この項目では、「カルピスまんが劇場」で放送されたテレビアニメシリーズについて説明しています。テレビ東京系列で放送されたテレビアニメについては「楽しいムーミン一家 」をご覧ください。
『ムーミン 』は、トーベ・ヤンソン の同名の小説『ムーミン 』シリーズ、および彼女と末弟ラルス・ヤンソン の共著による『ムーミン・コミックス』を原作とした、日本のテレビアニメ シリーズ。ムーミンが日本で広く知られるようになるきっかけとなった作品である[ 1] 。
概要
本シリーズは、フジテレビ 系列 『カルピスまんが劇場 [ 注釈 1] 』(毎週日曜19:30 - 20:00(JST )にて、以下の2度にわたって制作・放送された。
1969年 10月5日 - 1970年 12月27日 まで全65話が放送された、東京ムービー →虫プロダクション 制作のもの。旧ムーミン と呼称される。
1972年 1月9日 - 12月31日 まで全52話が放送された、虫プロダクション制作のもの。新ムーミン と呼称される。
この他にも、シリーズ全体をまとめて『昭和ムーミン 』や、初期のキャラクターデザインを担当した大塚康生 の名前をとって『大塚ムーミン 』と呼称する場合もある他、後年制作された『楽しいムーミン一家 』を新作として、本シリーズの2作品をそれぞれ旧作の前期版・後期版と位置づけることもある。
以下、本項目では便宜上1.を1969年版、2.を1972年版と呼称する。
2024年現在、ソフト化や配信・放送が一切行われておらず、視聴が困難になっている(後述)。
制作
最初の1969年版は、もともと『ルパン三世 (TV第1シリーズ) 』(1971年 - 1972年)の準備にあたっていた、東京ムービーのスタッフチームによって企画・制作されたもので、同作品の制作が決定し制作に入るまでの期間内に、2クールのみの約束で企画された[ 2] 。
チーフプロデューサーを担当した町田仁によると、最初の1969年版の企画時には対案に別企画[ 注釈 2] が提示されていた。しかし、スポンサーのカルピスが「視聴率 は取れるかもしれないが、情報公害を流す懸念のあるものに手を出すことはできない」と主張、『ムーミン』に決定した。
演出を担当した大隅正秋 によると、制作の際には『ムーミン・コミックス 』を参考にしており、アニメ化に伴うアレンジも、そのコミックス以上にならないことを意識しているという[ 5] 。
声優 の配役については、過去に「岸田今日子 がムーミンの原作を読んだ」という新聞のコラムを見たことを覚えていた大隅が、岸田をムーミンのイメージ配役として企画に出したところ、広告代理店が飛びつき岸田に決定。あとは岸田と演技のバランスをとるため、それまで声優活動を行っていなかったムーミンパパ役の高木均 をはじめ、知名度より実力のある役者が起用された[ 6] 。
雪室俊一 によれば、スナフキンなど原作にない独特のキャラクターの性格は、脚本の山崎忠昭 の考案によるものであるという[ 7] 。スノークのキャラクター作りには、広川太一郎 のアドリブが貢献した[ 6] 。本シリーズ独自の設定であるスノークのお嬢さんの「ノンノン」という名は、音響監督の田代敦巳 が大隅の妻の愛称「ノンちゃん」を基に決めたものである[ 8] 。
本シリーズは、日本国外の児童文学を原作としたという点で、日本のテレビアニメでは嚆矢とも言える作品だった[ 9] 。当時東映動画 にいた高畑勲 は、Aプロダクション に所属して本シリーズのキャラクターデザインを担当した大塚康生 およびAプロダクション社長の楠部大吉郎 から勧誘されて、『長くつ下のピッピ 』制作のためにAプロダクションに(宮崎駿 ・小田部洋一 とともに)移籍するが、『ムーミン』にテレビアニメの可能性を感じていたことを後年理由の一つに挙げている[ 10] 。
東京ムービーの降板
制作・放送が開始され、企画のズイヨーと東京ムービーのスタッフたちは、第7話「さよならガオガオ」を原作者のトーベ・ヤンソン に見てもらうことに決定。トーベから「大変気に入りました」とお墨付きをもらえるものと期待していたが[ 11] 、帰ってきたのは「これは私のムーミンではありません」など、本シリーズに対する否定的な見解、それに後述するような要望を書き連ねた手紙であった[ 12] 。東京ムービーはこのトーベの手紙の内容をクレームと公表し、第26話を最後に制作を終了。前述の通り、『ルパン三世』制作までの繋ぎとして受注していた都合上、以降の制作継続が物理的に不可能であったため、番組を続ける意向であったズイヨー、それにスポンサーやテレビ局への言い訳として、クレームによる撤退としたのであった[ 2] 。
本来、東京ムービーの幹部は安い制作費で作るために、別番組の枠と抱き合わせでアニメ化の権利を入札した。だが東京ムービーのスタッフはトーベの要望に応えてよい作品を作ろうとし、結果として構成セルの枚数が増え、制作費用が非常に高くついてしまった。このような経緯から、赤字番組となった『ムーミン』を切り捨てたがっていた東京ムービーは、トーベの要望と元々2クールの契約だったことを利用、『ルパン三世』の制作のために急遽制作を終了してしまう。社長に呼び出されたムーミン担当の所属アニメーター達は、打ち切りを知らされると同時に怒られ、がっかりした反面ほっとしたという。一方、この日は制作担当責任者の藤岡が出張でおらず、番組を続けたいと思っていた藤岡は翌日に打ち切りを聞いて憤慨した。しかし社長がもう決めてしまっていたため、後の祭りだったそうである[ 11] 。
東京ムービー期の『ムーミン』のレーザーディスク が発売された1989年時点でも、東京ムービーの社内ではトーベの苦情よりも「赤字を作った作品」という評価の方が強く残っており、世間の評価とは裏腹に社内での評価は低いままだった[ 11] 。
虫プロダクションへの交代・視聴者の反応
東京ムービーの契約終了に伴い、第27話『顔をなくしたニンニ』からは新たに虫プロダクション が制作会社として参加した。同社が制作を手掛けるに当たっては、キャラクターデザインを原作の絵に近付ける形でスマートにしたり、スノークのお嬢さん(ノンノン)のリボンを外したり、自動車の使用を控えたりするなど、スタッフはトーベの要望に沿って放送を試みることにした。しかし実際に放送されると、終了後から問い合わせなどが殺到し始めた。
視聴者からは「キャラクターが怖くなった」「つまらなくなったのはなぜ?」「どうしてムードが変わったの?」という意見が出たり、ラジオの深夜放送の投書にも「面白くなくなったのはなぜ?」「なぜ絵を変えたの?」と著しい不評が寄せられた。東京ムービー期の出来に満足していた提供会社のカルピス の役員たちも、第27話を視聴して非常に激しい不満を持った。そのためキャラクターデザインは「日本国内でのみ放送する」という条件で東京ムービー期に近いものへ戻された[ 注釈 3] 。
原作者の不満
この節は中立的な観点 に基づく疑問が提出されているか、議論中です 。
そのため、中立的でない偏った観点から記事が構成されているおそれがあり、場合によっては記事の修正が必要です。議論はノート を参照してください。 (2024年9月 )
