ダンディ坂野 |
---|
YouTube |
---|
チャンネル |
|
---|
活動期間 |
2020年 - |
---|
ジャンル |
音楽、ゲーム実況 |
---|
登録者数 |
2,770人 |
---|
総再生回数 |
178,810 回 |
---|
チャンネル登録者数・総再生回数は 2024年6月15日時点。 |
テンプレートを表示 |
ダンディ坂野(ダンディさかの、1967年1月16日 - )は、日本の漫談家、お笑いタレント。本名:坂野 賢一(さかの けんいち)。
石川県加賀市出身。サンミュージックプロダクション所属。血液型はAB型。
人物
田原俊彦のようなアイドルに憧れて高校卒業後に上京を模索したものの、その資金がなかったことから、貯めるために地元で働いた後、26歳になった1993年に上京[1]。年齢的な理由とダウンタウンやウッチャンナンチャンがテレビ番組でアイドルと親しげにしていたのを見て、アイドル路線からお笑い芸人路線に方針転換[1]。プロダクション人力舎のスクールJCAに2期生として入学[2]。漫才コンビ「ラブリン」を結成し、ボケを担当するも、「才能が無い」という理由で留年。一期下の3期生とともに1年間学ぶ。その時の3期生にはアンタッチャブルらがいた。卒業後、同スクールの講師だったブッチャーブラザーズの付き人となる。なお、同期とのジェネレーションギャップを感じていた坂野は、この頃(1996年頃)からピン芸人になることを決める[1]。
1996年、大川興業の舞台『すっとこどっこい』でデビュー。そして、テレビ埼玉の番組『パンドラ御殿』でテレビ初出演。同番組内コーナー『探偵物集(ものたかり)』で、松田優作に扮した寺田体育の日とギャグ対決を繰り広げた。でんでんの芸風を受け継いだ漫談メインのスタイルであるため、第二電電とかけた「第二でんでん」が彼のキャッチフレーズだった。
1997年には、師事していたブッチャーブラザーズがサンミュージックに戻る際、行動を共にして一緒に移籍する。2003年、「爆笑オンエアバトル」で人気となり、「ゲッツ!」が「新語・流行語大賞」にノミネートされる。
2004年8月22日に一般人女性と結婚。2009年7月7日に長女、2014年2月5日に長男が誕生した[3]。
その後、「ゲッツ」の部分を他の名詞に置き換えるなど迷走し、テレビ上では一時期は露出が低迷するが、2006年に『アメトーク』で「一発屋芸人BIG3」として注目を浴び、2008年には『ヘキサゴン』準レギュラーとして出演し、一発屋芸人ユニットとしてCDデビューするなど再ブームが到来した。
2022年にはCM起用数が人生最多の34本に達する(ゲッツと発声するCMは2002年以降2024年初頭までの累計で200本以上)など、いまだ健在である。
逸話
経歴
- 「金沢美術工芸大学彫刻科を卒業して上京」というガセネタが流れているが、実際は石川県立大聖寺実業高等学校卒業後は、アルバイトで上京資金を貯め、上京してからも10年ほどはマクドナルドでアルバイトをしていた[4]。ブレイクするまでは、食費さえ出せば手軽に呼べるタレントだった。ちなみに、マクドナルドのアルバイトはブレイクによる多忙で退職することになったが、坂野本人は「いつでも戻ってこられるように、アルバイトの籍は残っている」と語っている。実際は長く真面目にバイトしていたため、店長よりも仕事が出来る立場であり、店長ばかりかバイト仲間の高校生にまで「辞めないで欲しい」と懇願されたためである。また、その店は坂野を始めとするお笑いタレントに協力的であり、坂野の紹介でねづっちやAMEMIYAも勤務していた時期があるとの事である[5]。
- ブレイクするまで年齢を4歳サバ読みしていた(当時の公式プロフィールも1971年生まれと公表)。このことに関して自身は年下の若手芸人と共演する時に気を遣わせないためだったと理由をつけているが、先述の通りスクールJCAのタレント養成コースに数十万の授業料を支払った挙句にカリキュラムを1年延長されて延長料金を取られるなど、ブレイク前には涙ぐましい努力を続けていた[要出典]。
芸風
- 様々な色のタキシードを着用し(ネタ以外では黄色のタキシードが多い)、粋なジョークを飛ばすのが彼の芸風であるが、そのジョークのほぼ全てがテーマに沿った駄洒落を連発するだけのものである。ジョークを言った後に苦し紛れで言う決め台詞「Get's!!(ゲッツ)」は、一時期若者たちの間で流行した。「面白くないネタを披露して、滑って気まずくなった空気の中で使う」のがゲッツの本来の使い方であるが、人気絶頂期には滑るはずのネタがしばしばウケてしまい、彼を困惑させたという。
