冨永 みーな(とみなが みーな、1966年〈昭和41年〉4月3日[3][4][6][15][16] - )は、日本の声優、女優、歌手、タレント、ナレーター[7]。広島県広島市西区己斐西町出身[2]、東京都中野区育ち[4]。東京俳優生活協同組合所属[8]。
来歴
広島県広島市西区己斐西町で誕生[2]。赤ん坊の頃、母が具合が悪かったため京都府の寺に預けられて、その間に両親が東京都に来ており少しだけ大井町に住んでいた[4]。その後、東京都中野区に引っ越した[4]。
5歳のとき、知人の勧めを機に母に連れられて行った映画のオーディションで合格し、1971年に映画『鯉のいる村』のゆうこ役で子役としてデビュー[6][10][14][17]。この映画で主演したことがきっかけで、6歳の時に劇団こまどり(グループこまどり)に入団する[10][12][4][2][3][14]。
劇団こまどり入団後はテレビドラマ『お嫁さんに決めた!』『それ行け!カッチン』やCMなどで子役として活動する傍ら、1973年には海外ドラマ『刑事コロンボ』で声優デビュー[18]。1975年には海外ドラマ『大草原の小さな家』の3女のキャリー役で初のレギュラーを獲得し[18]、これを声優デビューとする資料も多い[10][11]。1977年のテレビアニメ『世界名作劇場』における『あらいぐまラスカル』のアリス役などからアニメの声優の仕事も始める[10]。
日本大学櫻丘高等学校[12]時代からは、『銀河漂流バイファム』『魔法の妖精ペルシャ』などアニメで声優中心に活躍するようになり、レコードデビューも果たすなど、1980年代半ばにかけて声優界でアイドル的な存在となる。この背景に「当時10代の声優の絶対数が足りておらず、消去法で自分くらいしかいなかったという事情もある」と述べており、同じころにOVAの販促などのイベントを行うと、当時10代の声優に興味を持つ人自体が希少であったため同じファンがイベントに来ることが多かったという。また、ファンに自身を認知してもらえるようになったきっかけはOVA『BIRTH』の販促イベントであるとのちに話している。
10代のころは海外映画の吹き替えによく出演していたが、それは収録日が土日で通学しながら活動するのに好都合であったためであり、収録は当時は劇団こまどりの西村サエ子代表に導かれるがままであった、と2017年のインタビューで述懐している。
日本大学藝術学部演劇学科演技コース[10][3]在学中は、声優としてさらに人気が上昇し、ラジオ『アニメトピア』ではパーソナリティとしてDJデビュー。その後、同大学芸術学部を中退[12]。
一時期は声優業の他に、各種ラジオ番組・モノマネ番組などにも出演していた。
1998年以降、『サザエさん』で高橋和枝から磯野カツオ役を引き継ぎ務めている。
かつてはプロジェクト・レヴュー[21]、大橋巨泉事務所[1][12]、2003年から2014年まではミントアベニュー[22]に所属していたが、2014年11月から東京俳優生活協同組合に所属している。
2018年、第12回声優アワードにて高橋和枝賞を受賞[23]。
2023年、声優デビューから50周年を迎え「冨永みーな 声優50th anniversary LIVE -Wings-」を開催した[24]。
人物
声種はアルト[8]。
歌やラジオ、写真集などマルチに活躍する声優としては、1990年代の声優ブームにおける風潮を先取りしたと言える。2017年には「俳優が声優の仕事を行い、声優が俳優の仕事を行なうようになって、俳優と声優がボーダレスになる方が自然」という趣旨のコメントを残している。
ナレーターとしては、『どうぶつ奇想天外!』『開運!なんでも鑑定団』『世界ウルルン滞在記』『いきなり!黄金伝説』など、人気番組・長寿番組に数多く関わっている[注 1]。
趣味としてゴルフ[5]、釣り[5]を挙げている。
1990年に声優の矢尾一樹と結婚したが[28]、後に離婚。その後、2001年8月にタレントの増本庄一郎と再婚し、2002年1月には女児を出産した。2004年9月に男児を出産しており、2児の母親である[29]。
長いキャリアから、諸事情により出演を見合せた声優の代役を務めたり、別の声優の持ち役を引き継いだ経験がいくつかある(後述)。特に『サザエさん』磯野カツオ役をはじめウルトラシリーズのブースカ[30]などで高橋和枝の持ち役を複数引き継いでおり、第12回声優アワードにて高橋和枝賞を受賞している。
