日本の元号一覧(にほんのげんごういちらん)は、和暦でこれまでに使用された日本の元号の一覧である。2019年5月以降は令和が使用されている。
概要
- 明治以前の元号については読み方が明示されなかった[注釈 1]ため、下記に示した読み方は例示である。
- 令和は248個目の元号である。
- カッコ内の西暦は、飛鳥時代から「天正」の始期(元亀4年7月28日/1573年8月25日)まではユリウス暦で、「天正」の終期(天正20年12月8日/1593年1月10日)以降はグレゴリオ暦で表記している。これは、ヨーロッパのカトリック諸国で、天正年間に当たる1582年(天正10年)に、従来のユリウス暦からグレゴリオ暦が導入されたためである[注釈 2]。
- 改元の日付は、平成は翌日改元、令和は翌月改元であり、最初の大化も公布翌月の実施と見られるが、白雉から明治までの多くは当年(年初)から改元する年初改元、大正・昭和は当日(日初)から改元する当日改元だった。これらは過去にさかのぼって改元するため、各元号の有効な期間は、
- その後の文書で当時の日付に言及する場合
- 当時の文書でそのときの日付に言及した場合
- のいずれかで異なる。この表の日付は主に後者であり、年初改元や当日改元は遡時を無視して改元公布の瞬間を元号の切り替わりとみなしている。すなわち、当日は新旧双方の元号に(一部ずつが)属す。しかしこれは(改元後の)公的な扱いとは異なる。法令や標準が整備されている明治以降に関しては、公文書等で使われる、前者の日付も記すこととする。これでは、新元号は当年初めまたは当日初めにさかのぼって始まり、旧元号はその前日に終わっている。
- 使用期間が最短の元号は暦仁で74日間、最長の元号は昭和で62年14日間である。
元号一覧
飛鳥時代
奈良時代
平安時代
鎌倉時代
大覚寺統
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
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漢字 |
読み |
始期 |
終期
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元弘
|
げんこう |
元徳3年8月9日 (1331年9月11日) |
元弘4年1月29日 (1334年3月5日) |
4年 |
後醍醐天皇 |
?
|
鎌倉幕府に擁立された光厳天皇は「正慶」に改元。後醍醐天皇は隠岐に流される。
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持明院統
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
正慶
|
しょうけい |
元徳4年4月28日 (1332年5月23日) |
正慶2年5月25日 (1333年7月7日) |
2年 |
光厳天皇 |
光厳天皇践祚による改元。
|
しょうきょう
|
配流先の隠岐から帰京した後醍醐天皇は、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言。天皇親政を始めた後醍醐天皇は、「建武」に改元する(建武の新政)。
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南北朝時代・室町時代
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
建武
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けんむ |
元弘4年1月29日 (1334年3月5日) |
南朝:建武3年2月29日 (1336年4月11日) 北朝:建武5年8月28日 (1338年10月11日) |
南朝:3年 北朝:5年 |
後醍醐天皇 |
?
|
建武の新政(建武政権)は2年足らずで崩壊し、足利尊氏が離反。建武3年(1336年)に後醍醐天皇は「延元」に改元した。これに対して尊氏は入京して光明天皇を擁立し、「建武」の元号を使い続ける。後醍醐天皇は一旦和睦したものの再び京を脱出して吉野へ逃れ、吉野朝廷(南朝)が成立した。
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南朝(大覚寺統)
北朝(持明院統)
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
「延元」への改元・南朝成立後も、北朝・足利方では引き続き「建武」の元号を使用した。
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暦応
|
りゃくおう |
建武5年8月28日 (1338年10月11日) |
暦応5年4月27日 (1342年6月1日) |
5年 |
光明天皇 |
?