トーベ・ヤンソン は、アメリカのカートゥーン (アニメーション)や西部劇 のテレビ放送などを野蛮に思っていたようで、アニメ化すると本シリーズもそれらの要素が波及し、野蛮になるとおそれていたという[ 注釈 4] [要文献特定詳細情報 ] 。実際は原作でもキャラクターが悪さをする場面があり、自動車も登場するが、1969年版の脚本家・山崎忠昭 の著書『日活アクション無頓帖』[要文献特定詳細情報 ] に掲載されたトーベの手紙の全文翻訳では、「出発点、即ち、ムーミン谷、ムーミン的考え方すべてが違って表現されている」に始まり、作品世界の文化から各登場人物の持ち物・服装・生活様式に至るまで、こと細かに要望が書き連ねてある[ 注釈 5] [要文献特定詳細情報 ] 。「スノークのお嬢さん」に名付けた「ノンノン」という名前も、「no 」や「non 」という否定的な響きに受け取れるとした。
東京ムービー制作期の大塚康生によるキャラクターデザインは、原作小説の挿絵をベースとしつつも大胆にアレンジしており、動きのかわいさや絵の丸みを大切にマシュマロ のような柔らかさをもって描かれていた[ 13] [要文献特定詳細情報 ] [疑問点 – ノート ] 。当時の視聴者にはこの丸みを帯びたキャラクターデザインが「かわいい」と受け入れられたが、トーベにはシャープさに欠けると不評だったようである[要文献特定詳細情報 ] 。また、本来は妖精という設定を視聴者に「ムーミンは河馬(カバ)」と勘違いさせた要因は、角ばった顔と灰色の彩色とも指摘されている[ 14] 。
虫プロ制作期に作画で参加した森田浩光によると、トーベとは何度か話し合いの場が設けられ、トーベ自身が虫プロに出向いたこともあった。だがトーベの要望には例えば「(黒い手袋をはめて)スナフキンやミイの素手を黒くしてほしい」など日本の風土に合わず採用されなかったものがあり、トーベは「これ(同作品)を海外で売る場合は、〈トーベ・ヤンソン原作のムーミン〉として売ることは認められない」と言っていたという[ 15] 。
1969年版はもとより、1972年版でデザイン変更をさらに試みても、なおトーベ側からは「日本国内はともかく、外国での放送は認めません」の一点張りだった[ 注釈 6] [要文献特定詳細情報 ] と言われている。別の側面としてトーベは本シリーズを全否定したわけではなく、水や空などの背景を「カラー効果が上手くでている」と褒めたり、来日時に「日本的なムーミンもあってもよいと考えるようになりました」と発言し[ 16] [要文献特定詳細情報 ] 、晩年には「自分の描いたムーミンと違っていても子供たちが喜ぶならそれでいい」と本シリーズを肯定する発言もしていた[ 17] 。
1971年 には、1972年版の放送開始記念にトーベが親友のトゥーリッキ・ピエティラ 教授と一緒に日本に招かれた際、1969年版の再放送(日曜)を見せないよう、高橋社長は放送時間帯にトーベをホテルから連れ出して鎌倉 の海岸に誘い出すなど策を練ったという逸話がある[ 11] 。
このように原作者は不満を持っていたものの、視聴者の子供や親からは好評を得て、ズイヨー(瑞鷹)監修のキャラクターグッズやレコード・ビデオなども発売された [要出典 ] 。1972年版の人気を受け、再放送は後述 の『楽しいムーミン一家』放送前日まで繰り返される。トヨタ自動車 は1969年 [ 18] から交通安全の推奨キャラクターに採用し[ 注釈 7] 、長く愛された[ 21] (例:1999年春[ 22] 、2000年春[ 23] )。
町田仁によると、「ムーミンを5歳の男の子という設定にし、ホームドラマにしたところに成功の原因があった」という[ 3] 。
現在
1990年に『楽しいムーミン一家 』が 放送されて以降、日本国内では再放送やソフト化を始めとする本映像シリーズの二次利用は一切行われておらず、ムーミンキャラクターズ社の意向で、基本的に非公開とされている [要出典 ] 。
トーベの姪ソフィア・ヤンソン は、ムーミンの著作権を一括管理するムーミンキャラクターズ社の代表を務め、本シリーズについて「このアニメの製作者たちは、トーベが認めなかった大きな自由を手に入れました。このシリーズには、とりわけ、ムーミンの世界に属さない暴力[ 注釈 8] や状況が含まれていました。登場人物も、トーベが創り出す世界とは見た目も色も違っており、内容だけでなく、形も大きく異なっていました」としている[ 24] 。また、ヤンソン代表は「新作品の公開に依って、本作品を非公開としたのはトーベの意向である」と述べ、「日本人はトーベの決定に失望しました。(原作の)ファンでさえこのシリーズを愛していました」と語るが、代表自身も本シリーズは見たことがないという[ 24] 。
その他方、本シリーズでキャラクターデザインを担当していた大塚康生 は、21世紀初頭でも台湾 では本シリーズが繰り返し再放送されてきたと証言している[ 25] 。
また、トヨタ自動車 では2002年まで、「春の交通安全キャンペーン」の幼児向け交通安全教材として[ 22] [ 23] [ 26] 、本シリーズの設定を使用したムーミンの絵本と紙芝居を配布していた[ 注釈 9] [ 27] 。
2018年1月に行われた大学入試センター試験 の「地理B」で出題された「アニメーションの舞台となった国」に関する問題で、本シリーズのワンカットが使用されている[ 28] 。
2020年、ドキュメンタリー特番『成功の遺伝史 』(3月2日放送分)にて、本シリーズの音楽を担当した宇野誠一郎 が特集された際には、1972年版の本編映像が併せて使用された。本シリーズの主題歌の『ねえ、ムーミン(ムーミンのテーマ)』などは2020年時点も、ムーミン関係[要説明 ] のテレビ映像で使用されることがある[要出典 ] 。
2022年現在、版権者が運営する英語版のムーミン公式サイト[ 29] [ 30] では、本シリーズが1969年版・1972年版共に紹介されており、それぞれの第1話の映像[ 31] [ 32] も公開されているが、いずれもYouTube に違法アップロードされたものがリンクされた ものである[ 29] 。
登場人物
1969年版から登場するキャラクター
※(‐/‐)の各左は初登場話。/の左が1969年版、/の右が1972年版。
ムーミントロール - 岸田今日子 (1話‐65話/1話‐52話)
ムーミンパパ - 高木均 (1話‐65話/1話‐52話)
ムーミンママ - 高村章子 (1話‐65話/1話‐52話)
ノンノン - 武藤礼子 (6話‐65話/1話‐52話)
スノーク - 広川太一郎 (6話‐65話/1話‐52話)[ 注釈 10]
ミイ - 堀絢子 (1話‐65話/1話‐52話)
スニフ - 富田耕生 (1話‐65話/1話‐52話)[ 注釈 11]
スナフキン - 西本裕行 (4話‐65話/4話‐52話)[ 注釈 12]
ミムラ姉さん - 荘司美代子 (3話‐65話/1話‐52話)
ヘムレン - 雨森雅司 (1話‐65話/1話‐52話)
ヘムル署長 - 北村弘一 (3話‐65話/1話‐52話)
スティンキー - 大塚周夫 (?話‐/8話‐)
モラン - 滝口順平 (?話‐65話/1話‐52話)
ジャコウネズミ - 八奈見乗児 (1話‐65話/1話‐52話)
トフス - 貴家堂子 (10話‐65話/?話‐52話)
ビフス - 三輪勝恵 (10話‐65話/?話‐51話)、松金よね子 (1972年版52話のみ)
ひこう(飛行)鬼 - 永井一郎 (?話‐/?話‐45話)→神山卓三 (1972年版46話‐
