セルゲイ・エヴゲーニエヴィチ・ボロノフ(ヴォロノフ、ロシア語: Сергéй Евгéньевич Вóронов、ロシア語ラテン翻字: Sergei Evgenyevich Voronov、1987年10月3日[1][2] - )は、ロシアの元フィギュアスケート選手(男子シングル)。
2008年、2009年ロシア選手権優勝。 2014年ヨーロッパフィギュアスケート選手権準優勝。2014年グランプリファイナル3位。
経歴
1987年10月3日、モスクワで生まれる。1991年にフィギュアスケートを始めた。その2年後には滑走中の事故で鎖骨を折り、両親にスケートを辞めさせられそうになったことがあるという[3]。
コーチのラファエル・アルトゥニアンがロシアを去ったため、2000年にサンクトペテルブルクのアレクセイ・ウルマノフのもとへ移った[3]。世界ジュニア選手権は2005年大会をインフルエンザで棄権した後[1]、2006年、2007年と2年続けて表彰台に上る。2006-2007シーズンからはISUグランプリシリーズに参戦。2007-2008シーズンのGPエリック・ボンパール杯で2位となった。ロシア選手権では2008年、2009年と連覇。2008年欧州選手権では4位に入った。
バンクーバーオリンピック代表落選
2009-2010シーズン、SPから積極的に4回転と3回転のコンビネーションを組み込んできた。中国杯では3位。オリンピック代表選考がかかったロシア選手権ではトリノオリンピック金メダリストのエフゲニー・プルシェンコに次ぐ2位となり、バンクーバーオリンピック出場に王手をかける。しかし、派遣された欧州選手権で14位に沈んでしまったことを受け、オリンピック代表2枠目はロシア選手権3位のアルチョム・ボロドゥリンが内定した。シーズン終了後、コーチをニコライ・モロゾフに変更した[4]。
ソチオリンピック代表落選
2010-2011シーズン、中国杯はSPの途中に怪我をして棄権。その怪我のためにエリック・ボンパール杯の出場を取り止めた。ロシア選手権ではSP10位と出遅れるが、FSで3位、総合では4位となった。
2012-2013シーズン、中国杯では3年ぶりにグランプリシリーズのメダルを獲得。ロシア選手権は2位。シーズン終了後にエテリ・トゥトベリーゼにコーチを変更した。
2013-2014シーズン、ソチオリンピック代表がかかったロシア選手権では3位。6度目の出場となった欧州選手権ではSP、FS共に自己ベストを更新し、銀メダルを獲得した。1枠しかないオリンピック代表の有力候補だったマキシム・コフトゥンが欧州選手権で5位に終わったことから一躍代表候補に躍り出たが、ロシアスケート連盟は怪我から復帰したエフゲニー・プルシェンコに対し異例の非公開選考テスト実施すると発表。そこで4回転ジャンプを2本決めたプルシェンコが代表に内定した。
平昌オリンピック代表落選
2014-2015シーズン、ロステレコム杯とNHK杯で2位となり、自身初のグランプリファイナル進出を決め、そこでは銅メダルを獲得した。欧州選手権でも銅メダルを獲得。3年ぶりとなる世界選手権は膝に痛み止めを打ちながらの出場だった[5]。SPは4位につけるもFSではジャンプの跳び過ぎ違反を犯すなどして17位、総合13位に終わった。
2015-2016シーズン、ロシア選手権では5位となり、5年ぶりにメダルを逃した。
2016-2017シーズン、中国杯で銅メダルを獲得するも、ロシア選手権では7位に終わった。
2017-2018シーズン、NHK杯にて自己ベストを叩きだし金メダルを獲得。30歳にしてグランプリシリーズ初優勝を飾った。さらに、スケートアメリカでも銅メダルを獲得し、3年ぶり2度目のグランプリファイナル進出を決めた。2枠を争う平昌オリンピック代表は濃厚かと思われたが、ロシア選手権で4回転ルッツを装備した若手3選手(ミハイル・コリヤダ、アレクサンドル・サマリン、ドミトリー・アリエフ)に敗れ総合4位。代表最終選考会となる欧州選手権への派遣も見送られ、3度目のオリンピック代表落選となった。2018年1月にコーチのインナ・ゴンチャレンコがCSKAモスクワからプルシェンコの創設したフィギュアスケートアカデミーの「エンジェルズ・オブ・プルシェンコ」に移籍した際に同行せず残留。2018年5月8日、コーチをエレーナ・ブイアノワに変更して競技を続けていく事を発表した[6]。
2020年9月12日、自身のInstagramで引退を発表した[7][8]。
引退後
2021年10月よりカザフスタン代表チームを率いてきたが、2022年1月27日に同国スケート連盟の副会長がボロノフが未知の人物により殺害の脅迫を受けていることを記者会見で明らかにした[9]。同年3月15日、ボロノフがカザフスタン代表ヘッドコーチを31日付で辞任することが明らかになった[10]。
主な戦績
2010-2011シーズンから
2009-2010シーズンまで
詳細
プログラム使用曲
脚注
外部リンク