名寄本線(なよろほんせん)は、日本国有鉄道(国鉄)、及び北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道名寄市の名寄駅で宗谷本線から分岐し、上川郡下川町、紋別郡西興部村、同郡興部町、紋別市などを経て紋別郡遠軽町の遠軽駅で石北本線に接続する本線と[6]、紋別郡上湧別町の中湧別駅で本線から分岐し同郡湧別町の湧別駅に至る支線から成り立っていた[6]。
国鉄再建法の施行により第2次特定地方交通線に指定され[6]、JR北海道に承継されて2年余り後の1989年5月1日に廃止された。なお、廃止された特定地方交通線の中では、唯一の「本線」であった[6]。また2024年現在、「本線」を名乗るJR線で唯一全線が廃止となった路線である[注 1]。
路線データ
廃止時
- 管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 路線距離(営業キロ):
- 名寄 - 上湧別 - 遠軽 138.1 km(本線)[6]
- 中湧別 - 湧別 4.9 km(支線)[6](列車運行上は起終点が逆転しており、中湧別方面行きが下り列車だった)
- 駅数:40(起終点駅を含む)
- 軌間:1,067 mm(狭軌)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:なし(全線非電化)
- 閉塞方式:
- タブレット閉塞式 本線
- スタフ閉塞式 支線
- 交換可能駅:8(下川・上興部・中興部・興部・沙留・紋別・小向・中湧別)
- 上名寄・一ノ橋・西興部・宇津・渚滑・元紋別・沼ノ上・上湧別・開盛の各駅にはかつて交換設備が設置されていたが、後に撤去された。
- 簡易委託駅:西興部・渚滑・上湧別・湧別
- 中興部と小向は運転職員が配置されていたものの、切符の発売は一切行っていなかったが、路線末期には入場券を発行していた。
運転
停車場・施設・接続路線 (廃止当時)
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深名線 -1995
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0.0
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名寄駅
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←宗谷本線→ 名寄川↑
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日彰川橋梁 日彰川
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5.8
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中名寄駅
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平和川橋梁 平和川
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国道239号
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9.7
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上名寄駅
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国道239号
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12.1
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矢文駅
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13.8
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岐阜橋駅
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上糠川橋梁 下川パンケ川
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珊瑠森林鉄道
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16.5
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下川駅
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中名寄森林鉄道
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下糠川橋梁 下川ペンケ川
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21.4
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二ノ橋駅
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国道239号
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(25.0)
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幸成駅
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27.9
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然別森林鉄道
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27.9
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一ノ橋駅
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27.9
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奥名寄森林鉄道
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名寄川橋梁 名寄川
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天北峠
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奥興部川橋梁
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興部川橋梁 興部川
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北海道農材工業上興部鉱業所専用線
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38.9
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上興部駅
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第九興部川橋梁 興部川
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瀬戸牛川橋梁 忍路子川
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45.2
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西興部駅
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第八興部川橋梁 興部川
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(48.8)
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六興駅
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第七興部川橋梁 興部川
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第六興部川橋梁 興部川
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52.2
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中興部駅
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第五興部川橋梁 興部川
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第四興部川橋梁 興部川
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諫川橋梁 班渓川
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(55.3)
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班渓駅
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第三興部川橋梁 興部川
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第二興部川橋梁 興部川
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58.6
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宇津駅
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宇津々川橋梁 宇津川
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第一興部川橋梁 興部川
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国道239号
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64.3
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北興駅
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国道239号
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67.8
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興部駅
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国道238号
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興浜南線 -1985
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(69.1)
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旭ヶ丘
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藻興部川橋梁 藻興部川
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瑠橡川橋梁 瑠橡川
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73.0
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豊野
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ケミチカノナイ川橋梁
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77.7
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沙留駅
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国道238号
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沙留川橋梁 沙留川
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(81.4)
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富丘駅
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思沙流川橋梁 思沙流川
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円野川橋梁 川向川
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(?)