?話)
ムーミン(1969年版)
解説
企画制作は瑞鷹エンタープライズ 。アニメーション制作は東京ムービー (Aプロダクション 、1970年3月29日放送分(第26話)まで)、虫プロダクション (1970年4月5日放送分(第27話)より)。制作会社変更の経緯については制作の節を参照。
放送初回は8.2%、1969年11月5日には6.5%と低視聴率 だった。しかし徐々に視聴率が上昇し、最終回では最高視聴率となる18.0%を達成(視聴率データはすべてビデオリサーチ 調べ、関東地区)した。裏番組に『サインはV 』→『アテンションプリーズ 』(TBS 系列)という人気番組があったことを考慮すると、健闘したとも言える。当時の他のテレビアニメと比較すると、2〜5歳の子供を持つ20〜34歳の男女の視聴者がかなり多かった。
1969年11月11日付の中央児童福祉審議会 第27回放送推薦番組、第12回(1970年)児童福祉文化賞奨励賞 、日本視聴者会議賞を受賞[ 34] 。
子供調査研究所の「子供が好きなテレビ番組ベスト・テン」(1970年10月20日〜30日調査)で小学2年生女子の5位。
作風について、東京ムービー制作期は、ムーミンに月面旅行をさせる(月面にはウサギがいるという設定 )などユニークな翻案が多い。また、虫プロダクション制作期に移ってからメルヘン度が高まったという。
スタッフ
企画:今泉俊昭(東京ムービー)[ 36]
チーフプロデューサー:町田仁(電通 )[ 36]
プロデューサー:黒川慶二郎
広告代理店:電通
主題歌
全曲とも、作曲・編曲は宇野誠一郎 による。
オープニングテーマ / エンディングテーマ - 「ムーミンのテーマ」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
宇野によると、「ねえムーミン こっちむいて」から始まるこの曲は、初めから藤田が歌うことを想定して書いており、「この感じは彼女にしか出せないんです」と語ったという[ 37] 。だが放送当時は、藤田が中途にCBS・ソニー と歌謡曲歌手としての契約を結んだため、他社が共通に使用できる音源として松島みのり 歌唱版が製作された。また、日本コロムビア は松島歌唱版の共通音源と堀江美都子 歌唱版、ビクター は玉川砂記子 (LPレコード『ねえムーミン』での表記は玉川さきこ)歌唱版をそれぞれ発売し、玉川版は1970年の「第12回日本レコード大賞 」で「童謡賞」を受賞している。
収録音盤によっては「ムーミンのうた」と表記されることもある。
1972年版(下記)の主題歌(同一の詞曲だが、「ねえ! ムーミン」表記)も、歌唱は引き続き藤田が手がけている。こちらは日本コロムビアが録音し直した別音源であり、同社からはこれ以降1972年版で発売されることが多くなった。
オープニング・エンディング映像は大別して「東京ムービー版」(第1 - 26話)と「虫プロ版」(第27 - 終)に分けられる。OPはいずれも変更はなかったが、東京ムービー版EDでは映像は変更されなかった代わりに、第8話のみ後奏に口笛が追加、一方の虫プロ版は「第27 - 48話」と「第49話 - 終」に分けられ、前者は以下の通り度々マイナーチェンジされた箇所も存在する。
第1カット:ミイが映されているが、後期のみスノークのお嬢さん(ノンノン)も一緒に映っていた。
第6カット:中期と後期はムーミンが映されているが、前期はスナフキンが映されていた。
第7カット:前期と中期はムーミンママのみだが、後期はムーミンパパとムーミンママ。
第9カット:前期と中期はムーミンパパ、後期はスナフキン。
第10カット:いずれの時期でもムーミンとムーミンママが映されているが、前期のみムーミンが正面を向いていた。この後、中・後期は制作クレジット(虫プロダクション)だが、前期は制作クレジットがなかった。
挿入歌
「スナフキンのうた[ 注釈 14] 」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行
作中での初使用は、第4話「ふしぎの泉はどこにある?」で、ここでは実際のギターの伴奏での歌唱とされた。以後、ギター伴奏のみで歌唱が省略されたり、オーケストラによる伴奏とともに歌われている[ 注釈 15] 。第5話「パパの思い出のライフル」の冒頭などで、第24話「おさびし山のガンマン」では、口笛が協奏されている。「おさびし山のガンマン」ではパパやスノーク、ヘムレンが金鉱を採掘し始めたことを、止めさせようとするスナフキンがスカーフで口元を覆って変装したガンマン(ムーミンに名を訊かれ「ジャスミン」と名乗るが、後にムーミンには正体はばれている)が出て来る時に、口笛で断続的に吹奏されている。去った後で口元を覆っていたスカーフを下ろして出てくるが、住民はスナフキンと気付かない設定。この時にはギターと口笛の協奏曲という形で同曲が選曲されている。1969年版の最終回では、スナフキンの歌が聞こえてきたのち、同曲が3番まで使用された。その際の伴奏はオーケストラだったが、作中でのムーミンの台詞は「あ!スナフキンのギターだ」とされている。この他、スノークのお嬢さん(ノンノン)の台詞「お、や、す、み」も被っている。「ムーミンのテーマ」と同様、オルゴールやからくりオルゴール(Sankyo製)としても発売され2次使用されている。
「ムーミンパパのうた」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高木均
第3話「雨だ! あらしだ!! 洪水だ!!!」で洪水が引き始めのころ、公園でムーミンパパとムーミンママでムーミンを探している時、パパが公園で作詞作曲して歌った。結果騒音を出した罪で初登場のヘムル署長に2人共逮捕された。
「ノンノンのテーマ[ 注釈 16] 」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 武藤礼子
第6話「帰って来たノンノン」の最後で、一番後の部分の歌詞「♬ちょっぴり♫ 彼と♪気が合う♩だけよ」の部分が本来よりゆっくりめに唄われている“♬ちょぉ~っぴりぃ~♫ かぁれぇとぉ~♪気が合う~♩だけぇ~よぉ~”と流されたのが、アニメーションの中では初使用となった。
第26話「ノンノンこっちむいて」で断続的にではあるが、本格的に曲の全体が使用された。
発売ソフト(レコード、CD)
「おはなしムーミン/ムーミン谷に春がきた」
LP (日本コロムビア 、KKS-20077)
後年CD (CC87)にもなって発売された。
「ムーミンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 堀江美都子
「まだ帰って来ないスナフキン」 作詞 - 能加平 / 歌 - ヤング・フレッシュ
「ふしぎなシルクハット」 作詞 - 能加平 / 歌 - ヤング・フレッシュ
「雲に乗れば」 作詞 - 能加平 / 歌 - ヤング・フレッシュ
「スナフキンの歌」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行
「昔、おれにもキバがあった」 作詞 - 能加平 / 歌 - アオエトリオ
「ねえムーミン」
LP(日本ビクター 、JB-47-S)
「ムーミンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ
「おはようムーミン」 作詞 - 宇野誠一郎 / 歌 - 玉川さきこ
「ムーミンマーチ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子
「ぼくの名前」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ
「蟻の遺言<ムーミン様へ>」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行、玉川さきこ
「ムーミンのさんぽ」 作詞 - 宇野誠一郎 / 歌 - 館野令子
「蝶とムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 館野令子
「ムーミンとバッタ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子、高木均、西本裕行
「ノンノンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ
「なぞなぞ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高木均
「お茶の時間」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高村章子、館野令子
「ママはインチキ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 館野令子、高村章子
「ムーミンパパのうた」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高木均
「スナフキンのうた」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行
「おやすみムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子
「さよならムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子、高木均、高村章子、西本裕行
ソノシート
(ソニー 、P-51)
「ムーミンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
「ノンノンのテーマ(ノンノンのうた)」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 武藤礼子
「ミュージッククリップ20ムーミン」
CD (東芝EMI 、TOCT-9820)
「ムーミンのテーマ」(オープニングTVサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
「ムーミンのテーマ」(エンディングTVサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
「ムーミンは昨日」(エンディングTVサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 増山江威子
「スノーク家のしつけ」(フルサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 広川太一郎
「ちいさなミイ」(フルサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 堀絢子
「ムーミンは昨日」(フルサイズ) 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 増山江威子
「ムーミンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
「ムーミンのテーマ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 松島みのり
「ムーミンパパのうた」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高木均
「ノンノンのうた」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 武藤礼子
「スナフキンのうた」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行
「おはようムーミン」 作詞 - 宇野誠一郎 / 歌 - 玉川さきこ
「ぼくの名前」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ
「ムーミン・マーチ」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子
「おかえりムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、ヤング・フレッシュ
「ムーミンのえかき歌」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、ヤング・フレッシュ
「おやすみムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子
「さよならムーミン」 作詞 - 井上ひさし / 歌 - 玉川さきこ、館野令子、高木均、高村章子、西本裕行
各話リスト
話
放送日
サブタイトル
脚本
コンテ
演出
作画監督
1
1969年 10月5日
シルクハットのひみつ
山崎忠昭
富野喜幸
大隅正秋
大塚康生 柴山努 小林治
2
10月12日
悪魔のハートをねらえ
井上ひさし
芳八太郎
3
10月19日
雨だ! あらしだ!! 洪水だ!!!
高市一男
4
10月26日
ふしぎの泉はどこにある?
山崎忠昭
北川春彦
大塚康生 柴山努
5
11月2日
パパの思い出のライフル
田代淳二
山本博
大塚康生 小林治
6
11月9日
かえってきたノンノン
井上ひさし
大塚康生 柴山努
7
11月16日
さよならガオガオ
吉田喜昭
高市一男
大塚康生 小林治
8
11月23日
ノンノンがあぶない!
吉田喜昭 小沢洋
吉川惣司
大塚康生 柴山努
9
11月30日
ムーミン谷の列車大強盗
井上ひさし
北川春彦
大塚康生 小林治
10
12月7日
ふしぎなこびと
浅野みち子
高橋和十八
大塚康生 柴山努
11
12月14日
消えたコレクション
阿佐南
大塚康生 小林治
12
12月21日
ムーミン谷のクリスマス
井上ひさし 吉田喜昭
吉川惣司
大塚康生 柴山努
13
12月28日
パパは売れッ子作家
雪室俊一
高市一男
大塚康生 小林治
14
1970年 1月4日
ムーミン谷最後の日
山崎忠昭
高橋和十八
15
1月11日
帆を上げろ! ムーミン号
吉田秀子
北川春彦
大塚康生 柴山努
16
1月18日
謎のグノース博士
吉田喜昭
岡崎稔
17
1月25日
ベビーはどこに?
雪室俊一
崎枕
18
2月1日
乞食になりたい[ 注釈 17]
山本一
19
2月8日
月着陸OK!
松元力
吉川惣司
大塚康生 小林治
20
2月15日
スキーでハッスル!
吉田秀子
矢沢則夫
大塚康生 柴山努
21
2月22日
ふしぎな家なき子
松元力
奥田誠治
大塚康生 小林治
22
3月1日
山男だよヤッホー!