エピソード
子役のころから声優活動をしていたため、1990年代の声優業界では姉貴分扱いされることが多かった。
初期は本名の「冨永美子」名義で活動したが、小学生の時に易者に言われて「冨永ミーナ」に改名[注 2][32]。その後「冨永み〜な」に改名し、現在の所属事務所のプロフィールなどでは「みーな」表記となっている。
自身が歌手として初めて楽曲をリリースした時点では、歌手活動もしていた声優は小山茉美くらいで声優がアイドル歌手として人気を集めるような時代ではなかったという。それだけに、声優の自身がファンから応援してもらえたことは本人にとって不思議なことであった。
日本大学芸術学部時代の先輩には漫才コンビ、爆笑問題の太田光・田中裕二の2人がいた。同学部の学生有名人に過敏なまでに反感を持っていたという太田には「みーな、みーな、こっちを見ーな」などと言われ、相当絡まれたという[33]。
フリーアナウンサーでRKB毎日放送元アナウンサーの富永倫子は親戚[34]。
レポーターをやってみたくてオーディションを受けたところ、大橋巨泉事務所の関係者のつてで『走れ!歌謡曲』に出演できたことは本人にとって良い思い出だという。
自身の写真集『パーフェクトみーな』は、後に「ある種の触れられたくない過去」としている。2017年時点では1冊だけ保存しているが、保存に使用している箱には「開けちゃイヤ」と書いており「本当に見られたくないんです。きれいじゃないし、太ってるし」と恥ずかしがっている。
声優以外で少女時代に憧れていた職業はキャビンアテンダント=スチュワーデスだったという[6]。
座右の銘は「なせばなる、なさねばならぬなにごとも」[6]。
出演作に関して
1991年、マァム役として出演していた『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』の収録中に突然激しい腹痛に襲われ、病院に搬送されたことがある。検査の結果、虫垂炎を患っていたことが判明、そのまま治療のために入院することになったものの、声を担当していたマァムの出番は、この収録回で最後であった。
1995年、『赤ずきんチャチャ』では当初、おゆき先生、海坊子役などの脇役を担当していたものの、どろしー役で出演していた大坪純子が第58話を持って降板したため、第60話からどろしー役を引き継いだ。また、これまでに担当していた脇役も最終回まで続投していた。
『それいけ!アンパンマン』では、当初はロールパンナ役やその他の脇役を担当していた。1999年の8月から9月には柳沢三千代の代役でカレーパンマンを演じたほか、2018年1月26日放送回以降は2017年に死去したドキンちゃん役の鶴ひろみの後任として2代目・ドキンちゃん役に就任[36]。これに伴ってロールパンナ役以外の持ち役は降板しており、ニャンコック役は白石涼子、しろかぶくん役とレアチーズ役は渕崎ゆり子、たまごどんまん役はかないみかが引き継いでいる。
かつては『名探偵コナン』への出演を希望しており[注 3]、2018年には映画『名探偵コナン ゼロの執行人』にゲストとして初出演を果たしている[37]。
磯野カツオ
『サザエさん』では、1998年5月17日放送回から体調不良で途中降板した高橋和枝に代わり、磯野カツオ役を務めている。
本作へレギュラー出演するようになったのは1989年からであり、最初は隣人の伊佐坂浮江役で参加。また、早川さんなどの常連脇役も担当していた[38]が、カツオ役就任後にこれらの役は川崎恵理子に引き継がれた。
カツオ役となったきっかけは、ある日の収録後にディレクターの岡本知から「カツオできるか?」と訊かれたことだったという[39][40]。当時、高橋の体調が悪いことは知っていたが[39]、“サザエさん一家”は既に出来上がったもので、自身もそれで育ったことから、「私が?」と驚いたといい[18]、最初は「できません」と答えた[39]。だが、演出家として信頼する岡本に「ちょっとやってみよう」と返されたことで、その日のカツオの台詞を収録。翌週に高橋が入院し、「入院の間だけやってくれ」と岡本に頼まれたことで、「この方が言うんだからやるべきだ」と考え、「自分でも違和感があるけど仕方無い。やらせていただこう」とカツオを演じることを決めた[39][40]。
