織田 信氏(おだ のぶうじ)は、戦国時代・安土桃山時代の武将。織田氏一族で織田藤左衛門家。織田信直の嫡男。幼名は竹千代。通称は角蔵。於田井城主。
略歴
母の小田井殿(栄輪院)は織田信秀の六女で、織田信長は伯父にあたる。
天正2年(1574年)9月、伊勢長島で父の信直が29歳で討ち死にし、後を継いで小田井城主となった。翌年、父の死の償いとして小田井に3万6,000貫の知行を得た。
天正9年(1581年)2月の京都御馬揃えでは連枝衆として参加した。
天正10年(1582年)の本能寺の変後は、織田一族を束ねた織田信雄に属したが、天正12年(1584年)6月2日、祖父の信張よりも先に死去した[1]。
家督は弟忠辰が継いだ。また、信氏の次男とされる津田清幽は、石田三成に仕え、重臣となった。
脚注
- ^ a b 没年については『系図纂要』によると天正13年(1585年)6月3日とする説もある。
参考文献
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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