雪室俊一
矢沢則夫
23
3月8日
チビのミー大作戦
吉田喜昭
吉川惣司
24
3月15日
おさびし山のガンマン
藤川桂介
北川春彦
大塚康生 柴山努
25
3月22日
おめでとうスノーク
松元力 吉田喜昭
崎枕
大塚康生 小林治
26
3月29日
ノンノンこっちむいて
吉田喜昭
吉川惣司
大塚康生 柴山努
制作会社が虫プロダクションに交代
27
4月5日
顔をなくしたニンニ
雪室俊一
(詳細不明) 虫プロ演出部
村野守美
藤原万秀
28
4月12日
小さな大冒険
藤川桂介
上梨満雄
29
4月19日
ひこう鬼現わる
林政行
村野守美 佐々門信芳
30
4月26日
天国からの贈りもの
雪室俊一
村野守美
森田浩光
31
5月3日
ごめんねスティンキー
吉田喜昭
岡崎邦彦
32
5月10日
森のゆうれい屋敷
加藤有芳
水沢わたる
33
5月17日
おくびょうな豆泥棒
34
5月24日
金の馬銀の馬
宮島邦
村野守美
森田浩光
35
5月31日
夏祭りのオーロラ
藤川桂介
上梨満雄
36
6月7日
ムーミンパパのノート
加藤有芳
林政行
37
6月14日
小さなみにくいペット
奥田誠治
森田浩光
38
6月21日
人魚さんこんにちわ
宮島邦
水沢わたる
39
6月28日
家にいるのは誰だ
40
7月5日
ニョロニョロのひみつ
吉田喜昭
上梨満雄
41
7月12日
マメルクをつかまえろ
吉原幸栄
高橋良輔
42
7月19日
大きな大きなプレゼント
山本功
43
7月26日
あらしの怪獣島
田代淳二
奥田誠治
44
8月2日
海の星はどこに
藤川桂介
水沢わたる
45
8月9日
悪魔の島がやってきた
吉田喜昭
上梨満雄
46
8月16日
真夏の雪を探せ!
沖屋栗八
水沢わたる
47
8月23日
なくしたペンダント
田代淳二
林政行
48
8月30日
歩いてきた山びこ
沖屋栗八
上梨満雄
49
9月6日
ピアノなんか大嫌い
宮島邦
富士見崇
50
9月13日
眠りの輪をぬけだせ
加藤有芳
石黒昇
51
9月20日
秋はおセンチに
田代淳二
奥田誠治
52
9月27日
月夜に踊る人形
吉田喜昭
水沢わたる
53
10月4日
凧が知っていた
石黒昇
54
10月11日
さようなら渡り鳥
沖屋栗八
出崎哲
55
10月18日
鳩は飛ばない
田代淳二
高橋良輔
56
10月25日
ムーミン谷のカーニバル
吉田喜昭
水沢わたる
57
11月1日
お婆ちゃんのひみつ
沖屋栗八
上梨満雄
森田浩光樋口雅一
58
11月8日
ノンノンがいなくなる?
59
11月15日
手品にはタネがある
60
11月22日
ひとりぼっちの冬
61
11月29日
消えた雪うさぎ
吉田喜昭
水沢わたる
62
12月6日
氷姫のいたずら
藤川桂介
上梨満雄
63
12月13日
一日だけのお姫様
星山博之
水沢わたる
64
12月20日
影なんか恐くない
能加平
輔逸平
森田浩光
65
12月27日
おやすみムーミン
藤川桂介
石黒昇
森田浩光 矢沢則夫
放送局(1969年版)
※★印は、『読売新聞』1970年3月2日付夕刊6面、カルピス広告より。
フジテレビ (制作局):日曜 19:30 - 20:00 ★
青森放送 :金曜 18:00 - 18:30[ 38]
秋田テレビ :日曜 19:30 - 20:00 ★
山形テレビ (1970年4月開局から):日曜 19:30 - 20:00[ 39]
仙台放送 :土曜 18:00 - 18:30(1970年9月まで) ★→ 日曜 19:30 - 20:00(1970年10月から)[ 40]
福島テレビ :金曜 18:00 - 18:30(1971年8月 - 9月)→ 月曜 - 金曜 17:15 - 17:45(1971年11月 - 1972年1月)[ 41]
富山テレビ :日曜 19:30 - 20:00[ 42] ★
石川テレビ :日曜 19:30 - 20:00[ 42] ★
福井テレビ :日曜 19:30 - 20:00 ★
長野放送 :日曜 19:30 - 20:00 ★
テレビ静岡 :日曜 19:30 - 20:00 ★
東海テレビ :日曜 19:30 - 20:00 ★ ※1975年10月3日より金曜19:00 - 19:30のローカルセールス枠において本シリーズの再放送を開始[ 43] 。再放送の期間は1年弱にも及んだが、第51話「秋はおセンチに」を放映後、翌週の1976年9月24日に当時の視聴率ドル箱ともいえる「中日 - 巨人」戦をローカルにて放送することになり、雨天中止の場合は「ムーミン」を放送すると告知されたが、試合は中止にならずそのまま同試合を放送(5-2にて中日が勝利)。さらに10月1日からは同時間帯にて、空手試合のダイジェスト番組『ザ・空手』がスタートし、そのまま2022年現在も告知なく中断のままである。
関西テレビ :日曜 19:30 - 20:00 ★
広島テレビ :土曜 18:00 - 18:30 ★
テレビしまね (1970年4月開局から):日曜 19:30 - 20:00
愛媛放送 (1969年12月開局から):日曜 19:30 - 20:00 ★
岡山放送 :日曜19:30-20:00
テレビ西日本 :日曜 19:30 - 20:00 ★
サガテレビ :日曜 19:30 - 20:00 ★
テレビ熊本 :日曜 18:00 - 18:30 ★
ムーミン(1972年版)
解説
1969年版の後半と同様に、企画制作を瑞鷹エンタープライズ、アニメーション制作を虫プロダクションがそれぞれ担当。番組表によっては『新 ムーミン』と表記されることもあった。
作画監督の森田浩光によると、当初は「全く新しい感じのムーミンにしよう」という考えも持ち上がったものの、1969年版のイメージを変えてしまうのは良くないとなり、海外展開は考えず、日本風ムーミンとして制作されたという[ 15] 。
キャラクターの黒目を大きくしたり、道徳的なエピソードを増やしたり、原作を基にした脚本(翻案 )を小説から新聞連載のコミックス[ 注釈 18] のエピソードにしたことなどが、1969年版との違いである[ 44] 。また、脚本はオリジナルエピソードも多い。その他、スナフキンの頭は同作品より茶色の頭髪が描かれ、帽子にも花飾りがあしらわれるようになった。このキャラクターデザインの変更などは「非輸出」を条件としたものだったが、実際には輸出された事例が存在する。
スタッフ
原作 - トーベ・ヤンソン
企画 - 瑞鷹エンタープライズ、高橋茂人
設定 - 星山博之
担当制作 - 橋本直人、井出康道、他
音楽 - 宇野誠一郎
美術監督 - 半藤克美
撮影監督 - 原屋楯男
音響監督 - 田代敦巳
効果 - 柏原満
録音 - 東京スタジオセンター、熊谷良兵衛
現像 - 東京現像所
制作主任 - 国井よういち
チーフディレクター - りんたろう
プロデューサー - 岩崎正美
プロデューサー補 - 野崎欣宏
主題歌など
全曲とも、作曲・編曲は宇野誠一郎 による。
オープニングテーマ
「ねえ! ムーミン」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
1969年版(上記)のOP「ムーミンのテーマ」と同じ歌だが、この時期にはCBS・ソニーとの歌手契約が満了していた模様で、1972年版のために日本コロムビアが新たに録音した。初出音盤はSCS-152(1972年2月発売)。1969年版も含め、2番は番組の中で流れた。※レコードを除く。
エンディングテーマ
