ターキッシュ エアラインズ航空の本部
ターキッシュ エアラインズ (トルコ語 : Türk Hava Yolları 、THY 、英語 : Turkish Airlines )は、トルコ の国営航空会社 。トルコのフラッグ・キャリア である。2014年2月、トルコ航空 (トルコこうくう)より日本語社名を変更した[ 1] 。略称及びICAOコード はトルコ語 での頭文字からTHY となっている。
歴史
1933年 にトルコ国防省の国家航空事業運営部として設立され、小型旅客機5機(合計席数28席)で首都アンカラ とエスキシェヒール の間の200kmを結ぶ1路線で運航を開始した。その後、公共事業省移管を経て1938年 に運輸省国家航空業務局となり、1947年 にはアンカラ - イスタンブール - アテネ を結ぶ初の国際路線を就航、1956年 3月1日 に国営の特別会社となり、トルコ航空株式会社 として発足した。
1985年 にはニューヨーク 、バンコク 、シンガポール とアメリカ 、極東 まで航空路線を延ばし、世界116都市に及ぶ国際航空ネットワークに発展した。1989年 からは、日本 との間に定期路線を就航。就航当初は、日本航空 (JAL)とのコードシェア便 として、成田国際空港 及び関西国際空港 とイスタンブール・アタテュルク国際空港 を結んでいた[ 注 1] 。
1990年代には新型機材の導入を推し進めるなどして規模を拡大していたが、2000年代に入り、同時多発テロ 、そしてイラク戦争 が勃発し、同社の業績は急速に悪化した。これに伴い従業員の解雇やネットワークの縮小を強いられた。
2004年より民営化に向けた準備が進められた結果、同社の株式の50.9%は民間所有、残りが政府所有となっている[ 2] 。
2006年 12月9日 には、イスタンブール 市内にて開催されたスターアライアンス 社長会にてトルコ航空のスターアライアンス加盟が承認され、2008年4月1日に正式加盟した。これと同時に、日本路線のコードシェア相手をJALから全日本空輸 (ANA)に変更することが発表された[ 3] 。
現在は、経営基盤の安定化が一段落したこともあり、新型機材の導入や機内サービスの拡充、新規CI の導入を行うなどして、拡大路線をとるに至っている。2014年現在、就航国は105カ国に及び、これは世界最多である。
また、主にヨーロッパ圏内における知名度の向上を図るため、ヨーロッパのフットボールクラブであるマンチェスター・ユナイテッド の公式スポンサーとなっている(FCバルセロナ のスポンサーをしていたこともあった)。またバスケットボールのユーロリーグ の冠スポンサーのほか、2013年シーズンより、Jリーグ のフットボールクラブである大宮アルディージャ のオフィシャルスポンサーを、同年5月にはドイツ のフットボールクラブ・ボルシア・ドルトムント とプレミアム・パートナーシップ契約を締結している[ 4] 。
2014年 から、湘南ベルマーレ とオフィシャルクラブパートナー契約を締結。同年2月から、日本での商号を「ターキッシュ エアラインズ」に変更[ 1] 。また同年9月、日本プロバスケットボールリーグ (bjリーグ)の冠スポンサーとなった。2015年には映画『海難1890 』の特別協賛として参加している。
2023年12月14日現在、イスタンブールと東京/羽田、東京/成田間の2路線は毎日1便ずつ、大阪/関西間は週4便就航している。
2023年7月末時点で、一部便を除いてロシア上空は避けての運行が行われている。
就航都市
ターキッシュ エアラインズの就航地の地図
トルコ国内
アフリカ
アジア
コーカサス
ヨーロッパ
北アメリカ
南アメリカ
保有機材
リスト
過去の保有機材
ギャラリー
備考
ボーイング777-300ER[ 7] は自社発注した5機目(機体番号:TC-JJE)の新造機より新塗装で納入され、それ以降はボーイング737-800 を含めた新造機ならびにリース導入分を含め全て新塗装で納入されている。最初に導入した旧塗装4機のB777-300ERは、2機ずつジェットエアウェイズ とタイ国際航空 へそれぞれ移籍した。