|
れきおう
|
康永
|
こうえい |
暦応5年4月27日 (1342年6月1日) |
康永4年10月21日 (1345年11月15日) |
4年 |
天変や疫病による改元。
|
貞和
|
じょうわ |
康永4年10月21日 (1345年11月15日) |
貞和6年2月27日 (1350年4月4日) |
6年 |
天変や疫病による改元。
|
ていわ |
崇光天皇
|
観応
|
かんのう |
貞和6年2月27日 (1350年4月4日) |
観応3年9月27日 (1352年11月4日) |
3年 |
崇光天皇践祚による改元。
|
かんおう
|
文和
|
ぶんな |
観応3年9月27日 (1352年11月4日) |
文和5年3月28日 (1356年4月29日) |
5年 |
後光厳天皇 |
後光厳天皇践祚による改元。
|
ぶんわ
|
延文
|
えんぶん |
文和5年3月28日 (1356年4月29日) |
延文6年3月29日 (1361年5月4日) |
6年 |
兵革による改元。
|
康安
|
こうあん |
延文6年3月29日 (1361年5月4日) |
康安2年9月23日 (1362年10月11日) |
2年 |
?
|
貞治
|
じょうじ |
康安2年9月23日 (1362年10月11日) |
貞治7年2月18日 (1368年3月7日) |
7年 |
天変や兵革による改元。
|
ていじ
|
応安
|
おうあん |
貞治7年2月18日 (1368年3月7日) |
応安8年2月27日 (1375年3月29日) |
8年 |
疫病や天変による改元。
|
後円融天皇
|
永和
|
えいわ |
応安8年2月27日 (1375年3月29日) |
永和5年3月22日 (1379年4月9日) |
5年 |
後円融天皇践祚による改元。
|
康暦
|
こうりゃく |
永和5年3月22日 (1379年4月9日) |
康暦3年2月24日 (1381年3月20日) |
3年 |
疫病や兵革による改元。
|
永徳
|
えいとく |
康暦3年2月24日 (1381年3月20日) |
永徳4年2月27日 (1384年3月19日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
後小松天皇
|
至徳
|
しとく |
永徳4年2月27日 (1384年3月19日) |
至徳4年8月23日 (1387年10月5日) |
4年 |
甲子革令による改元。
|
嘉慶
|
かけい |
至徳4年8月23日 (1387年10月5日) |
嘉慶3年2月9日 (1389年3月7日) |
3年 |
疫病による改元。
|
かきょう
|
康応
|
こうおう |
嘉慶3年2月9日 (1389年3月7日) |
康応2年3月26日 (1390年4月12日) |
2年 |
病事による改元とみられている。
|
明徳
|
めいとく |
康応2年3月26日 (1390年4月12日) |
明徳5年7月5日 (1394年8月2日) |
5年 |
天変や兵革による改元。
|
長門探題(後に九州探題)の足利直冬は九州の広い地域で7年(=観応2年=1351年)まで貞和の元号を用いた。観応の元号は2年の正平一統によりいったん廃されたが、破談により翌年に復活した。
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南北朝合一後
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
応永
|
おうえい |
明徳5年7月5日 (1394年8月2日) |
応永35年4月27日 (1428年6月10日) |
35年 |
後小松天皇 |
疫病(疱瘡)の流行による改元。
|
称光天皇
|
正長
|
しょうちょう |
応永35年4月27日 (1428年6月10日) |
正長2年9月5日 (1429年10月3日) |
2年 |
称光天皇践祚による改元。
|
後花園天皇
|
永享
|
えいきょう |
正長2年9月5日 (1429年10月3日) |
永享13年2月17日 (1441年3月10日) |
13年 |
後花園天皇践祚による改元。
|
嘉吉
|
かきつ |
永享13年2月17日 (1441年3月10日) |
嘉吉4年2月5日 (1444年2月23日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
文安
|
ぶんあん |
嘉吉4年2月5日 (1444年2月23日) |
文安6年7月28日 (1449年8月16日) |
6年 |
甲子革令による改元。
|
宝徳
|
ほうとく |
文安6年7月28日 (1449年8月16日) |
宝徳4年7月25日 (1452年8月10日) |
4年 |
?
|
享徳
|
きょうとく |
宝徳4年7月25日 (1452年8月10日) |
享徳4年7月25日 (1455年9月6日) |
4年 |
三合の厄を避けるためによる改元。
|
康正
|
こうしょう |
享徳4年7月25日 (1455年9月6日) |
康正3年9月28日 (1457年10月16日) |
3年 |
?
|
長禄
|
ちょうろく |
康正3年9月28日 (1457年10月16日) |
長禄4年12月21日 (1461年2月1日) |
4年 |
?
