伊豆半島伊豆半島(いずはんとう)は、日本列島のうち本州の南東部に位置する半島。静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した半島は東岸に相模灘、西岸には駿河湾があり、最南端の石廊崎から太平洋を望む。 地理
伊豆半島の周辺
静岡県の東端部に位置し、南へ約50kmにわたって突き出した、駿河湾と相模灘を隔てている半島である。一説には、南海に突き出ているので、「出づ」から「伊豆」と呼ばれるようになったと言われる[1]。 北部を除き山地が大部分を占め、平坦地は少ない。したがって、市街地は狭く、海岸沿いの低地や谷に住宅が集まっている。東岸に相模灘、西岸には駿河湾がある。最南端は石廊崎であり、太平洋を望む。なお、フィリピン海プレートの東端に載る伊豆諸島や小笠原諸島から沖縄県の各諸島までの海域は、太平洋の一海域であるフィリピン海の一部であるが、この名称は日本では普及していない。 北部は、一級河川の狩野川の沖積平野である田方平野が広がっており、伊豆半島内でも田畑が多く、稲作は弥生時代の遺跡もあり古く農業が行われている[2][3]。 また、伊豆半島は山が険しく人の手の入らない箇所が多くあり、海岸線と天城山などの中北部の山稜が、富士箱根伊豆国立公園の一部として指定されている。 主要な地形
地史
フィリピン海プレート(中央)の最北端に位置する伊豆半島。
伊豆半島の地殻はフィリピン海プレートの最北端に位置している。北アメリカプレートとの衝突のため、岩盤に亀裂が起こり、これにマグマが貫入することにより、伊豆東部火山群が形成されている。このマグマの貫入によって、半島東部では群発地震がしばしば起こっている。 古くは、伊豆諸島の島々と同様に火山島であったこともあり、大型火山が大きく侵食された地形が残り、各地に温泉が湧く。植物相は、本州とは異なる南方系を形成している[4]。半島が海底火山であった頃の噴出物が海底に積み重なってできた地層を、古い順に仁科層群、湯ヶ島層群と呼ぶ[5]。
異説上記の『伊豆半島がフィリピン海プレートに乗って南から移動し、本州にぶつかった』とする説は、プレートテクトニクスに連動したものである。 一方、プレートテクトニクス説が普及する1980年以前は、伊豆半島は現在の位置で形成されたものと考えられていた。プレートテクトニクスに批判的な柴正博は、2016年時点でも半島の移動はなかったと主張している[7]。 伊豆半島の鮮新世の地層からは、大型有孔虫のレピドシクリナが発見されるが、これは日本本土の他の地域では中新世中期の後期までには見られなくなる。この有孔虫は珊瑚礁に生息していたものとされており、これは伊豆諸島および伊豆半島がその当時熱帯にあった証拠と考えられている。これに対し、中新世中期は大規模な隆起が起きていた時期であり、それが周辺海域に粗粒堆積物を多量にもたらして珊瑚礁を全滅させたことで、有孔虫がいなくなったのであり、伊豆半島では大きな川がないためにサンゴ礁が無くならず、有孔虫が生き残ったと柴は推測し、半島が熱帯にあった証拠にならないとしている[7]。 また小笠原諸島の生物相は、海洋島によく見られる生物相の特徴を持つ。それに対し、伊豆諸島はむしろ日本本土の生物相に非常に近い[注釈 1]。伊豆半島が北上して本州に繋がったのだとすれば、同じプレート上にある伊豆諸島、小笠原諸島もそれに伴って移動してきたと考えられるが、柴は先述の生物相の差異を指摘して、これを疑問視している。 柴によれば、過去のある時期に伊豆諸島と本州が同じ陸地にあり、その頃には寒冷な気候で、伊豆諸島の位置までが夏緑広葉樹林帯に覆われていたのが、後に海水面が上昇して島となり、隔離によって種分化が進んだという。中新世末期には、伊豆半島から伊豆諸島の青ヶ島までを含む、巨大な半島(古伊豆半島)が[注釈 2]順次切り離されていったと、柴は推測している。 主な自然災害(20世紀以降)
歴史→「伊豆国」も参照
地域
半島内の地域はそれぞれ、駿河湾に面する西岸を西伊豆(にしいず)、内陸である中北部を中伊豆(なかいず)、相模湾に面する東岸を東伊豆(ひがしいず)、南部を南伊豆(みなみいず)と呼ぶ。なお北伊豆(きたいず)も使われることがあるが使用頻度は低い[注釈 4]。 なお、伊豆地方は東京に近いことから、東海地方ではなく、関東地方の一部として認識されることが多い。衆議院小選挙区においては、静岡県第5区と静岡県第6区にまたがっている。 観光ガイドでのエリア区分例(四分割)
交通鉄道バス道路船舶括弧内は季節運航 (月・木・土曜日は逆回り。水曜日は運休。) 経済関東地方からの観光客に人気な観光地である伊豆半島は、主に熱海・修善寺と伊東の温泉行楽地として知られている。 富士山や箱根と隣接しており、富士箱根伊豆国立公園の一部であると同時に、伊豆半島単独でも伊豆半島ジオパークを構成する。 旅行地として、温泉の他には、海水浴、サーフィン(主に下田)、スキューバダイビング、ゴルフ、オートバイ(ツーリング)などで人気がある。 旅行地として以外では、農業と漁業は地域経済の重要な要素である。 特に内陸はワサビの主要生産地の1つで、郷土料理はワサビ風味となっている。それでも東京や静岡に人口が流出するのを防ぐにはこれは十分ではなく、東京や静岡に対してこれらの産業は有利ではない。 行政伊豆半島は、その全体が静岡県に属している。一般的には、以下の7市と6町から成る「13市町」として言及されることが多い[9][10]。 (地理的に言えば、沼津市と三島市の間に位置し、狩野川水系の柿田川を抱える清水町もここに加えられ、全「14市町」とされてもおかしくないが、清水町は長泉町・小山町と共に駿東郡を構成するため、伊豆地方には数えられないことが多い。)
観光日本でもよく知られた温泉地帯である。数多くの漁港を抱え、新鮮な魚介類と温泉を目当てに観光客が訪れる。山間では山葵(わさび)やわさび漬け、椎茸などの名産品や、イノシシ鍋などの郷土料理もある。 早くから日本有数の観光地域でもあったが、戦後になって大手資本による大規模な開発合戦も行われた。代表的なのは東急電鉄と西武鉄道の伊豆開発競争で、東急は1961年に伊豆急行線を下田まで開通させ、西武は伊豆箱根鉄道駿豆線を軸に、陣取り・誘致合戦を繰り広げた。特に伊豆急行開通後の東伊豆の観光地・別荘地化はめざましいものがあった。 文化面では、川端康成の『伊豆の踊子』を始めとして、文学の舞台となっている街も多い(#伊豆地方を舞台にした小説)。 神社仏閣温泉伊豆地方を舞台にした作品伊豆地方を舞台にした小説
関連書籍
脚注注釈
出典
参考文献
関連項目外部リンク
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