その後、高橋の復帰はかなわず、冨永が3代目として正式に磯野カツオ役を引き継ぐこととなった。このことに、高橋は病床で「みーなちゃんならいい」って言っていたといい、後に冨永は「とてもうれしく心強かったです」と話している[39]。
カツオに関して、それまであまり男の子の役を演じたことがなかったため、当初は不思議な感覚だったという。また、高橋演じるカツオの素晴らしさを現場で目のあたりにしていたことから、最初は高橋のカツオをなぞるような感じになってしまったといい、どうしたらいいかわからず、混乱したことを後に明かしている[39]。
演技に関しては「和枝さんのカツオくんを私が演じている」と代役に近いスタンスを持っている[41]。ただし、ものまねにはせず「声は違ってもいいから魂を大切にする」という考えだといい、「(高橋と)声が違うのはごめんなさい、と。あとはディレクターさんがOKを出してくれたのなら、そこが私たちにとってのOKなので、それを信じようと」と語っている[41][42]。また、高橋が歌う挿入歌「カツオくん(星を見上げて)」をカバーした際に「カツオ役を本当に引き継げた」と感じた一方「完全に引き継いだと感じる日は来ないだろう」という思いがあることも明かし、高橋と共存して演じているという感覚を持っているという[40]。
インタビューで「カツオは“イタズラ”はするが“意地悪”は絶対にしない」と語ったことがあり、「ちょっと微妙な線引きの事柄のように思われるかもしれませんが、心の中にある“思いやり”の違いだと感じています。『サザエさん』のお話の中にはそんな“想う心”がたくさん描かれています」と話している[43]ほか、「自分が元気じゃないと、ちょっとのことで意地悪に聞こえてしまうこともあります」「先週のカツオくんに納得できたからといって、今週もそうとは限らない」と一回一回を大事に演じていると述べている[41]。
出演時のクレジットに関しては、所属事務所などが「みーな」表記となってからも、放送や公式サイト、関連書籍は一貫して「み~な」名義が使われている[43]。
『サザエさん』以外の番組などで周囲にカツオの声を披露することは、契約の事情から基本的にできないという[18]。
2004年、出産2日後にもかかわらず本作のアフレコに参加したことがある。これに関して「予定日の前後に産休を取る予定だったが、予定日より早く産まれたため参加せざるを得なかった」と後に話している。
2014年1月26日に急逝した波平役の永井一郎の葬儀では、サザエ役の加藤みどりと共に弔辞を担当した。その際に冨永はカツオが波平に話しかける口調で「父さん、大好きです。もっといっぱい一緒にお風呂に入りたかった。もっと叱られたかった」と涙声で読み上げていた[44]。
2019年には、自身のそれまでのキャリアで一番思い出の役として磯野カツオ役を挙げている[38]。
出演
太字はメインキャラクター。
テレビドラマ
映画
オリジナルビデオ・DVD
- プライベートみーな
- Wagamama!(1987年)
- やさしいうま(2007年)プロデュース、ナビゲーター
舞台
- プロジェクト・レヴュー プロデュース
- 冨永 みーなプロデュース
- 民法732.5条
- 4,380円〜空からお金が降った夏の日
特撮
テレビアニメ
- 1975年
-
- 1977年
-
- 1978年
-
- 1979年
-
- 1982年
-
- 1983年
-
- 1984年
-
- 1985年
-
- 1986年
-
- 1987年
-
- 1988年
-
- それいけ!アンパンマン(1988年 - 、カレーパンマン〈代役〉、つみれちゃん、ニャンコック〈4代目〉、ミルクキャラメル、くものもくちゃん〈2代目〉、みずうみ姫〈代役〉、マイマイママ、しろみ〈2代目〉、たまごどんまん〈初代〉、ロールパンナ / ブラックロールパンナ、こてん、キャラメルママ、サニー姫、レアチーズ〈初代〉、あくびどり〈2代目〉、しろかぶくん〈初代〉、たまご姫〈2代目〉、超甘口カレーパンマン、タワシくん〈2代目〉、みるくぼうや〈代役→2代目〉、グーパンダ、ドキンちゃん〈2代目〉[36] 他)
- ドクター秩父山[55]
- どんどんドメルとロン(チェリー)
- ビックリマン(1988年 - 1989年、愛然かぐや)
