永木亮太
永木 亮太(ながき りょうた、1988年6月4日 - )は、神奈川県横浜市青葉区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・徳島ヴォルティス所属。ポジションはミッドフィールダー。元日本代表。 来歴プロ入り前中学・高校の6年間は川崎フロンターレの下部組織に在籍していたが、ユースからトップに昇格することができず[1]、中央大学へ進学。 大学4年時の2010年7月、湘南ベルマーレに特別指定選手として登録され、リーグ戦11試合に出場した。特別指定選手の11出場はJ1歴代最多である(J2・J3まで含めると地主園秀美らの16出場)。 湘南ベルマーレ2011年に湘南に正式加入すると、ハン・グギョンと共にボランチのポジションを担い、大卒1年目にしてリーグ戦36試合に出場した。 2012年も、リーグ戦では累積警告による出場停止1試合を除き、チーム最多の41試合に出場。チームのJ1昇格に貢献した。シーズン終盤には、ゲームキャプテンを務めていた遠藤航の不在や、監督である曺貴裁から「チームに徹するプレーや責任感が増してきた」と言われたこともあり、ゲームキャプテンを任されることもあった[2][3]。 2013年より正式にチームのキャプテンに就任。出場停止1試合を除くリーグ戦全33試合に先発出場し、チーム最多タイの4ゴールを挙げるも、チームはJ2降格となった。オフシーズンにセレッソ大阪を始め[4]、J1チームからの獲得オファーがあったものの、「とにかくこのチームを上げたいという気持ちが強かった」という本人の意思もあり、残留が正式発表された[5]。 2014年は、左足の肉離れで約2ヶ月間離脱したが[6]、その期間以外の公式戦31試合に出場。J2リーグ史上最速[7] となる9試合を残してのJ1昇格に貢献した。同年オフにもJ1クラブからオファーが届いたが、残留を表明した[8]。 鹿島アントラーズ2015年12月28日、鹿島アントラーズへ完全移籍することが発表された[9]。2016年5月18日のナビスコカップGS第5節の古巣・湘南戦で移籍後初得点を挙げた。その後も中盤のレギュラーとして、1年目で鹿島の2冠達成に貢献した[10]。 2017、18年はレオ・シルバの加入や、三竿健斗がレギュラーに定着したこともあり、出場時間が限られた。 2019年、怪我人が多いチーム事情もあり、右サイドバックとして多く出場した。 湘南ベルマーレ2021年12月22日、湘南ベルマーレへ完全移籍することが発表された[11]。7年ぶりの復帰となる。 名古屋グランパス2022年7月7日、名古屋グランパスへ期限付き加入することが発表された。期間は2023年1月31日までで、背番号は20[12]。 湘南ベルマーレ復帰2023年1月6日、湘南ベルマーレへの復帰が発表された[13]。 徳島ヴォルティス2023年8月16日、湘南ベルマーレより徳島ヴォルティスに期限付き移籍にて加入することが発表された。背番号は54[14]。 2023年12月24日、完全移籍を発表[15]。 2024年8月13日、2024明治安田Jリーグ KONAMI 月間MVPを受賞。[16] 日本代表2015年末、日本代表候補合宿に初選出。2016年3月7日にも招集されていたMF米本拓司が負傷で離脱したため、日本代表候補合宿に追加招集された。同年9月29日、2018 FIFAワールドカップ・アジア3次予選に向けた日本代表に招集された。11月11日のキリンチャレンジカップ2016・オマーン戦でA代表デビューを果たした。 プレースタイル最終ラインから前線まで激しく動き回る、運動量の多さが特長。動きの中でボールに絡みながら、正確なパスやクロスでチームのリズムを作る。チームメイトへの冷静な声の指示も的確で、チームを統率。2014年にJ2リーグ月間MVP (3月度)に選出された際はチーム内でラストパス数1位タイ(7本)、パス数1位(272本)、パス成功率1位(76.8%)とパスの配給役としての活躍だけでなく、こぼれ球奪取率も1位(24 回)、タックル数2位(15回)という数値からも攻守の貢献度の高さが証明されている[17]。特にボール奪取能力には非常に優れ、J1でプレーした2015年もリーグ3位の高い数値を示している[18]。コーナーキックやフリーキックのキッカーも務め、縦に弧を描く力強い弾道のフリーキックを得意とし、2015年はゴール30m弱の長距離から直接2得点を決めている[19]。 エピソード
所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
タイトルクラブ
個人
代表歴出場大会
試合数
出場
脚注
関連項目外部リンク
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