|
寛正
|
かんしょう |
長禄4年12月21日 (1461年2月1日) |
寛正7年2月28日 (1466年3月14日) |
7年 |
飢饉による改元。
|
後土御門天皇
|
文正
|
ぶんしょう |
寛正7年2月28日 (1466年3月14日) |
文正2年3月5日 (1467年4月9日) |
2年 |
?
|
鎌倉公方の足利持氏は永享への改元を認めず、正長の元号を4年(=永享3年=1431年)まで用いた。古河公方の足利成氏は康正以後の改元を認めず、以後も関東の広い地域において、享徳の元号は27年(=文明10年=1478年)まで用いられた(享徳の乱)。
|
戦国時代
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
応仁
|
おうにん |
文正2年3月5日 (1467年4月9日) |
応仁3年4月28日 (1469年6月8日) |
3年 |
後土御門天皇 |
災異による改元。
|
文明
|
ぶんめい |
応仁3年4月28日 (1469年6月8日) |
文明19年7月20日 (1487年8月9日) |
19年 |
災異による改元。
|
長享
|
ちょうきょう |
文明19年7月20日 (1487年8月9日)[注釈 10] |
長享3年8月21日 (1489年9月16日) |
3年 |
戦乱や疫病などによる改元。
|
延徳
|
えんとく |
長享3年8月21日 (1489年9月16日) |
延徳4年7月19日 (1492年8月12日) |
4年 |
?
|
明応
|
めいおう |
延徳4年7月19日 (1492年8月12日)[注釈 11] |
明応10年2月29日 (1501年3月18日) |
10年 |
疫病などによる改元。
|
後柏原天皇
|
文亀
|
ぶんき |
明応10年2月29日 (1501年3月18日) |
文亀4年2月30日 (1504年3月16日) |
4年 |
後柏原天皇践祚、および辛酉革命による改元。
|
永正
|
えいしょう |
文亀4年2月30日 (1504年3月16日) |
永正18年8月23日 (1521年9月23日) |
18年 |
甲子革令による改元。
|
大永
|
たいえい |
永正18年8月23日 (1521年9月23日) |
大永8年8月20日 (1528年9月3日) |
8年 |
戦乱、天変などの災異による改元。
|
後奈良天皇
|
享禄
|
きょうろく |
大永8年8月20日 (1528年9月3日) |
享禄5年7月29日 (1532年8月29日) |
5年 |
後奈良天皇践祚による改元。
|
天文
|
てんぶん |
享禄5年7月29日 (1532年8月29日) |
天文24年10月23日 (1555年11月7日) |
24年 |
戦乱などの災異による改元。
|
弘治
|
こうじ |
天文24年10月23日 (1555年11月7日) |
弘治4年2月28日 (1558年3月18日) |
4年 |
戦乱などの災異による改元。
|
正親町天皇
|
永禄
|
えいろく |
弘治4年2月28日 (1558年3月18日) |
永禄13年4月23日 (1570年5月27日) |
13年 |
正親町天皇践祚による改元。
|
元亀
|
げんき |
永禄13年4月23日 (1570年5月27日) |
元亀4年7月28日 (1573年8月25日) |
4年 |
戦乱などの災異による改元。
|
安土桃山時代
江戸時代
元号名 |
期間 |
年数 |
天皇名 |
改元理由
|
漢字 |
読み |
始期 |
終期
|
元和
|
げんな |
慶長20年7月13日 (1615年9月5日) |
元和10年2月30日 (1624年4月17日) |
10年 |
後水尾天皇 |
後水尾天皇践祚と戦乱(大坂の陣)などの災異による改元。
|
寛永
|
かんえい |
元和10年2月30日 (1624年4月17日) |
寛永21年12月16日 (1645年1月13日) |
21年 |
甲子革令による改元。 ただし、徳川家光の征夷大将軍任命にあたり「将軍代始改元」を改元事由に加えようとした江戸幕府の意向とする説もあり。
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明正天皇
|
後光明天皇
|
正保
|
しょうほう |
寛永21年12月16日 (1645年1月13日) |
正保5年2月15日 (1648年4月7日) |
5年 |
後光明天皇践祚による改元。
|
慶安
|
けいあん |
正保5年2月15日 (1648年4月7日) |
慶安5年9月18日 (1652年10月20日) |
5年 |
「正保」が「焼亡」に繋がると批判が起きたことによる改元。
|
承応
|
じょうおう |
慶安5年9月18日 (1652年10月20日) |
承応4年4月13日 (1655年5月18日) |
4年 |
徳川家綱将軍就任のためによる改元とみられている。
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後西天皇
|
明暦
|
めいれき |
承応4年4月13日 (1655年5月18日) |
明暦4年7月23日 (1658年8月21日) |
4年 |