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川向駅 -1966
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渚滑川橋梁 渚滑川
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第三渚滑古川橋梁 渚滑古川
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第二渚滑古川橋梁 渚滑古川
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国道273号
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第一渚滑古川橋梁 渚滑古川
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渚滑線 -1985
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88.9
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渚滑駅
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静春川橋梁 渚滑元新川
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91.9
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潮見町駅
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93.1
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紋別駅
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鴻紋軌道
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藻別川橋梁 藻別川
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97.7
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元紋別駅
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北見パルプ紋別工場専用線
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(102.6)
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一本松駅
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105.9
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小向駅
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燈心川橋梁 小向15線川
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砂金川橋梁 小向湖畔川
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(108.2)
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弘道駅
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オンネコムケ川橋梁 オンネコムケナイ川
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太鼓川橋梁 秋平川
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三沢川橋梁 共進川
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112.6
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沼ノ上駅
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シュブノツナイ川橋梁 シブノツナイ川
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117.2
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旭駅
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119.3
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川西駅
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第三湧別川橋梁 湧別川
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国道242号
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4.9
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湧別駅
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湧別軌道 -1939
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(3.0)
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四号線駅
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国道238号
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湧網線 -1987
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121.9
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中湧別駅
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中土場川橋梁 中土場川
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(?)
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厚生病院前駅 -1966
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第四ヌッポコマナイ川橋梁 錦川
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(125.0)
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北湧駅
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126.5
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上湧別駅
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129.7
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共進駅
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第二湧別川橋梁 湧別川
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133.6
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開盛駅
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国道242号
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社名淵川橋梁 サナブチ川
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135.4
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北遠軽駅
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138.1
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遠軽駅
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石北本線
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廃止直前の1989年3月11日改正時点では普通列車のみの運転であったが、一部の列車は一部の駅を通過して運転していた[7]。また、旭川に直通する列車は、宗谷本線内では快速として運転していた[7](関連記事を参照。これは札幌駅まで直通していた急行「紋別」の後身であった[注 2] )。
全線通しの列車が多く遠軽に向かうほど本数が増え、1-3時間に1本程度運転されていた[7]。渚滑線廃止前は、渚滑線からの直通列車も設定されていた[9]。
1989年3月11日改正時点の各区間の運転本数は、以下の通り。
- 名寄 - 遠軽間下り
- 名寄 - 下川間 8本(うち名寄発遠軽行き6本、旭川発遠軽行き1本、休日運休の名寄発下川行き1本)[7]
- 下川 - 紋別間 7本[7]
- 紋別 - 中湧別間 9本(うち2本は紋別発遠軽行き)[7]
- 中湧別 - 遠軽間 10本[7]
- 遠軽 - 名寄間上り
- 遠軽 - 中湧別間 11本(うち遠軽発名寄行き3本、遠軽発旭川行き1本、遠軽発興部行き1本、遠軽発中湧別行き1本、他は遠軽発紋別行き)[7]
- 中湧別 - 紋別間 10本[7]
- 紋別 - 興部間 8本(うち3本は紋別発名寄行き)[7]
- 興部 - 名寄間 8本(うち1本は興部発名寄行き)[7]
- 湧別 - 中湧別間 朝夕2往復(すべて遠軽駅発着、夕方の湧別発遠軽行き1本以外は紋別方面の列車と併結)[7]
湧別-中湧別間は、1986年3月3日改正時点では夕方の上り列車が湧別発中湧別行きであるほかは湧網線(1987年3月20日廃止)と直通運転していた[8]が、1986年11月1日改正で中湧別発着列車は遠軽方面との直通運転になった[10]。
遠軽駅の上り始発は4時台、紋別駅基準で下り最終は22時台で[7][8]、遠軽駅において札幌発着の石北本線の夜行列車(1986年3月3日改正時点では急行「大雪」3・4号[11]、1989年3月11日改正時点では急行「大雪」[12])と接続していた。
優等列車
- 1962年(昭和37年)5月1日:札幌 - 遠軽間の急行「紋別」(もんべつ)、旭川 - 遠軽 - 名寄 - 旭川間の循環準急「旭川」(あさひかわ)、興部 - 網走間の準急「天都」(てんと)運転開始。
- 1963年(昭和38年)6月1日:急行「紋別」紋別 - 遠軽間を普通列車化。
- 1966年(昭和41年)3月5日:準急列車制度の変更に伴い、「旭川」「天都」が急行列車化。
- 1968年(昭和43年)10月1日:下り急行「紋別」の普通列車区間を興部→遠軽間とする。また、「旭川」を廃止し、旭川 - 遠軽 - 興部 - 名寄間の急行「オホーツク」運転開始。ただし、興部 - 名寄間は普通列車となる。
- 1970年(昭和45年)10月1日:急行「オホーツク」の名寄本線内は普通列車となる。下り急行「天都」の運転区間を名寄→網走間に延長するが、名寄→興部間は普通列車として運行。
- 1972年(昭和47年)10月2日:急行「オホーツク」が「大雪」(下り4号・上り3号)に名称変更、下り(石北本線基準)旭川発興部行きは遠軽 - 興部間、上り(石北本線基準)名寄発旭川行きは名寄 - 遠軽間普通列車。
