河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日[1] - )は、日本のメカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家。富山県東礪波郡平村(現南砺市)生まれ[1]。Vector Vision所属[2]、サテライト特別顧問[3]。宇宙作家クラブ会員。
監督としての代表作は「マクロスシリーズ」「アクエリオンシリーズ」など。おもなメカニックデザインとしてはマクロスシリーズの可変戦闘機(バルキリー)や、サイバーフォーミュラ、アーマード・コア、エウレカセブンのLFOなどがある。
概要
1980年代初頭のアニメブーム期に、アニメファン世代の大学生デザイナーとして頭角を現す。機械工学を専攻し、整合性のとれた変形・合体機構を持つロボットデザインを得意とする。また、空力を意識した航空機や自動車などのリアル系メカデザインも手掛ける。
演出家・監督としてはSF・巨大ロボット・ファンタジーをメインジャンルとしつつ、アイドルや魔法少女や生命環境などのテーマを扱った作品もある。CGを駆使したビジュアル、音楽(歌)とメカアクションの融合、ロマンティックな恋愛ドラマなどのエンターテインメント要素が豊富である。
過去の発表作は基本的に自身が原作者(もしくは原作集団の一員)となるオリジナル作品である。企画立案に始まり、メカニックデザイン・設定・シリーズ構成・監督(または総監督)・絵コンテ・演出・編集といった制作工程全般に関与している。
ほかにも工業製品や広告モデルのデザイン、イベントの展示演出などマルチクリエイターとして活躍し、総合的な役職としてビジョンクリエイター (Vision Creator) と名乗っている。
略年表
経歴
アマチュア時代
合掌造りの家屋で知られる越中五箇山にある母方の実家で生まれ[1]、3歳の時に神奈川県横浜市へ転居した。絵よりも先に立体に興味を持ち、ペーパークラフトやブロック玩具で工作を始める。いすゞ・117クーペ(ジョルジェット・ジウジアーロ作)やデ・トマソ・マングスタを見てカーデザイナーに憧れ、アポロ11号の月面着陸中継に感動して宇宙工学エンジニアになる夢を抱く。本人いわく「日本にNASAがあれば行っていた」とのこと[10]。
好きだったメカはサターンVロケットやサンダーバード2号。アニメを意識して見るようになったのは『ルパン三世』(TV第1シリーズ)からで、影響を受けた演出家におおすみ正秋を挙げている[11]。
慶應義塾普通部に入学後、同級生の小川正晴[注釈 1](映像制作会社オガワモデリング代表)、原田則彦(カロッツェリアザガート(SZデザイン)主任カーデザイナー)らと放課後に絵を描き始める。慶應義塾高等学校進学後に細野不二彦(漫画家)、美樹本晴彦(キャラクターデザイナー)、大野木寛(脚本家)が加わり、10数名の仲間とともに「慶應グループ」と呼ばれる。
慶應グループは『宇宙戦艦ヤマト』を通してSFアート集団スタジオぬえの存在を知り、同人会クリスタル・コンベンション(通称クリコン)に参加するようになる。河森は慶應義塾大学工学部に進学後アルバイトとしてデザインを手伝い、1978年にスタジオぬえ入社。大学を中退する1983年まで学生との兼業を続ける。また、美樹本、大野木、SF評論家の永瀬唯らと制作した『機動戦士ガンダム』の同人誌「Gun Sight」がムック本『ガンダムセンチュリー』へと発展する。
デビューからマクロスへ
プロデビュー作は『闘将ダイモス』のゲストメカデザイン。同時期にタカラのロボット玩具「ダイアクロン」シリーズのデザイン・監修を担当する。先輩宮武一貴の薫陶を受け、『闘士ゴーディアン』『クラッシャージョウ』などの作品で新鋭メカニックデザイナーとして注目され始める。
1982年、スタジオぬえ原作のSFアニメ『超時空要塞マクロス』で初の主役ロボットとなる可変戦闘機バルキリーをデザインし、斬新な変形機構で一躍脚光を浴びる。また、この作品には企画段階から携わり、メカニックデザインと設定監修を中心としつつ、演出を数話担当し、最終回では脚本を手掛けるなど構成・演出面でも個性を発揮し、幅広い活動を行った。1984年の劇場作『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』では石黒昇との共同監督に抜擢される(石黒はおもにスタッフワークなどを担当)。24歳の初監督作にして実力を高く評価され、アニメファン出身の若手世代の旗手とされた。のちに『マクロスプラス』を共同で手がける渡辺信一郎は「マクロスの監督が二十代半ば」という噂を聞いたことがアニメ業界を選んだ理由のひとつと述べている[12]。
劇場版『マクロス』終了後中国奥地の少数民族の村を一人旅し、日本社会とは異なる多様な文化や価値観に触れる。このカルチャーショック体験が以後の創作活動の原動力となる。
雌伏の10年と監督復帰
1980年代後半から1990年代前半にかけてはサンライズ系の『ガンヘッド』『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』や、押井守監督作の『機動警察パトレイバー』(劇場版I・II)『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などでメカデザインを手がける。