- 初出として、1996年のフジテレビ深夜番組『ウモクビ2』で原点となる「ゲットゥ」(ほぼ同じジェスチャー)というギャグのネタを発声していることが確認されている。また、フジテレビ内で実際に放送された最古の「ゲッツ」発生のネタ番組は、2002年1月28日放送の番組『超VIP』内での、幼稚園児への漫談披露コーナーであったことが確認されている。
- 基本的には漫談家であり、お人好しな性格でフリートークは得意ではない。
- アメリカンスタイルの司会やスタンドアップコメディに小噺やだじゃれを絡めたスタイルに至った理由は、レンタルビデオ屋でアルバイトしていた時、エディ・マーフィ出演作品を見たのがきっかけ。名前の『ダンディ』もアメリカンな名前という理由から来ている[1]。
- ブレイク後は、野球の送りバントの構えで叫ぶ「二岡!」「江藤!」などの新ギャグの開発にも余念がない。しかし、持ちネタのひとつ「ライドオン!」がレイザーラモンHGに流用され、苦汁を舐めている。「サンキュー・ノーベンバー」などのレアなギャグは、着ボイスとして聴くことができる。
- 「一発屋芸人」と言われているが、実際には他に一発屋で消えていった芸人とは異なり、CMを中心に大活躍しており、2012年のタレントCM起用社数8本はお笑い芸人としては最高本数であった[6]。理由としては「ゲッツ!」の一言がCMの尺にキチンと収まる事と、ポジティブな言葉であり視聴者を不快にさせたり傷付けない事、使いやすい言葉な事、キャラクターが明るい事などが挙げられる。テレビ番組一本に出演するよりもCMの方がはるかにギャラが高いため、安定した生活を送っているという。
- 外国人プロ野球選手のアレックス・ラミレスは、本塁打を打った際に「ゲッツ!」のポーズを取っている。そのためか、2008年に番組収録で地方の幼稚園に行った際に、幼稚園児を笑わせなくてはいけない場面が来て、「ここは芸人として意地をみせねば」と気負い込んで「ゲッツ!」と言うと、「あっ、ラミレスのまねだ。」と園児に一蹴されてしまったというエピソードがある(島田紳助談)。なお、その番組は 紳助が司会を務める番組であった。同じ収録のエピソードで、ダンディの周りに幼稚園児たちが集まってきたが、この園児たちは ダンディのことを知らなかったため、「カメラマンだ!」とカメラマンに夢中で、ダンディには見向きもしなかった。ラミレスのまね(パクリ)だと思われていることについては半ばあきらめており、後に同じような状況に遭遇した際は、開き直って「パクリじゃない、リスペクトしてるんだ」と言い返している[7]。
- ドランクドラゴンの塚地武雅がやる一発ギャグに、「100%の力でゲッツをする」というネタがある。
- 頭髪が徐々に薄くなってきている。本人は「ハゲッツ!」などとネタにしていた。これのおかげでアデランスのCMに起用されたという[8]。
- 東京腸捻転などのライブでは、ダンディNEWSなどの1人コントを披露することもある。漫談のイメージが強いためか、暗転直後に客席がざわめいたことがある(DVD『完売地下劇場REVENGE BASEMENT9 奪取 BASEMENT10 混迷』より)。
衣装
- 坂野の代名詞になっている黄色いスーツは、2003年に出演したマツモトキヨシのCMで着たのがきっかけ。マツモトキヨシの企業カラーがたまたま黄色だったからである[9]。この時以来、黄色いスーツのサイズは15年以上全く同じで、坂野自身も「『ゲッツ!』の人」というイメージを保つべく、体型を保つ努力や肌のメンテナンスを欠かさないという[8]。
- 「ゲッツ」のポーズを取った時に手足を曲げるとぴったりになるように、着るスーツは袖と裾をわざと長く調整している。
- ムーディ勝山とは色違いのタキシードを着用しているため、八代亜紀に「ムーディ」を「ダンディ」と間違えられた。
交友関係
- 同じ事務所に所属するカンニング竹山はテレビ番組で最近のダンディ坂野について聞かれた時、「坂野が『もっと遅くにデビューすればよかった』と嘆いていた」と語った。これは自身がブレークしたことがきっかけになって若手お笑いタレントブームが到来してしまったことを指している。
- 『ヘキサゴンII』での縁で、島田紳助と食事に行くなどの親交を持つようになるが、紳助曰く「普段は面白くない」とのことである。紳助は嫌いな人とはトークでネタ振りを余りしない、余り喋らないという性格であり、坂野を心配しての一種の愛情の裏返しとも取れる。
その他
- ブレイク時は10か月間休み無しで、早朝から深夜まで仕事をこなしていた。そのため、2003年下半期にはプチ鬱になり、身体が追いつかなくなっていったとのこと。
