東大泉
東大泉(ひがしおおいずみ)は、東京都練馬区の町丁。住居表示実施済み。現行行政地名は東大泉一丁目から東大泉七丁目。面積は2.429km2[1]。郵便番号は178-0063[3]。 地理練馬区の西部に位置する。北部を大泉町・大泉学園町・西大泉、南部を石神井台、東部を三原台・石神井町、西部を南大泉と接する。 西武池袋線大泉学園駅の付近を中心に工業が盛んである。かつて箱根土地が大泉に教育施設を誘致し「学園都市・大泉学園」の形成を試みたが叶わず、その名残として地名や駅名に「学園」の名が付いている。 世帯数と人口2023年(令和5年)8月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
小・中学校の学区
地価住宅地の地価は、2023年(令和5年)1月1日の公示地価によれば、東大泉3−21−11の地点で47.5万円/m2となっている[6]。 歴史旧:武蔵国豊島郡土支田村上組。土支田村は大きな村だったため上組(南)と下組(北)に分けられていた。現在の東大泉の他に、三原台二・三丁目の一部、大泉町二丁目の一部は土支田村上組に属していた。 1873年(明治6年)、大区小区制によって上組と下組は分離され、上組は上土支田村と呼ばれるようになった。1889年(明治22年)、上土支田村は町村制によって南の石神井村と合併し、石神井村大字上土支田となる。さらに1891年(明治24年)、隣村の埼玉県新座郡にあった榑橋村が東京府に編入され、大字上土支田と合併して、北豊島郡大泉村が誕生した。 当時、小学校は村ごとに運営されており、一つの村に必ず一校ずつ小学校を設置する必要があった。上土支田の豊西小学校(妙延寺内、現:東大泉3-16)と榑橋村の榑橋小学校(本照寺内、現:西大泉3-11)は、間隔が1km以内と近距離にあった。そこで合併すれば小学校を統合でき、大幅な経費削減が期待できることから、両村は合併した。合併後、豊西小学校と榑橋小学校は統合され、村の中央部に新たに泉小学校が設置された。後に泉小学校は現在の大泉小学校となる。 1932年(昭和7年)、東京市編入とともに板橋区(現在の練馬区と板橋区を包含)が誕生し、大泉村は解体。大字上土支田の区域をもって板橋区東大泉町が誕生した。 また東大泉三丁目地区は、1941年(昭和16年)に陸軍予科士官学校が東京都市ヶ谷(市ヶ谷台、現在の防衛省市ヶ谷地区(市ヶ谷駐屯地))から朝霞に移転した際に、職員らの住宅をこの地区に建設したことから碁盤の目状に整備され、当地区は「将校住宅」と呼ばれた。当時この地には水道設備がなかったため、独自組織により「将校住宅」へ水道供給を開始した。これは戦後の1973年(昭和48年)の東京都水道局による当地区への水道供給に30年以上も先んじるものであった。この組織は「大泉名水会」として現存する[7]。 1947年(昭和22年)の練馬区独立後も、戦前からの板橋区東大泉町の町域は踏襲された。1980年(昭和55年)8月1日、第18回住居表示により東大泉町の一部を土支田に編入、残りの部分に北大泉町のごく一部と旧・上石神井二丁目のごく一部を編入して境界整理し、現行の東大泉一丁目から七丁目までとなった。 2006年(平成18年)9月1日、二丁目34番(東映東京撮影所)の街区が広大であることから、街区を分割して二丁目42番が新設され、2015年(平成27年)には当地に野村不動産のタワーマンション「プラウドシティ大泉学園」が建設された。 産業農業
経営耕地面積が1426aとなっているように、区内では比較的広大な農地を抱えている(32集落中第8位、区内全体の約5%)が、大泉地区では最下位である。畑の約72%がキャベツの栽培に当てられている。 工業