一方、演出家としてはオリジナル企画を立てるがものにできない時期が続く。未発表作はスタジオぬえの「機甲天使ガブリエル」、模型企画「アドバンスト・バルキリー」、「空中騎行戦記」(エスカフローネの原案)など。企画が通らない場合もあれば、シナリオまで進めても自信が持てず止めてしまう場合もあった。1989年には河森原作・脚本・監督、美樹本キャラデザイン、サンライズ制作によるアニメ映画『舞夢』のパイロットフィルムがアニメ誌上で紹介されたが、演出上の行き詰まりから製作中止となった。この挫折から一時期は仕事を中断していたが、1991年に結婚。美樹本はこの結婚が河森の転機になったと語っている[13]。
1994年、『マクロスプラス』で10年ぶりに監督業に本格復帰する。同年、初期マクロスからのテーマでありライフワークでもある「音楽の秘める可能性」を自ら世界を旅行して感受したカルチャーショックの体験などを踏まえて描ききった『マクロス7』を完成させ、業界内外から多くの支持を得た。
『天空のエスカフローネ』(原作)以降は神話伝承世界に着目し、宮沢賢治の半生を描いた『イーハトーブ幻想〜KENjIの春』でメカアニメ以外の新境地を開く。
CG表現とサテライト参加
1990年代後半はゲーム関連の仕事が増え、「アーマード・コアシリーズ」『超鋼戦紀キカイオー』『オメガブースト』『マクロスVF-X2』などに関わりCG技術の可能性を学ぶ。
2000年代からは『Kenjiの春』からの付き合いがあるサテライトを創作の場とし、3DCGを駆使したより複雑な映像表現に挑戦している。2003年には同社取締役に就任。環境問題を扱った『地球少女アルジュナ』や『創聖のアクエリオン』などを発表。
デザイナーとしてはソニーのペットロボットAIBOのカスタムデザインを担当。『交響詩篇エウレカセブン』では空中をサーフィンするロボットLFOを考案した(空中サーフィンは『地球防衛家族』で大地ファミリーが乗るホバーボードが原型)。
マクロスシリーズ25周年の集大成的な作品『マクロスF』(2008年)、『劇場版 マクロスF」2部作(2009年・2011年)、『マクロスΔ』(2016年)、『アクエリオン』の続編『アクエリオンEVOL[14]』(2012年)や、アイドルグループAKB48をモチーフとしたテレビアニメ『AKB0048』[15][16](2012年/2013年)、日中合作アニメ『重神機パンドーラ』[17](2018年)ではいずれも総監督およびメインメカデザイナーとして携わる。
2019年には、プロクリエイターに成ってから40年を迎えた事を記念し、同年5月から6月にかけて、これまでに関わった数多の作品用に描いたデザイン画など、各種創作物の展示などを中心にしたイベント『河森正治EXPO』が開催される[18]。
人物
デザイン
「変形の河森」と呼ばれ、ロボットから他形態(飛行機・車)への変形機構デザインをライフワークとしている。平面上の図案に止まらず、自ら試作モデルを作り、立体化を提案するプランナーでもある。この試作にはレゴブロックを用いるが、可動部を綿密に検討するため、デザイン完成まで数年掛かりという場合もある。なお、子供の頃に親から買ってもらったフィッシャーテクニックというブロックはその性質上、可変メカの試作という点ではレゴよりも数段上との事で、あれがあれば楽だけど手に入らないからレゴを使っていると語っている[19]。『マクロスF』の主役機・VF-25では、河森のレゴ試作をCGスタッフが忠実に3DCGモデルで再現し、それを基にCGモデルを製作する手法が採られている[20]
[21]。
架空のメカデザインにも、航空機や自動車など実在物のリアリティーを投影するのが特徴である。これは実際のメカから影響されたものだが、『サンダーバード』からも影響を受けたと語っている。2006年には『トランスフォーマー』のマスターピース・スタースクリームのデザインを監修 [1] したが、ビークルモードを実在する戦闘機F-15のデザインに近づけようとした結果、ロボットモードが劇中のスタースクリームとは似て非なる物になった。
実在するSu-27が双発ジェット機の理想形であると考えており、自身の航空機デザインにおいてもSu-27に範を取った滑らかなシルエットを多用する。
また翼形については視覚的な特徴にもなる可変翼や前進翼、カナードを好み、特に可変翼は(機体そのものが変形するデザインが多いこともあり)様々な可動方式で頻繁に採用する。
独創性
クリエーターとして「他人の真似はしない」「同じパターンは繰り返さない」など、独創性への強いこだわりをもつ。持論として、オリジナルのアイデアこそデザインであり、それをアレンジしたものは「スタイリング」と呼ぶべきと語っている[注釈 2]。