- 1980年(昭和55年)10月1日:急行「天都」廃止。上り急行「紋別」の普通列車区間を遠軽→興部間とする。
- 「天都」廃止時の停車駅( )内は名寄本線内の停車駅
- 1986年(昭和61年)11月1日:急行「紋別」廃止。このほか、旭川直通で石北本線回りの急行「大雪」(1・2号)も廃止。これにより、名寄本線を経由する優等列車はすべて消滅した。
- 「紋別」廃止時の停車駅( )内は名寄本線内の停車駅 ※興部 - 遠軽間は普通列車 [18]
歴史
名寄本線は、北海道鉄道敷設法に規定する「天塩国奈与呂ヨリ北見国網走ニ至ル鉄道」の一部であり[注 3]、道央とオホーツク海沿岸方面を結ぶ幹線鉄道として建設されたものである。
湧別軽便線(ゆうべつけいべんせん)の延長として、1915年に野付牛(現在の北見駅)方面(下生田原、現在の石北本線安国駅)から社名淵(後の開盛)へ延長された路線を発端とする[2]。国有鉄道の軽便線は、軽便規格とはいいながら他路線と同じ軌間1067mmで建設されたが、湧別軽便線だけは軌間762mmであった[20]。翌年(1916年)には、軌間1067mmに改軌されたが[2]、私鉄買収線を別にすれば国有鉄道が軌間762mmで建設した唯一の例である[20]。この年、社名淵 - 下湧別(後の湧別)間が軌間1067mmで延伸開業し全通[2]。1922年に軽便鉄道法の廃止により、湧別線(ゆうべつせん)と改称された[2]。
一方、名寄 - 中湧別間は難所であった石北峠・北見峠を避けて、名寄方は名寄西線(なよろさいせん)、中湧別方は名寄東線(なよろとうせん)として両側から建設が進められ、1919年から1921年にかけて名寄線(なよろせん)として全線が開通した[2]。1923年には、支線(渚滑線)の開業に伴って、名寄本線と改称している[2]。
なお、渚滑(紋別市)から滝上、サクルー(滝上町)、札滑(西興部村)、上興部(西興部村)への「滝上経由」でルート変更を求めて、渚滑原野の住民が運動を起こし、請願も出されたが、当初の「興部経由」で最終決定している[21]。渚滑 - 滝上間は渚滑線として開業した。
1932年に北見峠を克服して石北線(当時の名称。1961年に石北本線と改称)が全通すると湧別線は遠軽を境に分割され、遠軽 - 下湧別間は名寄本線に、遠軽 - 野付牛間は石北線に編入された[2]。同時に、名寄本線は幹線鉄道としての役目を石北線に譲ることとなった[6]。
1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが[6]、冬季の代替輸送に問題があるとして天北線・池北線・標津線(名寄本線も含めて長大4線)と共に一時、廃止承認が保留された。しかし、問題が無くなったとして1985年8月に追加廃止承認された。
1987年4月の国鉄分割民営化後、沿線の遠軽町、紋別市、下川町が住民の利用に補助金を出すなど、なおも存続を求める運動が行われた[23]。
第三セクター部分存続案
1988年9月1日、自民党と社会党の政治折衝で比較的乗降客数が多かった名寄駅 - 下川駅間(16.5km)と紋別駅 - 遠軽駅間(49.9km)を第三セクター化して部分存続させる案が浮上した[24][25]。
1988年9月16日、政治収拾を受けた北海道は第三セクター案を示した。前提条件として、要員は名寄 - 下川間25人のうち20人、紋別 - 遠軽間53人のうち42人はJR北海道からの出向者で7年間限りとし、JR出向者の人件費は半分をJRが負担(7年間限り)。更新車両はJR使用車より3割ほど安い新型車を購入。運賃は初年度5%、以降5.3%、10.3%を毎年交互に引き上げ、10年間でバス運賃と同水準まで引き上げるとした[26][27]。人件費は三セク職員で毎年2.8%引き上げ(JR出向職員については前述)、物件費は毎年1.3%引き上げるとした[27]。
前提条件をもとに収支を試算し、転換交付金(1kmあたり3000万円)から初期投資(旅客用車両、保守用車両、車庫、検修機器、保守用機器、設備改良など)と定期運賃差額補助を差し引いた基金への繰入額として、紋別 - 遠軽間は3億8400万円を捻出したが、名寄 - 下川間は初期投資と定期運賃差額補助が転換交付金を上回り最初から1400万円の赤字となった。転換交付金は名寄 - 下川間4億9500万円、紋別 - 遠軽間14億9700万円。初期投資で名寄 - 下川間5億0600万円、紋別 - 遠軽間11億0300万円、定期運賃差額補助は名寄 - 下川間300万円、紋別 - 遠軽間1000万円を要した[26][27]。
また、基金所要額は15年間元金を取り崩さず、基金の利息(運用利率は年5.4%)で赤字を補填することを前提とした場合、名寄 - 下川間が16億円で、北海道8億円、名寄市と下川町で8億円の負担。紋別 - 遠軽間は31億円で、北海道15億5000万円、転換交付金から4億円、紋別市と湧別町、上湧別町、遠軽町で11億5000万円の負担が必要とされた[26][27]。
単年度の収支でも、名寄 - 下川間は初年度1億0600万円の赤字で法律補助により地元負担は5300万円、法律補助が無くなる6年目は9900万円の赤字、JRの人件費負担が無くなる8年目は1億1600万円の赤字。紋別 - 遠軽間は初年度2億1400万円の赤字で法律補助により地元負担は1億0700万円、6年目は1億9300万円の赤字、8年目は2億2900万円の赤字が見込まれた[26][27]。
地元負担が重いことから、鉄道としての存続は断念され、1989年4月1日からバス転換の予定であったが[28]、転換日が雪が降る時期だと運行に支障が出るなどと地元側から延期の申し入れがあり[28]、同年1月31日に開催された第5回対策協議会で同年5月1日からバス転換することと決定し[28]、同年4月30日の旅客営業を以って全線廃止となった。
名寄線
湧別線
両線統合後
- 1932年(昭和7年)10月1日:湧別線の遠軽 - 下湧別間を名寄本線に編入し[2]、名寄本線(名寄 - 遠軽間、中湧別 - 下湧別間)に改称[2][38]。
- 1934年(昭和9年)2月5日:社名淵駅を開盛駅に改称[2][39]。
- 1935年(昭和10年)6月1日:中湧別 - 下湧別間でガソリンカー運転開始[40]。
- 1947年(昭和22年)
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1950年(昭和25年)1月15日:中名寄・二ノ橋・豊野の各仮乗降場を駅に変更。
