大泉町 (練馬区)
大泉町(おおいずみまち)は、東京都練馬区の町名。現行行政地名は大泉町一丁目から六丁目。住居表示実施済み地区である。郵便番号は178-0062[3]。以前の町名は旧・北大泉町[5]。 地理練馬区の北西部に位置する地域。北部を埼玉県和光市、南部を東大泉、南東部を三原台、東部を土支田、西部を大泉学園町と接する。関越自動車道と東京外環自動車道が通り、大泉インターチェンジがある[6]。 町内には白子川が流れ、同川と接する「清水山の森」は、23区唯一の大規模なカタクリの群生地として知られる[7]。他にも、練馬区立大泉町もみじやま公園、練馬区立大泉橋戸公園、稲荷山憩いの森(民有樹林)など、高い木立をそびえる雑木林や公園緑地が多い。外環道と補助230号線の交差部には都営大江戸線新駅の建設も予定されている[8]。 世帯数と人口2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9]。
地価住宅地の地価は、2022年(令和4年)1月1日の公示地価によれば、大泉町6-14-12の地点で33万3000円/m2となっている[10]。 歴史旧・武蔵国新座郡橋戸村。地名の由来は村の開発者が八戸あったからとする説もあるが、白子川の地形がつくる「端の瀬戸」とする説が有力である[11]。1889年(明治22年)の合併で埼玉県新座郡榑橋村大字橋戸となり、1891年(明治24年)の合併で東京府北豊島郡大泉村大字橋戸、1932年(昭和7年)の東京市編入で板橋区北大泉町、1947年(昭和22年)の練馬区分立で練馬区北大泉町となった。 1980年(昭和55年)、住居表示実施に際し、北大泉町の大半の部分に旧・大泉学園町の一部を合わせて大泉町一丁目から五丁目が成立した。また、1982年(昭和57年)の住居表示実施で北大泉町の残余に旧・大泉学園町の一部を合わせて大泉町六丁目が成立した。 名称は旧・大泉村に由来する。 産業農業
(2000年(平成12年)2月1日現在、「練馬区統計書平成17年版 農業センサス」より。なお、ここに掲載したのは農業集落名が「北大泉町」となっている農家である。)経営耕地面積が1611aとなっているように区内では比較的広大な農地を抱えている(32集落中第6位、区内全体の約6%)。畑の約90%がキャベツの栽培に当てられている。 工業
大泉町は工場数が区内で二番目に多く(第一位は北町)、区内全体の約7%の工場が集中する。しかしながら、従業者数が1人〜9人の工場が89%と圧倒的に多く、事業主・家族従業者が従業者数に占める割合が約16%(練馬区全体7.5%)と高いなど小工場がほとんどである。そのため製造品出荷額等は区内全体の約2%、付加価値額は約2%にとどまっている。町内の工場は白子川が流れ、関越自動車道と東京外環自動車道が走り、大泉インターチェンジのある東側の1・2丁目に約66%が集中している。労働者も同じ丁目に約64%が集中し、製造品出荷額等は約51%を占めている。平成12年と比べると工場数は18減(-24.3%)、従業者数が39人減(-14.0%)、製造品出荷額等は3億2227万円減(-12.6%)となっているように大泉町の工業は縮小しているのが分かる。従業者数の内、常用労働者数17人減と-7.7%にとどまっているが、個人事業主・家族従業者は22人減と-36.6%と激減している。 商業
交通大泉町などの地区は鉄道空白地帯であり、早期の実現を目指して都営地下鉄大江戸線の延伸が計画されている。新駅予定地の大泉町三丁目地区は良好な街を維持するため、地区計画の都市計画決定が他地区と共に行われている。新駅予定地は外環道と補助230号線の交差部であり、2021年時点で駅前広場建設予定地として芝生の空き地が鉄柵で囲われている。
道路施設教育寺社公園・史跡
脚注出典
|