1977年の日本ハムファイターズ(1977ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1977年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、大沢啓二監督の2年目のシーズンである。
概要
3年ぶりに最下位を脱出したこともあり、大沢監督は「今年こそシーズンを勝ち越す」と宣言し、投手陣はダブル高橋(高橋一三・高橋直樹)に野村収、さらに広島からトレードで佐伯和司が加入した。前期は4位ながら勝ち越し、後期以降のAクラス入りが期待されたが後期に入ると負けが込むようになり、勝ち越しどころか借金3の5位で終了した。結局、高橋直が17勝(17敗)を挙げた以外は高橋一・佐伯がそれぞれ6勝、野村が5勝と期待外れに終わる。打撃陣は前年同様ウォルター・ウィリアムスとボビー・ミッチェルの外国人コンビが打線を引っ張り、特にミッチェルは最後までロッテのレロン・リーと本塁打王を争う活躍を見せた。他にも3割をマークした富田勝、正捕手・加藤俊夫のレギュラー陣、若手の岡持和彦が一定の成績をあげたが、それ以外の選手が低調に終わった。シーズン終了後、大沢監督は南海から柏原純一をトレードで獲得し、打線の強化を図ることになる。チームは前年と同じ順位ながらも借金を大きく減らし、1ケタにとどめたことが翌1978年のAクラス入りにつながった。この年3連覇の阪急には12勝12敗2分と健闘したが、4位の近鉄には8勝15敗3分と大きく負け越してしまい、勝率5割はならなかった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1977年パシフィック・リーグ順位変動
前期
順位
|
4月終了時
|
5月終了時
|
前期成績
|
1位
|
近鉄 |
--
|
阪急 |
--
|
阪急 |
--
|
2位
|
南海 |
1.0
|
近鉄 |
0.5
|
南海 |
1.5
|
3位
|
阪急 |
3.0
|
南海 |
3.0
|
近鉄 |
2.5
|
4位
|
日本ハム |
5.5
|
ロッテ |
6.0
|
日本ハム |
4.0
|
5位
|
クラウン |
6.5
|
日本ハム |
8.5
|
ロッテ |
8.0
|
6位
|
ロッテ |
8.0
|
クラウン |
9.0
|
クラウン |
14.0
|
|
後期
順位
|
7月終了時
|
8月終了時
|
後期成績
|
1位
|
クラウン |
--
|
ロッテ |
--
|
ロッテ |
--
|
2位
|
阪急 |
2.0
|
クラウン |
2.0
|
阪急 |
0.5
|
3位
|
ロッテ |
3.0
|
日本ハム |
2.5
|
南海 |
4.0
|
4位
|
日本ハム
|
阪急 |
2.5
|
日本ハム |
7.0
|
5位
|
近鉄 |
4.0
|
南海 |
5.0
|
クラウン |
7.5
|
6位
|
南海 |
6.0
|
近鉄 |
6.0
|
近鉄 |
8.0
|
|
*優勝はプレーオフで決定。2位以下はプレーオフの結果に関係なく勝率順で決定
[1]
オールスターゲーム1977
できごと
選手・スタッフ
[2]
表彰選手
ドラフト
出典
|
---|
1940年代 | |
---|
1950年代 | |
---|
1960年代 | |
---|
1970年代 | |
---|
1980年代 | |
---|
1990年代 | |
---|
2000年代 | |
---|
2010年代 | |
---|
2020年代 | |
---|
1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |