所さんのもしも突撃隊!!
『所さんのもしも突撃隊!![1]』(ところさんのもしもとつげきたい)は、1990年4月19日から1992年3月19日までテレビ東京系列局で放送されていたバラエティ番組である。テレビ東京とキネマ東京の共同製作[1]。放送時間は毎週木曜 20:00 - 20:54 (日本標準時)。 概要「もしも」をテーマにした番組で[2]、当初は子供たちからの疑問の声に答えたり、実験やいたずらを仕掛けたりする内容であった[3]。本番組のレギュラー陣は「もしも突撃隊」と呼ばれていた。 初期には実験・対決企画の「もしも大実験」、ドッキリ・いたずら企画の「もしもウオッチング」、稲川淳二が担当する「淳ちゃんの家庭訪問」、「外人体験ウォッチング」などを行っていたが、途中から「もしも珍商売」、「もしも初体験」、「スタジオ研究所」、「変わりダネコーナー」、「あのスターにもう一度」、「もしも大疑問」、ゲストの子供の頃の写真を見せてその人物を当てる「ゲストさんは何位?」、「ズブシロ見習いコーナー」を行うようになった。さらに後期には、有名人が持参した庶民的な料理が高級料理に変化するという企画「もしも残りで作ったら」を、そして番組終了までの6か月間は、変わった健康法・療法・美容法を紹介する企画「ダニエル・カールの日本の健康法」を行うといった具合に変化していった[4]。 参加者たちがスポーツや職業訓練などに挑戦するコーナー「もしもチャレンジ」は、放送第1回から最終回まで一貫して行われた。当初は一般人がこれに挑戦していたが、1990年7月からは三田文代が、同年9月からは飯島久代がチャレンジャー役となり、以後は飯島が最終回までこの企画にレギュラー出演していた。1991年3月21日・9月12日・9月19日・12月26日(2時間スペシャルで放送)放送分、および番組終了ラスト3週分の1992年3月5日・3月12日・3月19日放送分には飯島のチャレンジ企画特集が組まれるなど、この企画は番組の中心的存在になっていった[4]。 スタジオセットは、1991年9月までは障子などが使われた和風のセットであったが[5]、同年10月のリニューアルでログハウス風のセットに変わった[6]。 出演者
スタッフコーナー・企画データは朝日新聞、毎日新聞、読売新聞各紙テレビ欄(1990年4月19日 - 1992年3月19日)、ザテレビジョン(角川書店、1990年4月 - 1992年3月)からの参考。 もしも大実験疑問が呈示されたところで所が「〇〇です。また来週!」と適当な答えを言って周囲から突っ込まれるのがお約束だった。
もしも大実験・対決企画
もしもチャレンジ
絶壁登り(1990年7月5日)、地上3800mからのスカイダイビング(1990年7月12日)、巨大シャチ乗り(1990年7月26日)、女子プロレス入門(1990年8月2日)、馬に引きずられるスタント(1990年8月9日)、風鈴作り(1990年8月30日)
旅芝居一座入門(1990年9月6日)、少林寺拳法入門(1990年9月13日)、富士山五合目一周(1990年9月20日)、プロボクシング入門(1990年9月27日)、空手(1990年10月11日)、プロ野球1000本ノック(1990年10月18日・1991年11月28日)、 もしもウォッチング
外人体験ウォッチング外国人が様々な日本の文化・しきたり・行事などを体験する企画。 淳ちゃんの家庭訪問稲川淳二が様々な建物を訪問する企画。ヨネスケの自宅(1990年6月7日)、8LDK邸宅(1990年7月5日)、牛のいる家(1990年9月6日)、オオカミが住む豪邸(1990年9月20日)、田園調布の令嬢宅(1990年9月27日)、怪鳥の住む家(1991年2月14日)などを放送。 もしも珍商売番組で“珍商売”を企画し、人々の反応を試すコーナー。
あのスターにもう一度かつて話題になった人をゲストに呼ぶ企画。1980年の一億円拾得事件の大貫久男(1991年4月18日)、四方晴美と小田切みきの“チャコちゃん母娘”(1991年4月25日)、皆川おさむ(1991年5月30日)が出演。 もしも初体験子供から社会人まで、様々な“初体験”を追って紹介。
もしも残りで作ったら有名人が持参した残り物料理を高級料理にアレンジするという企画。
もしも大疑問よく考えれば、なぜだろうという疑問を番組中で解決。コーナー担当はダニエル・カール。
ダニエル・カールの日本の健康法
ズブシロ見習いコーナー新人タレントが様々な職業、商売などに挑戦するコーナー。「ズブシロ」とは「ズブの素人」のこと。
その他の企画
脚注
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