寺島村(てらじまむら)、寺島町(てらじままち/てらじまちょう)は、現在の墨田区北部に存在した町村である。明治22年(1889)から昭和7年(1932)までは町村制に基づいた一個の独立した町村として存在し、昭和7年(1932)から昭和40年(1965)までは向島区・墨田区の町名として寺島町の名が用いられた。
沿革
寺島村の起源
- 鎌倉時代、当地に法泉寺、蓮華寺の2寺が開基され、これが機縁となり、寺島/寺嶋と呼称されるに至った。
- 室町時代、応永5年(1398)の葛西御厨(伊勢神宮に寄進された荘園)の郷名の一つとして、寺嶋の名が記録されている。
- 江戸時代、寺島村は、将軍家の鷹場(御拳場/おこぶしば)の一つである「葛西筋」45箇村の内に含まれ、鷹狩の場としても活用された。
- 明治11年(1878)郡区町村編制法が東京府で施行され、寺島村は、東京府南葛飾郡の一部となった。
町村制に基づく寺島村時代 1889-1923
- 1889年(明治22年)5月1日 - 町村制の施行に伴い、従来の寺島村の大部分を母体として、これに周辺6箇村の各一部が合併する形で、新たに寺島村として発足した。(カッコ内は、残部の編入先を示す。)
寺島町時代 1923-1932
向島区時代 1932-1947
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 寺島町を含む南葛飾郡の全域が東京市に編入された。寺島町は、隅田町、吾嬬町と共に向島区となった。向島区となってからも、引き続き、従来の大字名「一丁目」〜「八丁目」に「寺島町」を冠して、寺島町一丁目~寺島町八丁目の町名が用いられた。
墨田区時代 1947-1965
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 向島区が本所区と合併して墨田区が新設された。合併後も、寺島町一丁目~寺島町八丁目の町名はそのまま引き継がれた。
- 1964年(昭和39年)7月1日 墨田区で住居表示の施行が開始された[1]。寺島町三丁目の全域が堤通一丁目・二丁目、寺島町一丁目の一部が向島五丁目、寺島町二丁目の一部が向島四丁目、寺島町四丁目の一部が押上二丁目となった。
- 1965年 (昭和40年)3月1日 寺島町一・二・六丁目の大部分、寺島町五・七丁目の全域で住居表示が施行された。
- 1965年 (昭和40年)7月1日 寺島町四丁目の大部分で住居表示が施行された。
- 1965年 (昭和40年)12月1日 寺島町八丁目が八広一・五丁目、寺島町六丁目の一部が八広六丁目となり、寺島町の名前が消滅した。
町村長
村長
町長
字名・現在の地名
明治44年時点での大字・字・番地
出典[2]
「馬場」等の名称は、明治8年(1875)、従来の小名や、耕地等に付けられた字名を整理して、新たに行政上の字の名称として定められたものである。
大字寺島
- 馬場(ばんば)1~286番地
- 北玉ノ井 287~530番地
- 本玉ノ井 531~827番地
- 長浦 828~981番地
- 北居村 982~1221番地
- 南居村 1222~1414番地
- 前沼 1415~1594番地
- 中堰 1595~1709番地
- 新田(しんでん)1710~2127番地
- 深瀬入 2128~2285番地
- 水道向 2286~2740番地
- 堤外 2741~2960番地
大字中ノ郷
大字隅田
大字若宮
大字大畑
大字請地
- 葭沼 1035~1036、1051~1099番地
- 沼田 1100~1101、1213~1224番地
- 大畑前 1225~1268番地
大字須崎
昭和5年改正後の大字名
- 一丁目
- 二丁目
- 三丁目
- 四丁目
- 五丁目
- 六丁目
- 七丁目
- 八丁目
昭和39~40年住居表示施行後の地名
出典[1]
- 墨田一丁目(全域)、二丁目~四丁目(各一部)
- 東向島一丁目~六丁目(全域)
- 堤通一丁目(全域)、二丁目(一部)
- 向島四丁目・五丁目(各一部)
- 押上二丁目(一部)
- 京島一丁目~三丁目(各一部)
- 八広一丁目・五丁目・六丁目(各一部)
神社仏閣
神社
寺院
教育
小学校
中学校
高等学校
図書館
関連人物/作品
人物
評伝
- 『幸田露伴』塩谷賛
- 『小倉常吉伝』奥田英雄 昭和51年(1976)
- 『滝田ゆう奇譚』深谷考 平成18年(2006)
- 『ぬけられますか—私漫画家 滝田ゆう』校條剛 平成18年(2006)
小説
詩歌
漫画
絵画
- 『雪に暮るる寺島村』川瀬巴水 大正9年(1920)(「東京十二題」の内)
