名城公園
名城公園(めいじょうこうえん)とは、愛知県名古屋市の名古屋城を中心とした城址公園である。名古屋市中区二の丸や三の丸から北区名城にかけて所在する。1931年(昭和6年)に開園した[WEB 1]。面積は80.41ヘクタール[WEB 1]。管理は名古屋市で分類は都市公園(総合公園)。約2,800本のサクラが植えられている。 歴史名古屋市中区・北区・西区の区境付近に位置している[WEB 1]。北園の部分はかつては沼地であり、明治時代に埋め立てられた上で、陸軍の練兵場として利用されていた[1]。第二次世界大戦中の名古屋大空襲では名古屋城一帯が焦土と化したが、戦後復興計画の中で都心部の総合公園として整備する計画が立案され、1949年(昭和24年)には現在の北園を中心に造成が開始された[1]。 沿革
園内の施設名古屋城の内堀より北側のみ(北園)が名城公園として認識されることが多いが、行政上は内堀より南側も名城公園であり、その他に外堀など飛び地となっている場所も含まれる[1]。 1984年度(昭和59年度)から3年計画で、棚延長660メートル・棚面積3,300平方メートルの「藤の回廊」が整備された[WEB 4]。野田藤、三尺藤、花美短藤など、9種類85本が植えられている[WEB 4]。2013年(平成25年)には、名古屋市が公募した「まちなみデザイン20選」に園内の「藤の回廊」が選定された[WEB 4][新聞 1]。 2017年(平成29年)4月27日には、北園にランニングステーション「tonarino(トナリノ)」がオープンし[WEB 3]、名誉館長には野口みずきが就任した[WEB 5]。 南園北園
東外堀公園交通アクセス御深井庭名城公園の北園は江戸時代の御深井庭(おふけにわ)あるいは御深井御庭(おふけおにわ)の跡地にある。御深井庭は名古屋城創建時に城の北側にあった低湿地を残した池を中心とする大庭園で、名古屋城北側の防備の役割を担っていた。徳川家光が上洛の際にこの庭園を鑑賞し吹上御苑の手本にしたとされる。明治以降は埋め立てられて練兵場として使われた。 脚注WEB
新聞書籍
参考文献
関連項目外部リンク |