東大泉には工場数はあまり多くないが、従業者数が50人を超える工場が3か所もあり、事業主・家族従業者の割合は約2%(練馬区全体7.5%)と低いなど、比較的規模の大きな工場が多い。製造品出荷額等は区内の約17%(第1位。2位は北町)、付加価値額は約19.5%(第1位)を叩き出すなど、練馬区で北町、大泉町地区などと並んで工業が盛んである。特に西武池袋線大泉学園駅のすぐ北側にある一丁目と関越自動車道大泉インターチェンジのある二丁目では町内の工場の約66%、労働者の約65%が集中し、製造品出荷額は約98%を占めている。 2000年(平成12年)と比べると、工場数は6減 (−18.1%)、事業主・家族従業者が6減 (−33.3%) と従業者数が1 - 3人の零細工場が縮小している。しかし常用労働者数は全く変わっておらず、製造品出荷額は65億4,905万円増 (+58.7%) 、現金給与総額は11億2,233万円増 (+37.3%)、と増加している。なお、常用労働者の給与一年間の総額(現金給与総額)は41億2,424万円(一人当たりにすると約729万9540円)と区内ではトップクラスである。たとえば区内で同じく工業が盛んな貫井では24億366万円(常用労働者数は627人)、北町では27億7,700万円(638人)となっている。 商業
小売店は練馬区内で最も数が多く(区内の約7%)、西武池袋線大泉学園駅より北側の一丁目 - 四丁目に多く分布している。特に一丁目には大型商業施設も見られ、町内の小売店の約24%が集中している。 交通鉄道バス大泉学園駅を拠点に、西武バス・関東バスが発着する。また、石神井公園駅から成増駅方面への国際興業バスも域内を運行している。2013年9月末までは都営バスの路線もあった。 大泉学園駅からは、吉祥寺駅、西荻窪駅、荻窪駅、阿佐ケ谷駅(以上中央線快速・同各停。荻窪駅は丸ノ内線も)、成増駅、和光市駅、朝霞駅(以上東武東上線、成増・和光市は有楽町線・副都心線も)、新座駅(武蔵野線)、上石神井駅(西武新宿線)、練馬駅(西武池袋線、一部都営地下鉄大江戸線新江古田駅)への路線が出ており、利便性が高い。また、中央線各駅への路線は西武新宿線の駅(上石神井駅のほか武蔵関駅や上井草駅)も経由する。 かつては羽田・成田両空港へのリムジンバスの発着もあったが、駅前再開発事業に伴い中止された。 道路
施設大泉学園駅周辺再開発事業大泉学園駅は駅乗降客が多くバス路線も多数乗り入れているが、かつては駅前の道路が狭隘でバス運行の妨げとなり、歩行者にとっても危険な状態であった。また駅前広場やバスロータリーもなく、駅の南北でバスやタクシーの乗降場所が分散して利便性も低かった。そのため、西武池袋線(練馬高野台駅 - 大泉学園駅)の連続立体交差事業[8][注釈 1]と一体的に駅前地区市街地再開発事業を行い、駅前広場などの整備を進めてきた。 2001年(平成13年)から2002年(平成14年)にかけて、再開発ビル「大泉学園ゆめりあ」を整備、2001年11月に再開発ビル「大泉学園ゆめりあ1」が開業[10]、2002年2月1日には「大泉学園ゆめりあ1」内に大泉学園ゆめりあホールがオープンした。さらに2002年11月には「大泉学園ゆめりあ2」と、低層棟のショッピングセンター「ゆめリアフェンテ[11]」が開業した[12]。 連続立体交差事業は2015年(平成27年)1月25日をもって完了[9]。これに合わせて、同年3月には駅北口に複合商業施設「リズモ大泉学園」が開業、駅と同施設を結ぶペデストリアンデッキ「大泉アニメゲート」が整備されて既存デッキと接続された。 ゆめーてる商店街また、駅北口から東映東京撮影所方面へは、再開発前からの既存商店街「ゆめーてる商店街」が広がり、約160店が軒を連ねる。商店街には松本零士が原稿用紙を買っていた文房具店もあることが縁となり、松本零士の全面協力を得て『銀河鉄道999』のヒロイン・メーテルから名を採り、「夢」と「メーテル」を合わせて「ゆめーてる商店街」と命名された。商店街のマスコットとして、松本零士デザインの「ゆめーてるちゃん」があり、「かぐや姫の子孫で、メーテルやエメラルダス、千年女王の先祖にあたり、現代に生きている小学3年生」という設定[13]。 一丁目→「大泉学園駅 § 北側」も参照
二丁目
三丁目
四丁目五丁目
六丁目→「大泉学園駅 § 南側」も参照
七丁目参考文献
脚注注釈出典
外部リンクInformation related to 東大泉 |