- 1954年(昭和29年)11月10日:下湧別駅を湧別駅に改称[2]
- 1955年(昭和30年)
- 12月1日:一区中通仮乗降場を新設。
- 12月25日:一本松・厚生病院前・四号線の各仮乗降場を新設。
- 1956年(昭和31年)
- 1957年(昭和32年)
- 1959年(昭和34年)
- 4月20日:六興仮乗降場を新設。
- 11月1日:潮見町駅を新設、矢文・岐阜橋・北興・川西・共進(←一区中通)・北遠軽(←学田[注 5])の各仮乗降場を駅に変更。
- 1961年(昭和36年)3月20日:瀬戸牛駅を西興部駅に改称。
- 1962年(昭和37年)10月1日:中湧別 - 湧別の旅客列車がそれまでの5往復[42]から2往復に削減される[43]。
- 1966年(昭和41年)10月1日:厚生病院前仮乗降場を廃止、北湧仮乗降場を新設(厚生病院仮乗降場の代替)。
- 1978年(昭和53年)12月1日:中湧別 - 湧別の貨物営業を廃止[3]。中名寄・上名寄・二ノ橋・中興部・宇津・小向・沼ノ上・開盛の各駅の荷物取扱を廃止し旅客のみ取扱とする。
- 1984年(昭和59年)2月1日:下川・一ノ橋・上興部・西興部・興部・沙留・渚滑・紋別・元紋別・中湧別・上湧別・湧別の各駅の荷物取扱を廃止し旅客のみ取扱とする。紋別・元紋別の各駅の貨物取扱廃止に伴い、貨物列車の運行が無くなる。
- 1985年(昭和60年)8月2日:第2次特定地方交通線として廃止承認。
- 1986年(昭和61年)11月1日:名寄 - 紋別間の最終を1時間以上繰上げ。
- 1987年(昭和62年)
- 4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に移管。全線 (143.0km) の貨物営業を廃止。幸成・六興・旭ヶ丘・富丘・一本松・弘道・北湧・四号線の各仮乗降場を駅に、班渓仮乗降場を臨時駅に変更。
- 12月1日 班渓臨時駅を駅に変更。
- 1989年(平成元年)5月1日:全線 (143.0km) を廃止し、バス路線に転換。
駅一覧
接続路線の事業者名・駅の所在地は、名寄本線廃止時点のもの。名寄本線廃止以前に廃止された路線は、その路線の廃止時点のもの。全駅北海道に所在。
支線
この区間は全駅網走支庁紋別郡に所在。
駅名[6]
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営業キロ
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接続路線
|
所在地
|
駅間
|
累計
|
中湧別駅
|
-
|
0.0
|
北海道旅客鉄道:名寄本線(名寄・遠軽方面) 日本国有鉄道:湧網線(1987年3月20日廃止)
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上湧別町 (現:湧別町)
|
四号線駅
|
3.0
|
(3.0)
|
|
湧別町
|
湧別駅
|
1.9
|
4.9
|
|
※()内は実キロ。営業キロの設定はされていなかった。
転換先のバス事業者
- 名士バス
- 市立病院前 - 名寄駅前 - 下川バスターミナル - 興部
- 2014年8月30日現在 市立病院前 - 下川バスターミナル:上下14往復 下川バスターミナル - 興部:上下7往復[48]
- 転換時は名寄側は西3条南6丁目起終点
- 紋別や遠軽への直通便も設定された
- 北紋バス
- 興部 - 紋別高校前 ※一部便は興部から雄武まで直通し興浜南線代替も兼ねる
- 紋別 - 遠軽
- 2015年4月1日現在 興部 - 紋別高校:上下12往復(休日11往復)[49][注 6] 紋別バスターミナル - 湧別:上下9往復[50] 湧別 - 遠軽:上り20本、下り21本(休日16往復)[51][52][注 7]
- 転換時は名寄より直通便もあり
- 北海道北見バス
- 紋別 - 遠軽
- 名寄本線廃止当時は北見バス
- 北高前→潮見町3丁目への直通便も設定された
- 現在の運転頻度は北紋バスの項目を参照。
- 湧別町営バス
- 上湧別中学校 - 中湧別小学校 - 中湧別TOM - (西3線[注 8]) - 旭
- 2012年4月1日現在 上湧別中学校 - 中湧別TOM:上り4本、下り1本 中湧別TOM - 西3線:上り4本、下り2本 西3線 - 旭:4往復
- 転換当時は上湧別町営バス
登場作品
- 放浪-さすらい- (TBS、菊池桃子出演)- 網走市、紋別市(両方とも当時)が協力したテレビドラマ。
- 吹雪の名寄本線 天北峠に挑む9600 (1972年) - 国鉄の鉄道100年記念事業の一環として製作
脚注・出典
注釈
- ^ 2026年3月末をもって留萌本線の全線廃止が予定されている。
- ^ 1986年3月3日改正時点で、札幌 - 名寄 - 興部間が急行「紋別」となる札幌発遠軽行き(名寄20時50分発)および、遠軽発5時40分札幌行きの列車が[8]、1989年3月11日改正時点にはそれぞれ旭川発遠軽行き(名寄20時42分発、名寄まで快速「てしおがわ」)および、遠軽発5時42分発旭川行き(名寄から快速「えんれい」)になっている[7]。
- ^ 北海道鉄道敷設法 第2条、及び 同法による北海道庁の建設調書 「奈与呂ヨリ興部二至ル鉄道」「興部ヨリ湧別二至ル鉄道」「湧別ヨリ網走二至ル鉄道」[19]
- ^ 後に移転し旭丘仮乗降場(改称時期不明)となった後、旭ヶ丘仮乗降場と改称(改称時期は1980年頃とされる)。
- ^ 学田仮乗降場の設置時期は不明。
- ^ 雄武直通の5往復含む。また、雄武直通便は一部経由する停留所が異なる。
- ^ 紋別バスターミナル - 遠軽便の5往復は北紋バス、他は北海道北見バスの運行。
- ^ 下りのみの設定。
出典
参考文献
関連項目
ウィキメディア・コモンズには、
名寄本線に関連するカテゴリがあります。
外部リンク
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第1次廃止対象路線 | |
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第2次廃止対象路線 | |
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第3次廃止対象路線 | |
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