オリジナリティに対する感性は富野由悠季の影響も大きいようである。ある時富野が講演で「昔職人を育てる[注釈 3] には何時も本物だけを見せるようにしていた。そうすると特に何を教えなくても、本物と偽物の区別が自然とできるようになる。今のTVアニメは全て偽物なのだから、アニメを作りたい人間はアニメを見てはいけない」と語っていたのを聞き、実際に三年間アニメを見るのをやめてみた。そして改めてアニメを見てみると、それが全く面白くないばかりか、いったい何をやりたいのかすら分からなかったという。この経験から、河森は万人に対して真に訴える力を持った作品作りを深く考えるようになったと語っている。
趣味
中国やインドの奥地に一人旅するのが趣味で、創作面でも自ら体験する意義を重んじている。『マクロスプラス』ではパイロットの空間感覚を知るため、メカ作画監督の板野一郎とアメリカで模擬空中戦を体験。『創聖のアクエリオン』ではスタッフと「アレグリア2」を観賞し、身体が躍動するイメージを伝えた。
自宅に菜園があり、観察からロボット変形の着想を得ているという[22]。
関連人物
親交の深い映画監督押井守の作品に、印象的な活躍をみせる空挺兵器などを提供している。押井は小説『立喰師列伝』に河森をモデルにした偽インド人の立喰師「河森正三郎」を登場させ、2006年の実写映画化では、河森本人が演じることになった。
周辺の人物と同様、とり・みき、ゆうきまさみの漫画作品にスター・システムで出演している。とり・みきと共に、ツアー客役として映画「天国にいちばん近い島」に出演している。
過去に宮崎駿から、若いアニメーターと話したいということで対談相手に指名されており、マクロスの戦闘機の費用などについて指摘されている[23]。
外見・別名義
眉毛が非常に太く、彼のトレードマークとなっている。また、ぬえのメンバー一の色黒で、薄暗い部屋では存在を見失うほどであることから「黒河影次」という名義でも活動する。この人物は『マクロス』の作品中に隠れキャラクターとして登場し、様々な災難にあっている。後には「白河明治」という名義も使っている。
思想
20代に過労で心身を病み、不眠症や「電話ノイローゼ」に苛まれたという。その後、「新体道」、「自然農法」等に出会い、「気や意識と自然の関係の深さ」に「目覚めさせられ」たと述べている。人体科学会第9回大会にも「出演者」として参加し、先のようなコメントを述べた。それに伴い、作品にもそういった思想の影響が如実に表れるようになっている[24]。新体道協会発行の「楽天」に関わったこともある。
賞歴
主な作品
テレビアニメ
- 1978年
-
- 1979年
-
- 1981年
-
- 1982年
-
- 1991年
-
- 1994年
-
- マクロス7 - 原作・スーパーバイザー・絵コンテ・メカニックデザイン
- 1996年
-
- 1998年
-
- 2001年
-
- 2002年
-
- 2005年
-
- 2006年
-
- 2007年
-
- 2008年
-
- マクロスF - 原作・総監督・ストーリー構成・バルキリーデザイン
- 2009年
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- 2012年
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- 2013年
-
- 2014年
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- 2015年
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- 2016年
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- 2018年
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- 2021年
-
- 2023年
-
劇場アニメ
- 1982年
-
- 1983年
-
- 1984年
-
- 1989年
-
- 1993年
-
- 1995年
-
- 2002年
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- 2007年
-
- 2009年
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- 2011年
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- 2012年
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- 2014年
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- 2017年
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- 2018年
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- 2019年
-
- 2021年
-
OVA
Webアニメ
特撮実写作品
ゲーム
漫画
工業製品・CM
その他
関連書籍
脚注
注釈
出典
外部リンク
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