- 『白ひげ橋』藤牧義夫 昭和8年(1933)
- 『隅田川両岸画巻』藤牧義夫 昭和9年(1934)
落語
演劇
- 歌舞伎『青砥稿花紅彩画』(弁天小僧)
- 『濹東綺譚』
- 『おとうと』
映画
ドラマ
- 『ドブネズミ色の街』昭和38年(1963)12月28日放送 NHK「テレビ指定席」
- 『寺島町奇譚』昭和51年(1976)NHK「土曜ドラマ」
- 『おとうと』平成2年(1990)TBS「月曜ドラマスペシャル」
交通
舟運
渡し
- 橋場の渡し(白鬚の渡し) ほぼ現在の白鬚橋の位置に当たる。対岸の橋場に渡していた。
- 寺島の渡し(中の渡し) 平作堀(現在の墨堤通りの墨田区立堤通公園、首都高速道路向島出口附近)から、対岸の橋場今戸の境界附近に渡していた。昭和9年(1934)頃まで存在した。
一銭蒸気
- 1区画の運賃が1銭であったことから「一銭蒸気」と称された蒸気船で、千住吾妻汽船会社(後に吾妻急行汽船)等の会社によって運行された。寺島村の区域内では、現在の白鬚橋の位置に「小松島」停留所があった。
鉄道
- 曳舟駅 明治35年(1902)開業
- 白鬚駅 明治35年(1902)開業。一旦廃止の後、大正13年(1924)玉ノ井駅として復活した。昭和62年(1987)に改称して東向島駅となった。
- 京成曳舟駅 大正元年(1912)開業
- 向島駅 大正3年(1914)開業、昭和22年(1947)廃止
昭和3年(1928)~昭和11年(1936)
- 向島駅
- 長浦駅 昭和3年開業
- 京成玉ノ井駅 昭和3年開業
- 白鬚駅 昭和3年(1928)開業。東武鉄道の白鬚駅とは位置が異なる。
路面電車
東京都電車(都電)向島線 昭和6年(1931)に向島須崎町(本所区と寺島町の境界附近)まで開通し、昭和25年(1950)延伸して寺島町の域内に達した。昭和44年(1969)廃止。
- 寺島町一丁目電停 昭和25年(1950)開通。後に「東向島一丁目」と改称した。
- 寺島町二丁目電停 昭和25年(1950)開通。寺島広小路(水戸街道と明治通りの交差点附近)に位置した。後に「東向島三丁目」と改称した。
トロリーバス
バス
京成バス
都営バス
道路
- 墨堤通り
- 地蔵坂通り
- 薬師道
- 大師道
- 曳舟川通り
- 大正通り
- いろは通り
- 平和通り
- 鳩の街
- 水戸街道
- 明治通り
名所/名園
- 百花園(向島百花園)
- 岐雲園 岩瀬忠震(岩瀬鷗所。元外国奉行)が蟄居して住んで命名した庭園で、明治維新後には永井尚志、幸田露伴なども住んだ。大正時代には三共会社のベークライト工場の敷地となり、住友ベークライトの時代まで、長らく工場用地として活用された。平成12年(2000)以降は墨田区立白鬚公園の一画となっている。
- 八洲園/小松島遊園 小野義真(日本鉄道社長)の別邸で、隅田川のほとりに広大な池を有した。後に日本電気精器の敷地となった。平成6年(1994)大林組のリバーサイド隅田が竣工した。
- 大倉別邸 大倉喜八郎の別邸で、邸宅の一部は船橋ヘルスセンターに移築され、共栄倉庫の敷地となった。
- 小倉別邸 小倉常吉(小倉石油社長)の別邸で、鍋島家の別邸跡に池田家の屋敷を移築した広壮な邸宅であった。跡地は、向島労働基準監督署、墨田区立あおやぎ保育園、ライオンズマンション東向島ほか一般的な住宅地となっている。
産業
農業
寺島村であった当時は農業が盛んな地域であり、特にナスの生産で名高かった。蔓細千成種のナスが多く作られた。当地で作られたナスは復活され「寺島茄子」の名で呼ばれる。
『隅田の町々』(昭和55年墨田区発行)記載の農作物
- しそ(紫蘇)
- しょうが(生姜)
- はす(蓮)
- くわい(慈姑)
商業
料理屋
- 入金(入きん)(いりきん)
- 雲水(うんすい)
- ちとせ
- 改進亭
職人/製造業
『隅田の町々』(昭和55年墨田区発行)記載の産業
- 玩具製造
- 植木鉢
- 紙加工(「ぶんこ屋」「ひょうし屋」と呼称された。)
- 紺屋・型付屋(染色)
会社/工場
明治44年(1911)「東京府南葛飾郡 隅田村・寺嶋村・吾嬬村」地図記載の会社・工場名
- 日本電線会社
- 久野鉄工場
- 日本ギプス工場
- 藤本煉化石工場
- 関東硫曹分工場
- 染絨会社
- 向島染工場、谷岡染工場、玉川染工場、重城染工場
- 高見沢メリヤス工場
大工場
- サトウライト(後に三共会社、日本ベークライト、住友ベークライト)向島工場 大正5年(1916)~昭和62年(1987)
- 久保田鉄工
- 日本電気精器
脚注
関連項目