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桜井政博のゲーム作るには 2022年8月24日 - 2024年10月22日 Masahiro Sakurai on Creating Games 2022年8月24日 - 2024年10月22日 ジャンル
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2022年
チャンネル登録者数・総再生回数は000000002024-10-26-0000 2024年10月26日 時点。 テンプレートを表示
桜井 政博 (さくらい まさひろ、1970年 8月3日 - )は、日本のゲームクリエイター 、実業家 。ゲームソフトの開発を行う有限会社ソラ の設立者で代表取締役 。
『星のカービィシリーズ 』および『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ 』(スマブラ)のディレクター を務めており、俗にそれらの「生みの親」とも称されている。
来歴
ハル研究所入社まで(1970年 - 1989年)
東京都武蔵村山市 出身。幼少期からコンピュータゲーム を嗜んでいた。5歳ごろ、パドルコントローラ でボールを跳ね返すテニス ゲームをプレイした際、その物理法則 を無視した世界に「すごい!」と感動したエピソードを雑誌のインタビューで述懐した[ 1] 。
中学生となり貯金をしてファミリーベーシック を購入。ビデオゲームを制作する楽しさを教わったと語っている[ 2] 。桜井にとってファミリーベーシックは人生のターニングポイントであり、これがなければ『カービィ 』や『スマブラ』は生まれなかったという[ 3] 。
ゲーム制作への関心は人一倍強かったが、おぼろげな専門家という職業への憧憬を抱き、中学卒業後は電気工学 系の高等専門学校 へ進学[ 4] 。しかし、高専での授業と自身の思い描く将来とのギャップを徐々に認識しはじめ、見通しの甘さを省み、改めて進路を再検討した[ 4] 。純粋な強い興味と、1988年3月にセガ 主催によるファンタシースターII ストーリー募集キャンペーンにおいてゲームシステム大賞に思いがけず入賞した経緯もあり、ゲームクリエイター を志すべく高専を中退し、普通高校 へ編入した。
高校在学中はアルバイト で貯めた資金をゲームソフト 購入に充て、ひたすら研究をしたという。この経験を機に膨大な数のソフトを購入し遊ぶ(研究する)習性がついたとのちに語っている[ 4] 。ソフトを研究する中で、『ガルフォース 』(HAL研究所 制作)の作り込まれたエンディングを目の当たりにした桜井は、制作者の熱意と信念を汲み取り[ 5] 、高校卒業後の1989年に同社へ入社した[ 4] 。
ハル研究所在籍時代(1989年 - 2003年)
入社後まもなく社内で募集された「だれもが楽しめるゲームの企画」の構想を練ることとなった。それから3年後の1992年 (当時21歳)、初のディレクション作品となったのが、ゲームボーイ ソフト『星のカービィ 』である[ 6] 。同作は日本のみならず全世界累計売上500万本以上のヒットとなり、会社の経営危機の救済に寄与した。『星のカービィ』は主役のキャラクターデザインから、吸い込み・吐き出し・ホバリングといったゲームシステムの大部分を桜井が企画し、グラフィックを描き起こした[ 7] 。
会社再建をかけた次回作『星のカービィ 夢の泉の物語 』でもディレクターを務めている。前作でウィークポイントに挙がった難度の低さをコピー能力 の導入や大幅なボリュームアップにより補った。同作品の発売年である1993年 はすでにハード終焉期だったが、ファミコン 最後となるミリオンセラー を達成している。
1996年 には、『夢の泉の物語』以来となる大幅なシステムおよびコピー能力の増強を図ったスーパーファミコン 用ソフト『星のカービィ スーパーデラックス 』のディレクションを担った。同作品は宮本茂 から「横スクロールアクションゲームで二人同時プレイができるようにしてほしい」との依頼にもとづき[ 7] 制作された。ゲームシステムだけでなく、2D グラフィックという制約の中で(社員も認めるほど)無駄のない完成度に仕上げられ[ 8] 、いまだに高い人気を誇っている。
1999年 発売のNINTENDO64 用ソフト『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ 』は、当初1996年10月に4人同時対戦型の体力ゲージの存在しない独特の2.5Dアクション格闘ゲームとして企画がスタートした。しかし、家庭用ゲーム におけるオリジナルキャラクター の格闘ゲーム はヒットしないジンクス があったため、桜井はマリオ やサムス・アラン といった任天堂キャラクターの使用許諾を得るべく、本社および宮本茂らに対し交渉を行った。その際、上司だった岩田聡 の人脈をかなり頼ったという。制作側には好評を得たが、任天堂キャラが戦うという内容に問屋などが反意を示し[ 9] 、メディア への大々的な露出は控えていた。しかし自ら開設した「スマブラ拳!! 」というオフィシャル攻略サイトの存在や口コミによって、最終的には国内で200万本に迫るメガヒット を記録。
