ダニエル・K・イノウエ国際空港
ダニエル・K・イノウエ国際空港(ダニエル・ケー・イノウエこくさいくうこう、英語: Daniel K. Inouye International Airport)は、アメリカ合衆国のハワイ州オアフ島のホノルル近郊にある国際空港。 旧名称はホノルル国際空港(英: Honolulu International Airport)であったが、2017年4月27日よりハワイ州出身で日系アメリカ人初の連邦上院議員となったダニエル・K・イノウエにちなむ現名称に変更された[2][3]。 概要1927年3月21日、ジョン・ロジャース空港(John Rodgers Airport)として開港した[4]。1947年5月2日、ホノルル国際空港(Honolulu International Airport)へ名称が変更された[5]。 太平洋地域のハブハワイ州最大の都市であるホノルル、真珠湾の南東に位置するハワイ州最大の国際空港で、オアフ島のみならずハワイの空の玄関口である。 アメリカとアジアを結ぶ太平洋航空路の結節点に位置することから、アメリカの航空会社がアメリカ本土やアラスカ州、アメリカ領サモアなどとの間の定期便を運航し、日本、台湾、フィジー、タヒチ、フィリピン、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど環太平洋地域各国の航空会社も多く乗り入れる太平洋地域のハブ空港的存在である。オアフ島に隣接するハワイ諸島へのハブ空港にもなっている。 24時間空港24時間空港で日中夜間を問わず発着数も多く、4つの主要な滑走路と水上飛行機用の滑走エリアを持っている。海側にある08R/26Lは海面を埋め立てて造成された滑走路で「リーフ・ランウェイ」と呼ばれる。かつてスペースシャトルの緊急着陸用滑走路に指定されていた。 ウィキウィキシャトルウィキウィキシャトルは1970年から運行している無料の空港内巡回バスである。メインターミナル中心部を使用する便以外の国際線旅客の多くは、ターミナル到着後に到着ゲートからメイン・ターミナルの入国審査場まで2両連結のバスで移動する。このバスは同空港のシンボル的存在となっている。 旧型のバスは車内に空調が装備されておらず、入口に階段がありバリアフリー対応が難しいことから、空調付きの連絡通路を建設して完成後に全廃することになった。だが、2010年の通路完成後もバスの運行は継続しており、2013年には新型のバスが導入された。 団体客専用出口日本をはじめとした周辺諸国から団体ツアー客が多く訪れることもあり、メインターミナルの国際線旅客用出口は、団体ツアー客向けの大型バスの駐車場に直結した団体客専用出口が用意されている。 ヒッカム空軍基地隣接地にアメリカ空軍のヒッカム空軍基地(2010年よりパールハーバー・ヒッカム統合基地の一部)があり、滑走路をホノルル国際空港と共有している。太平洋の中心に位置するアメリカ軍の世界戦略における重要拠点の一つである。 ターミナル旅客ターミナルは3つあり、ターミナル1はハワイアン航空専用でそれ以外の航空会社はターミナル2を使用している。ターミナル3は小型機に特化した施設でモクレレ航空が使用している。 ターミナル2は「メインターミナル」と呼ばれ、空港の中心的な施設である。ハワイアン航空の日本線は例外的にここから出発する。ターミナル2と1はエアサイドが連結しており徒歩で移動できる。ただし検問があり手荷物検査を受ける必要がある。ターミナルのエアサイドは区画ごとにアルファベットが割り当てられ、搭乗口はA9、E2のように番号が付けられている。
貨物機専用ターミナルは5か所の貨物エリア内に、航空会社所有と州所有の9つのターミナルビルが置かれている。各ターミナルは出発カウンターや連絡通路などの空港内の公共スペースの多くがオープンエアとなっている。 就航路線ハワイアン航空の日本線はターミナル2から出発する。 ターミナル1
ターミナル2
ターミナル3
貨物
旅客便就航都市一覧