世界でも珍しく、エアバスA330 において選択できる全てのエンジンメーカー(GE、プラット・アンド・ホイットニー、ロールスロイス)のエンジンを装備した機材を保有している。
同社が発注したA350-900に関して、一部アエロフロート・ロシア航空 発注分の機体を導入することが決まっている[ 8] [ 9] 。これは、ロシアが2022年よりウクライナ侵攻 を開始した事による経済制裁のために引渡しができない機体を同社が受領することになったためである。なお、コンフィグなどに関してはアエロフロート仕様のままでの納入が決まっているほか、機体塗装がアエロフロートのまま、タイトルのみターキッシュエアラインズとなった機体が納入されている。
同社はエアバスA380 、ボーイング747-8インターコンチネンタル の超大型機を導入する計画があるが[ 10] 、A380・B747-8ICともに製造中止となるため導入は不可能になると予想される。
同社が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)はF2 で、航空機の形式名は737-8F2 , 777-3F2 ER などとなる。
サービス
長距離国際線のエコノミークラスの機内食の例。この例では、トルコ料理 のキョフテ が使用されている。
アタテュルク国際空港のターキッシュ エアラインズラウンジ
東京(成田)⇔イスタンブールでは、ビジネスクラスとエコノミークラスの2クラスで、大阪⇔イスタンブールでもビジネスとエコノミーの2クラスで運航されている。
ボーイング777-300ERで運航している路線では機内Wi-Fi接続が可能である。
予約の内容によってはリコンファーム する必要があるので、注意が必要である [疑問点 – ノート ] [ 注 2] [ 11] [リンク切れ ] 。
機内食 に力を入れており、オーストリア のケータリング 会社Do & Co (ドイツ語版 ) 社が監修を行っている。ビジネスクラスでは同社の本物のシェフが機内食の盛り付けや配膳を行う[ 12] 。
アタテュルク国際空港での国際線同士の乗り継ぎが、乗り継ぎ時間の関係でその日のうちに行えない場合(最短接続時間のフライト乗り継ぎがビジネスクラスで7時間以上、エコノミークラスで10時間以上)、無料でトランジットホテルに宿泊できるサービスを行っている。また、2011年にはアタテュルク国際空港のラウンジを改修し、3,000平方メートル にライブラリー、子供用の遊戯室、シャワー、ビリヤード場などを備えた大規模なラウンジとなっている[ 13] 。
サービスには比較的高い評価を得ており、スカイトラックス の「World Airlines Awards」では2011年から2015年まで5年連続で「The Best Airline in Europe[ 注 3] 」に選ばれている[ 14] [ 15] [ 16] 。また、2013年のスカイトラックス「World Airline Awards」でも第9位にランクインし[ 17] 、2014年には順位を上げて第5位、2015年には第4位となった[ 18] [ 19] ほか、同2014年のスカイトラックス番付では上述の機内食やラウンジのサービス向上策が功を奏して、「ビジネスクラス機内食部門」で1位[ 20] 、「エコノミークラス機内食部門」で2位[ 21] 、ビジネスクラスラウンジでの食事部門で1位[ 22] の評価を得た。
受賞歴
ターキッシュ エアラインズの関わった事件
日本人を運んだトルコ航空所属のDC-10 「イズミル」号 (機体記号 TC-JAY)
イラン・イラク戦争 中の1985年 3月12日 、イラク 軍によるイラン の首都テヘラン に対する空爆が始まった。テヘランの在留外国人は空爆を避けるために国外避難を準備し始めたが、3月17日 に至って、イラクのサッダーム・フセイン 大統領は「3月19日 20時半以降はイランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」という声明を発した。