このころの桜井は「ゲームクリエイターとしての制作活動だけでなく、広告 含めたユーザに対する認知・理解のための活動」を強めるとともに「開発者とユーザーのコミュニケーション・双方からの意見交換」に関する活動を積極化させている。自身の開設したウェブサイト『スマブラ拳!! 』では「アンケート集計拳!!」というある種のメールフォーラムを開き、ユーザーが桜井宛にメッセージを送信できるシステムを構築した。桜井はそれら一部に対してコメントを掲示するなど、双方向による交流を図っていた。下記の雑誌コラムにおいても読者からの手紙に対する返答や、開発者視点における業界の現状表明などを行っている。
なお、桜井はゲームクリエイターとなった後も、熱心なゲームユーザーであり続けている。ゲーム雑誌『週刊ファミ通 』にて2003年〜2021年11月まで連載されていたコラム『桜井政博のゲームについて思うこと』の内容は、現役ユーザーだからこそ書ける側面があった。また同連載のきっかけは、一般プレイヤーとしてオンラインゲーム 『ファイナルファンタジーXI 』をプレイする桜井に『ファミ通』編集者が気づいたことによる。
フリーランスからソラ設立まで(2003年 - 2009年)
2003年 、「売れなかったらダメという責任ある立場で仕事がしたい」「ゲーム業界に貢献したい」という理由でハル研究所を退社。フリーのゲームクリエイターとして執筆活動やゲーム制作に参加した。
2005年 、自身の今後を決めるため、ゲームショウ「E3 2005 」を訪れる。そこで任天堂が「スマブラをレボリューション(Wii のコードネーム)のWiFi 対応タイトルとしてプッシュしている」というニュアンスの発表をしたところ、スマブラがレボリューション向けに開発中であると誤って伝わってしまう。桜井にとっては寝耳に水だったが、ショウの期間中に社長の岩田聡 から正式なオファーを受け「大乱闘スマッシュブラザーズX 」のディレクターとして制作に携わることとなった[ 10] 。
2005年8月15日、自身が代表取締役を務める有限会社ソラ を設立。
プロジェクトソラ時代(2009年 - 2012年)
2009年 1月22日、岩田から出された「スマブラではないゲームを制作する特殊プロジェクト」を進めるべく、株式会社プロジェクトソラ のディレクターとなる。当該作品は2010年6月16日、アメリカ で開催されたE3にてニンテンドー3DS『新・光神話 パルテナの鏡 』としてのちに公開された。
2009年2月18日、任天堂よりプロジェクトソラの設立が告知された[ 11] 。
2010年 、『日本ゲーム大賞 』における「ゲームデザイナーズ大賞」設立に寄与した[ 12] 。
2012年 6月30日、『新・光神話 パルテナの鏡』の制作完了をもって、株式会社プロジェクトソラの解散を告知。7月30日、公式ホームページが閉鎖された[ 13] [ 14] 。
プロジェクトソラ解散後から現在(2012年 -)
原田勝弘 との対談にて
2012年10月ごろ、右手に石灰沈着性腱板炎 を患う。2014年 ごろには左腕および左肩にも症状が発生し、2018年 4月時点においても完治していなかった。これを受けTwitter では「#YouCanDoItSakurai」というハッシュタグが出現。世界中から励ましのメッセージが寄せられ、桜井は自身の著書にて感謝の意を述べている[ 15] 。
2015年 、『日本ゲーム大賞』において「経済産業大臣賞」を受賞[ 16] 。
2018年、E3にて桜井の出演したプレゼン映像を観た複数のユーザーから「痩せた」「やつれた」「お大事に」というメッセージが寄せられた。これは桜井が体重を6キロ絞ったことが原因だと明かされた[ 17] 。
2019年 、『ファミ通アワード 2018』においてMVPを獲得。また、桜井がディレクターを務めた『大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL 』が「ゲーム・オブ・ザ・イヤー」を、かつて生み出したキャラクターであるカービィ が「最優秀キャラクター賞」をあわせて受賞している[ 18] 。
2020年 5月16日、親交のある中村悠一 、マフィア梶田 、大川ぶくぶ によるYouTube チャンネル「わしゃがなTV 」に初ゲストとして参加[ 19] 。その後も数回出演し準レギュラー扱いとなっている。2021年 5月現在も、ゲストにおける出演回数は最多。
2021年3月2日、わしゃがなTVにて「VALHEIM」がプレイされた際、出演予定ではなかったがマルチプレイに参加し、初プレイの中村・梶田・大川を経験者としてサポートした[ 20] 。また、同年3月26日の1周年記念配信では、「ダライアス」のボスラッシュをプレイ。「さすがに最後まではいかない」と発言しつつ全てのボス をストレートでクリアし、ゲーマーとしての腕前が健在であること示した[ 21] 。