「ねえ! ムーミン」(第1回 - 第18回)
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 藤田淑子
「ムーミンはきのう」(第19回 - 第34回、第49回 - 第52回)
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 増山江威子
「ちいさなミイ」(第35回 - 第44回)
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 堀絢子
「スノーク家のしつけ」(第45回 - 第48回)
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 広川太一郎
挿入歌・イメージソング
「スナフキンの歌」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 西本裕行
1969年版からの流用。但しスナフキンがかえってきたでの歌唱は、69年の録音ではなく別に録音したので、歌唱に捻りが加わった音源である.ギター演奏のみの場合か、オーケストラの場合では歌うこともあった。第4話"スナフキンが帰って来た"ではヘムレンさんが捨てたホルンでの演奏もあった。
「ムーミン谷のうた」
作詞 - 田代敦巳 / 歌 - 桜井妙子
OP1のB面に収録。
「えかきうたムーミン」
作詞 - 丘灯至夫 / 歌 - 増山江威子、北川国彦 、はせさん治 、山田俊司 、野村道子
「ムーミンのクリスマス」
作詞 - 井上ひさし / 歌:増山江威子 / コーラス:北川国彦、はせさん治、山田俊司、野村道子
クリスマス企画盤のオムニバスEP 『みんなのクリスマス』(1972年11月発売、C-517)に「仮面ライダー クリスマス」「超人バロム1 のクリスマス」「樫の木モック のクリスマス」と共に収録された楽曲。
「スノーク家のしつけ」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 広川太一郎
最終回でスナフキンがみんなの家を回った時、スノーク、ノンノンの家の前に来た時に流れた。エンディングの流用。
「ムーミンパパのうた」
作詞 - 井上ひさし / 歌 - 高木均
スノーク家のしつけと同じく、スナフキンがムーミンの家の前に来た時に流れた。1969年版の流用。
各話リスト
話
放送日
サブタイトル
脚本
演出
作画監督
作画
1
1972年 1月9日
ゆめ・ゆめ・ゆめ
藤川桂介
石黒昇
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 菊田武勝 上梨壱也
2
1月16日
春を呼ぶ火祭り
田代淳二
上梨満雄
進藤満尾 川尻善昭 安彦良和 吉村昌輝
3
1月23日
今日は[ 注釈 19] 、おしゃまさん
藤川桂介
水沢わたる
芦田豊雄
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 上梨壱也
4
1月30日
スナフキンが帰って来た
吉田喜昭
棚橋一徳
金山明博 朝戸澄子 菊田武勝 高崎勝夫
5
2月6日
狼なんかこわくない
加藤有芳
石黒昇
森田浩光
小川隆男 礼木幾夫 樋口雅一 吉村昌輝
6
2月13日
落ちてきた星の子
平田敏夫
進藤満尾 川尻善昭 安彦良和 上梨壱也
7
2月20日
白い馬と満月と
田代淳二
林政行
芦田豊雄
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 高崎勝夫
8
2月27日
ふしぎなスプーン
吉田喜昭
上梨満雄
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 菊田武勝 上梨壱也
9
3月5日
おじさんは手品師?
沖島勲
小杉信雄
芦田豊雄
小川隆雄 礼木幾夫 樋口雅一 吉村昌輝
10
3月12日
署長さんがいなくなる
吉田喜昭
水沢わたる
森田浩光
進藤満尾 川尻善昭 安彦良和 高崎勝夫
11
3月19日
ムーミン谷は穴だらけ
鈴木良武
南川博
芦田豊雄
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 吉村昌輝
12
3月26日
鏡の中のマネマネ
多地映一
棚橋一徳
小川隆雄 札木幾夫 樋口雅一 高崎勝夫
13
4月2日
ヘムレンさんの約束
藤川桂介
水沢わたる
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 菊田武勝 上梨壱也
14
4月9日
メソメソ君のマイホーム
吉田喜昭
石黒昇
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 吉村昌輝
15
4月16日
ムダ騒動はムダ
林政行
芦田豊雄
進藤満尾 川尻善昭 安彦良和 高崎勝夫
16
4月23日
ミイってやさしいの?
水沢わたる
金山明博 朝戸澄子 岡田敏靖 上梨壱也
17
4月30日
ノンノンの願い
鈴木良武
上梨満雄
森田浩光
小川隆雄 札木幾夫 樋口雅一 吉村昌輝
18
5月7日
海の風車
加藤有芳
平田敏夫
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 高崎勝夫
19
5月14日
ふしぎな遊星人
三枝睦明
石黒昇
芦田豊雄
木山守 黒沢次郎 細島勝男
20
5月21日
ママのハンドバッグ
藤川桂介
樋口雅一
進藤満尾 川尻善昭 安彦良和 木口準
21
5月28日
花占い大事件
雪室俊一
林政行
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 千住美知子
22
6月4日
町からきた少年
栗田邦夫
立花遊
芦田豊雄
小川隆雄 札木幾夫 樋口雅一 高崎勝夫
23
6月11日
ママ、ごめんなさい
田代淳二
水沢わたる
森田浩光
海老沢幸男 鈴木正俊 広瀬和子 木口準
24
6月18日
時計を作ろう
高市一男
宇月始
木山守 黒沢次郎 細島勝男
25
6月25日
夏への扉
吉田喜昭
小林三男
芦田豊雄
進藤満尾 樋口雅一 川尻善昭 太田左秩子
26
7月2日
金色のしっぽ
田代淳二
石黒昇
矢沢則夫
千葉雅子 草柳則子 末次美智夫
27
7月9日
ニョロニョロが怒った
吉田喜昭
上梨満雄
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 石黒篤
28
7月16日
信じる? 信じない?
田代淳二
石黒昇
矢沢則夫
千葉雅子 草柳則子 篠原征子
29
7月23日
水晶玉にはなにがみえる
三枝睦明
出崎哲
芦田豊雄
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 西村あや
30
7月30日
消えないおばけ
多地映一
平田敏夫
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 槌田幸一
31
8月6日
おかしなケンカ
吉田喜昭
樋口雅一
宇月始
木山守 藤原万秀 細島勝男
32
8月13日
消えた人形
田代淳二
石黒昇
矢沢則夫
田中享 草柳則子 石塚弘美
33
8月20日
ひとりぽっちのパパ
栗田邦夫
林政行
芦田豊雄
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 宍倉敏
34
8月27日
ぼくは王様だ!