後西天皇践祚による改元。 ただし、承応2年(1653年)の内裏火災による改元予定が後光明天皇崩御によって延期されたとの説もあり。
|
万治
|
まんじ |
明暦4年7月23日 (1658年8月21日) |
万治4年4月25日 (1661年5月23日) |
4年 |
江戸の大火(明暦の大火)などの災異による改元。
|
寛文
|
かんぶん |
万治4年4月25日 (1661年5月23日) |
寛文13年9月21日 (1673年10月30日) |
13年 |
内裏火災などの災異による改元。
|
霊元天皇
|
延宝
|
えんぽう |
寛文13年9月21日 (1673年10月30日) |
延宝9年9月29日 (1681年11月9日) |
9年 |
京都大火などの災異による改元。
|
天和
|
てんな |
延宝9年9月29日 (1681年11月9日) |
天和4年2月21日 (1684年4月5日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
貞享
|
じょうきょう |
天和4年2月21日 (1684年4月5日) |
貞享5年9月30日 (1688年10月23日) |
5年 |
甲子革令による改元。
|
東山天皇
|
元禄
|
げんろく |
貞享5年9月30日 (1688年10月23日) |
元禄17年3月13日 (1704年4月16日) |
17年 |
東山天皇践祚による改元。
|
宝永
|
ほうえい |
元禄17年3月13日 (1704年4月16日) |
宝永8年4月25日 (1711年6月11日) |
8年 |
元禄地震による改元。
|
中御門天皇
|
正徳
|
しょうとく |
宝永8年4月25日 (1711年6月11日) |
正徳6年6月22日 (1716年8月9日) |
6年 |
中御門天皇践祚による改元。
|
享保
|
きょうほう |
正徳6年6月22日 (1716年8月9日) |
享保21年4月28日 (1736年6月7日) |
21年 |
徳川家継死去による改元。
|
桜町天皇
|
元文
|
げんぶん |
享保21年4月28日 (1736年6月7日) |
元文6年2月27日 (1741年4月12日) |
6年 |
桜町天皇践祚による改元。
|
寛保
|
かんぽう |
元文6年2月27日 (1741年4月12日) |
寛保4年2月21日 (1744年4月3日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
延享
|
えんきょう |
寛保4年2月21日 (1744年4月3日) |
延享5年7月12日 (1748年8月5日) |
5年 |
甲子革令による改元。
|
桃園天皇
|
寛延
|
かんえん |
延享5年7月12日 (1748年8月5日) |
寛延4年10月27日 (1751年12月14日) |
4年 |
桃園天皇践祚による改元。
|
宝暦
|
ほうれき |
寛延4年10月27日 (1751年12月14日) |
宝暦14年6月2日 (1764年6月30日) |
14年 |
桜町上皇崩御と徳川吉宗死去、その間に発生した地震のための改元とみられている。
|
後桜町天皇
|
明和
|
めいわ |
宝暦14年6月2日 (1764年6月30日)[注釈 14] |
明和9年11月16日 (1772年12月10日) |
9年 |
後桜町天皇践祚による改元。
|
後桃園天皇
|
安永
|
あんえい |
明和9年11月16日 (1772年12月10日) |
安永10年4月2日 (1781年4月25日) |
10年 |
後桃園天皇践祚と、続いて起こった火事風水害が「明和九年(めいわくねん)」すなわち「迷惑年」によるとされたことによる改元。
|
光格天皇
|
天明
|
てんめい |
安永10年4月2日 (1781年4月25日) |
天明9年1月25日 (1789年2月19日) |
9年 |
光格天皇践祚による改元。
|
寛政
|
かんせい |
天明9年1月25日 (1789年2月19日) |
寛政13年2月5日 (1801年3月19日) |
13年 |
内裏炎上などの災異による改元。
|
享和
|
きょうわ |
寛政13年2月5日 (1801年3月19日) |
享和4年2月11日 (1804年3月22日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
文化
|
ぶんか |
享和4年2月11日 (1804年3月22日) |
文化15年4月22日 (1818年5月26日) |
15年 |
甲子革令による改元。
|
仁孝天皇
|
文政
|
ぶんせい |
文化15年4月22日 (1818年5月26日) |
文政13年12月10日 (1831年1月23日) |
13年 |
仁孝天皇践祚による改元。
|
天保
|
てんぽう |
文政13年12月10日 (1831年1月23日) |
天保15年12月2日 (1845年1月9日) |
15年 |
江戸の大火や京都の地震などによる災異改元。
|
弘化
|
こうか |
天保15年12月2日 (1845年1月9日) |
弘化5年2月28日 (1848年4月1日) |
5年 |
江戸城火災などの災異による改元。
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孝明天皇