宣言後、イランに住む外国人についてはそれぞれが国籍を置く国の軍隊、ないしは民間航空会社を使っての脱出が計られた。しかし、当時日本では自衛隊 の海外での活動は禁止されていた。また過去にテヘランに寄港していた日本航空 は当時既にテヘランへの寄港を停止していたため、日本政府は現地との調整に手間取り、日本航空チャーター機の派遣も会社、労働組合 ともに反対であったこと、前記期日までの脱出が困難であることを理由に実現しなかった。そのため、在イラン日本人200名以上は脱出方法が見つからずに生命の危機に瀕していた。
イランの日本大使館 の野村豊 大使は、トルコ大使館のビルレル大使に窮状を訴えると大使は「わかりました。ただちに本国に求め、救援機を派遣させましょう。トルコ人ならだれもが、エルトゥールル号の遭難 の際に受けた恩義を知っています。ご恩返しをさせていただきましょうとも」と答え、大使の要請を受けて2機のトルコ航空機がテヘランへ派遣された[ 24] 。2機のトルコ航空機が215人の在留邦人(第一便198人、第二便17人)を乗せてメヘラーバード国際空港 を出発し、イラン国境を越えてトルコ領空に入ったのはタイムリミット直前のことであった。なお、この時の航空機の第一機長オルハン・スヨルジュ と妻ヘルガは、和歌山県串本町樫野のトルコ軍艦エルトゥールル号遭難慰霊碑への献花のため2011年 3月27日に来日している。
このエピソードはのちにインターネット 上の電子掲示板 やメールマガジン を通じて親日国 トルコのイメージを広めることに貢献し、テレビでも2004年 のNHK 「プロジェクトX 」など、様々な番組で取り上げられた。また、2015年 には日本・トルコ合作映画『海難1890 』にてエルトゥールル号の出来事とともに題材となり、ターキッシュ エアラインズ(トルコ航空)も「特別協賛」の形で携わっている。
実際は「伊藤忠 」のイスタンブール支店関係者、在テヘラン日本大使館からのトルコ政府への救援要請に対し、トルコ側が了承し、トルコ航空機の派遣を決定した。なお、この事件に関するシンポジウムが2007年10月28日、東京都三鷹市の中近東文化センターにて、当該機の機長オルハン・スヨルジュ、元キャビン・アテンダント、野村元駐イラン日本大使、森永堯元伊藤忠商事イスタンブール支店長ら当時の関係者出席の上、行われている。
この救出の後、1999年にトルコ大地震 が発生したが、その際この救出された邦人の一部が義捐金を募りトルコに贈った。また、湾岸戦争 勃発1か月前の1990年 12月に、当時国会議員 だったアントニオ猪木 が自らイラク に赴いて平和を訴えるイベント を行い、サッダーム・フセイン政権によってイラクからの出国を差し止められ事実上の人質として抑留されていた在留日本人の解放を果たしたとき、チャーター便を出してこれを助けたのも当時のトルコ航空であった。
事故
他航空会社パイロット
ターキッシュ エアラインズでは、これからも事業を拡大する予定であるため、パイロットが今まで以上に必要になる[要出典 ] 。
このことから、同社では世界の他の航空会社を(倒産などの理由で)解雇されたパイロットなどを積極的に採用している。
2010年に日本航空 グループが会社更生法 の適用を申請し、実質的に破綻して700人近いパイロットが整理解雇された際も、ターキッシュは積極的にそれらのパイロットを採用した。
参考文献
脚注
注
^ 関西国際空港発着便は、2003年12月から2006年5月まで運休していた。また中部国際空港 にも乗り入れる計画もあるが、2014年 6月現在に至っても未だに実現されていない。
^ ターキッシュエアラインズ公式サイトでは、質問8でリコンファームする必要があるのか?という質問に対し、「オンラインの予約画面でリコンファームが必要か否か確認してください」と言った趣旨の回答がされており、次の質問9ではオンラインでリコンファームできるのか?という問いに対し、「フライトの72時間前からオンラインでリコンファーム出来る」という回答がされている。
^ 日本ではアジア ・中近東 の航空会社扱いされる事もあるが、ターキッシュ・エアラインズ自体はヨーロッパの航空会社と認識している[要出典 ] 。
出典
関連項目
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、
ターキッシュ エアラインズ に関連する
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