで)。 1987年に再び鈴鹿サーキットでロードレース世界選手権の日本グランプリが開催されるようになり(同年にはF1日本グランプリも開催されるようになった)、以後鈴鹿サーキットではWGP/MotoGPとF1、両最高峰レースを開催するようになる。 1999年よりツインリンクもてぎと鈴鹿サーキットの隔年開催となる。しかし初開催されたツインリンクもてぎでの開催実績が良かったことから日本で年2回開催になり、2000年より春に日本グランプリが鈴鹿で、秋にパシフィックグランプリがもてぎで開催されるようになった。この2000年の日本グランプリでは地元日本勢が125ccが1位宇井陽一、2位上田昇、3位東雅雄、250ccが1位加藤大治郎、2位宇川徹、3位中野真矢、500ccが1位阿部典史、3位岡田忠之と、表彰台計9ポジションのうち8ポジションを独占する快挙を成し遂げている。特に250ccは3人が絡み合うようにチェッカーを受け、1位から3位までがわずか0秒231(4位のオリビエ・ジャックは約15秒離されている)という大会史に残る大接戦であった。 しかし2003大会で、MotoGPクラスで加藤大治郎の死亡事故や、アレックス・バロスやマルコ・メランドリが大怪我を負う事故が相次いだことから鈴鹿サーキットの安全性が問われ、2004年以降の同サーキットでの開催が中止、ツインリンクもてぎでの開催が日本グランプリとなっている。なお現状鈴鹿サーキットがMotoGPセーフティー・コミッション(この2003年の事故を契機として、MotoGP参加ライダーを中心に構成された安全委員会)の求める項目を満たすにはスペース的な問題で実現がかなり困難である上、この年にFIMのグレードA認定が取り消され、グレードB認定サーキットとなった為(MotoGPの開催にはFIMグレードA認定が必要。2011年現在日本でグレードA認定を受けているサーキットはツインリンクもてぎのみである)鈴鹿サーキットでの日本GP開催は現状ほぼ不可能な状況であるといえる。 2010年大会は、当初の予定では4月23日 - 25日に第2戦として開催予定だったが、アイスランドのエイヤフィヤットラヨークトルの噴火によって大規模な空路封鎖が発生し、ライダーやチーム関係者の移動が困難になったため、10月1日 - 3日に開催が延期された[1]。 翌2011年の大会は4月22日 - 24日に第3戦として開催予定だったが、東日本大震災の影響で9月30日 - 10月2日に延期された[2]。福島第一原発事故による放射線の影響を警戒するライダーが多く一時は開催が不安視されたが[3]、FIMがイタリアの第三者機関に委託した調査の結果、放射能の危険は無視できる程度であると報告され[4]、最終的にはほぼ全てのライダーが参戦し無事開催された。 2020年の大会は新型コロナウイルス感染症の流行の影響で、ドルナ社は欧州開催に集中するため主催者は中止を決断。2021年も新型コロナウイルスを理由として、2年続いての開催中止となった[5]。なお2022年3月にツインリンクもてぎは「モビリティリゾートもてぎ」に名称が変更された[6]ため、結果的に「ツインリンクもてぎ」での日本グランプリ開催は2019年大会が最後となった。 2022年大会は台風接近により一時開催が危ぶまれた[7]ものの、「モビリティリゾートもてぎ」初の日本グランプリとして3年ぶりに開催され、Moto2クラスの小椋藍が日本人ライダーとして16年ぶりの母国優勝を飾った[8][注釈 1]。 歴代日本グランプリ優勝者
日本GPが開催されたサーキット関連項目注釈
脚注
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