藤川桂介
上梨満雄
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 坂本公一
35
9月3日
パパの古い靴
沖島勲
芦田豊雄
岡田敏靖 藤原万秀
36
9月10日
おじいちゃんは世界一
栗田邦夫
水沢わたる
森田浩光
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 野田拓実
37
9月17日
月夜になる鐘
吉田喜昭
石黒昇
芦田豊雄
佐々門信芳 礼木幾夫 川尻善昭 新田敏夫
38
9月24日
赤い月の呪い
立花遊
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 千住美知子
39
10月1日
笑いの仮面
多地映一
水沢わたる
岡田敏靖
岡田グループ
40
10月8日
やぶれた絵本
樋口雅一
森田浩光
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 望月敬一郎
41
10月15日
言葉が消える?
加藤有芳
立花遊
芦田豊雄
スタジオ・ルック
42
10月22日
はばたけ! ペガサス
藤川桂介
小林三男
矢沢則夫
田中享
43
10月29日
アリオン のたて琴
田代淳二
崎枕
森田浩光
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 神林光嗣
44
11月5日
雲と遊ぼう
沖島勲
岡田敏靖
岡田グループ
45
11月12日
眠りたい眠れない
藤川桂介
水沢わたる
芦田豊雄
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝
46
11月19日
飛行鬼にまけるな!
加藤有芳
朝戸澄子
森田浩光
スタジオ・ルック
47
11月26日
氷の国をぬけだせ
栗田邦夫
石黒昇
矢沢則夫
田中享 草柳則子 石塚弘美
48
12月3日
こわれたくびかざり
吉田喜昭
上梨満雄
芦田豊雄
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 石黒篤
49
12月10日
消えちゃった冬
藤川桂介
石黒昇
矢沢則夫
田中享 草柳則子 石塚弘美
50
12月17日
パパのぼうけん
多地映一
水沢わたる
芦田豊雄
金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 坂本公一
51
12月24日
スナフキンなんか大きらい
星山博之 立花遊
立花遊
森田浩光
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 遠藤裕一 樋口美知子
52
12月31日
さらばムーミン谷
吉田喜昭
上梨満雄
進藤満尾 樋口雅一 吉村昌輝 西村あや 金山明博 朝戸澄子 上梨壱也 坂本公一
放送局(1972年版)
劇場版
本シリーズの劇場版は2度制作されており、いずれもテレビシリーズのブローアップ版である。
ムーミン(第1作)
1971年 3月17日 、「東宝チャンピオンまつり 」で上映。1969年版第7話「さよならガオガオ」のブローアップ版[ 51] 。上映時間は26分[ 51] 。
同時上映は『怪獣大戦争 キングギドラ対ゴジラ 』(『怪獣大戦争』の改題再映版)『アタックNo.1 涙の不死鳥 』『いなかっぺ大将 』『昆虫物語 みなしごハッチ 』の4本[ 51] 。
ムーミン(第2作)
1972年 3月17日 、「東映まんがまつり 」で上映。1972年版第2話「春を呼ぶ火祭り」のブローアップ版。
同時上映は『ながぐつ三銃士 』『仮面ライダー対ショッカー 』『スペクトルマン 』『さるとびエッちゃん 』の4本。
発売映像ソフト
レーザーディスク(LD ) - 『ムーミン 』第1話 - 第26話。バンダイ 1枚7,800円、全7枚。7枚目のみ片面。1枚目の2面にパイロット版の特典映像。詳細解説紙入り。
ビデオテープ(VHS ) - 『ムーミン』愛の巻(第37、第49話)、夢の巻(第34話、第64話)。Vapビデオ 、東北新社 1巻8,800円。各巻2話収録。
『新 ムーミン』 - ビデオテープVHS。Vol.0 - 25。Vapビデオ、東北新社。各巻2話(例外として、Vol.0は1話、Vol.25は3話)収録。合計26巻。
上記の通り、1969年版のうち虫プロダクション制作期の放送回については、映像ソフト化も極めて限定的なものに留まった。また、ビデオテープ の解説書やカバーには、東北新社の社名が記載されているが、現在の東北新社の関連サイトには『ムーミン 』『新 ムーミン』ともに掲載されていない。
※他に『ムーミンカラーテレビ絵本』として、アニメーションの絵を元にした書籍が1969年版を中心に発売されているが、1972年版はより低年齢の幼児向けに変えられたため、数が少ない。全22冊。
脚注
注釈
^ 日本アニメーションが公式に定める範囲には含まれていないものの、本シリーズを『世界名作劇場』として含める見解も存在する(詳細は当該項目を参照)。
^ 志賀信夫 はその別案を『ハレンチ学園 』としている[ 3] 。
^ もっとも、スノークのお嬢さん(ノンノン)のリボンのような例外もない訳ではない。
^ トーベ・ヤンソンの姪である、ソフィア・ヤンソン(末弟ラルス・ヤンソンの娘)へのインタビュー「叔母トーベ・ヤンソン」で回答。
^ ヤンソンが列挙した点は以下の通り。
「ムーミンは蝶を虫取り網で捕まえたりしません。蝶が自然に捕まるか、逃げるに任せます」
「(スノークの)自動車は使うべきでない」
「(本シリーズに)都会は不向き。彼らは現代社会には生きてはいない」
「ムーミン家の内装を変えて欲しい。広すぎてガランとしている。事務所のようにみえる」
「手を伸ばさないと出来ないならば、ギターの演奏は止めて欲しい」
「ママは常にハンドバッグ、パパはステッキを持つこと」。
^ 『ムーミン』作品の管理を行う「ムーミンキャラクター社(社長;ソフィア・ヤンソン)」による。
^ トヨタ自動車の交通安全キャンペーンは1969年開始、1973年にムーミンを主人公とした「交通安全ぬり絵本」を配布した。その後も交通安全を啓発する絵本[ 19] ・すごろく・レコード・紙芝居[ 20] などムーミンを起用した配布物を製作した[ 21] 。
^ 原作の飛行鬼のハットでムーミンが変身した時に、スニフ、スナフキン、ミイにボコボコに殴る蹴るの暴行を受けたシーンを始め、ギャングや警察が登場する場面では、署長の甥の見習い巡査が密造酒の製造犯人に暴力を振るう場面が描かれている。
^ 原作の「スノークのお嬢さん」が「ノンノン」と表記されており、©ZUIYOの著作権表示もあった。2003年以後はオリジナルキャラクターの絵本・紙芝居に変更されている。
^ 1969年版第8話では、出演しているが未クレジット。
^ 1969年版では富田耕吉と表記される回がある。
^ 1969年版の第49話では、出演しているが未クレジット。また、クレジットの記載文字に誤字で西本裕子となっている回がある。72年版共。
^ 原作 とは異なり、言葉はしゃべらない
^ 「おさびし山のうた」の表記もあり。
^ 以降、作中ではギター伴奏はなく、またギターの時には歌がなく、オーケストラでの伴奏時には歌が入る場合もあった。レコードでは、日本コロムビアでギター伴奏で3番まで歌われている。こちらは冒頭の部分に、ムーミンの「あ! あの声は! あれは! あれは!!…」という台詞が被せられている。
^ 「ノンノンのうた」の表記もあり。
^ 再放送で「金持ちはもうやだ」に変更。
^ 本シリーズではクレジットされていないものの、原作の共同作者でトーベの末弟ラルス・ヤンソンの作品が元になっているものも存在している。