2021年5月27日、自身のTwitterにて「桜井政博のゲームについて思うこと」が連載終了する旨を発表[ 22] [ 23] 。『ファミ通』2021年11月4日発売号をもって終了した[ 24] 。
2021年8月29日、原田勝弘 との対談にて[ 25] 、石灰沈着性腱板炎がすでに完治していることを明かした。しかし現在は、ドライアイ (乾燥性角結膜炎)に悩まされているという。
2022年 3月12日、『ファミ通・電撃ゲームアワード 2021』においてMVC(Most Valuable Creator)を受賞[ 26] 。
YouTubeチャンネルの開始
2022年8月24日、桜井は「これから出るゲームの未来を少しだけ底上げすること」を目的に、YouTube チャンネル『桜井政博のゲーム作るには』(およびその英語 版チャンネル「Masahiro Sakurai on Creating Games」)を開設。ゲーム業界の発展に資するべくゲーム作りのノウハウなどを伝えていくと語った[ 27] 。アップする動画は、頭に入りやすいよう2分から5分程度の長さとし[ 28] 、投稿ペースは週2~3回を目指すとした[ 29] 。開設後1日で日本語・英語ともに20万人以上の登録者数を達成している。
桜井はYouTubeチャンネルを開設した経緯として、自身のゲーム制作におけるイロハやその仕組みを多くの人に伝えるには「YouTubeが一番適していると考えた」と述べている。桜井の動画制作の工程は、まずテーマを決め、粗い原稿を書き、小型のデジタルカメラ で自身が話す映像を撮影し、動画内で引用されるゲーム映像の素材を録画する。その後、それらの素材を受け取ったキュービストが制作したコンテを確認し、動画の本制作に入るという。その際、イラストや不足するゲーム映像はキュービストが用意している。動画の完成後は、ハチノヨン が動画を英語に翻訳する。動画サムネイルは、桜井監修のもと、基本的にキュービストが制作している[ 30] 。
桜井の一部の動画は、海外の学校にてゲーム制作を学ぶ講義に使用された[ 28] 。また、トップランナーによる質の高いゲーム開発のコツ・ノウハウを、ゲーム開発者が視聴しやすい番組として提供していることや、万人へ向けたゲーム開発の知見の共有が評価され、CEDEC AWARDS 2023の「ゲームデザイン部門」および「ビジュアルアーツ部門」で優秀賞を受賞し[ 31] [ 32] 、その後、2部門とも最優秀賞に選出された[ 33] 。
2024年1月10日、自身のYouTubeチャンネルの更新を2024年内に終了すると発表した[ 34] 。
2024年10月15日、自身のYouTubeチャンネルの通常回の更新を終了。また、後日最終回スペシャルが上がることも発表された[ 35] 。
人物
大の猫 好きであり、2009年7月3日と同年7月10日のファミ通「桜井政博のゲームについて思うこと」では新家族の猫を前者は丸1ページ猫のコラムと写真、後者は1枚の写真を公開していた。以降のコラムでも何回か写真で登場をしている。飼っているのはスコティッシュフォールド のメスで、名前は『ふくら』。X(旧Twitter)でもふくらの写真を度々公開している[ 36] 。
『ファイアーエムブレムシリーズ 』については、ネット対談記事「桜井政博さんが訊く『ファイアーエムブレム新・暗黒竜と光の剣 』」の他に、過去の開発の話が出来る人が他に居ない事で、2015年に開催された「ファイアーエムブレム祭」の特別司会のオファーを受けている[ 37] 。
小島秀夫 は何度かラジオ共演している友人であり、『大乱闘スマッシュブラザーズX 』には小島が製作を務めた『メタルギアシリーズ 』のメインキャラクターであるソリッド・スネーク がゲスト出演している[ 38] 。
作品リスト
コンピュータゲーム
アニメ
電子ゲーム
その他
メイキング オブ ファイアーエムブレム 開発秘話で綴る25周年、覚醒そして(徳間書店、2015年11月28日、インタビュー[ 注釈 1] )
出演
テレビ番組
ラジオ
HIDECHAN! ラジオ 第60、61、62、63、86、87、100、112、138、142、179、180回に出演(第100回は記念メッセージのみ)。
インターネット配信
雑誌連載
週刊ファミ通 『桜井政博のゲームについて思うこと』連載500回記念特番(2016年3月10日)[ 50]
著作
『ファミ通』連載コラムの単行本
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
ゲーム
アニメ 漫画
絵本 小説 雑誌 店舗 世界観 キャラクター その他 関連人物 関連項目
カテゴリ
シリーズ 参戦作品
関連項目(作品関連) 関連項目(開発) 関連項目(キャラクター版権) 関連項目(プロモーション)
カテゴリ
2000年代 2010年代
2009年度より宮本茂 が殿堂入りのため対象外 本賞は2019年度よりファミ通・電撃ゲームアワード に移行(MVCとして、最優秀ゲームメーカー賞と統合)