廃止された路線日本日本 - ホノルル線を運航していた航空会社は、古くはノースウェスト航空とパンアメリカン航空が1940年代に、日本航空が1950年代に就航を開始した。当時から今も運航しているのは日本航空だけである。 日本航空グループは今就航している4空港以外にも、機材の航続距離が短い1970年代初頭までは、ロサンゼルス便やサンフランシスコ便を、ウェーク島とホノルル経由で運航していた[9]。また新千歳空港や仙台空港との間にも毎日定期便を運航していたほか、広島空港や新潟空港などの地方空港との間にも週2往復程度直行便を運航していた。またJALウェイズによって福岡空港との間にも直行便が運航されていたが、2005年10月5日運休となった。 開設当初から同路線のアメリカ側航空会社の主力であったパンアメリカン航空は、1985年に同社の経営状況悪化により路線をユナイテッド航空に譲渡した。ユナイテッド航空(関西国際空港)やコンチネンタル・ミクロネシア(成田国際空港と中部国際空港)、ノースウエスト航空(名古屋空港(当時)などの直行便も相次いで運休となった。 過去にノースウエスト航空(運航開始当初はハワイアン航空名義)によって福岡空港との間にも直行便が運航されていたが、1990年代後半に運休となった。 また1990年代に全日本空輸も名古屋空港と関西国際空港からの直行便を運航していた他、日本エアシステムが成田国際空港との直行便を運航していた(DC-10-30による週2便)が、乗客が集まらずいずれも撤退した。最近では2019年5月に、シンガポール航空傘下の格安航空会社、スクートが当空港への路線(関西国際空港経由)を廃止した。 就航していたものの撤退した航空会社は多く、英国海外航空の世界一周便の一部として東京国際空港からの直行便が1970年代初頭まで運航されていた他、ブラジルのREAL航空や、タイのエア・サイアムが運航していたこともある。撤退ではないが、大韓航空のKE001/002便(ソウル/仁川 - 東京/成田 - ロサンゼルス)は、かつてはホノルル寄航を行っていた。1989年の747-400導入に伴う再編で直行化、寄航中止となったが、2013年3月31日から同便の行先をホノルルに変更し、KE001/002便が再度ホノルルに就航している[10]。 その他その他、1935年にパンアメリカン航空がサンフランシスコ - ホノルル - マニラ - 香港(サンフランシスコ - ホノルル - ミッドウェイ島 - ウェーク島 - グアム - マニラに変更)を結ぶ世界最初の太平洋横断航空便をマーチン M130「チャイナ・クリッパー」飛行艇で開設したものの、第二次世界大戦の勃発により廃止された。飛行艇による太平洋横断便はその後現在に至るまで運航されていない。 エバー航空(台湾)などもそれぞれの国から直行便を運航していたが、いずれも短い期間で運休となったほか、ジャカルタ - マニラ - ホノルル - ロサンゼルス線を運航していたガルーダ・インドネシア航空は、アジア通貨危機による理由などで北米線を廃止して同時に撤退した。かつてカナディアン航空が運航し、その後同社を買収したエア・カナダが路線を引き継ぎ運航していた同社のホノルル-シドニー便も運休となった[注釈 1]。 他の国の航空会社も、アメリカ本土路線を直行化させ、ホノルルから撤収した航空会社も少なくない。シンガポール - 香港 - ホノルル - サンフランシスコ線を運航していたシンガポール航空は、DC-10-30から747-200B、航続距離が長い747-400にスケールアップして直行が可能となり、路線再編で直行化して撤退[注釈 2] した。クアラルンプール - 台北 - ホノルル - ロサンゼルス線を運航していたマレーシア航空も、同じ理由で撤退した[注釈 3]。 ホノルル国際空港とハワイ諸島各地を日本航空機製造YS-11で運航し、ホノルル国際空港とアメリカ本土を結ぶ路線を運航していたミッドパシフィックエアが1988年に運航停止した。アロハ航空が2008年4月1日に運航を停止し、数日後にアメリカ西海岸複数都市とホノルルを結んでいた格安航空会社のATA航空が相次いで運航を休止した。原油価格の高騰もあり、一時ハワイ諸島間、アメリカ本土との間の航空運賃が高騰する原因となった。 ヨーロッパやアフリカ発着の便については、ほとんど運航実績がないが、1970年代初頭までパンアメリカン航空と英国海外航空、日本航空とトランスワールド航空の世界一周便が東京、沖縄(トランスワールド航空のみ)とサンフランシスコ経由でヨーロッパを結ぶ便を乗り入れていた。 空港へのアクセス
州間高速道路H-1号線を使い、タクシーで25 - 30分程度でホノルルのダウンタウンやワイキキに行くことができる他、空港内は多くのレンタカー会社のオフィスが設置されており、多くの旅客が使用している。 スカイライン(ホノルル・レール・トランジット)の空港駅が、2025年以降の開業をめざし建設工事中である。 脚注注釈出典
関連項目
外部リンク |