^ 「今日は」の読みは「こんにちは」。
^ 1972年1月16日(第2話)のサービス放送期間中から放送[ 45] 。
出典
^ ムーミン公式 [@moomin_jp] (2019年10月5日). "【今日はなんの日】" . X(旧Twitter) より2022年10月22日閲覧 。
^ a b “第4弾 大塚康生氏 vol.5 ビジネス戦略が一人歩きした ”. おおすみ正秋の仕事場 (2008年9月4日). 2024年5月6日 閲覧。
^ a b 「ムーミン」志賀信夫 『テレビヒット番組のひみつ 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会 、1984年、163-165頁。ISBN 4-14-008369-7 。NDLJP :12275392/85
^ “vol.3 原作者トーベヤンソンとムーミンの時代背景 ”. おおすみ正秋の仕事場 (2008年9月4日). 2019年9月14日 閲覧。
^ a b “vol.8 岸田今日子との出会い ”. おおすみ正秋の仕事場 (2008年9月4日). 2022年3月29日 閲覧。
^ 日活アクション無頓帖 2007 , pp. 181, 「雪室俊一インタビュー 山崎忠昭さんは"全身シナリオライター"だった」
^ “ムーミンの彼女の名前は? ”. ムーミン公式サイト. 2019年9月14日 閲覧。
^ 堀純子「日本における―日本における児童文学と映像作品」『児童文学とそのマルチメディア化 』国際子ども図書館 平成26年度児童文学連続講座講義録(2015年9月)pp.79 - 98
^ 高畑勲、宮崎駿 、小田部羊一 『幻の「長くつ下のピッピ」』岩波書店 、2014年、pp.136 - 138
^ a b c d バンダイ LD 『ムーミン』付属解説書より
^ 日活アクション無頓帖 2007 , pp. 133–135, 「第25章 作者トーベ・ヤンソンからのクレーム」
^ 大塚康生 『作画汗まみれ』
^ “ムーミンはカバじゃない! じゃあ何? ”. 2019年1月27日 閲覧。
^ a b 虫プロダクション資料集編集室『虫プロダクション資料集 1962~1973』虫プロダクション、1977年。
^ 読売新聞 1971年11月11日付
^ “昭和から平成、令和へ。ムーミンアニメの歴史 ”. ムーミン公式サイト (2021年11月5日). 2022年3月29日 閲覧。
^ 幼児安全啓発活動 1999 , 贈呈する教材(表紙のモノクロ画像あり) A.『交通安全絵本』(1969~)(幼稚園・保育園の新入園児に1部ずつ-約200万部) B.『交通安全紙芝居:ムーミンといもむしバス』(1980~)(幼稚園・保育園に1部ずつ-約4万部) 0 [原注] これらの教材は、トヨタ販売会社各社から、毎年全国の園児・指導者に贈呈し(中略)幼児向けに、道路の正しい歩き方・渡り方について、人気キャラクター(ムーミン)を用いやさしく分かりやすく説明すると共に、指導者・保護者向けに、安全指導のポイントを盛り込んだ内容。絵本は保護者との対話を通じた安全教育に、また、紙芝居は集合教育にそれぞれ役立てていただく。
^ 幼児の交通安全啓発活動の継続実施 2000 , (1)幼児向け交通安全教材の贈呈 *掲載作品 **§1-1)交通安全絵本『ムーミンとかくれんぼ』(約200万部)(飛び出しの危険性)
^ 幼児の交通安全啓発活動の継続実施 2000 , (1)幼児向け交通安全教材の贈呈 *掲載作品 **§1-2)交通安全紙芝居『ムーミンとあめ』(約4万部) *紙芝居『ムーミンとヘンシンマン』(チャイルドシートの必要性) *(2)インターネット交通安全教室『クルマのくにのこどもたち』
^ a b 『月刊『ブレーン』』第21巻7(通号252)1981年7月創刊20周年記念特大号、宣伝会議 、1981年7月、59頁、doi :10.11501/2802115 、国立国会図書館書誌ID :000000021009-d280211 。
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^ “vol.9 世界の人を魅了した初代ムーミン ”. おおすみ正秋の仕事場 (2008年9月4日). 2022年3月29日 閲覧。
^ “春の「トヨタ交通安全キャンペーン」を実施 ”. global.toyota . トヨタ自動車株式会社 (2002年3月28日). 2022年3月31日 閲覧。
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^ LittleMy Mymble (2012年11月17日). “【Moomin 1969】01 - The Secret of the Silk Hat 【Japanese】 ”. 2024年9月1日 閲覧。 “概要:This channel is dedicated to the Moomins. Most of the videos are uploaded from NicoNicoDouga, so all the credits goes to the owners. [1969年版のチャンネル概要欄より:「このチェンネルのほとんどの動画はニコニコ動画からアップロードされているため、クレジットはすべてその所有者に帰属します。]”
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^ a b 藤川桂介「II アニメーション時代 ムーミン、新ムーミン--アニメーションに出会う 幻の企画「ムックリムーミンちゃん」」『アニメ・特撮ヒーロー誕生のとき ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマトから六神合体ゴッドマーズまで』ネスコ、1998年8月9日、ISBN 4-89036-979-1 、54-55頁。
^ TV AGE広報部さんのツイート(2018年12月29日) - Twitter
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^ 『福島民報』1969年11月1日 - 1970年12月27日付朝刊、テレビ欄。
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^ 『北海道新聞 』 1972年(昭和47年)1月 テレビ欄。
^ a b c 『河北新報』1972年1月9日 - 12月31日付朝刊、テレビ欄。
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^ 『福島民報』1973年11月28日 - 1974年2月11日付朝刊、テレビ欄。
^ a b c 北國新聞 1972年9月3日付朝刊テレビ欄より。
^ a b 『南日本新聞 』1972年5月31日付朝刊、テレビ欄。
^ a b c 東宝チャンピオンまつりパーフェクション 2014 , pp. 38–39, 「1971春期」
参考文献
映像資料の解説書
発行所の順。
書籍、定期刊行物
主な執筆者、編者の順。
フジテレビ 系列 日曜19:30 - 20:00 (カルピスまんが劇場 )
前番組
番組名
次番組
ムーミン(1969年版) (1969年10月5日 - 1970年12月27日)
アンデルセン物語 (1971年1月3日 - 12月26日)
ムーミン(1972年版) (1972年1月9日 - 12月31日)
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