おはよう!ナイスデイ
『おはよう!ナイスデイ』は、フジテレビ系列で1982年4月1日から1999年3月31日まで生放送していた平日朝のワイドショー・情報番組である。 1998年3月30日から放送終了までは、『おはよう!』をタイトルから外して、『ナイスデイ』のタイトルで放送された。 概要『小川宏ショー』の終了に伴い、「しぼりたての朝」をキャンペーンフレーズとしたフジテレビ平日朝枠の大改編の目玉番組の一つとして1982年4月1日に放送を開始。『3時のあなた』でアシスタントを務めていた須田哲夫、『FNNニュースレポート6:30』のキャスターだった田丸美寿々(いずれも当時フジテレビアナウンサー)、フリーアナウンサーの荒川強啓を初代の総合司会に起用した。荒川は山形放送のアナウンサーだったが、当番組の開始に合わせて同局を退職している。もっとも、田丸は1983年2月に司会を降板したうえで、翌3月末にフジテレビを退職。1985年4月から2年間は、荒川に代わって、関西テレビアナウンサー(当時)の桑原征平が須田とのコンビで総合司会を務めていた。 桑原は、『ハイ!土曜日です』(「『小川宏ショー』の土曜版」という位置付けで当番組と同じ時間帯に関西テレビが制作していた全国ネット向けの生放送番組)で1975年10月から放送されていた「征平の挑戦」(体験ロケ企画)での体当たりリポートで全国的な知名度を得たことを背景に、1984年4月から『モーニングスタジオ 土曜!100%』(『ハイ!土曜日です』の2代後の番組)でメイン司会を担当。『土曜!100%』では視聴率が徐々に上昇していたが、関西テレビ局内の事情から1年で終了することが決まったため、終了後の長期休暇が内定していた桑原に当番組のプロデューサーが「田丸の後任にふさわしい」との理由で白羽の矢を立てた。結局、フジテレビ・関西テレビ両局の上層部を巻き込んだ折衝の末に、「桑原をアナウンス職のまま関西テレビの東京支社へ単身で赴任させたうえで、『桑原の使用料』(1日につき5万円)をフジテレビから支払わせることを条件に、『番組出向』扱いで当番組へ出演させる」という体制に落ち着いた。なお、桑原は出向期間の満了(1987年3月)を機に当番組の司会を退いたが、関西テレビ本社への復帰後もインタビュー企画で当番組に出演している。 1994年4月改編には、直前に『めざましテレビ』が開始したことに伴い、『ひらけ!ポンキッキ』の後継番組である『ポンキッキーズ』を夕方に移した上で、放送開始時刻を8時に繰り上げ。新総合司会にTBS出身の生島ヒロシを迎えた[注釈 1]。「日本の朝はこれでいいのか」をキャンペーンフレーズにしたフジテレビでは『めざましテレビ』と本番組、直後の『どうーなってるの?!』を合わせ5時55分から11時25分まで5時間半の連続生放送が実現。この期間、本番組は8時からの30分間はカスタム時刻表示を導入していた(『めざましテレビ』とフォントは同じだが、色違いで緑色を使っていた)。しかし、半年後の10月改編で本番組は8時30分開始に戻ることとなる。空いた30分枠には『ポンキッキーズ』が戻ることとなった。 1998年3月30日からタイトルは「おはよう!」を外して『ナイスデイ』に変更し、さらに半年後には開始時刻を5分前倒しして8時25分開始[注釈 2] とするリニューアルを図った。『タイム3』から6年半午後のワイドショー枠で総合司会を務めた笠井信輔(当時フジテレビアナウンサー)と女優の榊原るみを起用した(年齢的には榊原が10歳以上年上になるが番組の総合司会序列では笠井がメインだった)。 1999年3月31日に番組は終了し、『小川宏ショー』と同じく17年の歴史に幕を閉じた。同年4月1日からは、後継番組として『どうーなってるの?!』の総合司会だった小倉智昭を総合司会に迎えた『情報プレゼンター とくダネ!』を開始し、放送開始時刻を4年半ぶりに8時へ繰り上げた[注釈 3]。なお、笠井は同番組にサブ司会兼メインアシスタントとして続投し、2019年9月まで出演した。 末期では、時間帯視聴率民放最下位を記録するケースもあった[1]。 1989年11月ごろまで手書きのテロップを使用していたが、1989年12月ごろからワープロのテロップを使用した(『タイム3』『生島ヒロシのおいしいフライパン』『THE WEEK』なども同様)。 出演者放送時間・総合司会・芸能デスク
コーナーキャスター歴代コメンテーター○印の出演者は『とくダネ!』も続投。
コーナーレギュラー・常連ゲストレポーター○印の出演者は『とくダネ!』も続投。☆は『3時のあなた』、△は『タイム3』の担当時期があった。開始初期は初代総合司会に当番組の前に担当していた番組(『3時のあなた』、『FNNニュースレポート6:30』)でスタジオ進行ながらレポーターとしても多数の取材経験を積んでいた須田・田丸を起用した経緯から総合司会陣もレポーターを兼ねており、特に初代総合司会の須田は重要な事件の取材時にはスタジオキャスターとしてではなく、現場からの中継(もしくは電話)でレポーター扱いで出演することも多々あった。 ナレーションネット局
スタッフ
エピソード
脚注注釈
出典
外部リンク
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