菊池 雄星 ロサンゼルス・エンゼルス #16
シアトル・マリナーズ時代 (2019年6月8日)
基本情報 国籍
日本 出身地
岩手県 盛岡市 生年月日
(1991-06-17 ) 1991年 6月17日 (33歳) 身長 体重
6' 0" =約182.9 cm 210 lb =約95.3 kg 選手情報 投球・打席
左投左打 ポジション
投手 プロ入り
2009年 ドラフト1位 初出場
NPB / 2011年6月12日 MLB / 2019年3月21日 年俸
$21,000,000(2025年)[ 1] 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
菊池 雄星 (きくち ゆうせい、1991年 6月17日 - )は、岩手県 盛岡市 出身のプロ野球選手 (投手 )。左投左打。MLB のロサンゼルス・エンゼルス 所属。愛称 は「U Say 」他(後述 )。
妻は元フリーアナウンサー の深津瑠美 [ 2] 。代理人 はスコット・ボラス 。
概要
投手 として埼玉西武ライオンズ では2度のリーグ 優勝に貢献。ヒューストン・アストロズ では1度の地区優勝に貢献している。個人ではNPB で合計5個のタイトル(2個)[ 注釈 1] ・主要表彰(3個)[ 注釈 2] を獲得している[ 3] 。
経歴
プロ入り前
盛岡市立見前小学校3年生の時に見前タイガースで一塁手 として野球を始める[ 4] 。
盛岡市立見前中学校 在学中は盛岡東シニアでプレー。この頃から本格的に投手へ転向した。3年春に岩手大会準優勝。東北選抜の一員に選ばれ、全国大会優勝に貢献。花巻東高等学校 に進学[ 4] 。
高校1年時、第89回全国高等学校野球選手権大会 に出場。1回戦・新潟明訓高 戦にリリーフ 登板し5回を1失点に抑えるもその1点が決勝点となり0-1で敗退[ 5] 。この試合では145km/h の速球を投げたが、速球にこだわりすぎたことにより制球が乱れ、秋の県大会では1回戦で敗退した[ 6] 。2年春には球速も149km/hまでアップし、腰痛の不安で公式戦初先発となった2年春の東北大会準々決勝・仙台育英 戦では6-2で完投勝利した[ 7] 。夏は県大会準々決勝で敗退。秋の岩手県大会では決勝で一関学院 を7-1でくだし優勝するも、東北大会は優勝した光星学院 に準決勝で敗れ、ベスト4に留まる。
3年春、秋の試合内容が高く評価され、東北大会で準優勝の一関学院を逆転する形で[ 8] 第81回選抜高等学校野球大会 に出場。初戦の鵡川高 戦では最速152km/hを記録、9回一死まで無安打の投球で2安打完封[ 9] 。2回戦明豊高 戦では9安打を打たれたが、勝負どころでは凄みを見せ2試合連続の完封[ 9] 。準々決勝・南陽工 戦ではビハインドの状況でリリーフ登板、4回無失点で逆転勝利[ 10] 。準決勝・利府高 戦では2点本塁打を打たれ初失点を喫したが5安打2失点完投[ 11] 、岩手県勢として春夏通じて初の決勝進出を決めた。決勝では、清峰高 の今村猛 との投手戦になるも0-1で敗れ、岩手県勢初の優勝とはならなかった[ 12] 。3年夏は春に続き第91回全国高等学校野球選手権大会 に出場[ 13] 。春の選抜決勝で花巻東と戦った清峰高校は、長崎大会 準々決勝で大瀬良大地 を擁する長崎日大高 に敗れていたが、夏の大会1回戦では清峰を破った長崎日大と当たり、3本塁打を打たれながらも8-5で勝利。夏の大会は後述の背中の痛みを隠しながら登板を続けていた。岩手県勢では夏の甲子園41年ぶりのベスト8進出を決めた東北高 戦では自己最速となる154km/hを記録(甲子園の電光掲示板には154km/hと表示、千葉ロッテマリーンズ スカウトのスピードガンでは155km/hを計時)[ 14] 。準々決勝では今宮健太 を擁する明豊高と当たり、4回までパーフェクトと好投を見せ、7-6で勝利するも、腰痛を訴え5回にベンチに退いた[ 15] 。準決勝の中京大学附属中京高等学校 戦では背筋痛のため先発せず、4回二死満塁から登板するも打ち込まれ、わずか11球でマウンドを降板、1対11で敗れた[ 16] 。菊池はその後の精密検査で、左の5本目の肋骨 が折れていたことが判明した[ 17] 。