- 『新橋ミュージックホール』1998年10月10日放送分のマイナーなタレント・芸人を紹介する企画に出演し、ビートたけしと共演した。当時はまだブレイク前だったが、この頃から「ゲッツ!」などのギャグや芸風は確立されていた。ゲストの野口五郎からは「楽してるなぁ。僕たちがカックラキンやってる時はいつも傷だらけでやってた」と評された。
- 2003年5月28日発売のシングルCD「OH! NICE GET's!!」は、オリコン・インディーズチャート1位を獲得した。
- 2003年9月に、ウルフルズの曲「ガッツだぜ!!」をパロディ化した「ゲッツだぜ!!」をリリースしたが、ウルフルズのファンなどからの抗議もあり、その年にブレイクしたはなわやテツandトモと揃っての『紅白歌合戦』への出場はならなかった。しかし、綾小路きみまろとともに「応援」としての出場を果たした。
- 2006年、『イマだ!タレント再生工場 「ノムさん」』の企画を兼ねて元祖ムキムキマンとともにEXILEの新ボーカルオーディションに応募するも、一次予選で落選。
- 『特捜戦隊デカレンジャー』に悪役として出演した際、ヒーロー側のメインキャストとは極力話さないようにするなどして、役作りを真剣に取り組んだ。一方、当時ブレイク中の彼に会えることを楽しみにしていたメインキャスト陣はそのことを残念がっていたという[10]。
- 『クイズ!ヘキサゴンII』にて、小島よしお、波田陽区、金剛地武志の3人とともに一発屋2008のユニットに参加している。
- 2009年12月26日にTwitterを開始。開始当日に秋葉原の居酒屋で無料ライブの告知を行った。しかし、結局ライブに人は集まらず、Twitterもその日の投稿以来更新が停止していたが、2010年7月27日に再開。
- 2015年10月から放送開始されるテレビアニメ『俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」としてゲッツされた件』で持ちネタの「ゲッツ」を許諾した[11]。また、アニメ本編にも本人役で出演している。
- 2020年7月から「だんさかch」として公式YouTubeチャンネルを開設。歌や料理、ゲーム実況の動画や配信を行っている。
出演
テレビ
現在の出演番組
過去の出演番組
ラジオ
- テリー伊藤のってけラジオ(ニッポン放送) - 準レギュラーゲスト出演。
- 2005年5月2日放送・中継コーナー「のってけ笑いの殿堂」
- 2008年3月28日放送・1時台ゲスト「のってけファミリー通信」
- 2008年12月29日放送・2時台ゲスト
- 2009年9月11日放送・2時台ゲスト
- 2010年6月21日放送・3時台ゲスト
- 青春アドベンチャー ラジオドラマ「まるみちゃんとうさぎくん」(2022年12月5日 - 9日、NHK-FM)[12]
CM
現在
・金沢柿田商店 (2024? -)
- コスト削減グループ(2014年 - )
- インディグループ(2018年 - )- 岩手県ローカルCM
- 西原物産「DSG」(2019年 - )- 石川ローカルCM 武藤敬司と共演
- ディープラス(2019年 - )- 愛知ローカルCM 橘香恋、澤田実架と共演
- JAPAN PAINT「ジャパンペイント」(2020年 - )
- ホクレン「ホクレンSS」(2023年 - )- 北海道ローカルCM
- フマキラー「キッチン用アルコール除菌」(2023年 - )
- 大樹生命保険「医療一時金サポート 安心をゲッツ」篇(2023年 - )竹内涼真と共演
- だれでもモバイル『ダンディチャレンジ』篇(2023年 - )
過去
映画・Vシネマ
劇場アニメ
テレビドラマ
テレビアニメ
吹き替え
PV
舞台
- ハロ☆プロ オンステージ! 2006「友情と魔法のトランプ〜スター楽屋裏物語」(2006年、日本青年館) - ストーリーテラー、歌謡ショー司会 役
- つんく♂タウンTHEATER第2弾 脱煙応援プロジェクト「手を上げろ!健康強盗だ!」(2007年、新宿村ライブ) - 田島誠一 役
CD
シングル
参加アルバム
VHS・DVD
- 爆笑オンエアバトル Light ダンディ坂野(2003年5月20日、ポニーキャニオン)
脚注
関連項目
外部リンク
|
---|
ヘキサゴンファミリー | |
---|
関係者 | |
---|
番組発のユニット | |
---|
CD/DVD | |
---|
番組 | |
---|
ファミリーコンサート | |
---|
関連項目 | |
---|
解答者…最終回までの1年以内に3回以上番組に出演していた人が対象 |