- ビリ犬(1988年 - 1989年、雨森テツオ[56]) - 2シリーズ
- 1989年
-
- 1990年
-
- 1991年
-
- 1992年
-
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2001年
-
- 2002年
-
- 2003年
-
- 2004年
-
- 2005年
-
- 2006年
-
- 2007年
-
- シュガーバニーズシリーズ(2007年 - 2009年、女王シュクレ、女王アール)
- 2008年
-
- 2011年
-
- 2012年
-
- 2014年
-
- 2016年
-
- 2018年
-
劇場アニメ
- 1979年
-
- 1984年
-
- 1988年
-
- 1989年
-
- 1990年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 1997年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
-
- 2002年
-
- 2003年
-
- 2004年
-
- 2006年
-
- 2008年
-
- 2010年
-
- 2013年
-
- 2018年
-
- 2019年
-
- 2020年
-
- 2021年
-
- 2022年
-
- 2023年
-
OVA
- 時期不明
-
- 1984年
-
- 1985年
-
- 軽井沢シンドローム(津野田絵里)
- 銀河漂流バイファム 消えた12人(クレア・バーブランド[83])
- 銀河漂流バイファム “ケイトの記憶” 涙の奪回作戦!!(クレア・バーブランド[83])
- ジャスティ(アスタリス・ベガ)
- バビ・ストック I 果てしなき標的(ムーマ)
- メガゾーン23(村下智美)
- 1986年
-
- 1987年
-
- 1988年
-
- 1989年
-
- 1990年
-
- 1991年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- ハンギョドンの00 7/2 ドクターサンデーあらわる(さゆり[60])
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1998年
-
- 2001年
-
- 2012年
-
- るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 新京都編(明神弥彦)※劇場先行公開
Webアニメ
ゲーム
- 1991年
-
- 1992年
-
- 1993年
-
- 機動警察パトレイバー 〜グリフォン篇(泉野明)
- デバステイター(星野奈美)
- 1994年
-
- 1995年
-
- 1996年
-
- 1997年
-
- 1998年
-
- 1999年
-
- 2000年
-
- 2001年
-
- 2011年
-
- 2013年
-
- 2014年
-
- 2017年
-
- 2018年
-
- 2019年
-
- 2020年
-
- 2022年
-
吹き替え
映画
ドラマ
アニメ
ラジオ
ドラマCD
デジタルコミック
ナレーション
写真集
バラエティ
ディスコグラフィ
シングル
発売日
|
規格品番
|
面
|
タイトル
|
作詞
|
作曲
|
編曲
|
ビクター音楽産業
|
1984年8月5日
|
KV-3058
|
A
|
不思議なひらめき
|
有川正沙子
|
鈴木キサブロー
|
萩田光雄
|
B
|
パイ夏プル
|
田中弥生
|
ワーナー・パイオニア / WARNER RECORDS
|
1986年6月25日
|
K-1563
|
A
|
ストップ! うそつき少年
|
只野菜摘
|
馬飼野康二
|
B
|
そよ風のララバイ
|
能丸武
|
東芝EMI / 東芝レコード
|
1991年7月19日
|
TODT-2706
|
1
|
Toy Girl
|
上田真理
|
上田真理
|
野口久和
|
2
|
Toy Girl(カラオケ)
|
|
日本クラウン / anix
|
1992年12月16日
|
CRDP-58
|
1
|
あなただけの景色
|
冨永みーな
|
竹内大
|
三浦俊一
|
2
|
何故
|
福岡ユタカ
|
3
|
肌に感じる季節
|
三ツ矢雄二
|
伊藤隆博
|
西畑勝
|
4
|
あなただけの景色(カラオケ)
|
|
竹内大
|
三浦俊一
|
スターチャイルド
|
1995年8月23日
|
KIDA-111
|
1
|
どうぞこのまま
|
丸山圭子
|
野口久和
|
2
|
もう一度抱きしめて…
|
冨永みーな
|
野口久和
|
3
|
どうぞこのまま(OFF VOCAL VERSION)
|
|
丸山圭子
|
4
|
もう一度抱きしめて…(OFF VOCAL VERSION)
|
|
野口久和
|
アルバム
オリジナルアルバム
|
発売日
|
タイトル
|
規格
|
規格品番
|
ビクター音楽産業
|
1st
|
1985年7月21日
|
Mマーブル
|
LP
|
JBX-25068
|
CT
|
VCK-6147
|
2nd
|
1986年7月5日
|
a・ha! I'm 20
|
LP
|
JBX-25091
|
CT
|
VCK-6175
|
CD
|
VDR-1239
|
メルダック / animel
|
3rd
|
1991年12月16日
|
mind
|
CD
|
MECH-30023
|
日本クラウン / PANAM
|
4th
|
1992年7月23日
|
VARIOUS
|
CD
|
CRCP-20042
|
Vap
|
5th
|
1993年7月1日
|
ラジオデイズ
|
CD
|
VPCG-84203
|
6th
|
1994年2月1日
|
ラジオデイズ2
|
CD
|
VPCG-84220
|
ミニアルバム
|
発売日
|
タイトル
|
規格
|
規格品番
|
東芝EMI / 東芝レコード
|
1st
|
1991年10月30日
|
休日のカンランシャ
|
CD
|
TOCT-6322
|
ドラマCD
|
発売日
|
タイトル
|
規格
|
規格品番
|
日本クラウン / anix
|
1st
|
1992年12月16日
|
愛のカレードスコープ
|
CD
|
CRCP-20053
|
参加楽曲
| この節の 加筆が望まれています。 (2022年4月) |
発売日 |
商品名 |
面 |
トラック |
タイトル |
歌 |
作詞 |
作曲 |
編曲 |
備考
|
1976年
|
サンリオ 歌のギフトゲート
|
A
|
5
|
「ちょっといい旅」
|
冨永みーな
|
伊藤アキラ
|
森田公一
|
小野寺忠和
|
マイメロディ イメージソング
|
6
|
「うさぎ耳の少女」
|
タイアップ一覧
執筆
連載コラム
- アニメ系月刊誌『月刊OUT』にてコラム『みんなどう思う?みーな、こう思う』を連載した。1993年8月号から開始、1995年5月号で同誌が休刊となってからは、『Magazine MEGU』にて『お願いしますよ』と改題して続けた。
脚注
注釈
- ^ 特に『奇想天外』では、ナレーションの他、VTR中の動物たちのアテレコも担当していた。
- ^ 当時出演していた『あらいぐまラスカル』のクレジットは、最初は“富永美子”で、30話から“冨永ミーナ”に変更されている。
- ^ 2017年の時点では3年前に一度オファーがあったものの、収録日が自身のレギュラー番組と被っていたことから出演が叶わなかった。同時点では『コナン』の収録日のレギュラー番組がなくなったことから「すぐ死んじゃう役でもいいので」と出演を望んでいた。
出典
参考文献
- 冨永みーな(インタビュアー:斉藤貴志)「[巻末インタビュー]○○声優 冨永みーな」『声優Premium vol.2』、綜合図書、148-157頁、2017年9月5日。ISBN 978-4-86298-182-0。雑誌69800-91。
関連項目
外部リンク
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理事長 | | |
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所属俳優・声優 |
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旧所属俳優・声優 | |
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関連項目 | |
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カテゴリ |