ドラフト会議 前にはMLB 球団からも注目され[ 17] 、元々の志望もありMLB挑戦 も考え[ 18] 、国内12球団に加え、MLBの8球団とも面談。中でもテキサス・レンジャーズ との面談では、この年MLBに定着したデレク・ホランド が同席した[ 19] 。全球団との面談終了後に菊池は、「どちらも素晴らしいと思いました。今は決めかねているんで、どちらも行きたいのが正直な気持ちで話を聞く前よりも迷っています」と語ったが[ 20] 、10月25日に「まだまだ自分のレベルでは世界で通用しないと思いました。日本の方全員に認められてから、世界でプレーしたいと思いました」として日本のプロ野球でプレーすることを表明した[ 21] 。
2009年10月29日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズ 、阪神タイガース 、東京ヤクルトスワローズ 、東北楽天ゴールデンイーグルス 、中日ドラゴンズ 、北海道日本ハムファイターズ の6球団による1巡目指名を受け、競合の末に西武が菊池の交渉権を獲得した。菊池は11月21日に契約金1億円+出来高5000万円、年俸1500万円(金額は推定)で仮契約し、背番号は「17 」に決まった[ 22] 。
西武時代
2010年 1月19日に球団から登録名を「雄星 」とすることが発表された[ 23] 。このため背ネームが「KIKUCHI 」のユニフォームは入団発表で着用しただけで、キャンプからは背ネームも「YUSEI 」となった。2月16日には入学願書を提出していた東北福祉大学 総合福祉学部 通信教育部 社会福祉学科 に合格。これは、野球選手を引退後もスムーズに働けるようにとの考えからである[ 24] 。また、プロ入り後に大学に合格した例は極めて珍しく、プロ野球選手としての生活の傍ら、大学通信教育 で教育職員免許状 を目指すとしていた[ 注釈 3] [ 注釈 4] 。
同年の新人としては非常に注目され、かつ契約金等も高かったことから、その契約金を元手に「ぜひ後輩にも使ってほしい」との心意気で、3月24日には420万円の酸素カプセル を購入し、寮の自室に設置した。しかし、部屋の一角を大きく占有したうえ、取扱説明書をよく読まずに操作したため、機械から蒸気が出て部屋の温度が30度という熱帯状態を作りだした揚句、故障したという[ 25] 。
シーズンでは左肩痛の発症により一軍(パシフィック・リーグ )公式戦での登板はなく、二軍 (イースタン・リーグ )戦でも5月4日以来登板はなく、リハビリ に終始した[ 26] [ 27] 。また、左肩痛のため、投球フォーム も高校時代のスリークォーター からよりリリースポイントの高いフォーム に改造するなど、試行錯誤を繰り返す[ 28] 。オフにはホリプロ とマネジメント契約を結び[ 29] 、12月24日には本人の希望により登録名を本名の「菊池雄星 」に変更すると発表された[ 30] 。
2011年 はフォームを高校時代のスリークォーターに戻し[ 28] 、開幕一軍入りを果たす。中継ぎ投手としてベンチ入りするも登板機会は無く、4月22日に登録抹消となった。二軍での調整後[ 31] 、6月12日の阪神タイガース 戦で一軍初登板・初先発するも2.1回を4失点で降板。それでも初めての一軍登板を終えた嬉しさからか、試合後のインタビューでは涙を流した。その後、二軍での調整を経て30日のオリックス・バファローズ 戦に先発し、5回を2失点でプロ初勝利 を挙げた[ 32] 。8月18日の東北楽天ゴールデンイーグルス 戦では8回まで無失点の好投をし、9回表に山﨑武司 に通算400本塁打 を打たれたものの、初完投 勝利。8月31日には、故郷・岩手県での試合に登板し、打線の援護がなくプロ初黒星を喫したものの、シーズン2度目の完投。結局9試合に先発し、4勝を挙げた。
シーズン終了後の11月8日から12月22日まで、オーストラリア のウィンターリーグ であるオーストラリアン・ベースボールリーグ (ABL)のメルボルン・エイシズ に派遣された。5試合の登板で1勝2敗、防御率 4.38、WHIP 1.54の成績を残し、オールスターゲーム にも出場。12月26日に契約更改した[ 33] 。
2012年 は開幕を二軍で迎え、7月1日の北海道日本ハムファイターズ 戦で一軍に昇格し、先発。8回を投げ6安打3失点で勝敗はつかなかったものの、プロ入り後の最速となる150 km/hを記録[ 34] 。15日のオリックス戦では6回から登板し、4回を無失点に抑え、プロ入り後初セーブを記録している[ 35] 。8月から9月にかけては8試合に先発し、3勝2敗、防御率2.20、WHIP1.05と好投を続けた。12月4日に300万円増の年俸2300万円で契約更改した[ 36] 。
