織田 信富(おだ のぶとみ)は、江戸時代中期の大名。上野国小幡藩6代藩主。通称は主膳、靭負。官位は従五位下・和泉守。
生涯
4代藩主・織田信就の七男として誕生。初名は長英。
5代藩主の兄信右の長男であった信賁の死去に伴い、宝暦7年(1757年)12月11日、信右の養子となった。宝暦8年(1758年)3月1日に9代将軍・徳川家重に御目見し、12月18日に従五位下和泉守に叙任された。宝暦9年(1759年)11月11日、信右の隠居により家督を継いだ。宝暦11年(1761年)8月11日、藩主として初めてお国入りを許可される。明和元年(1764年)6月7日死去、享年42。
兄たちと同様に病弱な上[1]、正室、子女ともになかった。丹波国柏原藩分家の高家旗本・織田信栄の四男・信邦が末期養子として家督を継いだ。
系譜
正室・子女ともになし
父母
養子、養女
脚注
- ^ 信右以前に信房、信常、信乗の3人の兄が、病を理由に廃嫡されたり当初から嫡子とされなかった。
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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織田氏 小幡藩6代藩主 (1759年 - 1764年) |
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奥平家 | |
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水野家 | |
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永井家 | |
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織田家 | |
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奥平松平家 | |
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