織田 長恒(おだ ながつね)は、江戸時代中期の大名。大和国柳本藩9代藩主。通称は亀次郎、左京。官位は従五位下・筑前守。
生涯
7代藩主・織田信方の五男として誕生。
宝暦11年(1761年)11月29日、8代藩主で兄・秀賢の養嗣子となる。宝暦12年(1762年)1月28日、10代将軍・徳川家治に御目見する。宝暦13年(1763年)8月26日、秀賢の隠居により、家督を相続した。同年12月9日、従五位下筑前守に叙任する。
明和3年(1766年)8月20日、または8月22日江戸で死去、享年27。墓所は祥雲寺。法号は享徳院殿謙光宗流大居士。
系譜
正室はなし。子女は1女。
なお、『寛政重修諸家譜』では長男秀綿(長恒を継ぐ、実際は秀賢の三男)、次男秀寧の子女を掲載している。
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織田氏 (平姓) | |
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伊勢守家 | |
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大和守家 | |
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因幡守家 | |
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藤左衛門家 | |
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弾正忠家 | |
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信長流 |
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信勝流 |
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信包流 |
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信治流 |
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長益流 |
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柳本藩9代藩主 (1763年 - 1766年) |
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- 尚長1615-1637
- 長種1637-1643
- 秀一1643-1687
- 秀親1687-1709
- 成純1709-1724
- 秀行1724-1726
- 信方1726-1741
- 秀賢1741-1763
- 長恒1763-1766
- 秀綿1766-1806
- 信陽1806-1857
- 信成1857-1868
- 信及1868-1871
- 廃藩置県
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