2013年 は開幕一軍入りし、3月30日の日本ハム戦では高校の後輩でもある大谷翔平 と対戦し、2三振に抑えた[ 37] [ 38] 。4月13日の楽天戦では9回を3安打無失点に抑え、プロ入り後自己最速となる最速153 km/hも記録する投球で、プロ入り後初完封 勝利を挙げる[ 39] 。6月12日の中日ドラゴンズ 戦では9回一死までノーヒットノーラン の好投を見せる[ 40] 。7月5日のロッテ戦で9勝目を挙げ[ 41] 、オールスター に初選出される[ 42] [ 43] 。しかし後半戦からは2試合連続で4失点を喫し、7月から異変があったという左肩の炎症で8月7日に登録抹消され[ 44] 、そのままシーズンを終え、自身初の2桁勝利を逃した。シーズン終了後、現役引退したばかりの石井一久 の背番号を引き継ぎ、「16 」へ変更[ 45] 。
2014年 も開幕一軍入りし先発ローテーション での活躍が期待された。しかしこの年は調子が上がらず、前年の活躍から一転不振に陥る。防御率自体は3.54とそこまで悪くなかったが、規定投球回 に届いていないにもかかわらずリーグ1位の78個の四球を与えるなど制球に苦しんだ。最終的に前年を上回る23試合に登板したものの、5勝11敗と負け越した。
2015年 7月16日に第1回WBSCプレミア12 の日本代表 第1次候補選手65名に選出されていた[ 46] が、9月に発表されたトップチーム候補選手45名からは漏れた[ 47] 。9月13日のロッテ戦(西武プリンスドーム )の初回にプロ入り後の自己最速を更新する155km/hを記録すると、続く2回にはプロ野球一軍戦における当時左腕史上最速となる157km/hを記録した[ 48] 。
2016年 は自身初の開幕投手 を務め、8月26日の日本ハム戦(埼玉県営大宮公園野球場 )で、自身初の2桁勝利を達成し、9月28日の対日本ハム戦(西武プリンスドーム)で6回を投げ1失点、規定投球回にちょうど達し、自身初の規定投球回をクリアし防御率はリーグ2位だった。この試合は、日本ハム優勝決定試合かつ大谷と同高出身対決で大谷が1安打完封し、菊池には負けがついた。プライベートでは6月24日にフリーアナウンサーの深津瑠美と入籍した[ 2] 。
2017年 は2年連続の開幕投手を務め、7回1失点で勝利投手となり、4月21日の日本ハム戦では被安打1で4年ぶりの完封勝利を達成した[ 49] 。7月7日の楽天戦ではシーズン2度目の完封勝利を達成し[ 50] [ 51] 、7月はこの1完封を含む3勝0敗で防御率0.81の好成績を記録したが、同じく3勝0敗で防御率1.33の東浜巨 が7月度の月間MVP を受賞し、月間MVPの初受賞を逃した[ 52] 。8月3日の楽天戦では、当時左腕史上最速の158km/hを記録し[ 53] 、8回1失点で勝利投手となった[ 54] 。シーズン通算では、防御率は2位の則本昂大 に0.6の差をつけて最優秀防御率 を獲得、白星も東浜と並ぶ16勝で最多勝利 を獲得。奪三振 は1位の則本と5個差のリーグ2位、WHIP はリーグで唯一の1.0未満であった。自身初のクライマックスシリーズ ではファーストステージ第1戦で完封 勝利を記録したものの、チームは1勝2敗でステージ敗退となった。
2018年 は3年連続で開幕投手を務め、7回8奪三振2失点でシーズン初勝利を挙げると[ 55] 、4月28日の楽天戦まで5連勝する。開幕投手による開幕5戦5勝は球団では初だった[ 56] 。5月6日に左肩の張りで一軍登録を抹消された。6月1日に復帰すると、その日の阪神戦では6回無失点で6勝目を挙げた[ 57] 。9月21日のロッテ戦で史上352人目の通算1000投球回を達成[ 58] 。9月28日の福岡ソフトバンクホークス 戦では7回3失点で初めてソフトバンクに勝利し、チームの優勝に王手をかけた[ 59] 。しかし、リーグ優勝をして迎えたソフトバンクとのクライマックスシリーズ では初戦に先発するも5回6失点で敗戦投手となり、チームもアドバンテージを含め2勝4敗で敗退。シーズン成績は勝利数・防御率・奪三振数はリーグ2位、勝率は規定投球回以上では1位も規定により最高勝率はマイク・ボルシンガー に譲り、タイトルを逃した。また、前年はリーグ2位/1位だった完投/完封も、本年は完投が1度のみ、完封は0と、5月の戦線離脱のみならず、シーズンを通してなかなかコンディションが整わない1年となった。
シーズン終了後、スコット・ボラス を代理人としてポスティングシステム によるMLB移籍を表明。そして、現地時間12月31日にシアトル・マリナーズ と契約合意したことが報じられる[ 60] [ 61] 。2019年1月8日、NPBより自由契約 選手として公示された[ 62] 。