|
嘉永
|
かえい |
弘化5年2月28日 (1848年4月1日) |
嘉永7年11月27日 (1855年1月15日) |
7年 |
孝明天皇践祚による改元。
|
安政
|
あんせい |
嘉永7年11月27日 (1855年1月15日) |
安政7年3月18日 (1860年4月8日) |
7年 |
内裏炎上、地震(安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元。
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万延
|
まんえん |
安政7年3月18日 (1860年4月8日) |
万延2年2月19日 (1861年3月29日) |
2年 |
江戸城火災や桜田門外の変などの災異による改元。
|
文久
|
ぶんきゅう |
万延2年2月19日 (1861年3月29日) |
文久4年2月20日 (1864年3月27日) |
4年 |
辛酉革命による改元。
|
元治
|
げんじ |
文久4年2月20日 (1864年3月27日) |
元治2年4月7日 (1865年5月1日) |
2年 |
甲子革令による改元。
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慶応
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けいおう |
元治2年4月7日 (1865年5月1日) |
慶応4年9月8日 (1868年10月23日) |
4年 |
禁門の変や社会不安などの災異による改元。
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明治天皇
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明治以降
明治以降の元号は、天皇一代につき元号を一つ制定する制度(一世一元の制)に基づいている。
一世一元の詔下
慶応4年(1868年)を改めて明治元年とする一世一元の詔によって制定された元号は次のとおり。
登極令下
1909年(明治42年)に公布された登極令に基づく改元は次のとおり。なお、同令は1947年(昭和22年)に廃止された。
元号名 (読み) |
公式 |
改元当時 |
最終年 |
在位年日数 |
天皇名
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初日 |
最終日 |
初日 |
最終日
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大正 (たいしょう) |
大正元年(1912年) 7月30日 |
大正15年(1926年) 12月24日 |
大正元年(1912年) 7月30日[注釈 15] |
大正15年(1926年) 12月25日[注釈 16] |
15年 |
7001140000000000000♠14年148日 |
大正天皇
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明治天皇の崩御に伴う皇太子嘉仁親王(大正天皇)の践祚(皇位継承)により、登極令に基づき改元。
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昭和 (しょうわ) |
昭和元年(1926年) 12月25日 |
昭和64年(1989年) 1月7日 |
昭和元年(1926年) 12月25日[注釈 16] |
昭和64年(1989年) 1月7日[注釈 17] |
64年 |
7001620000000000000♠62年14日 |
昭和天皇
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大正天皇の崩御に伴う摂政宮(皇太子)裕仁親王(昭和天皇)の践祚(皇位継承)により、登極令に基づき改元。
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元号法下
1979年(昭和54年)に成立、施行された元号法に基づく改元は次のとおり。これ以降は戦後に行われた改元となる。
中央政府以外の元号
符号位置(明治から令和まで)
記号 |
Unicode |
JIS X 0213 |
文字参照 |
名称
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㍾ |
U+337E |
1-13-77 |
㍾
㍾ |
明治
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㍽ |
U+337D |
1-13-78 |
㍽
㍽ |
大正
|
㍼ |
U+337C |
1-13-79 |
㍼
㍼ |
昭和
|
㍻ |
U+337B |
1-13-63 |
㍻
㍻ |
平成
|
㋿ |
U+32FF |
- |
㋿
㋿ |
令和
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脚注
注釈
外部リンク
- ^ 2024年(令和6年)9月20日までの日数。