林幹雄
林 幹雄(はやし もとお、1947年〈昭和22年〉1月3日 - )は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、国土交通副大臣(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、衆議院国土交通委員長、国家公安委員会委員長(第77・79代)兼沖縄及び北方対策担当大臣兼防災担当大臣(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院議院運営委員長(第77代)、自民党筆頭副幹事長、経済産業大臣(第21代)兼内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)を歴任した。 来歴千葉県香取郡東庄町生まれ。現住所は銚子市清川町4丁目。千葉県立佐原高等学校、日本大学芸術学部文芸学科卒業。大学卒業後は小松川鋼機の従業員を経て父・林大幹の秘書を務める[1]。1983年、千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。県議は1993年まで3期10年務める[1]。1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧千葉2区(定数4)から自由民主党公認で出馬し、得票数3位で当選した。以後、10期連続当選。 2003年、第1次小泉第2次改造内閣で国土交通副大臣に任命され、第2次小泉内閣まで務める。2008年、福田康夫改造内閣で国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)に任命され初入閣したが、福田康夫首相は内閣改造の約1ヶ月後に退陣を表明したため、わずか54日で閣僚を退任した。2009年、麻生内閣で前年同様、国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)に任命されるが、自民党は同年の第45回衆議院議員総選挙で大敗し、麻生内閣は退陣。わずか2ヶ月程度で、再び閣僚を退任した。総選挙では現職の閣僚ながら千葉10区で民主党新人の谷田川元に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活当選を果たした。 2011年、同じ近未来政治研究会に所属していた甘利明が立ち上げたさいこう日本に参加[2]。2012年の第46回衆議院議員総選挙では千葉10区で民主党の谷田川を破り、7選。選挙後、結成以来所属していた近未来政治研究会での石原伸晃の会長就任を受けて退会し、志帥会へ移籍。二階俊博会長の下で、志帥会副会長を務める[3]。2013年1月、自民党治安・テロ対策調査会長に就任。 2014年の第47回衆議院議員総選挙では千葉10区で再び民主党の谷田川を破り、8選。2015年10月7日、第3次安倍第1次改造内閣で経済産業大臣、産業競争力担当大臣、原子力経済被害担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)に任命された。2016年8月3日、大臣を退任し、自民党幹事長代理に就任[4]。2017年8月3日、選挙対策委員長代理を兼務する[5]。同年の第48回衆議院議員総選挙は希望の党公認となった谷田川を退け、9選。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で自民党内規の73歳定年制により小選挙区単独の出馬となり、立憲民主党から出馬した谷田川に2,851票差まで迫られたが10選を果たした。 2024年4月4日、自民党は党紀委員会を開き、林を党の役職停止1年とするなど、派閥裏金事件に関わったとして安倍派と二階派の議員ら39人への処分を決定した[6]。同年9月15日、後援会会合にて次の衆議院総選挙に立候補せず政界を引退する意向を表明[7]。 政策・主張憲法
外交・安全保障
ジェンダー
原子力政策への答弁
その他
不祥事
政治資金
人物
所属団体・議員連盟
関連書籍
脚注
関連項目外部リンク
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