マリナーズ時代
シアトル・マリナーズ での菊池。 走者は大谷翔平 。
2019年 1月2日にマリナーズと4年契約で正式に契約を結ぶ。契約は3年総額4300万ドルを基本とし、3年目終了時に選手側と球団側それぞれに契約オプションがある。双方共にオプションを行使しない場合、事実上オプトアウトでのFA となることができる。契約オプションは選手側が単年1300万ドル、球団側が4年総額6600万ドル[ 63] 。1月4日に入団会見を行った。背番号は「18 」[ 64] 。
同年はオークランド・アスレチックス と東京ドーム で開催されたMLB日本開幕戦のメンバーとして帯同された。3月21日の試合に先発登板し、メジャーデビューを果たした。日本人投手の日本でのMLB初登板は史上初だった[ 65] 。この試合でイチロー が現役引退を表明し、菊池は涙を流しながらハグを交わし、謝意を表した[ 66] [ 67] 。4月20日の対ロサンゼルス・エンゼルス 戦で6度目の先発登板にて5回10安打4失点でMLB初勝利を記録した。日本人投手として先発6度以上で初勝利は1995 年の野茂英雄 (当時ドジャース )の7試合目に次ぐ遅さだった[ 68] 。8月18日の対トロント・ブルージェイズ 戦(ロジャーズ・センター )で9回2安打無失点(8三振、1四球)でMLB初完封勝利を記録した[ 69] 。球数はわずか96球で、100球以内の完封(マダックス )は自身初となった[ 70] 。規定投球回到達には一死だけ足りず、32試合登板で6勝11敗、防御率5.46、161.2回を投げて116奪三振の成績でシーズンを終えた。シーズン被本塁打36本は、2000年コロラド・ロッキーズ に在籍していた吉井理人 が記録したシーズン32被本塁打を更新する日本人ワースト記録となった。
2020年 はCOVID-19の影響 で60試合の短縮シーズンとなる中、9試合の登板で2勝4敗、防御率5.17、47奪三振だった。しかし、監督のスコット・サービス からは「球の質が良くなった」と好評価された[ 71] 。
2021年 は開幕4戦で防御率5.70と苦しんだが、4月30日のアストロズ戦で7回1安打無失点と好投、5月6日のオリオールズ戦の前日に特任コーチである岩隈久志 からチェンジアップについての助言を受けると[ 72] 、そこからピッチングの安定感が増していき6試合連続でクオリティ・スタート を記録した。しかし、6月6日のエンゼルス戦の5回裏に打球を右膝に受けて緊急降板となり連続QS記録が途絶えた[ 73] 。幸い大事には至らず、その後も安定したピッチングを続けると7月4日に自身初めてとなるMLBオールスターゲーム に選出された[ 74] 。オールスターゲーム前日の7月12日にコロナ関連で故障者リスト入りし、出場選手登録からは外れたものの[ 75] 試合前のセレモニーには家族3人で参加し、また試合中もベンチに入りオールスターゲームの雰囲気を満喫した[ 76] 。体調を崩した影響と故障者続出により先発ローテーションが5人制に変わったこともあり7月後半からは調子を落とし、9月7日のアストロズ戦では2回途中3安打4四球と大荒れで(ショートスターターとして起用された2019年4月26日のレンジャーズ戦を除いて)MLB移籍後自己最短となる1.2回で降板した[ 77] 。オフの11月3日に契約延長オプションを破棄し[ 78] 、FAとなった[ 79] 。
ブルージェイズ時代
2022年 3月14日にトロント・ブルージェイズ と3年総額3600万ドルの契約を結んだ[ 80] 。内訳は2022年が1600万ドルで、2023年と2024年がそれぞれ1000万ドル[ 81] 。
2022年は開幕ロースター入りし、先発ローテーションの5番手として開幕を迎えた[ 82] 。4月12日のヤンキー・スタジアムでのニューヨーク・ヤンキース 戦でブルージェイズ移籍後初先発登板を果たしたが[ 83] 、3回1/3を投げ4安打、3失点の内容で敗戦投手となった[ 84] 。その後3試合に先発するもいずれも勝敗が付かず、0勝1敗・防御率5.52という成績で4月を終えた[ 85] 。5月4日のロジャーズ・センターでのヤンキース戦にて6回1失点7奪三振の好投をみせ、移籍後初勝利を挙げた[ 86] 。同月16日の古巣・マリナーズ戦でシーズン2勝目を挙げ、日米通算90勝目を挙げた[ 87] 。しかしその後は再び不振に陥り、7月7日に首痛で故障者リスト 入りし[ 88] マイナーでのリハビリ登板を行うなど調整を続けた[ 89] が、シーズン20試合目の先発登板となった8月15日のボルチモア・オリオールズ 戦で敗戦投手となった試合後にチームの監督代行(当時)のジョン・シュナイダー から中継ぎへの配置転換が明言された[ 90] 。この時点での成績は4勝7敗、防御率5.25であった。同月18日のヤンキース戦でメジャー初の中継ぎ登板を果たす[ 91] と、9月30日のボストン・レッドソックス 戦ではメジャー移籍後初セーブ を挙げた[ 92] 。中継ぎ転向後は12試合に登板し、シーズン通しての最終的な成績は32試合の登板で6勝7敗1セーブ、防御率5.19であった。
