織田 信直(おだ のぶなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。名は信時とも。通称は又六郎、又八郎、左衛門。
略歴
織田氏(藤左衛門家)・織田信張の子として誕生。母は織田信康の娘。
信直の時代の藤左衛門家は織田信長の弾正忠家に圧倒されていたが、信直は織田信秀の娘婿、すなわち信長の妹婿であったことから一門として重んじられていた。
小田井城に居を持ち父・信張と行動を共にしていた。天正2年(1574年)7月、第三次長島攻めに従軍。同年9月29日、一揆勢の捨て身の攻撃に遭い討ち死にした。享年29。
名古屋市の善光寺別院願王寺に肖像画が残る。
系譜
子女は2男1女。
妻小田井殿の生母が織田信長の乳母を務めた養徳院であることから、子孫は池田氏と共に行動することが多く、江戸時代は池田家家臣となる子孫もいた。
長男の信氏は、天正9年(1581年)の馬揃えで御連枝の衆として参加した。次男の忠辰は最後の小田井城城主で子孫は尾張藩士となった。娘は牧野宮内少輔の室のちに荒尾成房の室。
参考文献
外部リンク
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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