2023年 はオープン戦7試合に登板し、20.2回を投げ被安打9、11与四球、31奪三振、2失点と好調さをアピールし、防御率0.87は20イニング以上投げたア・リーグの投手の中ではトップの数値だった。先発ローテーションの座を再奪取した。シーズン初登板の4月4日のカンザスシティ・ロイヤルズ 戦でも好調を維持したまま、5回を投げて3安打、1失点、2奪三振、1与四球の好投で勝利投手となった[ 93] 。5月30日のブルワーズ戦でMLB通算500奪三振[ 94] 、NPB/MLB通算100勝を達成した[ 95] 。シーズン終盤となる9月下旬にはMLBにおける自身初の2桁勝利[ 96] および規定投球回クリア[ 97] を達成した。最終的には、完封勝利こそなかったものの11勝6敗、700人の打者を相手に防御率4点未満、WHIP1.3未満、与四球50未満、奪三振180以上という、初年度の2019年を上回る安定した成績でシーズンを終えた。
アストロズ時代
2024年 7月29日にジェイク・ブロス 、ジョーイ・ロペルフィド (英語版 ) 、ウィル・ワグナー とのトレードでヒューストン・アストロズ に移籍した[ 98] [ 99] 。なお、菊池はアストロズに所属した初の日本人投手である[ 100] 。9月8日、ダイヤモンドバックス戦に先発し、今季8勝目を挙げ、メジャー通算40勝目となり石井一久を抜いて日本人投手の左腕通算勝利数で単独トップとなった。またこの日の6奪三振で今季183奪三振とし、昨季を2個上回って自己最多を更新した[ 101] 。オフの11月1日にFAとなった[ 102] 。
エンゼルス時代
2024年11月27日にロサンゼルス・エンゼルス と3年6300万ドルの契約を結んだ[ 103] [ 104] 。背番号は「16 」。
選手としての特徴
球持ちのよいスリークォーター から最速99mph[ 105] (約159km/h)・平均95.5mph[ 106] (約153.7km/h、2024年シーズン)のストレート と、平均約136km/hのスライダー [ 23] [ 107] の2球種で全投球の8割超を占め、その他に平均約117km/hの縦のカーブ [ 107] 、稀にチェンジアップ やフォーク [ 108] を使用する[ 109] [ 注釈 5] 。
肩甲骨の可動域が広く、投球フォームは「外旋が一番効く」というスリークォーター だが、「スリークォーターの意識だとオーバースロー になる」ためサイドスロー を意識することでスリークォーターで投げているという[ 110] 。クイック は高校時代には1.0秒台を記録していた[ 111] 。
テレビゲーム・実況パワフルプロ野球 の影響で2013年からチェンジアップを投球に加え[ 112] 、同年は被打率.106を記録する決め球となった[ 113] 。しかしその後球速が増加してからは制球が難しくなりチェンジアップの投球割合は減少[ 114] 。菊池本人は「ストレートが走り出すと抜く変化球は難しいのかな」と語っている[ 114] 。
高校時代に第81回選抜高等学校野球大会 で菊池と対戦経験がある今宮健太 は、「100%(内角速球)来るとわかっていても打てなかった」と語っていた[ 115] 。プロ入り当初は球威を失っていたが、投球フォームを安定させボールの回転が真っ直ぐになったことで球威が復活した[ 116] 。
打者走者としても一塁到達まで4.0秒台を記録する俊足を誇っている[ 111] 。
西武時代は福岡ソフトバンクホークス を苦手とし、デビューからの同一カード連敗記録を更新し、防御率でも、他のパシフィック・リーグ4球団および交流戦の防御率は全て2点台にもかかわらず、対ソフトバンクだけは5点台と相性が悪い。2018年8月24日には、通算で一軍公式戦18試合目の対戦で13敗目を喫し、1960年から1963年にかけて梶本隆夫 (阪急ブレーブス)が対南海戦で13連敗を記録して以来55年ぶりにリーグの同一カード連敗記録に並んだ[ 117] [ 118] 。2017年、16勝を挙げ最多勝のタイトルを獲得した年に6敗しているが、そのうち4敗はソフトバンクに対するものであった。2018年9月28日には7回3失点で、19試合目にして初勝利を挙げた[ 119] 。しかし、クライマックスシリーズファイナルステージ では初戦に先発するも5回6失点でKOされ敗戦投手となっている。一方で、他のパ4球団には通算で2桁勝利を挙げている。特に、東北楽天ゴールデンイーグルスに強く、2017年だけで8勝0敗・CS第1ステージでも勝利した。楽天戦の通算成績は、21勝6敗。
マリナーズ1年目を終えたオフにテイクバックを中心とした大胆なフォーム改造に着手した[ 120] 。またこれまで投げていた変化球の球速を上げ、スライダーはカットボール、カーブはスライダーとなり、本人もカーブは実質投げていない状態と語っている[ 121] 。
移籍後も西武時代から引き続きチェンジアップの精度に苦労していたが、2021年からマリナーズの特任コーチに就任した岩隈久志 から「バドミントンの羽根を打つイメージで」と助言を受けたことを機にチェンジアップの精度が格段にアップした[ 122] 。
人物
利き手 は左だが、箸は右利き[ 123] 。生まれつき右利きであったが、保育園に入園した際に保育士が勘違いして左利きとして接していたら、そのまま左利きになった。小学生時代には野球以外にもバレーボール 、水泳 、器械体操、習字、ピアノ、そろばん、将棋 、絵など数々の習いごとをしていた[ 124] 。
趣味はラーメン の食べ歩きと読書 で[ 17] [ 125] 、若獅子寮 入寮の際は「(持っている本の)10分の1くらい」としながらも50冊を超える本を持ち込んだ[ 125] 。日本経済新聞 で読書日記を連載した際には、愛読した本として司馬遼太郎 『燃えよ剣 』、浅田次郎 『壬生義士伝 』、童門冬二 『上杉鷹山』、清水潔 『殺人犯はそこにいる』、沢木耕太郎 『敗れざる者たち』などに言及している[ 126] 。故郷で行われている岩手読書感想文コンクールでは2020年の第53回から「菊池雄星特別賞」が設けられ自身も審査している[ 127] 。
好きな投手にはクレイトン・カーショウ とジオ・ゴンザレス を挙げ[ 114] 、理想の投手にはランディ・ジョンソン を挙げている[ 128] 。球速へのこだわりがあり、世界最速記録となる105mph(約169km/h)を計時したアロルディス・チャップマン も目標としている[ 39] 。
愛称はMLBでは「U Say 」で2019年のプレイヤーズ・ウィークエンド (英語版 ) でも背ネームに用いた[ 129] 。MLB移籍当初は監督やコーチから頭文字を取ったYK と呼ばれていたが、菊池自身が気に入っていなかった[ 130] 。
登板前には睡眠時間が長く必要とするタイプで、11時間眠っても「睡眠不足」による首痛を発症したことがある[ 131] 。
出身地の岩手県にある花巻市総合体育館 の隣地に自費を投じて室内練習場「King of the Hill」を建設し2024年11月から利用を開始した[ 132] [ 133] [ 134] 。鉄骨造の平屋(広さは約1400平方メートル)で、投球練習場と打撃練習場を各2か所、トレーニング室などの他にトラックマン など最新の機材も導入された[ 133] 。
詳細情報
年度別投手成績
年 度
球 団
登 板
先 発
完 投
完 封
無 四 球
勝 利
敗 戦
セ 丨 ブ
ホ 丨 ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ 丨 ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
2011
西武
10
9
2
0
0
4
1
0
0
.800
231
54.1
63
6
8
0
3
24
1
0
26
25
4.14
1.31
2012
14
12
0
0
0
4
3
1
0
.571
339
81.1
75
5
25
0
1
57
3
0
34
28
3.10
1.23
2013
17
17
3
3
1
9
4
0
0
.692
441
108.0
79
5
44
0
3
92
2
0
28
23
1.92
1.14
2014
23
23
1
0
0
5
11
0
0
.313
615
139.2
133
9
78
0
5
111
7
1
61
55
3.54
1.51
2015
23
21
0
0
0
9
10
0
0
.474
542
133.0
97
9
55
1
2
122
5
1
48
42
2.84
1.14
2016
22
22
2
0
0
12
7
0
0
.632
595
143.0
117
7
67
0
2
127
3
0
51
41
2.58
1.29
2017
26
26
6
4
0
16
6
0
0
.727
735
187.2
122
16
49
0
6
217
6
0
49
41
1.97
0.91
2018
23
23
1
0
0
14
4
0
0
.778
654
163.2
124
16
45
0
4
153
7
0
59
56
3.08
1.03
2019
SEA
32
32
1
1
0
6
11
0
0
.353
721
161.2
195
36
50
0
6
116
5
1
109
98
5.46
1.52
2020
9
9
0
0
0
2
4
0
0
.333
194
47.0
41
3
20
0
0
47
3
0
27
27
5.17
1.30
2021
29
29
0
0
0
7
9
0
0
.438
666
157.0
145
27
62
0
5
163
6
0
82
77
4.41
1.32
2022
TOR
32
20
0
0
0
6
7
1
0
.462
454
100.2
93
23
58
0
9
124
3
0
67
58
5.19
1.50
2023
32
32
0
0
0
11
6
0
0
.647
700
167.2
165
27
48
0
4
181
7
0
78
72
3.86
1.27
2024
22
22
0
0
0
4
9
0
0
.308
497
115.2
125
17
30
0
2
130
2
0
63
61
4.75
1.34
HOU
10
10
0
0
0
5
1
0
0
.833
239
60.0
42
8
14
0
0
76
2
0
22
18
2.70
0.93
'24計
32
32
0
0
0
9
10
0
0
.474
736
175.2
167
25
44
0
2
206
4
0
85
79
4.05
1.20
NPB :8年
158
153
15
7
1
73
46
1
0
.613
4152
1010.2
810
73
371
1
26
903
34
2
356
311
2.77
1.17
MLB :6年
166
154
1
1
0
41
47
1
0
.466
3471
809.2
806
141
282
0
26
837
28
1
448
411
4.57
1.34
2024年度シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最高
MLBポストシーズン投手成績
年 度
球 団
シ リ | ズ
登 板
先 発
勝 利
敗 戦
セ | ブ
ホ | ル ド
勝 率
打 者
投 球 回
被 安 打
被 本 塁 打
与 四 球
敬 遠
与 死 球
奪 三 振
暴 投
ボ | ク
失 点
自 責 点
防 御 率
W H I P
2023
TOR
ALWC
1
0
0
0
0
0
.---
8
1.2
3
0
1
0
0
0
0
0
1
1
5.40
2.40
出場:1回
1
0
0
0
0
0
.---
8
1.2
3
0
1
0
0
0
0
0
1
1
5.40
2.40
年度別投手(先発)成績所属リーグ内順位
年 度
年 齢
リ | グ
完 投
完 封
勝 利
勝 率
投 球 回
奪 三 振
防 御 率
2011
20
パ・リーグ
-
-
-
-
-
-
-
2012
21
-
-
-
-
-
-
-
2013
22
4位
1位
-
-
-
-
-
2014
23
-
-
-
-
-
-
-
2015
24
-
-
-
-
-
7位
-
2016
25
5位
-
4位
5位
-
7位
2位
2017
26
2位
1位
1位
3位
1位
2位
1位
2018
27
10位
-
2位
2位
4位
2位
2位
2019
28
ア・リーグ
7位
3位
-
-
-
-
-
2020
29
-
-
-
-
-
-
-
2021
30
-
-
-
-
-
-
-
2022
31
-
-
-
-
-
-
-
2023
32
-
-
-
7位
-
-
-
2024
33
-
-
-
-
-
5位
-
年度別守備成績
年 度
球 団
投手(P)
試 合
刺 殺
補 殺
失 策
併 殺
守 備 率
2011
西武
10
1
12
1
1
.929
2012
14
3
14
0
0
1.000
2013
17
6
16
1
1
.957
2014
23
6
33
2
0
.951
2015
23
9
15
3
0
.889
2016
22
11
33
1
3
.978
2017 [ 135]
26
14
38
2
4
.963
2018
23
10
18
5
2
.848
2019
SEA
32
10
12
1
1
.957
2020
9
3
5
0
0
1.000
2021
29
6
13
0
1
1.000
2022
TOR
32
4
11
1
1
.938
2023
32
4
10
1
2
.933
2024
22
5
11
0
0
1.000
HOU
10
2
2
0
0
1.000
'24計
32
7
13
0
0
1.000
NPB
158
60
179
15
11
.941
MLB
166
34
64
3
5
.970
2024年度シーズン終了時
各年度の太字 はリーグ最高
各年度の太字年 はゴールデングラブ賞 受賞
タイトル
NPB
表彰
NPB
記録
NPB
初記録
投手記録
打撃記録
節目の記録
その他の記録
MLB
初記録
その他の記録
NPB/MLB通算
節目の記録
背番号
17 (2010年 - 2013年)
16 (2014年 - 2018年、2022年 - 2024年)
18 (2019年 - 2021年)
登録名
雄星 (ゆうせい、2010年)
菊池 雄星 (きくち ゆうせい、2011年 - )
登場曲
関連情報
CM
脚注
注釈
^ 最多勝利 1個、最優秀防御率 1個
^ ベストナイン 2個、ゴールデングラブ賞 1個
^ 2010年度4月入学者は、同通信教育部の学則により10年後の2020年3月までは在籍可能(万一、休学を余儀なくされた場合でも上限の4回までの休学ならば、在籍自体は2024年3月まで可能)。ただし、2016年度末までに介護実習、2017年度末までに教育実習 ・教職実践演習の単位を確定させなければ、東北福祉大学での教育職員免許状に必要な単位がそろわないことになる。
^ 併せて、特別支援学校 の免許を目指すのであれば、併せて障害者教育実習の単位の確定を要するが、東北福祉大の事情により、万が一かなわない場合は、他学で教育職員免許状 のための単位履修が必要になる。これも、期限は2017年度末となる、2018年3月までとなる。
^ 平均球速は2017年シーズンに基づく(2017年7月28日現在)。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
菊池雄星 に関連するカテゴリがあります。
業績 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
1972年から1985年まではダイヤモンドグラブ賞
1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
投手 - 捕手
2000年代 2010年代
2010 阿部慎之助 , 和田毅
2011 内海哲也 , 坂口智隆
2012 杉内俊哉 , 吉川光夫
2013 能見篤史 , 田中将大
2014 山田哲人 , 則本昂大
2015 畠山和洋 , 菊池雄星
2016 鈴木誠也 , 大谷翔平
2017 丸佳浩 , 松本剛
2018 石山泰稚 , 石川歩
2019 柳裕也 , 鈴木大地
2020年代
1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 2000年代 2010年代 2020年代
グループ会長:堀義貴 、代表取締役社長:菅井敦 HORIPRO
男性タレント 女性タレント 男性お笑いタレント 文化人・芸術家 キャスター・DJ ホリプロ アナウンス室 スポーツ 音楽アーティスト その他 旧所属タレント
プロダクション パオ
ホリプロ・ ブッキング・ エージェンシー
ホリプロコム
役員 男性所属タレント 女性所属タレント (ホリプロ本体から移管) 業務提携 旧所属タレント
Depeche (男性モデル)
明日光栗栖
睦
石岡剛
出井はるき
瓜生昇
EIKICHI
勝岡信幸
惠介
関口圭二
瀬山修
唯文
DANIEL
チャーリィ湯谷
津端清司
TOCO
中臣竜也
西村裕
原靖
HIROHITO
藤本幹夫
前田寛之
萬浪大輔
宮脇雅朗
柳秀雄
LUPIN
RAY WEST
Booze (女性モデル)ホリプロ インターナショナル ホリプロ デジタル エンターテインメント 関連項目 関連人物
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